第9話 山道を進もう
アリス、ヒロシ、朔哉の三人を乗せた車は順調に進み、昼前には予定通り『この先私有地』の看板前に到着した。
「有刺鉄線で封鎖されてるとか、そういうのはないんだねー」
「ああ。この道路自体はもう少し上まで続いている」
看板前で車を止め、いったん降りて伸びをしているヒロシに、朔哉は自分のパッドで無料航空写真を呼び出して見せた。
「ふんふん。なるほどねー。んじゃ、行けるとこまで行ってみますか。ダメなら止められるだろうし」
「許可証を見えるようにしとけよ」
アリスから預かった朝倉夫人から託された許可証は、外からも見えるように、運転席の前、フロントガラスよりの位置に置いた。
「よーし、出発するよー」
無料航空写真で見た通り、私有地に入っても、一般道路と同じように舗装された道路が続いている。
一般道路と違うのは、道路幅が狭くなり、その分だけ山の木々が身近に迫っていることだ。
休憩を挟んだことと、いよいよ目的地に近づき意識が集中したことで、車酔いから回復した朔哉は周囲の景色に注意を向けた。
先程まではとても窓の外を見る余裕などなかったが、あらためて見てみると、山全体が紅葉していて美しい。
トンネルのようにかぶさっている枝についている葉の裏側の隙間から見える緑黄色赤へのグラデーションは、一枚いちまいの葉で構成されている。朔哉には、精密な点描画や繊細な山下清のちぎり絵を彷彿とさせた。
先程までとは違って静かになったアリスの様子を、朔哉は気づかれないように視線だけで窺った。どうやらアリスも窓の外に広がる紅葉に見入っているようで、窓を向いたまま、ぽかんと口を開けている。
「……現実世界って、よく処理落ちしないよねー」
電脳畑のヒロらしいコメントだな、と朔哉は口の端を上げる。
「でも、SOUVENIRの美しさには敵わない」
「わーお。おべっかでも、制作チームが聞いたら泣いて喜ぶだろうねー」
お世辞ではなく、朔哉は心からそう思っていた。
確かに周囲の紅葉は美しい。
でもそれは、絵の具を出したまま色を塗ったのと同じで、朔哉には、それ以上でもそれ以下にも響いてこなかった。
実のところ、朔哉はあの美しい『紅葉の地』の聖地ということで、今回の小旅行を密かに楽しみにしていた。数年ぶりに外出したいと思うくらいに楽しみにしていたのだ。
それが見たところ、美しいことは美しいけれども、SOUVENIRでの輝くような美しさはない。
やっぱりあれはゲームならではの美しさなのか、と勝手に期待を裏切られた気持ちになっていた。
(まぁ、ここには景色を見に来たんじゃない。『紅葉の謎』を解く手がかりを探しに来ただけだ)
「あ、止まるよー」
アスファルトで舗装されていた道路がついに途切れたようだ。
木々はなく、少し開けた場所になっているので、帰る時のためにヒロシは先に車の向きを変えた。
エンジンを切った車の中で皆は靴をはきかえる。
「サク、これからどうすんの?」
朔哉は朝倉夫人からの手紙に入っていた地図と同じ縮尺に印刷した無料航空写真を取り出した。
その印刷した写真には、地図に書き込まれていた線と同じように線を引いてある。
「SOUVENIR内の『紅葉の謎』があるのは、ここと似た開けた場所だ。朝倉夫人からの地図も、航空写真でわかっている開けた場所をいくつか通っているから、『紅葉の地』はこのどれかだと予想している」
「オッケー。見た感じ、そんなに遠くないね。お弁当はいつ食べる? アリスちゃん、おなか空いた?」
「まだ大丈夫です」
「じゃ、お弁当持っていって、疲れたら休憩がてら途中で食べよっか」
朔哉のパッドで、自分達の現在地をGPSで確認する。
三人のいる場所は、手紙の地図に書き込まれていた線の初めと重なっていた。
車から降りた三人を、山独特の澄んだ空気と無数の虫の声が出迎えた。
「うわぉ。大歓迎」
「こっちだな」
アスファルトで舗装されていない道には、石がごろごろしていたり、野草が膝かへたすると腰くらいの高さにまで生えていたりと、なかなか進むのも大変そうだ。
「アリスちゃん。うっそうとしてるけど、歩けそう?」
「だ、大丈夫です」
草むらに、アリスはおっかなびっくりといった様子だ。
「疲れたら遠慮しないで言ってよ。すぐ休憩するからねー」
「はい」
朔哉は大きなリュックを背負い、パッドと地図を手に、草をかきわけ踏みしめながらゆっくりと先頭を歩く。
大柄な朔哉の一足ごとに、厚底の靴にかかる自重で、ガサガサベキッと草が折れる音がする。
次にアリスが歩き、大きなリュックを背負ってバスケットを持つヒロシが続いた。
「なんかさー、不明瞭な地図といい、この縦一列で歩いてるのといい、いかにも昔のRPGって感じしない?」
「ドット絵の時代だな」
「そうそう。サクん家にはいっつもいろんなゲームがあって、お菓子も美味しいし、ほんと天国だったよー」
「ヒロシさんと朔哉さんは昔からの友達なのですね」
「そうなんだよー」
「違う」
「え、ヒドい!」
「酷くない。だいたい今回のことがなければ、わざわざ連絡もとらなかっただろう?」
「最近は仕事が忙しすぎただけで、俺はずっと友達だと思ってるよ!」
「どうだか。ヒロは昔から打算的だからな。今回もたまたま俺が便利そうだから連絡くれたんだろ?」
「いやまぁ。そりゃサクの知識を頼りにしてなかったかって言われると、頼りにしてましたけどね。アリスちゃんはどう思う? 俺とサクは友達だよね? 俺はアリスちゃんも友達だと思ってるしー」
「ええ?」
「ほら、友達じゃないってさ」
「いえ、あの、そうではなくて。ヒロシさんと朔哉さんはお友達だと思いますけど。その、私も、ですか?」
「そうでしょ? 違う? あー、トシが離れてるもんね。こんなオジサンが友達ってイヤ?」
「おじさんって……まだおにいさんですよね? 私のことも、と、友達と言ってもらえて嬉しいです」
「良かったー。アリスちゃんのお友達はどんな子かな? 二十代のおねーさんとかいない?」
「お前……露骨過ぎるだろ」
「いつでもチャンスは逃さないよー」
「友達、とは、皆さんとは、離れてしまいましたので……」
「え、もしかしてアリスちゃんって、引っ越したばっかりとか?」
まったくの無駄話のようだが、ヒロシはアリスから情報を引き出そうとしていた。
肩書きはプログラマーであるヒロシの仕事は、どちらかというと癖のある社員と社員を結ぶ役目だった。
どれだけ個人で仕事ができてもバラバラだと困る。全体的な流れを読んでまとめる必要がある。だから技術力はそこそこながらもコミュニケーション力が高いヒロシのような存在がいるのだ。
朔哉自身もアリスの正体が気になっていた。
でも、自分ではうまく聞き出せそうにないので、そこはヒロシに任せている。
ヒロシに打算的だと言ったけれども、朔哉だってヒロシのコミュニケーション力をあてにしていた。
ここまで車を出すだけなら専門職である山内や他の人間に頼むこともできた。そうすればヒロシの仕事の都合を待つ必要もなかっただろう。ただ、アリスと話が弾むとは思えない。
朔哉としては、お互い利用し合う関係なら『適材適所』だ。
表と裏で態度を変えられるより、ヒロシのようにわかりやすく利用してくれる方が安心できるので、打算的な方が朔哉にとってはありがたい。
『打算的』は朔哉のわかりにくい褒め言葉だった。
(それにしても、このアリスは何者なんだ?)
ただの見舞客つながりで、朝倉夫人が私有地の立ち入り許可証を出すとは思えない。
そっくりなNPCアリスがいるのだから、SOUVENIR関係者でもおかしくないのに、SOUVENIRを知らなすぎる。
朔哉もヒロシも、少女がなにか隠しているのはわかるのだが、直接ズバリは聞けないでいた。
うっかりしたことを聞いて逃げられてはたまらない。
少女は『紅葉の謎』を知っている朔哉を頼ってきたが、朔哉にとっても少女は貴重な手がかりだ。『紅葉の謎』を解くまでは一緒にいてもらわなければ困るのは、少女も朔哉も同じなのだ。
ヒロシはなんとか少女から情報を引き出そうとしているが、わざとなのか天然なのか、少女にのらりくらりとかわされて、うまくいかない様子だ。いい気味だと思いながら、もっとくらいつけよ、とも思う。
少女に息切れが多くなってきている。
獣道のような山道を話しながら登っていたので疲れてしまったのだろう。
ちょうどひとつ目の開けた場所に出た。
「はー。ちょっときゅうけーい。ここで昼食にしよー」




