42.狭間の王
処刑を待つばかりの亜人たちが格子付きの部屋に詰め込まれていた。
「騒がしくなってきたな」
熊の獣人ドゥールムが誰に聞かせるでもなく呟き、モグラの青年ヒストと記憶喪失の女が耳をすます。
あまりの騒ぎに様子を見に行った見張りの兵も戻ってこないのだから想定外の騒ぎが起こっているのだろう。
「何が起きてるんだろ?」
「逃げるなら今しかない」
ドゥールムは体を引きずりながらも出入口に向かう。
外には兵士達が大勢いるだろう。
「ドゥールムさん、足枷をつけた上そんな怪我で!?」
「どのみちこのままここにいれば死ぬ。死にたいなら残れ」
「ああもうっ……あなたも行きましょう!」
逃げ切れるとは到底思えないが、このままいれば処刑を待つだけだ。
半ば自暴自棄になりながらもヒストは傍の長耳の女の手を引けば女は抵抗もせずについてくる。
ドゥールムが扉を怪力で破壊しようと近付いた瞬間、ごにゃりと頑強な扉が歪んだ。
『ガルルルル』
ドゥールムとヒストは突然のことに声も出なかった。
扉を破壊して現れたのは白銀の体毛を纏う大きな狼だった。
その巨体では扉をくぐることもできず、煩わしそうに入り口を力任せに押し広げる。
「さ、災害獣ヴァナルガンド!?」
ヒストが歯をカチカチ鳴らしながらも叫ぶ。
魔物に疎いドゥールムにも聞き覚えがあった。たった1匹で国をも壊滅させるという惨劇の狼の名を。
単体でも恐ろしい戦闘力を持つが真に恐ろしいのは群れた時で、敵も味方の死体も食らうことでどこまでも強くなり、敵と味方の血で赤い河をつくる獣。
破壊された扉の向こうにその狼が何体もいるの。
ドゥールムとヒストは騒ぎの理由を瞬時に理解した。
『亜人、3人イル』
『主ノ言ッタ通リダナ』
2体目のヴァナルガンドが入ってきて、最早どこが入口だったのかも分からない程に部屋は崩れてとうとうヒストが卒倒した。
長耳の女が無遠慮に狼に近付いていき、さすがのドゥールムも制止しようとするが声が出なかった。
「わたしたちに何か用かしら?」
『オ前タチ、ボスノ所、連レテイク』
圧倒的な力を持つ狼が言葉を話す。
どうやらすぐに殺されることはないらしい。
後から入ったヴァナルガンドが女の匂いを嗅いだ。
『……?オ前、変ワッタ匂イダナ』
「そう?閉じ込められて、ずっと体洗えていないのだけど」
長耳の女が自分の腕をスンスンと嗅ぎ始め、ドゥールムは突っ込む気力も起きずに気絶したヒストを支える。
『トモカクコレデ、主モボスモ、喜ブ!』
ヴァナルガンドが歯茎を見せて笑うが生きた心地がしなかった。
「ボスだと?狼のボスの餌にされるんじゃないだろうな……」
「断頭台よりましならいいわねぇ」
女はこんな時なのに朗らかに笑う。
◆
「正直に言え、お前の言葉で!お前がどうしたいか!!」
その人の声は、おぼろげな意識の中でも明瞭に聞こえた。
「……何をしている、早く刃を落とせ!」
「た、ただいま!」
暴れまわる狼達、そして目の前で処刑人の1人が落下したことで縮こまっていたもう1人の処刑人が神官アンデスの言葉で我に還る。
肉の裂けた背中も焼かれた左目も脳天を揺さぶるように痛む。
意識があることが不思議なくらいだったのに気絶する気も失せてしまった。こんな状態なのにあの魔人ときたら『どうしたいか』などと問う。
答えなければ、魔人は自分を助けてしまう。
自分がいればいずれ破滅を招くのだから諦めてもらわなければならない。
何と言えば良いだろうと頭を働かせてみるも先ほどまで思い出に浸っていた余韻だろうか、懐かしい記憶ばかりが頭をよぎる。
「ボクがどうしたいか……」
タブースキルを持って生まれたクローバーにとって未来とは閉ざされているものだった。
生まれてきた意味とは何だろう。恨めしくも現状を変えるだけの力もなく、宛もなく生きあがいてきた人生だった。
幼かったころ求めた夢物語、"亜人が虐げられることのない理想の居場所"は出来つつある。
だからこそ、この身の破滅で邪魔をするわけにはいかなかった。いつかラグナが作るであろうその場所はクローバーにとっての夢だった。
ようやく自分の運命に納得して幕を引く覚悟ができた。
クローバーは世界を知らないラグナにこの世界のことを伝えてきた。じきに狭間の王となるラグナの存在は亜人達の希望となるはずだ。
クローバーの知識はラグナを生かす。きっと自分の命はこのためにあったのだ。
元より長くないと思っていた命だったけれど、夢に殉じるのなら悪くない。
ラグナが理想郷を創ればクローバーが抱いた希望は魔人が作る世界で息づくのだから。
そう思っていたのに。
「強いて言えば……」
知識だけでは知ることの無いものがあった。
魔人と歩んだ時に見た輝かしい景色は、世界中の本を漁っても知りうることはなかったはずだ。
そう思ったら、言うまいと思っていた気持ちを言葉にしてしまった。
「……見たかったです、あなたが創る新しい世界」
もっとこの世界を見たい。
変わっていく世界を見たいと思ってしまった。
言葉にしたら、ずっと蓋をしていた感情が溢れ出した。
「それだけか?」
そういえば、この人はこういう人だった。
この人はもっとシンプルな言葉を望んでいる。
そして偶然にも、クローバーがたった今自覚した願いはシンプルなものだった。
「……ラグナさん、ボクがなんて言っても怒りませんか?」
「怒らない!!来い!」
こんなところからさっさと立ち去って欲しいのに、呪われた命のためにこんな所まで来てくれて嬉しいと感じてしまう。
分不相応の願いだと思っている、などと言えば怒られるだろうか。
処刑人が断頭台に近寄る気配を感じる。
魔人は周りの雑兵を蹴散らしながら、マーナガルムの助けを得て処刑台へ駆け上がる。
間に合うだろうか、間に合わなくても構わない。不思議と満ち足りた気分だった。
「遅い、罪の清算の時だ!」
高らかに叫ぶ処刑人の声が聞こえる。
賽を投げれば目が出るように、断頭台の刃が落とされればもう止められない。
「ボクはまだ、あなたといたい」
刃が落とされる音が聞こえたけれど、この言葉だけ伝えられれば満足だった。
◆
クローバーはもう目前だ。
ゲッカが影で魔術で作ってくれた階段を駆け上がる。そうしてクローバーの目の前に到着した時、俺の目の前で断頭台の大きな刃が落とされた。
「お前の声、ちゃんと聞こえたぞ」
刃は落ちた。
だが刃がクローバーの首を落とすよりも前に、ギリギリで脚を差し込めば刃は俺の脚を切断することもなくガキンと大袈裟な音を上げて止まった。
なんとなく行儀の悪いセールスマンとかが扉を閉められる前に靴を差し込んで扉閉じれないようにするのを思い出すね。
処刑人が驚愕した顔をこちらに向ける。
ギロチンを脚一本で止めたらまぁ驚くよな、でも大変ジャマなのでご退場願おう。
処刑台から突き落とすと情けない声を上げながら落下した。
「オイ大丈夫だよな?こっち向け」
ギリギリ間に合って良かったと安堵したものの、クローバーの姿をよくよく見れば無事とはとても言えなかった。
露出した背中はズタズタだし左目は焼かれたまま俯いている。控え目に言って重症。
え、この怪我って大丈夫なやつ?
「い、いや待て無理して顔上げないでもいい。怪我なんてすぐ治してやるから!」
「……いやあの、前も言ったと思うんですけど……。ボクの姿勢が低い時にボクの前に立たないでもらえませんか……」
クローバーは首は固定されてあまり動かないせいか、気まずそうに目線だけをそらしている。
俺はといえば刃を脚で止めたもんだから、片足上げた状態。首の位置が低いクローバーの位置からだと開脚した俺を下から見上げることになる。
そうだね、腰布の下はいてなかったよね。そりゃもう、全部見えるんじゃないだろうか。
闇の災厄魔法で辺りが暗いのが幸いだけど、下の方で灯りが焚かれているのでライトアップされていることに気付いた。
「見るなよ!何見てんだよ!!?」
「見ろって言ったり見るなって言ったり何なんですか!?」
それはそう。
でも俺だって好きでこんな格好してるわけではないと何度でも言おう。
さっさとこんな断頭台壊そうと手を思いつつも気まずさから話題を変えることにする。
「それよりも、お前のその怪猫とかいう不幸体質スキルについて一個気になってたんだけど……」
「……なんですか?」
言おうかちょっと迷ったんだけどね。
「災禍を呼ぶスキルなんだろ。その災禍って俺のことじゃない?」
「……は?」
クローバーがマヌケな顔でこちらに顔を向ける。俺としてはまだ見ないで欲しいんだけど。
でもホラ、俺って災厄の化身だし。
俺が傍にいる=災禍と言えないこともないんじゃないだろうか。
現に、今まさにクローバーは災禍を呼んでいる。
クローバーはそんな単純なことも見落としていたらしい。
こういうのを灯台もと暗しって言うんだろうな。
「……ボク、あなたを巻き込まないために出て行ったんですけど!?」
「巻き込まれるも何も、既に当事者だったな」
俺と一緒に居たら俺まで災禍に巻き込むと一世一代の覚悟を決めて自ら処刑に来たのにその災禍は俺でしたって言うならちょっと恥ずかしさでいたたまれなくなる。
とてつもない覚悟を決めた矢先にこれはちょっと不憫だ。軽くフォローいれておくか。
「いや、俺はお前の事それなりに分かってるつもりだぞ。頭いいわりに結構見落とすとことか。クローバーそゆとこある」
「バ……バカバカバカ!もう知りません!」
がちゃがちゃと台を揺らしてる。コラまだギロチンが真上にあるんだから揺らすんじゃない。
だいたいこの場合バカはどっちか……いや泣きそうになってるしやめておこう。言いたいのはこんなことじゃない。
「まだ終わらせないぞクローバー!お前はずっと俺という災厄を抱えるんだ。お得なことに惨劇だってついてくる!!」
「ヴァルッルルル!!」
グリフォン達と相対している惨劇の狼ことゲッカが呼応するように鳴く。
もうここまで来たらヤケクソだ。ギロチンの刃を蹴り上げた間に両手で拘束台を破壊する。
クローバーという存在が破滅を呼ぶ世界の敵だとしても、俺だって終末の王だしゲッカも災害獣ヴァナルガンドのリーダーで世界から恐れられている。
1人にはさせない、世界の敵である俺たちは3人で寄り添っていく。
「お前の破滅くらい俺が受け止めてやる!俺と来い」
手を刺し伸ばせば拘束されてボロボロの小さな手が力なく伸ばされる。
「……っ、ごめんなさい、ラグナさん」
「カッ、こういう時に言うのは、そっちじゃねぇだろ」
抱え上げれば、背中の血が腕に付く。
片目を失って傷ついてボロボロになりながら、クローバーは笑っていた。
「そうですね、ありがとうございますラグナさん」
零れた涙が砂漠の空に舞って、すぐに見えなくなった。
「なぁクローバー。どんな王になるか、考えろって言ったよな?」
「え?」
"王とは何か。考えておいてくださいね"
10日前、クローバーが言っていた言葉だ。
「いい機会だ、今ここで『狭間の王』の宣告を始めてやる!!」
天に拳を突き上げれば空の赤い月の光が増した。
王のスキル『狭間の王』により俺は正式な王になる。
「ウチのネコがどんな王になるか楽しみって言うからな。一回くらいは約定とやらに従ってこっぱずかしい宣告に付き合ってやる!だがこれが最初で最後だ!全人類、耳の穴かっぽじってよく聞けよ!」
大気が震撼し大陸中に地響きが起これば赤い月は新たな王の姿を映し出す。
褐色の肌に赤い髪の男の姿を。
「王とは何でも受けとめるもんだ。俺が目指すのは共生の道!行き場の無い奴らは俺の元へ来い。力も弱さも全部受け止めて居場所を用意してやる!争いなんざやってられっかこの戦争に全力で反逆してやるわ!
第一さぁ、もういない神とやらの言いつけ守ってこんな不毛な戦い何千年も続けてんじゃねーーーよ聞いてるか他の王!!お前らがどこで何しようと知ったこっちゃないが俺たちに手ぇ出したら全力で潰しにいくからな!」
こんなふざけた戦いに中指を突き立てる。良い子は真似しちゃ駄目だよ。
この世界に対して言いたいことは山ほどあったけど不満の1割くらい全国放送でブチ撒けられたのでちょっとスッキリしたな。
「あっあと村作るから真面目に行く場所ない奴はおいで!住人募集中で……」」
俺の目の前からまさかの猛烈なブーイングが来た。
「ちょ……ちょっと!!内容めちゃくちゃじゃないですか!ボクが教えたやつは!!?」
「いやこっぱずかしい宣告真面目にやれるワケねーだろあんなもん聞かされる方の身にもなれよ!?」
俺はフランク路線でいくんだよ。
あとせっかく無料で全国放送できるならこれから建設予定の村の宣伝しとけばお得じゃん?
「それに大体あってんだろ!俺がルールだ!!」
「そう言えば何でもまかり通ると思わないで下さい!!!」
「ヴァ……ヴァフヴァウッ!!」
ゲッカが慌てて止めに入る。
なに、どうした。
え!宣告まだ終わってない?
空を見ると赤い月は俺の顔の包帯を引っ張るクローバーと押しのける俺、割って入るゲッカが映されていた。
いや待って。
これ俺とクローバーのやりとりまで全国に生放送されてんの!?
放送事故じゃん!!!!!!!