36.冒涜者の最期
◇
進化したカロンは浮遊感に包まれていた。
(ここはどこだろう。あたし、どうしたんだろう)
目の前にいるのは成長して大きくなった自分。
嘆きの唄を歌い続け、周り全ての命を深い水底に誘って沈める。
そうしていつまでもいつまでも、おかしくなるまで唄い続ける自分の姿だった。
怖くなった。
けれどカロンは頭のどこかで分かっていた。
(これは、ちがうあたし)
体にひたひたと力が流れ込むのを感じる。
また別の、大きくなった自分がいた。
赤みを帯びた乳白色の尾を躍らせながらこちらも唄を歌っている。
その歌は肉体を蝕む歌だが、同時に癒す歌でもあった。
生き物の体を思いのままに操る生命の歌。
(カロンは、メロウじゃない。カロンの、新しい名前は…)
◆
カロンの鱗が剥がれ、全く新しい尾が現れる。カロンは尾を揺らして歌い始めた。その歌は部屋中に反響する。
「歌……?」
「……!?みんなが!」
メロウ達は目を見開く。
「う、んんッ」
呼吸がだんだん弱々しくなっていた、拘束されていたメロウの傷がたちまち塞がっていく。
「ガフ、けほっ!」
「カハっ!う、はぁっ!」
ガラス管の中、永久にメロウに戻ることはないと思われた彼らの体が変わり始めた。
内臓が作られ筋肉がつき、血液が流れるようになってやがて元のメロウへと完全に再生する。
「ヴェパル……」
クローバーが茫然としながらも呟いた。
ひと睨みするだけで傷をつけ、傷に蛆を呼ぶ。それでいて肉体を癒すことができる海の化生。
「一体どういうことなの、これは!?」
思わず叫んだのはギルティネだった。
他の商人たちも狼狽する。こんな奇跡のようなことが起こるはずがない。
ギルティネのメスを握る力が無意識に強くなる。
「……殺すのよ!私たちのことを知られた以上、生かして返すわけには!」
「ヴァウルル!!」
「ひ、ひいぃ!?」
背後から現れたゲッカがギルティネ達の傍の作業台をひと裂きで破壊した。
尻もちをついて後ずさる商人達を激しく威嚇する。
拘束されたカロンの姉がようやく解放され、カロンが飛びつく。
「おねえちゃん!カロン、進化したの!"ヴェパル"になってみんなをなおせるようになったの。ねぇ、おねえちゃん、なんともない?」
「ええ、ええ!大丈夫よ。あなたが治してくれたもの」
抱きあえば自然と涙がこぼれる。喜びの涙だった。
その光景を見てクローバーはへたりこむ。
安堵した。しかしそれ以上に高揚していた。心臓の高鳴りがおさえきれない。
自分の手で1つの亜人の運命を変えられた。
自分が求めていた知識は間違っていなかったのだ。
◇
体が、熱い。
目の前が赫い。
何かないのか。奇跡でも、ご都合主義でもなんでもいい。
何が魔人だ、壊す力しか持たないくせにいっちょ前に名前だけは轟かせやがって!
魔人っていうなら助けてみせろ。
<助けたくば殺せ>
!
まただ。
迷宮から出て賞金稼ぎに襲われた時と同じ。
あの時と同じ声が聞こえた。
<見えるだろう、その姿が>
ああ、見えるよ。
血を流し、心を挫かれたユーリス。
変わり果てた姿を目の当たりにし絶望するメロウたち。
<蹂躙せよ!我らを脅かす者共を、我らを守るために!>
―—ヴァウ!――
ゲッカの声だ。
どいてくれ、蹂躙しないと。
ちゃんと見ろ?
みんな泣いているじゃないか。
いや、違う。
悲しい涙ではないみたいだ。
みんな抱き合って泣いている。
どうしてみんな泣いてるんだろう?
声が聞こえる。
体が熱い。
体が、熱い。
<殺せ!殺せ!!殺せ!!!>
殺さないと。
全部、壊さないと……。
――ヴァウ!――
――おにいちゃん!――
◇
「……あ?カロン!?」
俺は床に倒れていた。
頭がぼうっとする。とても嫌な夢を見ていたみたいだ。
思い出した。
前の俺、魔人ラグナの記憶を見たんだ。
あの声が聞こえると目の前が赫くなって、全て終わらせたくなる衝動に駆られる。
……だったのに今は俺の胸の上に人魚がのしかかっている。どうしてこんな状況に?
目の前にいるのは、少し雰囲気の変わったカロン。
綺麗に、それからちょっとお姉さんになったな。
カロンの上にはゲッカがいる。どうやらカロンごと俺に突進してきたみたいだな。
そうだ、ゲッカが俺を正気に戻してくれたんだ。呑まれそうになった俺に呼び掛けてこちらへ呼び戻してくれたんだな、ありがとう。
いや寝てる場合じゃない。メロウ達はどうなった。
ユーリスは無事か!?
「ねぇ見ておにいちゃん。カロンね、みんなのケガをなおせるようになったの!」
「えっマジで」
見渡せばガラス管はみんな砕け、骨になっていたメロウはどこにもいない。
大勢のメロウ達が抱き合って無事を喜んでいた。
「魔王様に献上するキメラの素材が!おのれ、この劣等種!!」
「きゃああ!?」
バフォメットが両手に黒い稲妻をみなぎらせカロンに向かって飛び掛かる。
カロンがいるのは俺の胸元だ。
つまり。
「わざわざ殴りに行く手間が省けたわバーーーカ!!!
「ぐがっ!!!?」
右ストレートで向かい討ち、ふっとんだバフォメットがガラス管に頭から突っ込む。
ガラスが粉々に砕け、ガラスに残っていた液体がバフォメットを濡らす。
本気パンチでも一撃では倒せないか、魔将軍とやらは伊達じゃないってワケね。
「げほ!がは!!かふ!!バカなッ……僕は魔将軍だぞ!?」
「だから何だよ。メロウ達が無事なら倒しても問題ないんだろ!」
さっきまでは瀕死のメロウがいたから攻撃を躊躇ったけど、もう躊躇う理由はどこにもない。本気で殴れば2、3発で倒せるだろう。バフォメットの顎を掴んで持ち上げる。
「げほ、けふっ!赤い髪、褐色の肌の大男……貴様、ラバルトゥが言っていた、魔人ラグナか……!?」
ユーリスが目を見開く。
信じがたいという目だ。
「ラバルトゥの知り合いか。やっぱアイツ逃がすんじゃなかったな」
バフォメットの顔が引き攣った。
ラバルトゥには逃げられたが今回は逃がす気はない。バフォメットは必死に声を紡ぐ。
「ま……待て!ハァ、ぼ、僕を殺したら勇者のスキルは戻らんぞ!!あいつを戻せるのは僕だけだ!」
「はあぁ?てめぇこの期に及んで!」
そういやユーリスのスキルを酷いのに変えたみたいなこと言ってたな。
こいつを殺すとユーリスの勇者としての誇りが穢れたままになる。勇者として短い命を燃やすユーリスにとっては死よりもつらいことだ。
「……私の事はいい!その魔族を逃がしてはいけない!!」
「いいのか?その勇者は二度と元のスキルを取り戻せないぞ」
チクショウ!シンプルに殴って解決させろやこのヤギ!
「……いや、『改竄』ってそんなスキルじゃないでしょう」
ユーリスの焦りとバフォメットの嘲りの中、涼しい声で割って入ったのはクローバーだった。
「ステータスに干渉できるスキルは『改竄』だけ。それに解析の見た目がデタラメになるだけで本人のステータスとスキル自体は何も変わりませんよ」
あ、そうなんだ。
「ハハッ、勇者にあるまじきステータスになることに変わりはない!不名誉は永劫消えない!」
「【改竄】で戻せばいいでしょう」
「そうさ、勇者のステータスを戻すには僕を生かすしかない!」
「お前がいなくても【改竄】はできる」
とうとうクローバーが敬語で話すのをやめた。
ズタズタながらも必死に言葉を紡いで嘲笑するバフォメットと、冷静に淡々と告げていくクローバーは対照的だ。
「これだから劣等種は!【改竄】持ちは稀にしか生まれないレアスキルだ!おまけに人間領ではスキルを持っているだけで処刑されるタブースキルだということを知らないのか!?」
「そう思うならボクに解析をかけてみるといい。お前と同じ、持っているだけで大罪とされる【改竄】が表示されるはずだから」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
俺とユーリスとバフォメットがハモった。
クローバーが改竄スキル所持者?
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名前:クローバー
種族:ケットシー
LV:26
HP:117/117
MP:459/459
速度:164
所持スキル
『収納魔法』『亜空間S』『改竄』
『博識A』『並行処理C』
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「ほ、本当だ!『改竄』がある!」
「何だと!?」
いやあなたが見るんじゃなくて、と胡乱な目で俺を見ながらもクローバーは淡々と告げる。それは俺とユーリスに向けた説明だけど、バフォメットにとっては破滅のカウントダウンだった。
「『改竄』はステータスもスキルも自由に書き換えられますが、唯一改竄そのものだけは一切変えられないし、他人のステータスに改竄の文字を加えることもできない。正真正銘、改竄者だけに表示されるスキルですよ」
ふーん、つまり。
「……ユーリスのステータスはクローバーが戻せるので遠慮なくやれって意味でOK?」
「その通りです!」
「ヴァウ!」
ゲッカの口先とクローバーの手でハイタッチしている。いつの間にそんなに仲良くなったの?
それはともかく。
「じゃあもうコイツに用はないな!」
「ク……、クソっ、放せ、ふざけるな!!こんな、こんなバカな話があるか!僕は、僕は魔将軍バフォメットだぞ!こんなところで死んでいいはずがああああ、ッ―――」
頭を思い切り地面に叩きつけ踏みつぶせば衝撃が発生する。床が砕け、地面が大きく揺れた。
バフォメットは足だけを残して消滅した。
まったく、うるさいヤツだった!!