2.魔人ラグナ
犬のゲッカと出会って脱・ひとりぼっち。
夢のマイホームとわんこのいる暮らしのために早いとここの洞窟を抜けたいな。
「あれ?」
いつの間にか赤い石を握っていることに気付いた。
これイカの頭についていたやつか。
俺の胸についている石とよく似た赤い石は俺の手の中で子気味良い音を立てて砕け、同時に俺の胸の石が仄かに輝きを増す。
何が起きたんだろうと思った時。
-ピコン!-
「うわびっくりした!」
突然腰ベルトに挟んでいたタブレットから場違いな高音が鳴り何事かと確認すれば日本語で文字が表記されていた。
【LV上限が解放されました】
LV上限解放?
赤い石が壊れたのと関係があるのかな。
考え込んでいるとゲッカが湖に向かって吠え出した。
「ヴァウ、ヴァヴァ!」
「ん?どうしたゲッカ、まだ何かいる?」
イカはもうお腹いっぱいだよ?
湖に何かあるのかと一歩近付いた瞬間突如水面から大きな壁が現れ、巨大な質量に打ち上げられた湖の水が滝のように流れ落ちた。
洞窟中に厳かな声が響く。
『――魔人よ。今更地上へ何をしに行く』
壁かと思っていたのはさっきのイカよりずっと大きなクジラだった。
体表には岩やサンゴが貼りついて鎧のように見える。
俺は茫然とクジラを見る。
……今喋ったのってこのクジラかな?
ぱちくりとまばたきを繰り返しいると、再度低く響く声が聞こえてきた。
『世界を混沌に陥れた魔人が今更何のために地上を目指すのかと聞いている』
頭に響くような音は間違いなくクジラが喋っていた。
そんでもってなんか不穏なワードが聞こえた。
……念のため確認しておこう。
「魔人って俺のこと?」
『……そうか、記憶を失っているのだったな』
記憶も何もこの世界に来たばかりだけど混沌とか人違いじゃないでしょうか。
『魔人ラグナ、それがお主の名だ。地上で戦と災禍を巻き起こした災厄の化身にして終末の王』
「えーと……俺さっき目覚めたばかりで混沌だの終末だの身に覚えが無いんだけど」
目覚めたばかり、LV1の人畜無害な青年だよ!
いやイカワンパンで倒したからちょっと人畜無害ではないかもしれないけど。
『ここは"封印の墓標"と呼ばれる墓。200年前地上に災厄を招いたお主は人間に敗れこの地に封印された』
大真面目に100%身に覚えがないけど、封印ってのは俺が入ってたカプセルみたいなやつのことかな?あのコールドスリープみたいなやつ。
あれが異世界流の封印?
『封印はお主を獣へと堕とすはずだった。力を奪い、技を忘れ、記憶を消し、魂を砕く。力を失えば戦えず、技を失えば災いを呼べぬ。記憶を失えば戦う理由を失くし、魂を失えばお前は虚の獣へと成り下がる』
ひぇ、あのコールドスリープ結構えげつない装置だった。
『お主を生ける亡霊へ変える、神罰にも等しい封印だった。だが地上の者達の算段も崩れたようだ』
ええと……、このクジラの発言をまとめると。
200年前に世界をメキョメキョにしたラグナってヤツがいた。
ラグナは封印されて魂を失い、獣として目覚めるはずだった。
なのにどういうわけかラグナは魂を持って普通に目覚めた。俺として。
いやちょっと待って。
あの自称天使達やってくれやがった。
転生するっていうから赤ん坊としてオギャーと生まれると思ったらムキムキマッチョで生まれた時点でなんかおかしいと思ってたけど、もしかしなくてもラグナってヤベー奴の体に俺の魂を入れたってことでは!?
事故物件押し付けられてんじゃん!?
平和に暮らしたいって願った時天使達の反応が微妙だったわけだわ!
『だが神々の遺産を以てしても、お主を無力化することはできなかったわけか』
「え、俺人畜無害なLV1だよ?」
『全盛期には程遠いがそれでもお主は災いの如き力を有している。お主が先ほど倒したハデスクラーケンは多くの命を深き海の底に沈めてきた冥府の魔物だ』
あっそういうやつでしたか。なんかおかしいとは思ったよ。
最強のLV1じゃん参ったな。いや嬉しくねぇよ。
異世界で平穏に生活することを夢見てたのにその展望が爆速で遠ざかっていく気配を感じてるよ。
『魔人ラグナ、ここを出た後お主は何を成す?』
クジラの気配が変わる。
返答次第では一戦交えることになりかねないオーラだけど何を成すと言われても。
なってしまったもんはしょうがない。どのみち俺のやりたいことは変わらない。
「期待に沿えなくてお生憎サマだけど俺は犬やネコと一緒にマイホームでのんびり暮らすって決めてんだよ。戦争とは無縁のとこでのんびり暮らすさ」
もう犬とは出会ったけどね!
ゲッカを見ると、ヴァ!と元気に吠えた。
ホラ見なよ、めっちゃかわいいだろうちの犬。
突如唸り声にも似た大きな声が響き渡る。
それがクジラの笑い声だと理解するのに時間がかかった。
平穏に暮らしたいって願いがそんなにおかしいかな?
『記憶を失くしたのは地上にとって幸か不幸か。良いだろう、終末の王に果たしてそのようなことができるのか見せてもらうとしよう』
「カッ!やってみせるさ!」
災厄だのなんだの知ったこっちゃない。
戦ったりしなければ俺はちょっとムキムキなだけの好青年!……たぶん。
『お主、叡智の蒼鏡を持っていたな』
「叡智の蒼鏡?」
『その石板だ』
あ、部屋から持ってきたタブレットね。
叡智の蒼鏡って言うのか、呼びにくい名前だな。
『この先の階を登れば光の柱がある。この迷宮から出たければ柱に叡智の蒼鏡をかざすが良い』
それだけ言うとクジラはゆっくりと旋回し始める。
俺は思わず呼び止めていた。
「待ってくれ!」
『何だ』
「あんたの名前は?」
その時、クジラは少しだけ微笑んだのかもしれない。
『我が名はケトゥス。古に神々に遣わされた世の傍観者にして記録者である』
「そうか、ありがとうケトゥス」
ケトゥスはもう言うことは無いかのように背から小さく潮を小さく噴き、湖の中央へと消えていった。
「フー、戦いにならなくて良かったな」
「ヴァフ」
「傍観者にして記録者だと言っていた。もしかしたら初めから戦う気なんて無かったのかもな」
傍観者は手を出さず見ている人、記録者は出来事を記録する人。
神サマとやらからこの世界を見守り記録をするよう遣わされたクジラなのかな?
傍観者にも関わらずケトゥスは魔人である俺の前に現れた。
魔人が再び世界に災いを呼ぶと危惧したのかもしれない。
でも俺にそんな気はないから安心して欲しい。
「よーし、先へ行くぞゲッカ」
「ヴァフ!!」
ケトゥスの潜っていった湖を後にして、俺たちは階段を目指す。