55.狂騒
「異形の騎士、人間に擬態したスライムだ!」
「あいつ、先日スケアクロウの傍にいた騎士ですね」
「巫女が捕らえた筈なのにいつの間に脱出したのかと思ったが……あの体ならいくらでも逃げられるわけだっ」
スケアクロウの傍にいた騎士は上半身だけはアデルの原型をとどめているものの、腕らしきものは3本に増え、ナメクジのように這いずる足はとても人間と呼べるものではない。
鈍い銀に光る液体の体と化したアデルの体が冒険者達に伸びる。
『お前たチの……体ト経験値、寄越セ!』
「う、うわああぁぁあ!化け物の粘液が脚に!!」
「触るな!溶かされるぞ!」
粘液は触れた肉を溶かし、じゅくじゅくと嫌な音を立てて肉を浸食した。
動きは緩慢だが武器すらまともに通じない。
銀に光るゲルの中から時折ここに来るまでに迷宮中でかき集めて来ただろう魔物の消化しきっていない部位が浮かび上がる。
やがて完全に消化されて消え失せる物体に次になるのは逃げ場の無い洞窟内で壁に追い詰められた冒険者だった。
「ああもう、"ジッパー"!」
「こ、これは……!?」
「つ、掴まれーーっ!」
スライムから逃れられる空中に大きな金属の塊がいくつも現れた。
冒険者たちは咄嗟にしがみついてよじ登る。ジッパーを登ればスライムの攻撃は届かない。
「……何故お前たちがオレたちを助ける!?」
「あなた達が吸収されればスライムが強くなって迷惑です」
クローバー達の元へ近付くことはできない、けれどもジッパーから手を離せばスライムに呑まれる冒険者達は身動きの取れず、クローバーも意識を冒険者からアデルにシフトする。
スライムはクローバー達のいる高台へ壁を張って登ろうとしている。
「ノームたち、爆弾天盤を撃ち抜いて!」
「いいの?グリフォンが来るかもしれない」
「構いません、いそいで」
スライムは意志を持つ酸性のゲルと言われている。
魔物でも人でもないその生物は小さい内は大したことはないものの、成長すれば手が付けられなくなる。
ノームたちが大砲で天盤を破壊すれば、落下した岩石がアデルに降り注いだ。
しかしゲル状のアデルに致命傷は与えられない。
『無駄ダ、効かナい!』
「カラさん!ラグナさんに伝えて下さい!」
「「任された!」」
『!?』
カラたちが飛び上がり、宙を泳ぐ。行き先は今しがた破壊した天盤の外。
「スケアクロウの側近の騎士アデルは異形の騎士だったって!」
『余計なことヲ!』
アデルが触手を伸ばすがヴァナルガンド達の魔術で焼き切られ、次の爆弾を装填したノームたちが大砲を向ける。
「おまえが食べるのはコレだっ!」
「まだです、引き付けて!」
スライムの弱点はゲル内部にあるコアだということは広く知られている。
だが成長し大きくなった個体はコアに攻撃が届く前にゲル状の酸に阻まれてるため倒すのは困難になる。
『無駄ダ、全て溶かすだケ!』
「今です!」
「ファイヤーーーっ!!」
クローバーの合図と同時にアデルの体にノームの爆弾が撃ち込まれた。
『――!?爆弾ガ、溶けナい……っ!!!』
「水の中でも爆発する特別製だぞ!」
「鉱物でコーティングしてるんだ、酸でも簡単に溶けるもんか!」
『下ラない真似を……!!』
アデルの中に撃ち込まれたいくつもの爆弾がゲルの中でで盛大に爆発した。
◆ダンジョン村洞窟西
場所はベクトと商人達の交戦地。
「な、なんだ今の揺れ!?」
「そら行くぜ!"炎月斬"!」
遠くから爆発音が聞こえて迷宮が揺れる。
ハルピュイア達が狼狽えた隙をベクトは逃さなかった。冒険者に見限られ単独で戦うベクトだが、今や気遣う相手などいない。
ハルピュイア達に向けてまっすぐ飛ばされた半月状の炎だが、キピテルが下から起こした風により軌道が反れて被害は無い。サビドゥリアが安堵のため息をつく。
「仲間を守っていただきありがとうございます」
「後にしろ、撃て!」
キピテルが左腕を上げて合図をすれば平静を取り戻したハルピュイア達が一斉に矢を放つ。
「当たんねンだよ!!」
四方八方から襲い来るクロスボウの矢を電光石火で駆け抜け、脅かすようにハルピュイア達に向けて炎を放てば今度は土魔術で壁が現れて防がれる。
攻撃直後の無防備なベクトに降り注ぐ電撃は炎を纏った一閃で電撃を押し返された。
「敵ながら見事ですな」
「あァ?」
それはサビドゥリアの本心だったがベクトの神経を逆撫でした。
勇者である自分が強いのも、亜人の攻撃が自分に通用しないのも当たり前のこと。
怯えてひれ伏すことしかできないはずの弱者たちが徒党を組んで刃を抜ける現状が気に食わない。
土の魔術を放った鼠の獣人がちょうど攻撃しやすそうな位置にいる。
そちらに狙いつけようと向き直った瞬間、空中から指示が飛んだ。
「右舷、前へ出過ぎだ!」
「す、すまない隊長」
舌打ちをしながら上空を眺めれば今しがた指示を出したバードマンと目が合った。
「アタマはあの女か」
前線にバードマンと大柄なハルピュイア、そして獣人、爬虫類人。
上空にはクロスボウを構えた大勢のハルピュイア達がいる。
ハルピュイア達はベクトを狙うでもなく、合図に合わせて決まった方向へまっすぐ矢を射るだけの発射装置。
ベクトにとっては軟弱な亜人の寄せ集め集団に過ぎないはずだったが、未だまともなダメージを与えれられずにいる。
左腕と魔片を失っていなければ楽に倒せていただろうと思うと歯がゆいものがあった。
「クソッ、ケダモノ共が、余計な浅知恵つけやがって!サルでも出来るようなモンをオレに向けんじゃねぇ!!」
「サビドゥリア!稲妻を!撃てハルピュイア!」
「お任せを!」
号令も合図も丸聞こえだから攻撃のタイミングは分かりきっている。
しかし宙に浮いた時、剣を振り下ろした直後、魔術をいなした時など回避しにくいタイミングで矢が飛んでくる。時間をかける程に立ち回りにくくなっているのは気のせいではないだろう。
相手がこちらに対応してきている。
「痛っ!?」
突然脚に痛みを覚えたかと思えば何もない所からカメレオンの亜人がおどけたように姿を現す。
自身の太腿に刺さったのは土の魔術で作られた岩の棘だ。
「クソッ!」
矢を避けきれず、数本を腕に受ける。
「刺さった!」
「い、いける!勇者相手にぼくらもやれるぞ!」
「……っ、ただの、マグレ当たりだろうが!」
勇者に攻撃を当てたことでハルピュイア達は興奮気味だ。
臆病な種族のハルピュイアが勇者である自分に矢を向けていることも、マグレで当たったその矢に誇らしげに、よりにもよって自分を相手にやれるなどと勘違いしていることも、全てが腹立たしい。
「生き恥の臆病なケダモノ共がっ!!オレを怒らせたこと後悔させてやる!」
「……仕掛けてくるぞ!」
「オレの切り札を見て死ねることを光栄に思え!"炎の装甲"!」
ベクトの体から炎が噴き上がって大きくうねり、やがて炎がベクトの体を包んだ。
「てめぇからだ鳥女!」
「"魔力纏い"か!」
勇者の切り札である"魔力纏い"は自身の魔力を鎧に換えるもの。
勇者によってHP消費、状態異常を受けるといった何かしらのデメリットを受けるものの、戦闘力は一線を画す。
一瞬で間合いに入り込んだベクトの剣撃をキピテルが弓の鳥打ち部分で受け止める。しかしステータスの差はあまりにも大きかった。
軋んだ音をあげてベクトの力の前に弓は破壊される。回避行動派間に合わず、剣はキピテルの左の翼の半分ほどを斬り落とす。
<ハハッ、まだまだ、――!?>
違和感はすぐに感じた。
体を斬り落とせば叫び声、もしくはうめき声の1つでもあげるだろう。
それが一切聞こえない。そして、自分自身の声も音にならない。
と同時にベクトは凄まじい速度で体を反らす。
ベクトの後頭部に当たったはずだった矢が弾き飛ばされた。
<……なんだ!?音がしねぇ!>
炎の装甲を纏った今、ベクトの感覚は極限まで研ぎ澄まされている。
矢が飛んでくる方向も距離も分かるはずだった。それが頭に触れた瞬間まで気付けなかった。一切の音が消えている。
「まさか今のを避けられるとは思わなかった」
風の音。欠けた翼が羽ばたく音。
そして宙に逃れたキピテルの声が聞こえてきた。
「さっきから妙に攻撃が避けにくいと思ったら……音を消したのはてめぇか!」
「オイオイ今の間違いなく矢が当っただろ!」
「……矢が当たった瞬間に反応して躱したようですな」
「ンなバカな!」
完璧な不意打ちだった。
キピテルに意識が集中しているタイミングで放たれた矢は確かにベクトの後頭部に突き刺さるはずだった。
しかし矢がベクトに触れた瞬間、ベクトが痛みを覚えるよりも速く反応し、深く突き刺さる前に矢よりも速く移動して攻撃を躱した。
「今のオレにはてめぇら策も不意打ちも関係ねぇ!」
「総員、仕掛けるぞ!ハルピュイア、撃て!」
「無駄だぁっ!!」
亜人達の一斉攻撃。地面から生える岩は跳躍で、放たれる電撃を炎で押し返し、矢はまとめて剣で跳ねのける。
ベクトはどんな攻撃を受けようとも対応できる自信があった。
相手がどんな策を弄しても相手の移動や思考よりも速く動けば何の問題も無い。着地後に最速で亜人の喉元を掻っ切るだけだ。
しかしベクトが着地することはなかった。
ベクトが着地する筈の場所にはぽっかりと大きな穴が開いていた。
「な、なんだァ!?」
「待ってたよ、お前が高く跳ねる瞬間を」
勇者といっても跳ねれば重力に逆らって落下する。そして着地先の地面が突然なくなれば落下を止めることはできず、ただ落ちていくだけ。
「上ばかり見ていると足元を掬われるという言葉がある。お前の足止め用に魔人が迷宮核で用意した大穴だ。迷宮地下への旅を楽しむといい」
「この……劣等種共があああああぁあぁぁぁっっ!!」
迷宮の底へ落ちていくベクトの声がやがて聞こえなくなったところで商人とハルピュイア達がハイタッチで喜ぶ。
「どうなることかと思ったが上手くいったなぁ!」
「さすが隊長の風魔術だ。爆発も土魔術も一切聞こえなかったぜ」
あらかじめ迷宮核で大穴を作り、その上を土魔術で蓋をする。
そしてベクトが空中に出たタイミングで仕込んでいた爆弾で蓋を破壊してベクトを大穴に落とすという作戦だった。
ベクトが地上にいる時に崩落の異変に気付けば回避される可能性が高いため、風魔術で音を消し土魔術で爆弾による地響きを悟られないようにしている。
そして意識を上方にいる鳥人達に向けさせるため、指揮官のキピテル、メインアタッカーのサビドゥリア、後衛の大勢のハルピュイアと空を飛べる鳥人を軸にした。
「隊長ー!翼は大丈夫ですか!」
「かすり傷だ」
「隊長相変わらずやせ我慢しますね」
「しかし、恐るべきは勇者の底力。あれだけの能力であれば大穴で落下しても倒すことはおろか、また登って来るかもしれません」
穴の底を除くサビドゥリアが懸念する。
「え、さすがにもう倒しただろ!?」
「だといいが。矢より早く移動できる勇者が落下でくたばるとは思えん」
「そりゃそうっスけど」
ヴァナルガンド達が力を取り戻せばベクトを抑えられる。しかしそれよりも速くベクトが戻って来た場合はもう後がない。
同じ手は勇者に二度も通じるとは思えない上に音を消す魔術にも気付かれている。
「勇者が戻って来た時に備えて予備の作戦に移行する。場所を変えるぞ」
「りょ、了解!」
翼を押さえながらもキピテルが一声あげれば商人達が移動し始める。
割れた自身の弓をその場に投げ捨てるキピテルの元に数人のハルピュイアがおずおずと話しかける。
「あの、隊長。勇者に矢が通じなかったけども……」
「このままで大丈夫でしょうか?」
一度はベクトに刺さった矢だが本気を出したベクトの前には何の意味も為さなかった。
再びベクトと戦った時に自分達が役に立てるのだろうかとハルピュイア達は不安げだった。
指揮はともかくベクトの戦いのセンスは確かだ。
矢が刺さった瞬間に矢よりも速く移動するという超反応によりほとんどダメージを与えられていないし、二度目以降は剣の一振りでまとめて叩き落されている。
『勇者』のスキルと魔力纏いにより著しく上がるステータスは埋められないほどの高い戦闘能力をもたらしている。
「ハルピュイアは戦えない臆病な種族だそうだな」
「……っ」
独り言のようなキピテルの言葉は、ハルピュイア達が何度も聞いてきたものだった。
好戦的でプライドの高いバードマンと違い、戦う力の無いハルピュイアは人間に逆らわない。
そんな野心も危険性も無いからこそ人間に連絡係として使われたとも言われている。
「私は値踏みされるのも価値を押し付けられるのも御免だ。私の価値は私が決める」
そう言って折れた弓を無造作に投げ捨てながら不敵に笑った。
「私が提案するのはただの提案だ、どうするかは自分で決めろ。もしもお前たちがあの勇者に土を舐めさせたいなら、私について来い」




