幕間 ゲインとキピテル
一方その頃な話③
ゲインのところにキピテルが戻る話。
人間領の全ての品が集まると言われる大陸有数の商業都市カムルス。
レギス商会の中央支部はこの街にある。
大陸東を拠点にしていたレギス商会が中央区に進出しておよそ2年が経つ。レギス商会は急激に、そして確実に存在感を確かなものにしている。
レギス商館の一室で今日もゲインは執務をこなしていた。
王の宣告が終わり、人も物も流れが激しくなる。
生き物のようにうねる商人の世界でどう立ち回るか考えることは尽きない。
宣告期間が終わって4日経つ。
遠い砂漠の彼方へ派遣したゲインの相棒が戻ってきたのは夕刻を過ぎた頃だった。
「ゲイン。今戻った」
「そろそろ帰ってくる頃だと思っていたわ。お帰りなさいキピテル」
ちょうど仕事もキリの良いところ。
ゲインは客人用の長ソファに座って隣に1人分のスペースを開けた。
長旅を終えたばかりの汚れた服で客人用のソファに座ることを忌避するキピテルだけれど、そうされると隣に座るしかなかった。逆に言えばこうでもしないとこの相棒は休んでくれない。
「疲れた」
それだけ言ってソファに身を沈めるキピテルを見てゲインの表情は自然と緩む。日頃隙を見せないよう努めている目つきの鋭い幼なじみは自分の前ではこうも無防備になる。
「しばらくお休み入れておくからゆっくり休んで頂戴」
クローバーの処刑を知り、キピテルの仕事の引き継ぎ手配をしてラグナ達の元に向かわせたのは10日以上前。
久しぶりに顔を合わせたというのに相変わらず言葉の少ない相棒だけれど、必要な時は喋るし寂しければ饒舌になることを知っている。自分達の間に多くの言葉はいらない。
「あなたがいないからあたし外出もできなかったの。明日食事に行きたいわ」
「いい加減に私以外の専属の護衛をつけろ」
ゲインの身を狙う輩は少なくない。
レギス商会が頭角を現した起因は立て続けに希少な魔物の素材を流通させていることにあるが、それでも商会がここまで勢力を拡大できたのはうまく立ち回ったから。
貴族や領主に取り入って同業者の妨害をかわしながら確実に根回しを積み重ね、短期間で中央区有数の商会にまで上り詰めた。
それゆえレギス商会を疎む者は多いし、立て続けに用意している希少素材の出所を知りたがる者も数知れない。
ゲインはレギス商会代表ボーナが可愛がる姪であり、レギスの紅玉と呼ばれる才女。
移動中に襲われたことは何度あったか。その度に鷹の目の相棒が助けてくれた。
「護衛ね。考えているけれどキピテルより頼れる人がいないのよ」
そう言えばキピテルは何も言わずに目を閉じた。
無表情に見えて照れたりバツが悪ければ目を反らし、怒ると目を見開くクセがある。そう指摘すれば今度は目を瞑るようになった。
分かりやすい相棒だ。そうは言ってもこの相棒が照れることなど自分以外には滅多にないのだから、分かりやすいと思っているのは一部の者だけだ。そんなことを考えながらゲインはキピテルの頭に手を伸ばした。
「なに?」
「久しぶりだから顔が見たいの。いいでしょう?」
頭に巻き付けたターバンと口元を隠すマスクを取り除けば砂埃がソファの上に落ちるけれども気にしない。それよりも顔が見たい。
実年齢よりも些か幼く見える、何度も見た相棒の顔が露わになる。
顔立ちが幼いことを存外気にする相棒は人前で顔を晒したがらないけれど自分には抵抗しない。
(子供の頃はいっぱい抵抗されたのにね)
幼いころから今に至るまで身長という体格はゲインの方が恵まれていた。ゲインは女としては背が高い方だ。
体格差にものを言わせてかつては無力な雛鳥を押さえつけることもできたけれど、猛禽に成長した今はゲインがどう頑張っても敵わない。
手元を離れてしまったような寂しさと、触れても抵抗せず受け入れてくれることへの嬉しさ。どこの誰にあてつけるわけでもないのに優越感を覚える。
「インクナブラはどうだった?」
「補給地点で過ごしたが、商売でもなければ行くことはないな」
嫌なことがあったんだろうなとゲインは考える。
インクナブラは亜人差別がことさら酷いことで有名だった。
亜人の差別はインクナブラに限ったことではない。この街でさえ亜人が街を歩けば奇異と侮蔑の目で見られる。
キピテルもまた亜人だけれど、翼を出さなければ普通の人間と言って差し支えない風貌をしている。本人には言えないものの、彼女が人間に近い見た目をしていて良かった。
そうでなければ一緒に外で飲み明かしたりもできないのだから。
ギルドの遣いとして街から街へ空を渡るハルピュイアを時折キピテルが眺めているのを知っている。
キピテルは自由に生きるために人間として生きる選択をした。
自由を求めたはずなのに、ハルピュイアより疾く力強く飛べるはずのこの相棒はこの街で翼を広げることもできない。
少しばかりの申し訳なさはある。
キピテルは故郷の話をしない。
保護されなければ生きていけなかった雛鳥は、今はその気になれば自分の手元を離れても生きていけるだろう。
そうすればきっと自由に飛べるだろうに、自分と出会ったことで籠の中の鳥になってしまったのではないか。
後悔してるか尋ねれば相棒は否定すると自信を持って言えたけど、そう分かっていながらもゲインは確認するかのように意地の悪い質問を投げかけた。
「ねぇキピテル、故郷に戻りたいと思う?」
「何故そんな話を。私の戻る場所はここだ。今更戻れないし集落がどこにあるかも忘れた」
亜人としての退路を断ち、血も涙もない商人になるという歪な生き方を選んだ彼女との時間が好きだった。
この時間はいつまで続くのだろう。
「そうね。あなたはそう言うわよね」
「ゲイン?」
この和やかな時間がいずれ終わることを知っていた。
だからこそ、この時間を大切にしたい。
「お酒持って来るわね。いろいろ話も聞きたいし」
「今から?仕事は?」
「今日はもう終わったわ。もちろん、キピテルが不在にしてた分の仕事も終わらせてあるから安心して頂戴」
「さすが私の相棒だ」
疲れた顔で部屋を訪れた相棒が微笑みを見せてゲインは満ちた気持ちになる。
いつの日か、彼女の大きな翼で街の中を自由に飛べる日が来て、自分を空に連れて行ってもらえたら。
空からこの商業都市の全てを一望するのはゲインのささやかな夢だった。幾千幾万の人の流れがこの目で見れたならさぞ愉しいだろう。
空を諦め翼を押さえつける道を選んだ相棒の選択が尊いものへ続くことを願いながら、ゲインはボトルを開けた。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
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