巷説四谷奇談
麦は踏まれて強くなると申しますが、人も自らに降り懸かる災厄をじっと耐えてこそ良き芽を出すというものでございましょう。よしんば自らの身を挺して義を成すのであるならば、手をこまねいていたところで噂は噂を呼び、人々の口伝てに評判は伝えられていくものでございます。いずれにしても、たわわに実りました頭は垂れるばかりですから、誠に結構な事ではありませんか。たとえその後、名も知らぬ者の手によって刈り取られる定めであるとしても・・・。
―――晩秋の朱に染まりし我が刃研がないままに瀑布に晒され (詠み人知らず)
世にも名高き仇討ちが行われたのは、つい先頃の事でございましたな。私のような一介の物書き如きには到底及びもつかない境地でございます。然らば、時を同じくして伝え聞きました市井の噂にて、しばしの間お茶を濁す事といたしましょう。
時は元禄。先頃より江戸市中を賑わわせておりましたかの事件も、幾分終息し始めた頃の事でございます。四谷在住の田宮又左衛門には一人娘がおりました。その名を岩と申します。幼き頃より掌中の珠といつくしみ育てられたため、生まれ出てこの方御屋敷から御出になられた事がございませんでした。既に老境に差し掛かっておりました又左衛門にとって、岩はかけがえのない一人娘。大事があってはならぬと、滅多に人前にもお出しになさろうともせず、目を光らせて人目を憚っていたそうでございます。
しかし、岩とて飾り人形ではございませんから、食事をなされば笑いもなさる。季節が巡れば自然と成長なさるのが世の習わしでございます。御歳十六を数えます頃となりますと、いかに又左衛門といえどいつまでも篭の鳥の様に娘を匿っている訳にも参りません。さりとて、誰か良き相手を引き合わせるものかと思いきやその決心もつかず、一日また一日と日延べしていたのでございます。そんな父親の心中を知っての事でございましょうか、岩の方でも殊更に自らの身の振り方を口にするでもなく、大人しく屋敷の中で日々をお過ごしなさっておられました。
それほどまでに人目を避けられておりますところをみると、却って御姿を拝見したくなるのが人の性。物見高い連中の中には、何かの理由にかこつけて田宮の門をくぐろうとする者や、塀の高みから覗き見ようとする者まで現れる始末。これには又左衛門も些か辟易していた様子でございましたが、そういった連中が皆口々に岩の容姿を褒め称えますものですから、噂が噂を呼び、いつしか“四谷小町”と称されるようになったのでございます。そうなってまいりますと、彼方此方から一目で良いから会わせて欲しい、よしんば夫婦の契りを交わしたい、と面会を望む文が連日のように舞い込むようになり、又左衛門も大いに面目を施したのでございました。
さて、江戸に流行り病が蔓延した折の事。大病を患う者が後を絶たず、多くの尊い命があたら踏みにじられたのでございますが、一度この病に侵されたる者は、全身に湿疹が出始めるのを境に十日ともたずに身体が腐乱し始め、やがて死に至ると言われておりました。薬を処方する事で病の進行を抑える事は可能とはいえ、大層高価な品。到底、貧しき身分の者の手に入るものではございません。自らの手に余る者の多くは、市中を流れる河原に病人を打ち捨てる始末。累々と積み重ねられた死体の山は、弔う者もおりませんので、まさにこの世の地獄といった有様でございました。
そしてついに、病魔の猛威は止まるところを知らず、四谷小町である岩の身にも及んだようでございます。しかし、前世の功徳によるものか、はたまた又左衛門の必死の看病によるものか、幸いにして一命は取り留めたのですが、顔の半分には終生消えることの無い傷跡が残ったそうでございます。それ以来、御屋敷からは我が身に降りかかった不運を嘆き悲しむ女の声が漏れてくるようになったのでございました。
家財に恵まれた田宮家でございましたが子宝には恵まれず、一人娘である岩も既に年頃。この上は婿養子を迎えるなどして家督を譲り、自らは隠居をする決意をかためた又左衛門。何処かに良縁が無いものだろうかと八方手を尽くすのでございますが、先の大病による傷跡の噂は広く世の知るところでございました。口さがのない者などは「田宮又左衛門の娘岩は、二目と見られぬ醜女らしい」と噂する始末。いつしかその噂を本人も知るところとなり、その御姿を人前に晒すのを厭うようになったのでございます。自らの代で家名を絶やすこともできぬ又左衛門。窮余の策として、直接に素顔を見られることがないよう御簾越しでの対面とし、時刻も特に宵のうちを選ぶのでございました。
大病に倒れたとは申せ、「四谷小町」と称された程の美女。名乗り出る者は未だに数多くおられたようでございますが、その多くが家督につられた不心得者であったように思います。しかし、連日のように御屋敷に群れをなして押し寄せる客の数は以前の比ではございませんでしたので、婿養子が決まるのも時間の問題であろうと、そう誰もが確信なされていたのでございました。ところが、宵のうちとは言え断固として御簾の外に御出になる事を拒まれる御様子。「ならば、御簾から腕だけでものぞかせてくれ」と客が申し出ると、決まって皆が悲鳴をあげて御屋敷から逃げ出すのでございました。伝え聞くところによりますと「御簾からのぞく腕を手に取ると、そこには鱗状のモノが生えており、とても人間の腕とは思えぬ有様。」と、皆が口を揃えて申すそうでございます。そのうち、この目で岩の姿を見たと申す者が現れるようになると、「醜女どころか、まったく鬼女と見間違う程のお姿であった。」と申すのでございますが、いずれにしろ真偽の程は定かではございません。しかし、そのような噂が広まってしまうと、あれ程大勢おりました求婚者も日を過ぎるに連れてまばらとなってしまい、ついにはどれ程の大金を積もうとも婿養子を申し出る者はいなくなったのでございました。
ところで、江戸に伊右衛門という男がおりました。幼き頃、田宮又左衛門から一方ならぬ恩を受けた事があり、密かにその恩義に報いたいと思っておりました。そこに巷に流れる不穏な噂。「なれば、自らが婿養子とならん」と思い立ち、単身御屋敷に向かわれたのでございます。
女中に案内されるまま御屋敷の内部へと導かれた伊右衛門。しばらく座して待つうちに、今度は御簾の吊られた部屋へと案内されたのでございました。室内を照らしているのは部屋の四隅に備えられた燭台の灯りのみ。既に御簾の内には人の気配が感じられるのですが、宵のこととて定かではございません。ともあれ居住まいを正すと、御簾に向かってこう告げたのでございました。
「それがしは伊右衛門と申す者。本日はお目通りかない誠に有難き幸せに存じます。」
すると御簾の内から、女の声がこう答えるのでございました。
「私の噂については貴方様もお聞き及びになっている事と存じます。興味本位でお越しになられたのであれば、このままお帰り下さいませ。」
予想していたよりも穏やかなその声は、あたかも鳥の囀りのよう。
「(はて、巷では鬼女とも称され恐れられる者が、これほどまでに優しい声を出すのであろうか?)」
さすがの伊右衛門も拍子抜けした気分でこう思うのでありました。おかげで先ほどまでの気負いがなくなり、改めてこう続けたのでございます。
「それがしは幼き頃、お父上である田宮又左衛門殿に命を救われた身。巷の噂など、それがしには関係ござらん。」
「それでは貴方様は、父との恩義に報いるためにこうしてお越しになられたのですか。そのような憐れみを受ける覚えはございません。」
「憐れみではござらん。それがしは真剣にそなたと添い遂げる覚悟でここに参った。」
「果たしてこの病魔に蝕まれた腕を見ても、その決意が変わらないと言い切れますでしょうか?」
そう言うと、御簾の隙間から腕を差し出すのでありました。薄暗い室内とはいえ、その腕の尋常ならざる様子は肌で感じられ、噂に違わず人間のモノとは思えぬ代物。しかし伊右衛門、呵呵大笑してこう言うのでございました。
「このような物でそれがしを誑かそうとしても、無駄でござる。これは単なる作り物。欲に目が眩んだ輩であればともかく、それがしには通用しませんぞ。」
「貴方様は今までのお方とは少し違うご様子。それでは私のこの醜き姿をお見せいたしましょう。」
そう言うが早いか、御簾を掲げて伊右衛門の前に進み出るのでございました。
「いかがでございますか。それでもなお、私と添い遂げようとお思いでしょうか。」
「何の。それがしの母親もそなたと同じ病を患い、手を尽くしたが甲斐なくこの世を去ってしまった。変わり果てたその姿に、近隣の誰も埋葬を手伝ってくれるものはおらず、それがし一人で弔いもうした。そなたは一命を取り留めた上、五体満足な身の上。何を嘆き悲しむことがあろう。」
そう言って娘の白い腕を取り、我が身に引き寄せて強く抱き締めるのでございました。月明かりに照らされて、二人の寄り添う影が長く伸びておりましたが、それとは異なるもう一つの影。それは最前、娘の顔から剥がれ落ちたものが創り出したもののように思われましたが、月はやがて雲に覆われてしまい、その事に気付くものはございませんでした。
数日の後、田宮家では婿養子として迎えられた伊右衛門と岩との婚礼の儀が盛大に執り行われたのでございました。参列した者が口々に申すには「何が醜女、何が鬼女じゃ。誠に世の噂は当てにはならない。」との事。果たして岩の姿が真実、如何様であったかは今に伝わっておりませんが、二人が末永く幸せに暮らしたのは間違いないようでございます。