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ノイズ

 眠りを妨げたのは、天井に吊るされた蛍光灯から聞こえてくるノイズ音だった。「ブーン」とか「ジー」とか聞こえる低周波の響き。空気を微かに振るわせる振動。陽の光の下では気づく事もなかったささやかな音。慌しく過ぎていく日常の中では、決して気にも留めないノイズ。

 そんな音はこの世界中に蔓延している。そして今、この瞬間にも常に鳴り響いているのだが、単に我々がその存在に気付かないだけだ。普段は決して耳に届くことはない。自らの存在を最大限に誇示出来る瞬間までは、他の物音に掻き消されてでもいるかのように、その姿を現さない。それは闇が次第に色濃くなっていき、原始からの恐怖の記憶に人々が支配される頃になって始めて姿を現し、我々の意思とは無関係に直接影響を及ぼし始めるのだ。

 目覚めた直後の不快感は、ここ数日来の気候の影響によるものなのだろうか。部屋に漂う空気は澱んで汚れているうえに、ひどく蒸し暑かった。蛍光灯の人工的な光が、偽りの太陽のように眩しく見えた。真夜中に急に目が覚めた時のように、一体今が何時なのか知りたかった。随分と長い時間眠ったようにも感じられるのだが、夜が明けるまでにはまだ少し時間があるはずだ。そう思い、枕元に置いてある時計に手を伸ばそうとした時、自分の両腕がベッドに縛り付けられている状態であるのに気がついた。腕に食い込むようにしてきつく縛られた茶色の革製ベルトは、両腕以外にも胴体と両足にも同様に取り付けられていた。それは私をベッドに固定する役目を、完璧と呼べる状態で成し遂げていた。他にも、私の体中には無数の透明なチューブが取り付けられており、それは視界の届かぬ何処か別の場所に繋がっているようだった。

「ようやくお目覚めのようですね。気分はいかがですか。」

 僅かではあるが自由の利く頭を動かして、音がしたと思われる方向に眼をやる。頑丈そうな壁に取り付けられたスピーカーがあった。今の声は間違いなくそこから発せられたものなのだろう。

「おい、これは一体どういう事だ!何故、私はベッドに縛り付けられている。それにこのチューブは一体何だ?これから何が始まるっていうんだ。」

 無駄な事かもしれぬと思ったが、自分の置かれている現在の状況に対する何らかの回答を求めて、姿を見せぬ相手に向って私は叫ばずにはいられなかった。

「そんなに一度に尋ねられても困りますが・・・まあ、いいでしょう。あなたは大変な罪を犯しました。ベッドに縛り付けられているのはそのためです。また、チューブはあなたの生命を維持するためのものであり、あなたの健康状態を監視するためのものと思ってください。ですから、不用意に外されては困りますよ。・・・と言っても、その状態では外す事も出来ませんがね。」

 声の主は質問に対し、淡々とした口調でそう答えるのだった。

「罪を犯した?そんな覚えはまったくない。そもそも一体何の権限があってこんな事をやっているんだ。」

「あなたが犯した罪、それが何であるのかをここで議論する必要はありません。重要なのは、“あなたが罪を犯したと”いう事実です。それは紛れもない真実ですから、あなたは自らが犯したその罪に対して償いをしなければなりません。」

「償いだと?私を裁くとでも言うのか?はっ、まるで神にでもなったみたいな言い方だな。」

 声の主は私の指摘に感情を荒げる事もなく、不敵な笑い声を漏らしたに過ぎなかった。

「あなたを裁くのは私ではない、神です。私は神の僕に過ぎない。あなたをここに連れてきて神の御前に差し出し、その裁きが順調に下されるのを見守る。それが私の役目です。あなた自身に直接危害を及ぼす事はおろか、干渉する事さえも私には許されていない。それが出来るのは唯一、神だけですから。」

 それだけ言うと、スピーカーからは何の音も聞こえなくなった。

 

 部屋は相変わらず蒸し暑いうえ、不快だった。私はベッドの上に横になりながら、この一方的で理不尽とも言える仕打ちに対する怒りと、これから一体何が行われるのかという不安を抱えたまま過ごす事となった。それらの不安を打ち消すために、私は虚しいと知りながらも、激しく抗議する叫び声を部屋中に響き渡らせてみた。しかし、それをキッカケとして何かが始まる気配はなかった。まして、そんな事をいつまでも続けていられるはずもない。諦めの感情が強まるのと共にその叫び声は次第に弱まっていき、いつしか目覚めた時と同じように蛍光灯から発せられるノイズだけが部屋に残っていた。


―――ブーン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ―――ピタン・・・・・・・・・・・・・・・、ピタン・・・・・・・・・・・・・・・。


 いや、蛍光灯のノイズとは異なる、もう一つ別の音が混じって聞こえていた。それは水が滴り落ちる音だった。私の目の前に広がっている天井に張り巡らされた剥き出しの配水管。その管の一部から、水滴が漏れて床に染みを作っているのだった。配水管の一部が老朽化しているのだろう。

 私は、声の主の言っていた“私が犯したであろう罪”について考えてみる事にした。罪という言葉で括ってしまえば、嘘を吐くことも、怠惰である事も、貪欲である事も、傲慢である事も、その全てが罪となるのだろう。もしも、それらを含めて“罪を犯した”というのであれば、重さの違いはあったとして私が罪人である事に違いはないだろう。

 しかし、そんな事は私を含めた他の全ての人々も多かれ少なかれ背負っているはずの過ちであり、私一人がこうして特別に裁きを受ける理由にはならない。まして、これ程の仕打ちを受ける破目になる程、私の罪が重いとは考えられなかった。


 ―――・・・・・・・・・・・・・・・ポタリ。


 私の思考は、額へと落下してきた水滴によって妨げられた。しかし、それはほんの一瞬の出来事であり、私は再び声の主について考えてみる事にした。

 機械を使って声を変えてあったので、声の主は男性なのか女性なのか、それははっきりとはしなかった。しかし、喋り方から感じた印象からすると、それは男性のものではなかっただろうかと考えられた。彼の正体が一体何者なのか、私にはまったく想像もつかなかったし、思い当たる節もなかった。それにしても私は、ここに連れてこられるまで、一体何処で何をやっていたのだろう。


 ―――・・・・・・・・・・・・・・・ポタリ。


 私の思考は、再び額へと落下してきた水滴によって妨げられた。それを浴びながら、私は声の主が言っていた神の裁きについて、ある一つの考えを思いついた。それはまったく馬鹿げた思いつきであったが、相手は間違いなく狂人である。私はこの思いつきを、声の主に直接聞かせてやりたくなっていた。

「おい、お前。聞こえているか。」

「・・・・・・・・・・。」

「まあ、いい。一つ確認しておきたい。お前の言う“神の裁き”とやらの事だが、まさか俺をこの部屋で溺れ死にさせるって訳じゃないだろうな。しかも、天井に張り巡らされた配水管から落ちる水滴を使って部屋に水を貯める・・・。何とも気の遠くなるような話じゃないか。まさに私の生死を掌るのは神のみぞって訳だ。」

 私がそう言うと、突如として天井から大量の水が部屋に流れ込んできた。

「ちっ、やっぱり水責めか。昔も今も、所詮人間が思いつく事なんてこの程度の事だろうな。」

 そう言っている間にも水嵩はどんどんと増していった。しかし、私のベッドの高さに達する程まで増した後、突然止まってしまった。

「申し訳ありません。これは不慮の事故でしてね。どうやら配水管の一部が老朽化していた模様です。」

 再び、スピーカーから例の声が聞こえてきた。

「ふん、調子の良い事を言っているな。“神の裁き”なんて所詮戯言。あんたは単なる人殺しでしかないのさ。」

「水責めの様な陳腐な真似であなたの命を奪うくらいならば、わざわざベッドに固定したり、チューブを取り付けたりするような真似はしませんよ。あなたにはあくまでも神の裁きを受けていただきます。」

 それだけ言うと、スピーカーからは何の音も聞こえなくなった。


―――ジー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ―――ピチョン・・・・・・・・・・・・・・・、ピチョン・・・・・・・・・・・・・・・。


 静かになった部屋に響き渡るのは、蛍光灯のノイズと水面に跳ねる水の音だった。それらは一定の間隔を保ったまま無限に続けられていった。

 私はその有り余る時間の中で、神の裁きというのが何なのか考えていた。私の生命については、体中に取り付けられた無数のチューブによって保たれているようだった。少なくとも、私が衰弱して死ぬ事はなさそうだった。しかし、それと同じくらいの可能性で、私がこの部屋から生きて解放される事もなさそうだった。


 ―――・・・・・・・・・・・・・・・ポタリ。


「くそっ!」

 再三、私の額へと落下してくる水滴は、その都度私の思考を妨げていた。ただの水滴にしか過ぎないが、一定の間隔を置いて落下してくるその事実に、私は言い知れぬ不快感を抱くようになっていた。その水滴はすぐに、私の額から蒸発して消えてしまう程の僅かなものではあったが、それは途切れる事もなく、永遠に繰り返されるのだった。

 いつしか私は、その水滴が配水管から離れて落下する瞬間の音ですら聞こえているような感覚に陥っていた。しかしその一方で、私の額の感覚は、常に水滴を浴び続けている事を脳に訴えかけてくるのだった。そうなるともう、それは水滴ではなく、私の額に注がれる水の糸でしかない。


 ―――・・・・・・・・・・・・・・・ポタリ、・・・・・・・・・・・・・・・ポタリ。


 水滴を浴びながら、私は声の主が言っていた神の裁きについて、ある一つの確信を得るに至ったのだった。それは以前、私が文献で読んだある囚人の話だった。拘束されて自由を奪われた後、一定時間毎に額に水滴を落としていくという内容であり、今の私が置かれている立場と違う点があるとするならば、その水滴が人為的に操作されているかどうかという事だけだった。

「助けてくれ。私は多分、相当な罪を犯したんだ。それが何か今は分からないが、とにかく悔い改める。だからここから解放してくれ。」

 その叫びに応じて聞こえてきた言葉が、果たして幻聴でなかったかどうか、その時の私の状態では定かではなかった。しかし、それが神の下した私への裁きだったのだろう。

「何、苦しいのはほんの一瞬の出来事ですよ。後は安らかなる世界が待っています。さあ、私の元に帰ってきなさい。我が子よ。」

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