プロローグ 御影 陽介は影が薄い
新緑の季節。葉桜が舞う中、ぼくは奇妙な彼女たちと出会った。
これは偶然ではなかった。必然的であることを後になって知る。
「いたっ!」
ぼくは底知れない痛みに悲痛な叫び声を上げた。
「あら、ごめんなさい!」
誰の喋り声も聞こえない電車の中で、座っていたぼくは女性に足を踏まれる。これで今日七回目。この数字は他人に自分が気づかれなかった回数だ。
一体、ぼくは普通の人と何が違うのか?
駅に来る途中で二回もホースから出る水を顔に浴び、三回ほど人に激突される。後の一回はプラットホームで、子供に押されて毛躓いたのだ。その上、子供は「あれ? お兄ちゃんいたの?」と言って謝りもせずにそのまま走り去っていったのだから余計に腹が立つ。プラットホームでは絶対に遊ぶな!
「はい。大丈夫ですよっ!」
女性に強気で言い放った後、気まずくなったのでぼくは違う車両へと移動した。
ちなみにぼくは、一生懸命人を避けているつもりだ。それでも誰かがこちらに駆けより、ぼくに気づくことなく害を与えてくれる。全く迷惑もいいところだ。
緑が燃えるように揺れる初夏の昼頃。
止まらない溜息と疑問が湧いてくる。何故、日曜に高校へと向かわなければならないのか。
その訳は分かっていた。補講である。とは言っても、数学だとか古文の勉強をやりに行くわけではない。
我が仲介高校名物の部活補講。つまり、部活にまだ入っていない高校生が無理矢理参加させられる一種のイベントだ。この学校は生徒全員が部活に入り、沢山の先輩たちが栄光を見せてきたことから「期待の部活高校」と呼ばれていた。
これが入学した後に知った話だから、頭が痛い。もともとぼくは、部活を含めて人と群れることが嫌いなのだ。
理由はある。先ほど説明した通り異常に影が薄い体質であるからだ。群れにいても忘れられて。中学の頃部活に出席していたのに「無断欠席を何故したんだ」と責められたことがある。その時は同級生の部長の顔に、書類を投げつけて退部してやった。そこでぼくと人の関わりは終了。もう金輪際、部活に入ることはないだろう。
そう思っていた……。
「光跡駅。光跡駅。お出口は右側です。光跡線はお乗り換えです。今日もJP東岡をご利用くださいまして、ありがとうございます」
その後何度か他人に体当たりされたが、無事に光跡駅を脱出することはできた。精神は壊れそうだな。
ぼくの鞄を蹴り上げながら、辺りを見渡す。仲介高校の自慢は、部活以外に駅から三分という利点がある。最初それを知ったときは「宣伝が不動産屋かよ」とツッコンでしまった。
ぼくの目は百貨店の向こうにある仲介高校を確実に捉える。一気に走るぞ!
「あらっ!?」
校門のところで、今度はぼくの方が立ち止まっていた人とぶつかってしまった。栗色のポニーテールを振り乱す女の子。彼女は同じクラスの委員長だったからばつが悪い。セーラー服についた砂ぼこりを払いながら、こちらを睨みつけてきた。
「どこ見て歩いてんの! ちゃんと目があるんなら、前見て歩きなさい! 分かった!?」
「は、はい」
「で……確か同じクラスだよね。あんた名前何だっけ? ……苗字が日陰だったっけ?」
同じ一年B組なのに、ファーストネームすら覚えていないとは心外だ。まだ入学して一か月経っていないから当たり前かもしれないが、そのせいで説教の勢いが失った方がショックである。
「違うよ! ぼくは御影 陽介! なんで、ぼくが古月 結二の名前を憶えてんのに、君の方は忘れてんの」
「ごめんなさい。まだ女子の名前しか、わかってないから」
彼女が頬を掻きむしりながら、申し訳なさそうに話したことで胸にかかっていた力がなくなった。今回の場合、同じクラスにいることを記憶してもらえていたことだけでも喜ぶべきなのかもしれない。
何時もとは違う、他人の反応に一喜一憂していると、古月さんは腕を組んで悩み始めていた。
「あのさあ……あんたも部活補講に来たんだよね。どうする?」
「あれ? まだ古月さんも決めてないの?」
「まあ、そうよ。アタシ優柔不断だからそういうのいつも執事に決めてもらってんだけど、部活ばかりはね……」
「し、執事?」
「ああ。その話は今は割愛しときましょ。機会があったら話すわ」
気になる話ではあるのだが、それは飛ばしておく。
「取り敢えず、部活やってるところを見に行くだけだから。ここで立ち止まってなくても、いいよね」
「そうね。また会いましょう! 同じ部活の可能性は三十分の一かしら?」
そう言うと彼女は校舎に走っていった。
サッカー部、野球部、男女バスケ部、卓球部、水泳部、剣道部、柔道部、レスリング部、ソフトボール部、テニス部、ラグビー部、バトミントン部、バレー部、チアダンス部、弓道部、応援部、合唱部、吹奏楽部、写真部、美術部、文芸部、山岳部、ギター部、放送部、茶道部、華道部、英語部、映像部、家庭部、コンピューター部。
よりどりみどり。ここならやりたい事が見つかる! そんな感じだ。
鞄から取り出した部活ガイドのパンフレットを見ながら、とぼとぼ歩く。たまに勧誘してくる人もいるが、気にしない。何故なら……
「……どれも向いてないな」
この高校は幽霊部員というものができないらしい。無茶苦茶だとは思うのだが、そういう校則らしいから退学しない以上それに従うしかない。
それを踏まえて、ぼくに打って付けの部活。とにかく、部員が少ない部活に入ろう。そうすれば、否が応でも貴重な部員のぼくを忘れられることはできない。前の悲劇を繰り返さずに済む。
探してみるのだが、どの部活も部員数が十人を超えていた。
「ないなあ……ん?」
古月さんの言っていることが間違いだったことに気づいた。「三十分の一」ではなく、「三十一分の一」だ。
ボランティア部。その存在がパンフレットの下の方に他の部活よりも小さく表記してあったのだ。部員は三人だけ。
活動場所の被服室。校舎二階の職員室前まで足を運んでいた。
「ここが……」
「ちょっと! あんたまだ変なことやってるの! 信じらんない!」
「変なことじゃないよ。貴方の憧れてる先輩さえ認めた素敵な部活だよ!」
「そ、そうなの!? ……そうなの? 嘘……」
古月さんの声が聞こえたので、驚いて持っていたパンフレットを落としかけた。
それに彼女の感情がコロコロと変わっていくので、気になって話相手の女子を見る。
「あっ! ボランティア部にようこそ! ここは今、一年生しかいないよ!」
爽やかな笑顔を向けてきた女子生徒。彼女の黒い長髪が穏やかに揺れていた。青い上靴から同級生だということが分かる。
先輩との関係がないなら少しは気が楽だと、目の前の被服室に足を踏み入れた。そのとき、彼女は小さな声で確かにこう口にした。
「完全犯罪計画部にようこそ。私がサイコパス部長、東堂 絵里利。よろしくね!」
犯罪と深い緑の心地よい香りがする……。