プロローグ・街から都市へ
私は彼を密偵として雇い、私の懐へと引きいれる。
仲間になった彼は私にエイブラムと呼んでくれ、とそう言った。
エイブラムはとても優秀で、必要な情報を選別し、逐一私へと報告してくれるようになった。
彼からの情報の裏をとり、その正確さに驚く。
良い人材を拾えたわ。
ある夜、エイブラムがいつものように深いフードをかぶり、頭を垂れた姿で私の前に現れた。
彼が突然現れるのはいつものことだ。驚くこともなく私は彼へと視線をむける。
「嬢さんは人殺しの俺が怖くないのか?」
そんな質問をしてくる彼に、私は微笑を浮かべ、
「人が住む世界は誰もが人を殺しているのよ。ただ、それが間接的か直接的かの違いだけでしょ。怖がる意味がわからないわ。」
言い切る私の姿に彼は、嬢さんは面白い事を言うな、とフードからチラッと笑った口もとをのぞかせた。
私の存在を掴みきれてない、他国や他町からやってくる脅威を、エイブラムや皆の力を借りて打破し続けていると、徐々にその数が減っていき、私の生活は落ち着き取り戻していった。
水面下ではまだまだ油断はできないが、父は断固として私の存在が表にでないように注意を払ってくれた。
そんな中、私も対策を打つべく屋敷へと引きこもり、領主の娘は病弱で部屋から出てこれないと街へと噂を流し始める。
外に出なければいけないときは、前世の知識を活用して作ったウィッグもどきをかぶり、領主の娘であるワイレッドの特徴ある髪を、この世界でよく目にするブラウンへと変えて街へと繰り出す。
民衆は領主の顔を見る機会も少なく、目立つワインレッドの髪色を変えるだけで、私が領主の娘だと気が付く者はいない。
また、どうしても参加しなければならない社交の場へと赴くときには、特徴ある髪を印象付けられるようきらびやかに装った。濃い化粧を施して傲慢な態度をみせることで、ブラウン髪の平凡な町娘に変装した私を、領主の娘と疑う貴族はいなかった。
引きこもりを続けていた私が14歳になったある日、お兄様が王都一の学園の入学を決めたとの報告を受けた。
まったく知らされていなかった私は、ショックを隠せない。
お兄様と離れ離れになってしまう悲しみを何とかこらえ、そっと抱きついた。
お兄様は黙っていてごめんね、と困ったような笑顔を浮かべ、私を抱きしめ返してくれる。
私はそんなお兄様に頑張ってください、と小さくつぶやき王都への旅路を見送った。
王都は遠い。ここから馬車で約1か月はかかる。
そう簡単にお兄様に会うことができなくなった。
毎月1度届く手紙で、お互いの近況を知らせあうことが日常となった。
お兄様が王都で頑張っている姿を思い浮かべ、私もこの街をよくしていこうと改めて決意を固めると、次の対策へと動いていった。
街の治安を強固する為、私は今まであった警備兵の統制の見直しを行った。
領主負担の彼らの給料を引き上げ、警備兵の士気を高めることで、法治国家のもと犯罪者を抑制していく。
私と剣術を交えていた息子のアドルフに、警備兵強化の助力を求め、彼に指南役をお願いし、警備兵を変えていく手助けになってもらった。
そうして街の治安が安定していく中、私はブラウンのウィッグを身に着け、動きやすい服へと着替えると、警備兵の稽古場へと足を運ぶ。
稽古場に着くと、近くにいた警備兵であろう彼らに声をかけた。
「アドルフはいるかしら?」
警備兵は私の姿になぜか焦ったように、どこかへ走り去ってしまった。
私の顔・・・そんなに怖いのかしら・・・。
誰もいなくなったその場所で一人落ち込んでいると、先ほどの逃げていった男たちと一緒にアドルフの姿が目に映る。
私の姿を見つけたアドルフが、急ぎ足で私の元へ走ってきた。
「おっ、来てくれたのか。こっちは調子よくやっている」
懐かしい笑顔に私も微笑みを浮かべる。
昔、私と剣を交えていた時代には体格もそう変わらなかったあどけない彼だったが、今では顎に髭は生やして程よく筋肉を纏い、私が見上げなければ視線をあわせられないほど、男らしく成長していた。
「そう、よかったわ。忙しいところ無理なお願いしてごめんなさい」
「気にするな、警備兵の仕事ができて俺も楽しいよ」
ニカッと笑う彼に、ふふふと微笑みを返すと、
「また剣の手合わせをお願いするわ、今の私があなたにどれだけ通用するのか知りたいもの」
彼は困ったような微笑みを浮かべると、また今度な、と言って剣の稽古へと戻っていった。
話は変わるが、私が設立したギルドは、ここ数年でかなり勢力を伸ばし、貴族や王族に私のギルドの名前は知れ渡っていた。
他国や他町の商人たちが、この辺境の地だった街へとギルドの商品を求め集まるようになっていた。
街にお金の流れが生まれたところで、私は金融のギルドを立ち上げると、さらに街が発展していくように、前世にあった銀行のようにお金の貸付を始めた。
これが功を奏し、さらには民衆が学問をおさめていたことも相まって各々が企画し、個人商店ばかりが立ち並んでいた中心市街が繁華街へと変化していった。
そうして私が15歳の誕生日をむかえると、王都からお兄様の手紙以外の物が届くようになった。
貴族たちが16歳になると入学する王都の学園の案内状だ。
私はその案内状を一瞥し破り捨てると、執事のアランに断りの手紙を送るように指示をだした。
彼はその指示を聞くと爽やかな笑顔を浮かべ、畏まりましたと頭を垂れた。
ギルドの運営と領主としての職務に追われる日々を過ごしていたある日、執事のアランがお茶とお菓子をもって私の仕事部屋へ現れた。
「根を詰めすぎるのはいけません。、少し休憩した方がよろしいですよ」
彼はいつもの爽やかな笑顔で、微笑みかける。
彼の微笑みを見つめ返すと、目の奥に底光りする黒い怒りが見えた。
アランは怒ると怖いのよね・・・おとなしく休憩しておきましょうか。
書類から手を離し、私がソファへ深く腰掛けると、目の前に彼の淹れてくれたお茶が並んだ。
私はティーカップを手に取り口元へと運ぶ。
彼の淹れる紅茶はいつ飲んでも絶品だわ。
「お嬢様はどうして王都の学園へ行かれないのですか?」
彼の言葉に、私はカップを持ち上げていた手をとめ、彼に視線を投げる。
「王都の学園に貴族の令嬢が行くのは勉強のためじゃないわ。結婚相手を探すために集まるのよ。私にはまだそんなものに気を取られている暇はないの。ただそれだけよ」
言い切る私に彼は微笑を浮かべ、そうですかと小さく呟く。
私はテーブルに用意されたお菓子へと視線を向け、一つ手に取り口へと運んだ。
砂糖の甘さが疲れた脳を癒していく。
「お兄様もきっと王都で素敵な女性に出会って・・・もう戻ってこないかもしれないわね・・・」
私は王都へ行ったお兄様を思い浮かべる。
この世界では跡継ぎは男でも女でも構わない。
つまり・・・私が領主になることができる為、お兄様は王都で家庭を作ることも可能だ。
お兄様が戻ってこないかもしれない現実が、私の心に深く刺さる。
そんな暗い気持ちを悟られないように、私はアランへ問いかけた。
「アランは王都の学園に通ってみたいの?」
そんな質問をする私にアランは、ニッコリと優しそうな微笑みを浮かべると
「いいえ、私はお嬢様のそばで居ることが幸せでございますので」
幼さが消えた精悍な顔立ちで、私へ微笑みを向けながらそんな事を言う彼に、私の頬は赤くなった。
イケメンの破壊力はすごいわ・・・。
私は頬が赤くなってしまったのを隠すように、カップを持ち上げ口へと運ぶ。
そんな様子の私に、あの兄があなた以外の誰かを選ぶなんて・・・ありえないと思いますよとの小さなつぶやきは空になったポットへそそがれる紅茶の音にかき消された。