弟が可愛いから嫌な小姑になるか、妹が可愛いから嫌な小舅になるか
私、富田美幸は、ここに宣言します。
弟の富田正幸が可愛い。
弟は人の目を惹くイケメンじゃないけど、性格も品行も良好だし、成績も優秀で根は真面目。
少々オタク気質なところはあっても、まだ大学生になったばかりだし、大人になればそれも落ち着くだろう。
むしろ人様に迷惑をかけなきゃ、趣味の一つや二つくらい自由にしていいと思う。
黒歴史万歳!
私だってファンシーノートにポエムを綴ったり、魔女っこ塗り絵の会心作には切り取った自分の顔写真を貼り付けたりしちゃったし。
黒歴史がない人間なんていないはず。黒歴史は盲腸のようなもので、普段は心のどこかに存在感を消してひっそり一緒にいるのです! ――まあ、心の盲腸という名の作品は捨てられず、そっと部屋の隅で眠っているのは内緒。
ともかく、私の可愛い弟に恋人ができたのだと、人から聞いて驚いたのは半年前。
弟に恋人の有無を尋ね、その後に紹介して貰った彼女は、アイドルばりに可愛い女の子でポッカーンですよ……。
小柄で華奢な体に、淡い栗毛のゆるふわモテ髪。ぷっくりしたピンクの唇は、指で押したら弾力で弾き返されそう。自前と思われる長いまつ毛に大きな瞳。
――なんだ、これ? なにこの可愛さ? 素人レベルじゃないし! 人形なの!? なんでこんな子が弟と!?
いや? いやいや?
姉の欲目かもしれないけど、弟は将来を見据えれば優良物件だと思うよ? 成績も素行もいいし、人望だって有るし。
ただ一重瞼に黒髪、顔のメリハリが少ない私に似て、見た目は地味なのだ。
良くも悪くも印象に残らないモブ顔。それ我が富田家に代々伝わる顔面家系図である。
遺伝子って、怖い。
ただしこれだけは言いたい。私は弟を卑下している訳じゃないのです。
駆けっこやドッヂボールで一番の子は幼稚園児ならヒーローじゃない。
少し年齢が上がれば、成績の良さもモテ条件の一つになるし。
多感な十代後半ならモテ要素は見た目に左右されるパターンも多いって、私自身が通った道だから知っているだけ。
イケメン無罪。そんな甘いことを思っていた時期もありました。甘酸っぱいですね。
酸いも甘いも噛み分ければ、オフィスのボスのように金髪グリーンアイなイケメンでも鬼だって理解できます。
イケメン無罪? ねえな!
ギルティギルティギルティ!!
――……落ち着こう、私。
モテ条件の各ステージは、年齢が変わればリセットする場合と、性格や品性のように累積されるものもある。大人になれば、地位や財力なんかもプラスされていく。
累積されたものの中で、どれを重視するかは人それぞれじゃないかな。
性格が一番だって考える人も居れば、好みのルックスが重要な人も居るだろうし。生活に困らない安定した財力を望む人だっている。
そう考えたら弟の年代にルックスとは、好きになる上位ランカーだと思うんだけど……。
冷静に判断して弟は地味。個々のパーツとその配置が悪くなくても華がない。だが行動はナイスイケメンだ。懐を知れば知るほど味が分かっちゃう男なのだよ、ふふふ。
ブラコン無罪、待った無し!
……ただ見た目を重視するならね……うん、普通。めっちゃ普通。あっさりサッパリ顔で物足りない。
しかしあっさり地味顔でも、学業に対する努力は地味に怠らない家風も富田家です。
かく言う私も、富田家家風に漏れません。
有名な大学に入り、首席で卒業と言う栄誉を授かり、名だたる外資系企業に就職して二年目という人生設計は、現在も着々と進んでおります。
我ながら頑張った! 私は努力をリスペクトする!
勉強だけじゃなく、部活や趣味、ルックスを磨く努力だって。自分はしなくてもやっている相手を否定しない心意気!
……オフィスではともかく、人前では堂々と努力を自慢しないけどね? ちゃんと空気は読みます、日本人だから。
オフィスでは逆に自信たっぷりに行動しないと、能力がない人間には仕事を任せられないと判断されて、クビを切られる場合もあるから別ですが。
米国人のボスには能力があるのだと、自分でアピールしないとダメなのだ。
あまり似合っていると思えない赤い口紅は、私は自信があるという印象をつける為の箔付けだし。
だが、しかし。
――顔形の作りじゃなく、似合わないメイクをする女性って不細工よね。あなた、口紅はレッドよりもオレンジ系が似合うわよ。
と、初対面の人間に面と向かって言われた時は、さすがに持っていた似合わない口紅で額に「肉」とでも書いてやろうかとポーチをまさぐりました。
自分だって真っ赤な色は似合っていると思ってなかったから余計に腹が立つ!!
私に指摘しやがったのは、私の可愛い弟に彼女がいるのだとリークしてきたガチイケメン。ただし女言葉。
仕事がメイクアップアーティストだと聞いて、ああ、なるほどと理解しました。その職種の人にわりと多いイメージが有ったせいか私はすぐに女言葉に馴染んだ。
そうしたら女言葉イケメン、ちょっとびっくりしたような顔になってから、「言っておくけど、ゲイじゃないわよ。女の子が好きなんだから!」と個人の趣味嗜好を勝手にカミングアウトしてきてどうしろと。
知らんがな。
そうそう。ゲイでも女装趣味でもないイケメンの正体は、弟が付き合っている彼女の実兄でした。
……シスコンを拗らせている気配がする……。
富田家の顔面家系図に真っ向勝負を仕掛ける、顔面偏差値が無駄に高い男は、一番合戦 玲音と名乗った。
淡い栗毛と長いまつ毛がキュートな妹さんにそっくりだな、おい!
ちなみに妹さんの名前は一番合戦 彩萌。
兄妹揃って名前まで派手とは少女漫画か! 名前負けしない美形兄妹とか在り得ない。
一番合戦家の遺伝子も頑張り過ぎだろ。塩基配列の仕事っぷりが有能さ大全開で怖くなる。ブラック企業も真っ青の仕事ぶりでギャラが知りたくなる。
でもね?
「……彩萌にはもっと相応しい男がいるんじゃないかって思うのよね。確かにあなたの弟さん、内面は素晴らしい人だと思うの。学業は優秀だし人望も厚いし紳士的だわ。失礼を承知で言っちゃうけど、それでも――妹には近づいて欲しくないのよ」
あー。これはアレね。アレですね。褒めているわりにダメとか言うこの態度。
拗らせていますね? シスコンを?
シスコン、有罪。
はい? ブラコンは無罪にしただろって? 良いんです、私の法律、私内面のルール。私が法律とまで声高に言い切らないところが小市民です、ええ。
「妹さんは美人ですよね。美人を鼻に掛けないのに、いろいろ工夫してもっと可愛くなるよう努力しているとか。外見だけ磨くのは無駄なんて言う人もいますけど、そもそも第一印象って外見から始まりますし。その上、妹さんは外見と内面の齟齬が観られない、素敵なお嬢さんだと思いますが――弟とは距離を置いた方がいいかなって」
そう切り返したら無駄に整った顔がちょっと歪んで、歪んでも美形なのはずるいとプンスカした私に奴は言った。
「……彩萌になんの不満があるのかしら? いえ、弟さんを否定してないわよ? でもあなたとは、じっくり話し合う必要があるわね?」
おうよ。望むところ。こっちだって可愛い妹さんは否定しないが、同族嫌悪なのか、このイケメンとはキッチリ話し合う必要があると私の魂が叫んでいる。
ディベートは苦手じゃないのよ?
こうして私と一番合戦 玲音は、いかに自分の弟が素晴らしいか、自分の妹が可愛いかを月に数回プレゼンし合う仲になり、これ以上二人が深いお付き合いをするなら、いかに嫌な小姑と小舅になるかを辞さないと、そう語り合う好敵手になったのです。
……が、しかし。
昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵を繰り返しているうちにですね? なんだか気安い感じになりまして。
お互い、「こうなったら、彩萌ちゃんの嫌な小姑になってやる!」「それならこっちは正幸君の小舅よ!」と、小姑&小舅宣言をして、ついには「嫌な小姑&小舅・友の会」なる謎組織を発足しました。
意味が分からないけど、こうなったら乗りかかった船! 具体的には行動は起こさないけど!
……だって嫌われたらお互い困るし……無国籍居酒屋で弟自慢、妹自慢が主な活動内容です。
前回の「嫌な小姑&小舅・友の会定例会議」にて、なぜか趣旨に添わないメイクの話になっちゃって。最近は会の趣旨から外れることも、そう珍しくなくなって来たんだけど。
そこで玲音が「ねえ、美幸。似合わない口紅はやめて、こっちの色にしなさい。新色よ? キスしたくなるような唇を保ちなさいな!」と、如何にも友プレゼントなラッピングでオレンジ系の口紅を貰ったんですが……ええっと。
今日、弟がデートで映画に行くって言っていたっけ。――うん、向こうもそれでラインを送ってきたんだけど。いつもの無国籍居酒屋に20時に集合とか。
いや、「嫌な小姑&小舅・友の会定例会議」だよ? 分かっているし。ただの会議だし。
会議、このオレンジの口紅で参加すべきなの? した方がいいの? ねえ!?
「あ、雨だぁ……髪型が崩れちゃうかな?」
映画館から出れば、入館前には薄かった雲が厚みを増して小雨をパラつかせていた。隣に居る彩萌は、今日の為に新しいアレンジ巻きに挑戦した髪を心配して指先で弄っている。
「大丈夫。折り畳み傘を持ってきたから」
「正幸君、すごいね! 私、屋内の映画だから大丈夫かなって、今日の天気予報見なかったんだぁ」
「俺も見てなかったんだけど、姉さんが『天気予報はちゃんと見なさい! 女の子を雨で濡らす気なの!?』って折り畳み傘を渡してくれたんだよ」
大きめのボディバッグの中から、姉貴から渡された折り畳み傘を取り出せば、彩萌は何故だか擽ったそうに笑った。
「正幸君のお姉さん、相変わらず優しいね」
「それは彩萌のお兄さんもだろ? 映画を観る前に彩萌が貰ったアレ。勉強で疲れたときに使えって、アロマ配合のアイマスクをくれたしさ」
彩萌のお兄さんから貰ったアイマスクは、ボディバッグの中にしっかりと仕舞ってある。メイクアップアーティストのお兄さんは、最近はアロマにも凝っているらしい。女子力高いなぁ。
ちなみに俺の姉貴はアウトドア派なので男子力が高め。
……本当は乙女チックなんだけどね。
富田家伝統の一重瞼と高身長を気にして、姉貴は乙女チック要素を隠している模様。ちっとも隠れてないけどさ。
だって彩萌に会ったときの食いつきは半端なかったもん。
子供のころには塗り絵の魔女っこドレスに、自分の顔写真貼り付けていたみたいだし。うっかりそれを見つけてしまった俺は、黙ってそっと同じ場所に戻しておいたよ。
黒歴史には沈黙。これ、大事。
だから姉貴はふわふわした彩萌が好きみたいで、興味ない素振りでコッソリ気にかけている。
うん、コッソリでいいよ? 女同士で仲良くなりすぎて俺のポツン化は困るからさ。
この前も彩萌がお手製のシュシュを作るのが趣味って知ったら、高そうな布地を買ってきてわざわざ端切れサイズにハサミを入れて、『余り布だから、彼女にあげたら?』だもん。
素直にそのままの状態でやれよと言いたかった。
彩萌がお礼に手作りシュシュを渡したら、ちょうど髪を纏めるゴムが欲しかったのよとか素っ気なく言ったくせに、次の日から早速仕事場に持って行ってヘビロテしているよね?
彩萌の兄さんと「嫌な小姑&小舅・友の会」を発足させたみたいだけど、内実が伴わないのは目に見えているよ。
「あ、そうそう。次回公開の映画、彩萌のお兄さんも好きそうだよね? アイマスクのお礼に、前売り券を買おうか?」
「ふふ。正幸君もお兄ちゃんのコト、けっこう好きだよねー。妬けちゃう! お兄ちゃんも正幸君のコトはお気に入りだけど」
いたずらっぽく笑う彩萌の言葉に苦笑する。
うん、好きだね。俺には姉しか居ないし、正直、男兄弟とか憧れる。彩萌も女兄弟が欲しかったそう。
甘えることに慣れた下の者の特権かな? 姉貴たちと違って、俺たちはその辺りは素直に言うし行動もする。
映画に行く前に見た姉貴は落ち着きがなかった。
鏡の前でオレンジ系の口紅を塗っては頬を染め、慌ててティッシュで拭きとって鏡を睨む。敵はそこに居ないよ、姉貴?
今度は似合わない真っ赤な口紅を塗ったものの、眉間に皺を寄せてティッシュで拭き取って、やっぱりオレンジの口紅の方を……と、じたばた繰り返していた。
なにあの可愛い生き物。
姉貴、奥手だもんなあ。
彩萌の兄さんも見た目に反して奥手らしいけど。
なんでも姉貴に渡す口紅のラッピングを何度も取り替えて、リボンを付けるかどうかずっと悩んでいたらしい。
「お兄ちゃんも、正幸君みたいにドラックコスメのリップクリームを渡して、『唇が乾いたら貸してね? ただし彩萌から直接お願いするから』っ言っちゃえばいいのに」
「さあね? そんな事、言ったかな?」
「言ったよぉ? ちゃんと今日も持ってきているもん。私の唇はいつだってケアしてツヤぷるなのに、なんでくれたのかなぁ?」
「なんでだろうね? せっかくだから、あとで貸してくれる?」
彩萌の唇がツヤぷるなのは身を以って知っているけれど。これは姉貴にも彩萌のお兄さんにも内緒かな。
――だって彩萌のお兄さんが好きでも、姉貴の唇にって考えたら、背中を押す切っ掛けになりたくないんだよね。幸せになって欲しい気持ちはちゃんとあるから、いつかそうなったら笑って祝福する準備は万端だけど。
ちょっとだけ足掻きたいんだ。
微妙な気持ちは彩萌も同じらしい。
まあ、姉貴も彩萌の兄さんも知らないだろうけど、実は「嫌な小姑&小舅・友の会」には、俺も彩萌も勝手に在籍しています。
ブラコン、シスコンって、姉や兄だけのモノじゃないんだよ?
俺らも小舅、小姑なんだぜ?
最初は弟と妹の方を書いていたんですが、途中でこちらにシフトチェンジしました
長子より下の方がちゃっかりしてますよね