家庭の事情
時間は既に午前0時を回っていた。
さっきバイトの後輩である新北 茜(あらきた あかね)と別れ、最寄駅から1人寂しく我が家、立花家がある場所へと足を進める。
1人寂しく歩く事15分、何の変哲も無い2階建ての自宅が見えてきた。
俺の両親は自営業を営んでいて今日は休み。休みの日は大体この時間になると眠りについているため、家の明かりは全て真っ暗になっている。
俺はそんな暗くなった家の前に立ち、カバンの中から何本かの鍵の付いているキーホルダーを取り出し、スマホのライト機能を駆使して、我が家の鍵を探す。
なんとか一つの鍵を見つけだし、夜中と言うこともあって、近所迷惑にならない程度に静かにドアを開けた。
「ただいまー」
小声ながらに家に帰った事を伝えるものの、もちろんそれに答えてくれる人はいない。
とりあえず、すでに暗くなったリビングの明かりをつけ、ラップのかかった二つの晩御飯に目をやる。
二つの晩御飯はすでに冷め切ってはいたが、家に着いたら飯がある。当たり前かもしれないが、こんな些細な事でもとても嬉しくなる。
こんな事を思うと、大人になったな…、なんてよく思う。
「いつもありがとうございます」
俺は飯を作ってくれた母親に感謝を込め、一礼する。
とりあえず、晩飯は後で食べるとして、先に風呂に入るため着替えを自室に取りに階段を上がる。自分の部屋は二階の角部屋。両親の寝室が近いため、できるだけ静かにドアを開け、自室に入った。
「あっ、そういえば日曜日の予定確認しないと」
ふとバイトの帰り道、後輩である新北さんから、映画に誘われた事を思い出す。
俺は慌てて机の上に置いてある手帳に手を掛け、誘われた日曜日の予定をチェックしてみが、
「あっちゃー……」
日曜日の項目には [サークルミーティング] と記されていた。
サークルというのは、大学で所属しているアニメ・漫画研究サークルのことである。毎年、このサークルでは夏コミに参加していて、今回はその打ち合わせなのだと聞いていた。
その打ち合わせとあって、朝から始まり、遅い時は夜の9時までかかることがある。
流石にこの予定が入っていては映画なんていけないな……。
「申し訳ないけど、今回は新北さんの誘いは断るか……」
せっかく誘ってかれたのに、断るのは申し訳なさでいっぱいだが意を決して、直ぐさまスマホを取り出すと新北さんに断りの連絡を入れた。
新北さんに連絡を入れると、本来の目的であった着替えを取り、俺は1階にある浴室を目指した。
脱衣所で着替えを脱ぎ、シャワーを浴びると、今日も暇疲れをした心と身体を癒すため浴槽に浸かろうと足を入れた。
「冷たっ!!!」
流石にこの時間、浴槽に入っている水はぬるま湯になっていて、流石にこれに浸かっていたら風邪を引きそうなレベルだ。
すかさず壁に取り付けられているリモコンで追い焚き設定を押し、数秒後、自分の一番くつろげる快適温度になったところでお湯に浸かる。
「はぁ~、極楽。これぞ天国か……」
あまりの快適さに腹が減っていることも忘れ、眠気が襲ってきた。
半分寝た状態で浴槽の縁に頭を掛け、うとうとしていると、
ドンドンッ、ドンドンッ!
と、浴槽のすぐ脇に取り付けられている窓ガラスが叩かれる音が響き渡った。
「ヒィッ!?」
あまりにも急な物音で、さながら女の子みたいな悲鳴を上げてしまった。
恐る恐る、叩かれた擦りガラスを覗き込むと、そこには人であろうシルエットが映し出され、その影からは妙に聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
「ちょっと、早くこの窓開けてよ!」
「……お、お前まさかっ!」
擦りガラスの窓を開けると、そこには制服をアレンジにアレンジを重ね、もう制服にすら見えない服を着た中学生がそこにいた。
彼女は欧米人の金髪と引きを取らない金色に染まった、髪の毛先をアイロンか何かでロールさせ、顔はちょっとでも童顔を隠そうと濃いメイク、スタイルは全体的に細めでまだ発育は良くないのだろう、と思われる見た目だ。
そんな彼女は外から風呂場の窓の前で俯きながら不機嫌そうにしている。
彼女のその姿に別に驚くわけでもなく、なぜこの時間にここにいるのか、と言う素直な疑問をそのまま投げかけてみる。
「お前……、何してんの?」
「うるさい、鍵忘れた。早くドア開けて」
いきなりにも罵倒から入るJC。流石はイマドキの若者と言うものだ。まともな会話のキャッチボールができない。
俺はそれでもめげずに優しい声のトーンでもう一度尋ねた。
「いや、そうじゃないだろ。もう夜中の1時だぞ、何してたんだよ」
「あー! だからうるさいって言ってんじゃん! 兄貴こそ、こんな遅くに裸で何言ってんの」
自分なりに大人の対応をしたつもりだったのだが、俺の格好が伴ってなかったのか、彼女の怒りはエスカレートしてしまった。
指摘を受けた事で俺も我に返り、自分の格好を見直してみる。
「……………。ちょ、ちょっと待ってろ」
俺は至福の時間であった入浴を強制退場させられ、脱衣所でバスタオルを腰に巻くと、すぐに玄関に向かった。玄関の鍵を開けドアを開けると、そこにはさっきの金髪JCが仁王立ちで不満に満ちた顔をしながら待ち構えていた。
俺が一声かける間も無く、ただ一つ、チッという舌打ちをあえて俺に聞こえる様に鳴らし、家へと入ってくる。
流石の俺もその言動には大人の対応を忘れ、少しだけ声を張り上げてしまう。
「おい、姫香、お前どう言うつもりだ。何してたんだよ、こんな時間まで」
「なんでもいいでしょ。兄貴には関係ないじゃん」
「関係ないわけないだろ! 母さんだって心配して……」
「はいはい、じゃあ散歩してたの」
「じゃあって、お前なぁ……」
俺が言いかけた言葉を無視して、姫香は二階の自分の部屋に向かっていった。
彼女は立花 姫香。中学三年にして立花家一の問題児。俺の妹だ。
二年前くらいから何に触発されたのかは知らないが、急に髪を染め始めたり、服装を変えたり、濃いメイクをしたりと、ギャルの道を辿るようになった。
俺の今一番の悩みがこの妹である。両親も姫香の変化には心配をしていて、母親から俺に相談をされるほどである。
とりあえずバスタオル一枚という、軽装では風邪を引く恐れがあったため、再び脱衣所に戻る。
脱衣所で寝巻きに着替え、リビングへと戻ると、冷え切った晩御飯が俺を待っていた。
その晩御飯二人分をレンジにかけ、テレビを見ながら遅すぎる晩御飯を食べる。
食べ始めてから10分くらいが経った時、風呂上りであろう姫香がリビングにやってきた。来てそうそうにソファーに寝転がり、スマホをいじりだす。
色々と妹には気になることがあるが、まずここは優しく振舞う作戦にでる。
「おい、飯食べたのか?」
「食べてない」
「お前の分の飯も温めておいたから、こっち来て食べろよ」
「いらな~い、こんな時間に食べると太るし、お腹減ってないし……」
なかなか手ごわい。妹とは15年の付き合いになるが、最近になってより一層、扱いがわからなくなってきた。
確かによく考えてみたら、もう夜中の二時になろうとしてる時間だ。年頃の女の子には気になる時間なのだろう。でも、姫香は、兄の俺から見ても少々痩せ過ぎなくらい細身だ。太ることなんか気にしなくてもいいとは思うのだが……。
そんな事を考えているとソファーの方から、
グゥ~〜〜〜〜…………。
と、今すぐにでも食べ物を摂取したいと言わんばかりの腹の虫が響き渡った。
身体とは本人の意思とは無関係に正直なものだ。
「腹、減ってんじゃん……」
「……、う、うるさいなぁー! ほっといてよ!」
「うるさいのはお前の腹だろ! いいから飯食べろ、もったいないし」
「…………」
俺はここぞと言わんばかりに姫香とコミュニケーションを図る。
姫香は恥ずかしさや、屈辱を噛み締めるような複雑な顔で俺の前の席に付き、律儀にも「いただきます」と小声でボソッとつぶやいた後、温まった晩御飯を食べ始めた。
「とりあえず、もう少し早く帰って来いよな。今日はたまたま俺がバイト終わりで、この時間まで起きてたから良かったものの……」
「私だって、今日はたまたま鍵忘れただけだもん。いつもはちゃんともってるし」
「鍵あればいいって事じゃねーよ! 中学生が遅くまで出歩くもんじゃないって事言ってんの!」
「別に私の勝手でしょ! もう、食事中に大声出さないでよ!」
今までのやり取りを見てれば分かると思うけど、俺と妹の中はあまり良くない。
2年前までは、俺の後ろをよく付いて来た可愛い妹だったが、何でこんな事になったんだか……。
俺は姫香より早く食べ始めた事もあって、もう完食していた。姫香の食べる様子を見るに、まだ食べ終わる気配はなかった。
正直、もう自分の部屋に行って寝たいところだが、後一踏ん張りと自分に気合いを入れるように、冷蔵庫から缶チューハイを一つ取り出し、姫香が食べ終わるまで飲んで待つことにした。
「これあげる。お酒のつまみ」
なにやら恥ずかしそうに姫香が差し出して来たのは、晩飯の一品であったチンジャオロース……に入っていたピーマンだった。
「相変わらず、ピーマン食えないのか……」
「別に食べれないわけじゃないし。お酒にはつまみが必要だと思って分けてあげたんじゃん。感謝してよね」
「……、まぁ、ありがとな」
「…………」
2年前とはだいぶ変わってしまった俺の妹だが、変わってない部分もちゃんとある。うざいし、言うこと聞かないし、迷惑ばっかかける妹だけど、そんな妹でも大切に思ってる。
出来ることなら、このまま道を踏み外して欲しくない。変わるのなら良い方向に変わってほしい。
俺は今思ったこの気持ちを深く胸に刻み、これからは妹と前向きに付き合って行こうと決意した。
遅い晩御飯を二人して食べ終え、時計を見ると、夜中の3時を回っていた。
流石に眠さの限界がお互いに来たのか、俺たちはそれぞれの自室に戻ったのだった。
明日の予定は昼過ぎから大学で講義を受けなければいけない。昼からなら12時くらいに起きれば楽勝だとは思うが、念のため、スマホのアラーム機能を使うのに、電源を入れた。すると、『メール二件』の表示が……。
一件目『新北 茜: お疲れ様です。日曜日予定入っちゃってましたか……。残念です(ノ_<) でも、全然気にしないでください!』
新北さんには悪いことしちゃったかな……。返信を返すにはもう遅い時間なため、明日起きたら返すことにした。
もう一つメールが来てたので、今度はそっちを見てみる……、
二軒目『月下 栞: 緊急! 駆! 明日10時半に大学のラウンジに直行せよ!』
この緊急要請で、俺が昼まで寝るという余裕がなくなったことを告げたのだった。