恋の時限爆弾~オトメゴコロ企画・選~
今朝もいつものように出勤してくるなり机の引き出しを開けてチョコを一つ摘む。今ではこれが日下部の日課になっている。日下部は毎日、朝と昼休みと放課後に一つずつチョコを食べている。
「ずいぶん減って来ましたね。それにしても、インパクトのある告白でしたね」
同僚の大橋が苦笑しながら言った。
その日は日曜日だったのだけれど、推薦で合格を決めた生徒の入学手続きの準備をするために、ほとんどの教師が出勤して来ていた。授業は無いので比較的のんびりとした雰囲気の中で、そろそろ業務を始めようかという時だった…。
静かな校内にパタパタと響くスリッパの音。
「誰だ?朝っぱらから…」
大橋がドアを開けようとしたとき、足音がピタッと止まった。その瞬間、ドアが勢いよく開けられ、ドアの引き手に手を掛けていた大橋はドアもろとも部屋の端まで弾き飛ばされてしまった。はずみで立て掛けてあったコート掛けのラックに直撃し、派手な音をたてながらラックもろともその場に崩れ落ちた。
「なんだ!どうした」
部屋に居た全員が音のした方を振り向いた。すると、そこに大橋の姿はなく、代わりに一人の女子生徒が立っていた。
「月見里?」
日下部は思わず呟いた。その瞬間ばっちり目が会ってしまった。ハアハア息を切らしながら月見里摩耶はまっすぐ日下部を見つめている。と、言うよりも日下部には睨み付けられているように感じた。
「ちょ、ちょっと待て!話せば解かる」
上ずった声で後ずさりしながら日下部は摩耶と対峙する。
「ちょっと!月見里さん、あなたどういうつもりなの?」
同僚教師の高千穂絵麻が摩耶に詰め寄る。しかし、摩耶は絵麻を振り払い日下部めがけて突進する。立ち塞がる教師たちを弾き飛ばしながら日下部との距離を詰めて行く。ついに日下部を射程にとらえると、逃げようとする日下部の横に回り込む。そして、持って来たカバンに手を掛けた。
「キャー!」
女性教師たちの悲鳴が職員室にこだまする。男性教師たちは摩耶を取り押さえよと一斉に飛びかかる。そんな様子が日下部にはストップモーションで見えた。
『ここで僕の人生は終わってしまうのか…。こんなことなら、一度くらい駅前の餃子食べ放題に行っておけばよかった』などと思いつつ、『なんか、せこいなあ、僕の人生は…』と、後悔の念が頭の中を駆け巡る。その瞬間…。
“ズン”
日下部の目の前に何か黒いものが入った大きな袋が差し出された。それを見た途端、周りの教師たちは両手で頭を覆って、その場にうずくまった。
「逃げろ!爆発するぞ!」
誰かがそう叫んだ。しかし、摩耶にはそんな言葉など耳に入っていない。そして摩耶は日下部に向かって口を開いた。
「先生、好きです」
一瞬の静寂。日下部が恐る恐る目を開けると、“業務用”の文字が目に入って来た。
「チョ、チョコ?」
日下部は摩耶からチョコを受け取った。摩耶はチョコを渡すと一礼して、スタスタと出口の方へ歩いて行った。出口に差し掛かったところで何かを踏ん付けた様な気がしたけれど、そんなことにかまっているほどの余裕はなかった。摩耶が去った後でようやく立ち上がった大橋の顔にはスリッパの跡がくっきり付けられていた。
日下部はアルファベットチョコレートが大量1kg入った袋を抱えて呆然と立ち尽くしていた。
翌日、摩耶が登校して来ると、待ち構えていたように奈津とめいが寄って来た。
「摩耶、ちゃんと渡せた?」
「う、うん」
「それでどうだったんだ?日下部先生は受け取ってくれたのか?」
「うん…」
「摩耶さん、よかったじゃない!」
いつの間にか現れたいろはが摩耶の頭を“よしよし”と撫でた。そして、続けた。
「それじゃあ、ここからが勝負だよ」
「いっちー、どういうこと?」
「渡しただけじゃ、しょうがないだろう!ホワイトデーのお返しをゲットしてこそってもんだぜ」
「まっつん、どうすればいい?」
「そだなぁ…」
「摩耶はどんなチョコレートをあげたんですか?」
「ん?あのね、めいのん…。四角くて、AとかBとかローマ字が書いてあるやつ」
「アルファベットチョコですね。それで、どれくらいあげたんですか?」
「1kg。業務用のやつ」
「そりゃあ、一人で食うのは無理だな。他の先生たちにお裾分けして終わりじゃないのか?」
「まっつんったら、ひどい!日下部先生はそんなことしないもん」
「だとしたらですねぇ、摩耶さん…」
「うん、うん、いっちー、どうすればいいの?」
「何もしなくてもいいかも知れませんね」
「えーっ?どうして?」
「そうか!そんだけの量ならいっぺんに食うのは無理だ」
「それで、それで?」
「つまり、毎日無くなるまで少しずつ食べる!」
「そうの通りだ!めい」
「ねえ、それってどういうこと?」
「恋の時限爆弾ってことですよ。摩耶さん」
「爆弾!だめ、だめ!そんなことしたら日下部先生が死んじゃうじゃない」
「だからぁ…」
「見ていれば判りますよ。ねっ!奈津さん、めいさん」
そう言って微笑むいろはに奈津とめいも頷いた。一人意味が解からない摩耶だけがカヤの外に置かれた気がして口を尖らせた。
日下部は摘んだチョコに記されている文字を眺めた。“L”その文字を確かめるように口に放り込んだ。
「なんだか嬉しそうですね。日下部先生」
「齋藤先生!からかわないでください」
「羨ましいですな。若い子にこんなに慕われて」
「教師ですからね。生徒に慕われるのはいいことですよ」
「あら、それだけかしらね」
「高千穂先生、どういう意味ですか?」
「PTAや教育委員会に目をつけられるようなことにだけはしないで下さいよ」
絵麻はそう言って日下部を一瞥した。
「まあ、気にしなさんな。彼女、バレンタインデーに男子生徒にチョコをばら撒いたのが教育員会で問題になっているらしいから。ま、それはさておき、ずいぶん大変だったみたいですね?」
「そっか、齋藤先生はあの日はお休みだったんですね」
「ええ、嘱託ですからね」
「僕もてっきり生徒がお礼参りにでも来たのかと思いましたよ」
「それで、爆弾騒ぎですか?」
「だって、まさか日曜日に生徒が職員室に乗り込んでくるなんて。しかも、業務が業務でしたから」
「私もその場に居合わせたかったものですな。そしたら、さぞ、面白いものが見られたでしょうに」
「笑い事じゃないですよ。僕なんか走馬灯を見ましたよ」
「ほう、それは貴重な体験をされましたね。それほど彼女は鬼気迫っていたというわけですか」
「まったくですよ!」
話に加わって来たのは大橋だった。しきりに頬をさすっている。
「ぷっ!」
日下部は思わず吹き出した。
「まったく、いい迷惑ですよ。それもこれもこのチョコのせいですからね。こんなの家に持って帰って下さいよ」
大橋が日下部の机の引き出しを開けてチョコを一つ摘んだ。
「ちょっと、何するんですか!」
日下部は大橋からチョコを取り返すと、引き出しの中の袋に戻した。そして、引き出しに鍵を掛けると、出席簿を持って席を立った。
日下部が出口に向かって来るのを見て、奈津とめいは慌てて職員室の前から立ち去った。
「見たか?今の」
「みたわ!摩耶の言う通り、日下部先生は全部自分で食べるつもりですね」
「おう!時限爆弾が着々と効いてる感じだな」
奈津とめいは教室に戻ると、さっき見た様子を早速摩耶に報告した。
「摩耶、こりゃあ、ホワイトデーはかなり期待できるぞ」
「まっつん、本当ですか?」
「そうですね。それに、摩耶が日下部先生のことを好きになった理由も少し解かりました」
「本当?なんか恥ずかし…。あ!めいのん、ダメだよ日下部先生にちょっかい出しちゃあ」
「それは大丈夫じゃん。なんだかんだ言って、めいにはカズっちが居るからな」
「そう言うまっつんはどうなんですか?」
「問題外だ。あんなジジイに興味なし」
「あー、ひど~い!日下部先生は特別なんだから」
「はい、はい。そう言うことにしておいてやるよ」
「二人とも、先生がきましたよ」
担任が教室に入って来た。
「しかし、よりによってウチの担任が大橋先生だとはね…」
「そうね」
さっきの職員室でのやり取りを見ていた奈津とめいは思わずため息をついた。
「出席を取るぞ…」
3月に入って摩耶は体調を崩した。病院で診察をしてもらうとインフルエンザだと診断された。熱で朦朧とする中、摩耶は夢を見ていた。
ホワイトデーの日、学校に行くと担任が日下部に代わっていた。しかも、教室には摩耶だけしかなかった。
「他の皆はどうしたんですか?めいのんは?まっつんは?もしかして、みんなインフルエンザになっちゃったの?」
「今日から僕が月見里専任の先生になったんだよ」
「えー!そうなんですか?」
「皆と一緒じゃないと寂しいかい?」
「ちょっと寂しいかも…」
「そっか、月見里が寂しいなら、やっぱり皆一緒の方がいいね」
そして、日下部がウインクすると、今までがらんとしていた教室にクラスメイトがパッと現れた。
「わあ!先生ありがとうございます」
「いいよ。僕に出来ることなら何でもするよ」
「摩耶、良かったな」
「はい!まっつん」
「あとはチョコのお返しを貰うだけですね」
「うわーん、めいのん、緊張しちゃうよ」
「しっかりして下さい。夢でこれじゃあ、本番が思いやられます」
「あれっ?いっちーいつから同じクラスになったの?ってか、これって夢なの?日下部先生…」
摩耶が教壇の方を向くと、頬にスリッパの後が付いた大橋が立っていて、摩耶を睨み付けていた。
「ぎゃあぁ~!」
摩耶は悲鳴をあげて教室から逃げ出した。そこで目が覚めた。
「あれっ?先生は?」
「何を言ってるの学校に行った夢でも見たの?熱は下がったみたいだから、病院へ行って看て貰いなさい。そろそろ学校に行かないとだからね」
体温計を見ながら母親がそう言った。そう!いつまでも寝込んでいる場合じゃない。摩耶は布団を蹴飛ばした。
「お母さん、今日は何日だっけ?」
「11日よ」
「うわあ!たいへん!」
月曜日は14日。ホワイトデー。悠長に寝込んでなんかいられない。なんとしても学校へ行って日下部先生にお返しを貰わなきゃ!でも、貰えるのかなあ…。それを考えると、このまま寝込んでいたい気にもなった。でも、すぐにそんな弱気な気持ちを吹き飛ばして摩耶は病院へ向かった。
摩耶は病院で一通りの検査を受けると待合室で結果を待った。
「月見里さん、診察室へどうぞ」
診察室に入ると医師が神妙な顔をして待っていた。まさか、ダメなの?摩耶がそう思って不安な表情を浮かべると、医師は急ににっこり笑った。
「もう大丈夫ですね。月曜日からは学校へ行ってもいいですよ」
「なんだ!もう、先生ったらビックリさせないで下さいよ」
そう言って摩耶は医師の肩を思いっ切り叩いた。
「コホン」
医師が咳払いをした。
「あ、すみません…」
「それだけ元気があれば大丈夫だね。でも、病み上がりだからね。この週末はしっかり栄養を取って体力をつけるようにしなさい」
「はい!ありがとうございます」
摩耶はルンルン気分で帰宅した。
そして、迎えたホワイトデー。摩耶は意気揚々と学校へ向かった。
「摩耶、良かったな」
「はい!まっつん」
「あとはチョコのお返しを貰うだけですね」
「うわーん、めいのん、緊張しちゃうよ」
「しっかりして下さい。摩耶さん」
「いっちー、いつから同じクラスになったの?」
「何言ってるんですか?私は遊びに来ただけですよ」
「あれっ?なんかどこかで見た様なシチュエーション…」
「何のことだ?」
「あ、いや、なんでもないです」
そして待ちに待った放課後…。摩耶は体育館の裏で日下部を待っていた。奈津たちが日下部を連れて来てくれることになっている。待っている間、摩耶はドキドキしながら辺りをうろうろしていた。
「摩耶!」
奈津の声がした。めいといろはも一緒だ。そして、その後ろからやって来るのは…。
「月見里…」
「あんた誰?」
「何を言っているんだ?日下部だよ」
「うそ!違う!日下部先生はこんなにデブじゃないもん」
「いや~、その、毎日チョコばかり食べてたから太っちゃって…」
「いやだ~!誰よ!量で勝負なんて言ったのは」
「やべっ!悪い、私ちょっと用事を思いだした」
そう言って奈津はその場から逃げだした。
「私も…」
「私も。ごめん…」
めいといろはも足早にその場を離れた。そして、摩耶と太った日下部だけが取り残された。
「先生ごめんなさい!」
摩耶も逃げるように走り去った。
「そんな~」
それをこっそり見ていた大橋が鼻で笑った。
と、いうわけで水無月上総さん、おめでとうございます!
罰ゲームの後日談で締めくくってください!