迷宮
「高い壁だったな」
連休を費やしてARROWの練習に耽ったおかげかどうにか機体特性くらいは掴めたのだが、やはり一位との壁は分厚かった。
チーム戦では店内ランキング20位以内に入れたこと自体が奇蹟だったと言っても過言ではない。
だが、結局の所奇蹟が起きても一位には及ばなかった。
「そうだね。一位の人に未だにダブルスコアつけられているからね」
楓が少し寂しそうに笑っていた。最初はトリプルスコアだったから、まあ、進歩なのだろうか。
ダブルスコアだったのだ。自分達の二倍、そいつは点数を稼いだ。どういうことなのかさっぱりわからない。単に実力の差なのは分かっているのだが……。
「しかも、あの小さな店の中でそんな状態なんだから――ここらへん全域から人が集まる大会となったらどうにもならないな」
一位なんて夢のまた夢なのだ。
今の自分は、蝋仕立ての翼で届かぬ夢物語を追いかけていることになる。途中で海に落ちてしまうのなんて目に見えているのに。元々無茶な話だったのだ。
ただ、その無謀さを見ようとしなかっただけ。
「一位は難しいかもね。景品を譲ってもらう算段、しておく?」
「転売されて自分には手が出せない金額になることも目に見えている。ただで譲る理由がないしな」
然るべき所に持ち込めば凄まじい値が付く。だからこそ賞品に設定されたとも言える。
高校の昼休み、楓とぽつぽつ話をする。いつもならもう少し弾んでいるはずの会話は今日は重苦しい雰囲気の影響でネガティブ一色だった。
「つばさ、こんな時でもちゃんとお弁当持たせてくれるんだね」
楓が急に話をかえる。少しだけ、雰囲気が変わった。――最近は彼女に気を使わせてばかりだ。
こんな状況でも微笑みをたたえてくれている彼女が眩しい。
「ああ。購買とガラガラの食堂があるって言っても全然聞いてくれなくて」
アンドロイドの普及のせいか弁当派の生徒が増え、食堂は廃れる一方だ。一定の需要はあるらしく存続はしているが、混んでいるところなど見たことがない。利益は度外視しているのだろう。
「変な所で、頑固なんだから」
「俺が腹を空かせていないか心配なんだってさ。過保護だよな」
彼女にとって自分の世話をすることがアイデンティティーなわけだから、それを止めることもできなかった。
自分よりも年下のくせにこちらの世話ばかり焼いて……ってアンドロイドにいうのは、ちょっとおかしいだろうか。むしろ高校生と年齢がそこまで違わないつばさがおかしいのだ。そして、それに人間のように接している自分もまた。
「そのつばさを心配している陸も、十分過保護だよ? 自覚してる?」
え、嘘? ……俺、過保護?
「あー、自覚無いんだね。まあ、気にしないに越したことはないよ。それはともかく、陸、今日は一緒にお弁当食べよっか」
「何を急に。どういう風の吹き回しだ」
いくら幼なじみで仲がよくても、高校でもベッタリ一緒というわけでもない。付き合っているわけでもないし、たとえ付き合っていても世間体を気にしていつものメンバーと昼飯というのが普通の高校生だ。
高校二年生になってからは楓と同じクラスになっていた。似たような選択科目を履修したから同じクラスになるのは必然と言って差し支えない。長く一緒にいると趣味思考も自然と似るし……似ていたから友達であり続けたとも言ええる。そういうわけで、好きな教科も似るわけだ。
「〈ラビュリント〉の武装見つめ直そうと思ってたから、その相談に乗ってほしくて」
「まあ、良いけど――やっぱり、パイルドライバーには無理があったか?」
「あれは必殺技だから良いの……って言っても、やっぱりあれは殲滅戦には向かないからね――一発しか打てないし」
うん、一発しか打てないしな。
「簡単に言っているけど、ものすっごい重大な欠陥だと思うよ」
「失礼な! それを目的に作ってるんだから欠陥扱いはやめて!」
「わかった。機体は悪くないんだな」
開発者とコンセプトが悪い。
「もー……あれはあれで良いんだよ?」
「本当に?」
歩けない二足歩行ロボだなんて、自己矛盾甚だしい存在が?
「そこまで言うなら、ラビュリントの実力見せてあげるよ!」
そういえば経験不足ということで未だ対人戦は経験していない。CPU戦は良くも悪くも人間味が無いからな。本番に生きるのかと言えば、少し微妙なところがある。
どうやら彼女は本気なようなので、とりあえずそのうち相手をしてもらうことにした。
「と言っても、ゲームルームでやらなきゃだから、ひとまずお弁当にしよっか。今日、手作りなんだよー」
お昼休み。教室でくつろぐ学生達に許された癒しの時。午後の授業に立ち向かうために許された40分の憩いだ。
「…………? お前、料理の趣味があったのか?」
今の世の中、自動化(という名のアンドロイドへの丸投げ)で形を変えた文化も多い。
料理もその典型だ。どうしてもアンドロイド任せになる昨今の台所、そのせいか料理をする人間は減少の一途をたどっている。つばさも言っていたが、『人間厨房に入るべからず』なんて豪語するアンドロイドさえいる。文化の担い手が入れ替わったというのが近いかもしれない。
自動化される一方で、レストランその他の文化も形を変えて栄えてはいる。
「最近ね、始めたの」
そんなこんなで、料理は完全に趣味扱いとなっている。まあ、いつでも何処でもアンドロイドが一緒にいるわけでもないし、覚えておいて損はない。
「大規模停電に備えて……とか?」
アンドロイドが活動できなくなる条件を真っ先に考える自分。
非常電源も積んではいるが、充電できなくて機能停止……ってことは、ある。
よく考えたらソーラーエネルギーとかも駆使して動いているんだっけ、あの子達。とってもクリーン。なんか昔のロボットアニメでは核融合とか謎のエネルギーで動いてたりするけど、当然現代のアンドロイドは、普通に充電で動いている。しかも、その充電による電力の使いすぎが問題になっていたりする。我が家の電気代もすごいことになっいる。悲しいところで、現実的だ。でも、信用ならない謎のエネルギーで動くくらいなら電気代に悩む方がましな気がする。
「あのね、手料理を食べさせたい人がいるの」
変な所に思考の流れた自分に、楓のあっさりした言葉が大打撃を与えた。思考は、今度は別方向へと吹っ飛ばされる。
「…………っ!?」
自分は何がショックだったのかさえ分からないほどに狼狽えていた。
きっと、自分と楓が唯一無二の特別な関係であると信じていたのだろう。真っ向からそれを否定しただの幼なじみなんだと指摘されれば、ショックにも思うのだろう。
冷静に分析すればするほど、救えない。思い上がりも大概にした方が良い。つき合っているわけではないのだから。
「ま、この趣味が長く続くかはまだ分からないけどね――さ、陸には味見に付き合って貰おうかな」
そう言って鞄の中から取り出したランチバックはいつものとは違って、ちょっと大きめ。最初から二人分作って来たようだ。準備の良いことだ。
「味見って……別に俺は料理に詳しくないんだけどな」
その男(恐らく)の好みは当然知らないし、料理の知識は皆無だ。楓もそこの所は分かっているはずだ。
俺は拗ねているのだろう。変にくってかかる理由なんてそれくらいだ。
「良いの。陸が認める味を出せれば、その人も絶対認めるから」
「変なの。それじゃあまるでそいつと俺の味覚が全く同じみたいじゃないか」
「うん。変だねー」
拗ねている自分を微笑ましげに見つめながら、彼女は同意する。
この様子――なんだかよく分からないが、裏があるぞ。何かたくらんでいるな。つまり、悩むだけ無駄だ。俺は彼女の手の上で愉快に踊り狂うしかないらしい。
「とりあえずお礼代わりに陸の好物から作ったから――つばさには及ばないし、過度な期待はしないでね」
仕方のないことだ。アンドロイドだって人間と同じで成長していくのだ。その速度は人間に及ばないモノの、十年近く家事手伝いをすれば熟達もする。
――当然のように好物を把握されているのは幼なじみだからだ。当然のように知っているのは、それは当然のことだからだ。ほぼ全部、把握されていると思う。
「つばさが居たら自慢げに笑いそうだな」
あの子はあれで、結構人間くさい所がある。
今日も彼女の手作り弁当を持ってきているわけだから、その差ははっきりと分かってしまうのだろう。
「絶対負けるって分かってても捨てられない、女の子としての矜持があるんだよ」
矜持ねえ。古来から家事は女性の仕事という固定観念があった日本だが最近ではだいぶ改善されているというのに。やっとのことで男女平等へと進んでいった日本文化を一気に後押ししたのはアンドロイドの出現だ。家事を一手に引き受けてくれる機械の友人が現れたので人間が家事をする必要がなくなったのだから。
その家事を引き受ける機械の友人達が男性型が女性型かで激しい議論が戦わされているがな。ちなみに、今は女性型が主流で男性型はあまり見かけない。一番最初に作られたアンドロイドが女性型だった故に、なんとなく女性のイメージが形作られたのかも知れない。
人間の男女間での固定観念がほぼ無くなったが、それはアンドロイドが引き継いだだけなのかもしれない。
--そんな背景を無視する『矜持』か。
「よく分からない」
いろいろ考えたが、やっぱりよく分からない。
「そうだね。私も、よく分かんない。それに、勝てないのに張り合うことになるしね」
それを言い出したら、自分たちの今の状況だってそうだ。
勝てないのに挑む。馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいけど――。
「よし、気持ちは分かった。俺にできることなら何でも協力する」
人間、そういうものか。
勝てないこととあきらめることはまた別だ。それに、本当に勝てないのかは分からない。
「うん。女の子がお弁当分けて上げるって言ってるんだから、素直に聞くのが一番だよ」
そうだな。男子の人気も高い楓のお弁当を分けて貰えるのだ。クラス内で競売にかければ例のメモリー問題を解決する力に――って、これはあまりにも酷い考えだな。
自分を誤魔化す冷静ぶった考えを無視して、隣の席で笑う友人を見る。
隣り合う席になる確率はそう高くないが、そう低くもない。上下左右加えて斜めを考えておくと結構な確率で近くの席になる。
「とりあえず教室の外に出よっか」
「了解――噂にでもなったら、その男に知られるからな」
「あー……あー、うん。そうだね」
何故だろう。彼女は『どうしよう、引くに引けない』的な表情をしていた。
今更になって恥ずかしくなってきたとかだろうか。
「陸、涙目になってる?」
「なってない、なってない」
複雑な心境ではあるけどな。
「大丈夫だよ。陸を悲しませるようなこと、わたしはしないよ。きっと陸の思っているようなこととは違うから安心して」
そんな自分とは対照的に、楓はにこにこ笑っている。
「だから、そもそも――」
「本当はそんなに深い理由なんてないんだ。ただ、なんとなく陸に食べて貰いたかっただけだから」
こっちの話なんて聞いてもいないようだ。そして、さっきまでのながーい前置きはどこかにおいてきたらしい。
「そうか。――いや、なんか色々と考えさせられた」
「ま、変わらないのがわたし達の良いところだよねー」
しかし、それにツッコミを入れようとは思わなかった。藪をつついて蛇を出すような真似はしたくない。
「っと、話しててもアレだからさっさと食べようか」
お弁当一つで心を乱すとは。小心者だな、自分は。
「そうだね。早く移動しようよ。……一応、ちょっとは恥ずかしいし」
「あ、ああ。それもそうか。じゃあ、中庭にでも行こうか」
「いただきます」
「めしあがれ……って、なにこれ凄い恥ずかしいね。……あー! 待って、その卵焼きは自信ない!」
二人だけというのもなんだか変な感じだ。当然、つばさも遥香もいない。アンドロイド用のデータリンク端末は持ち込みオッケーなのだが、アンドロイドそれ自体は絶対ノー。アンドロイド組は即刻家に帰されついでに『アンドロイド偏愛者』という二つ名を背負って生きていくことになるのだった。
あと、一度背負うとそう簡単に下ろせるものではない。経験者は語る。
なお、無視して卵焼きから食べている。
「美味いな」
「つばさのお弁当おいしい……調子に乗ってお弁当作ってくるとか……もう、二度としない……」
シェアしたお弁当に対して全力で落ち込んでいる楓をそこそこに慰めつつ彼女のお弁当を食べてみる。
時は残酷だなぁ。
「決意折れるの早すぎだろ」
「……帰りがてゲームルームね」
「なるほど、こうしてゲームが上手くなっていったのか」
得心がいった。
「うう……」
「何はともあれ、つばさに連絡入れとく」
ささっと端末を操作して、電話を入れておく。電話といっても、どちらかというと『コマンド入力』に近い雰囲気だ。本人とリンクしている端末だからな。
「ラビュリントの実力を見せてあげるよ! パイルバンカー馬鹿だと思われたくないし!」
「お手並み拝見だな」
あいかわらず、謎だらけの僚機だ。
「――〈ラビュリント〉?」
小さな声が聞こえた。
「今、ラビュリントって言ったかな」
俺たちが陣取っていたのは、中庭にいくつか設置してあるテーブルの一つだった。ここは日除けに植えた植物が繁茂してあまりにも野暮ったくなったせいで利用者が少ない。
……のだが、利用者が少ないことを理由に来る奴も一定数いる。
その一人が、自分たちの方を見ていた。さっきまで端末をイジっていたカップルの片割れだ。目の前の彼女を差し置いて、端末なんか見るなんて……とついつい思ってしまう。
「そういう君は?」
イチャイチャしていたところに声をかけられて、ちょっと恥ずかしくなりついつい誤魔化すようにそう聞いた。
「僕は。桜井輝だ。この間の連休にゲームルームにいたから、二人の機体名は覚えていたんだ」
サクライヒカル――ああ、隣のクラスの彼か。自分たちとは違う世界の生き物と思っていたよ。
となると、隣にいる女の子にも心当たりがある。葵――そう、阿賀野葵だ。控えめで、成績優秀、品行方正な女性で、先生方からの信頼も厚く、二年生の時点で大学の推薦はほぼ確実になっている才女だ。羨ましい限りである。
「そして、こっちが阿賀野葵。と言っても、楓さんには紹介するまでもないかな」
うん、合ってた。大丈夫、俺はちゃんと人間に興味がある。アンドロイド偏愛じゃない。
「――ん? どういうこと?」
楓は素で不思議そうに聞いていた。
なんか知り合いっぽい雰囲気を醸し出そうとして失敗した彼。立ち上がってこちらに歩み寄ってきたのだが、微妙な空気になってしまった。
「楓とは雰囲気が全然違うけど、知り合いなのか?」
「うーん、なんとも……」
楓は言葉を濁す。珍しいな、彼女の歯切れが悪いなんて。
「二人とも有名人だから楓も知ってると思ってた。二人とも定期テストで五位から下に入ったことがないんだろう?」
名前は知っていたが、顔は知らなかった。けれど言われればすぐ分かる。それくらいには有名な二人だった。
「ああ。今のところはね」
彼は普通に頷いた。自分が羨んでいるような調子でなかったのもあるのかな。
自慢でもなくあっさりと言われると驚くほど何も思わないな。もう少し、嫉妬でもするかと思ったのだが。生きている世界が違うと感じるだけだ。
「二人もARROWのプレイヤーなんだね」
「うん。輝さんに誘われて」
いつの間にか輝の隣に来ていた葵さんが当然のように言った。
それにしても、なんだか不思議な雰囲気の人だ。引っ詰めにしている黒の長髪、飾り気はないのに素材の美しさだけで光り輝いている。
ジト目を向けてきている楓に気づいて、慌てながらも冷静を取り繕う。確かに、他人の彼女をじろじろ見つめるのはちょっとどうかと思うよな。
「僕達も勉強ばかりというわけではないからね」
「楓は別にそう言ったつもりではないんだ。単に驚いただけだよ」
嫌味に聞こえてしまったようだ。何故か俺が訂正する。
ARROWはそれだけ人々の暮らしに根付いているんだなぁ。それに関わってこなかった自分は変わり者だったのかもな。
「〈ラビュリント〉と〈フリューゲル〉だっけ? 葵がその名前に反応したんだ」
「あ、ランクインしたからリザルト画面出るんだっけ。良く覚えてたね、二十位なんて端の端なのに」
「端の端だから覚えていたんだ」
それもそうか。表示されるのは一位から二十位まで。一位も当然目立つけれど二十位も悪目立ちする。
「ランクインは良いものの、あんまり喜べないな」
「陸、贅沢を言わないの。初めてなのにあそこまで行けたなんて、凄いんだよ」
それもそうなんだけどな。目的が目的な以上、ここで止まってはいられない。
「ああ、やっぱり楓さんは初めてだったんだね」
「ん? あー、初めてなのは陸だよ陸。私は誘った方。今までずっとシングルプレーだったから、チームでやったのは私も初めてだけどね」
大会の景品が云々ということはとりあえず伏せてくれている。ありがとう、楓。
知られて困ることではないが、それでも、できれば知られたくはないからな。
「早乙女さんが頑張ったのね」
葵さんが言う。小さな笑みがは彼女の優美な美しさを演出している。
……にしても、久しぶりに見たな、楓のことを名字で呼ぶ人。すっごい親しみやすいから、みんな名前で呼んでいるのだ。
「あは、あはは――そ、そんな感じかなー」
笑って誤魔化す楓。まさか各ゲームでパイルバンカーを一発ずつしか撃っていないとは思っていまい。
けれどそれを他人に言うことはしなかった。
スコアでの貢献は微妙でも操縦を細かく教えてくれているので、あながち間違いでもないか。
「いつか対戦しようか。君たちのプレイを見てみたい」
「そうだな――ああ、そうだ、楓。図書室に本を返さなきゃいけないんだ。付き合ってくれ」
「んー、了解」
弁当を二人分、さっさと片づけてランチバックに入れた。
「それじゃあ、また。いつか対戦しよう」
そう言い残して、自分は図書室方面へと向かっていく。所詮、方面だけどな。
今では物置になっているスペースへと向かった。埃っぽいが、我慢しよう。ほかの場所には人がいる。
「陸、本は?」
分かっていて、楓はにこにこしながら聞いてくる。方便だよ、方便。
「うるさい――ほれ、拭き終わったからさっさと座れ」
ランチバックに入れてある使い捨ておしぼりで埃を拭き取り、綿ぼこりまみれになったそれをスラックスのポケットに放り込む。
「葵さんの前で緊張した? それとも、輝君に嫉妬した?」
確かにそれもあるのかもしれないけど――。
「居心地が悪いというか――なんだろうな、変な悪意を感じたんだ」
楓はすっとんきょうな顔をした。
「悪意? あの二人に?」
「僻みだって笑うか?」
「……居心地悪かったのは本当だよね」
ああ。あそこに居るくらいだったら、埃っぽい日陰に引きこもっていたほうがましだ。
「なんにせよ、あそこでダベってると、弁当を食う時間がなくなるだろうからな」
「――そうだね!」
やっと心の底から笑った楓。こんなジメジメしたところにいるときの方が良い顔をしているのだからおかしな話だ。
「昼休みは残り15分。早食いしなくても良いくらいには余裕がある」
「大事に食べてね」
「――じゃあ改めて、いただきます」
それにしても。
輝と葵か。なんだったんだろうなぁ、あの二人は。
「……やっぱり美味いよ、この卵焼き」
「ありがとう、陸」
「なんで俺が感謝されてるんだ……?」
でも、今はそんなゴタゴタなんて、心底どうでもいいような気分だった。
迎えた放課後、さっさと学校を出た自分たちは最寄り駅でアンドロイドチームと合流。
学校の前まで来ると『アンドロイド偏愛』を疑われるので学生の大半は、合流するにしても学校から離れたところでするのが普通だ。俺の場合は、もう今更なところもあるんだけどな。
アンドロイドと二人で歩いているだけでそういう疑いをかけるのは、色めき立ったこの世代にはありがちだとは、遥香の言である。
「人間は大変ですね。アンドロイドで良かったですよ」
つばさが本当に哀れむような調子でそう言った。アンドロイドほど合理的に生きられないのが我々だ。
特に思春期なんて、合理性とは全く無縁なところにいると言っても過言ではない。
「俺も今日だけはアンドロイドになりたい」
「ダメです。私がお弁当を作る相手が居なくなります」
……なんだ、その理屈。
空想していても仕方ない。今日も今日とて練習だ。
駅を出て、徒歩五分。そこにあるゲームルームを目指す。
「予約はすませてあるから」
遥香は何やかんやと言いながら手際が良い。ここらへん、さすがはアンドロイドだ。人間臭くとも、やるべきことはしっかりやってくれる。
「今日は二人で一騎打ちなんでしたっけ。楽しみですね」
「色物対色物だね」
自分で言うのかよ。お前が〈ラビュリント〉はマトモだと言ったからこんな流れになったというのに!
始まる前に全否定とか!
「あれ、あの制服……」
つばさがちらりと、遠くを見る。多数のACVと自動操縦の大型バスが行き来する大通り。つばさの視線の先は、人がまばらに歩いているあたり……けど、つばさが何を言わんとしているのかは分からなかった。
「どうした、つばさ」
「いえ。陸と同じ制服を見かけたのでちょっと嬉しくなって」
ああ、なんか嬉しくなるよね、そういうの。自分の卒業した中学校の制服を見るとテンションが上がる現象に近い。
「ほらほら、早く行こう。予約時間来ちゃうわよー!」
上機嫌の遥香に引き連れられ、自分たちは歩き始める。広い歩道は人間とアンドロイドが2対1くらいの割合で歩いており、どこかファンタジックな見た目になっている。アンドロイドは創造主に与えられた究極の造形のおかげか、結構目立つ。
楓は愛機〈ラビュリント〉によっぽどの自信があるらしい。殲滅戦をやっていた時は自分の機体にかかりきりになってしまっていたから、実際どんな機体なのかは分からない。
「度肝を抜かれるよー?」
半歩先を行く彼女の横顔は、喜色満面。対決が楽しみで仕方ないといった様子だ。
くせっ毛も、今日は少し調子が良いらしく元気一杯跳ねている。
「それくらいだと、頼もしいな」
なんせ、彼女は味方なんだから。
いつも通りにARROWのブースに入り、チュートリアルをスキップ。持参してある膝掛けをつばさが使う。シートの高さを調節、フットペダルの位置も微調整。さすがに、慣れてきている。
めまぐるしく変わる画面。操作は楓に一任している。ユーハブコントロール、って奴だ。
モード表示。『1 VS 1』。
「つばさ、無理はするなよ」
「大丈夫です。こうみえて、頑丈にできていますから」
彼女は、自信ありげに答える。少し信用なら無いけれど、彼女はうそを言わない。
ならば、信じて背中を預けるだけだ。
システム表示が消え失せ、いつも通りの俯瞰風景に切り替わった。戦場はだだっ広い『演習場』。〈フリューゲル〉はその特性上市街地を嫌い、逆に〈ラビュリント〉は迷路のような地形を好む。この場所はこちらに有利だ。わざわざ楓がそれを選んだんだろう。ハンデのつもりか?
本番ではステージ選択はできないが――むしろ今は色々なステージを経験するのが大事だ。
先ほどから通信が入っていないのは楓がそれを切っているからだ。敵に手の内をさらすことになるのだからな。
出撃シーンが始まる。背部の翼を展開し蒼いエネルギー粒子をまき散らす。凄まじいスラスターの音。この瞬間は、何度経験してもマニュピレーターを握る手が震える。自分の意識がが仮想空間に広がっていくような、他のどんな娯楽でも味わえない感覚がある。
圧倒的な迫力。なんというか――質量がそこにあるような気がするのだ。まやかしの映像と分かり切っているのに。
暴力的加速のまま演習場の地上ギリギリを滑るように飛んでいく。衝撃波で地面が抉れ土埃が上がる。
「陸、始まります!」
「ああっ!」
フットペダルを強く踏み込み、スラスターを全力でふかす。
ディスプレイの中の景色がグチャグチャになり、油絵のような様相を呈する。
キイィイイン……スラスターが震える音。ラジエーターが稼働する音。全ての機械音がリアルに響く。
--数秒の後、〈ラビュリント〉との距離は大分詰まったように思えるのだが……ジャミングとデコイで索敵はあてにならない。元々、この機体は索敵を〈ラビュリント〉とのデータリンクに任せているせいだ。敵味方に分かれると途端に心許なくなる。
視界がグチャグチャなのに有視界戦闘をするって、馬鹿なの?
「……陸! 右に行きましょう! 機雷です!」
「機雷!?」
この速度で飛んでいて、しかもスタート直後の状況で機雷ってえげつないな!
右側への急な方向転換。一切動けないはずの〈ラビュリント〉が機雷を散布すると言うことは、何かしらの散布用のビットを積んでいるのだろう。ビットは充電の都合上バックパック等の重量がどうしても大きくなるが――〈ラビュリント〉にとっては、そんなの今更なことだからな。
「目の前にビットが迫ってます!」
やはりそう来たか。かなり大きいが――。あれ? なんか、膨張して……。しかも、赤熱している。
これは--!
「自爆だと!」
コンマ数秒後の大爆発。スラスターが背面に付いている以上、後ろに退くことはできない。
急上昇! それしかない。左側は機雷原になっているんだ。爆風でそこに突っ込んでしまってもマズい。明らかに、それをねらった角度から迫っていた。
爆風に巻き込まれぬギリギリのところで上昇。効果範囲からは逃れたが--。
アラートが鳴り響く。
「……う、上にも機雷源です。接触まで3秒」
もう勘弁して! どういうことなの! 機雷多すぎだよ!
方向転換。上昇をやめ、前進を始める。以前にも悩まされていたが――スラスターの調節はマックスかゼロかという感じだから、止まれないのだ。いや、止まれるけど、そしたらもう飛べない。
さっきから上下の揺れが酷く、フィードバックがなかなか大変だ。食後だったら吐いていたかもしれない。
「こ、これ……たぶん、負けたかもしれません」
「――は?」
だって俺、今まで軌道変更しかしてないよ。まだ一つも武器を使っていない。フットペダルばっかり操作してたんだけど?
「機雷源のただ中を進んでいます、私たち」
「……え?」
「私たちはあの機体を誤解していたようですパイルバンカーはただのスパイスなんです」
「メインは機雷だって言いたいのか?」
少し調べたけれど――ARROWは機雷がそこまで有効打になるようなゲームではない。機雷原を無理に駆け抜けても機体は墜ちないし、決定打にかける。
せいぜい、ちょっとした罠にしかならない。
ちょっとした、罠?
「罠があれば、普通は避けます。もう一度罠が迫れば、それも無理に避けようとします」
マニュピレイターを握っていた手から力が抜けていった。
仮にここで機雷の海に突っ込んだらどうなるのだろう?
簡単だ。その間にもう一度この機雷の迷路を作り上げる。無限のループにヒットポイントを食い尽くされる。ゴールだと思っている〈ラビュリント〉がデコイでないとも限らない。
「――つばさ、撃てるものは全部撃ち尽くせ! 外装のも、中身のもだ!」
止まれば機雷に囲まれる。ビットが迫ってくる。
止まらなければそこに待っているのは〈ラビュリント〉だ。パイルバンカーを構えた一撃必殺の化け物に自ら突っ込んでいくのは、リスキーすぎる。敵機はこちらの速度、方角、タイミングすべてが分かっているのだから、そこに杭をたたき込むくらいは難しくないだろう。
「はい!」
ここでしとめなければ、こちらがやられる。
なんだこれ。人間業とは思えない。ゲームスタート直後からこちらの軌道と思考を呼んで罠を張った。最初から最後まで。俺がその迷路の入り口にたった頃には、出口で余裕を持って待っていたのだろう。
止まれない〈フリューゲル〉は、迷路を攻略するしかない。そして引き返せぬよう通った道は機雷で埋まっていく。
〈ラビュリント〉は一人で包囲網を作ったのだ。機雷散布用のビットという兵を使って。
彼女の機体は動けない。同時に、動く必要がない……!
すべてばらまいた直後に気づく。
ああ。これも読まれてる。
だってあいつ、ジャミング積んでる。たぶん、シールドの類も。そして初プレイでの近距離での全弾発射は、彼女を倒しきれなかった。マニュアル誘導で当てられる距離ではない。
出口付近の機雷に誘爆してくれないかなーとか甘いことを考える。そのときは新たに蒔くだけなのだろう。
「落としきれませんでした」
予想している。
「機雷の誘爆状況は?」
「ほぼ無かったようですね。ジャミングは機体が墜ちないギリギリのところでやってたようです」
敢えて受け止め、罠の破壊を防いでいるのか。完璧なリスク管理だ。
「――ヴァリアブルセイバー展開。腰部大型ビームライフルのチャージは間に合わないか」
速度を落とさず進んでいく。出口が見えてくる。ぼろぼろの白い機体。禍々しいほどに圧倒的な存在感を放っている。重さを支えるために差し込んである鉄柱。
ダガー状の二本を投擲。ビットが盾代わりに働く。予備の二本をさらに投擲。同じ結果。
「外装パージ!」
機雷を巻き込んで大爆発する外装は地面にたたきつけられる前に、消し炭になっていた。機雷怖い。
こちらも激しい爆風に揺られる。目くらまし代わりにはなってくれたか――?
ここで吹き飛ばされちゃうと機雷の『壁』に激突している間にやられる。機雷の自爆という手もある。
「滑腔砲用意!」
「最後の賭ですね」
自分の積んでいる武器の中では一番威力が高いそれを撃ち出す。凄まじいマズルフラッシュ。音はかなり小さくなっている筈なのに、耳をつんざくような発砲音が鳴り響く。
なにをやったのかは分からなかったが――ラビュリントは、無傷だった。コントロールをジャックしたのか、ビットで打ち落としたのか、デコイを使ったのかさえ分からない。
「……負け、か」
「です、ね」
目の前に迫った〈ラビュリント〉のパイルバンカーにトドメをさされ、凄まじい衝撃に揺さぶられた。
大爆発。画面に表示される『YOU LOSE』。
--あいつ化け物だ。こちらの愛機を完全に封殺しやがった。
『陸、弱い』
モード選択に戻った画面。通信が入った。
「待て、お前、なにあれ!」
女の子にパイルバンカーとかどうだよ的なことを言っていたが――さっきのプレイスタイルはそれ以前の問題だろう。戦っていて末恐ろしくなったぞ。
『一番強い機体を作ったら、ああなってた。本当は封印してたんだよ』
封印したくもなるよな、あれなら。凶悪すぎるもの。機体はいくつかデータを作って保存しておけるので、他のものを使っていたのだろう。
にしても、一番強いの作ってあれか。
「一歩も動けないのは、やっぱり機雷のせいなのか?」
パイルバンカーのせいかと思っていたが――それだけでは無かったようだ。
『うん。パイルバンカーだけだとウェイトバランスがおかしくなるから各部に機雷載せて調整してるの……っていっても、重量の殆どはあの高性能機雷散布ビット関連に費やされてるんだけどね』
「そっか――まあ、良いよ。楓は味方なんだからな」
『うん。味方だよ、ずーっと味方』
心強いこと、この上ないな。
『っていっても、陸に勝てるのは当然なんだけどね』
どうやらその強さに感謝を示したと思ったらしい。そこだけじゃないんだけどな。まあ、良いさ。
「当然って……さすがに凹むけど」
『止まれない、機体性能は把握済み――これで負けたらわたしは〈ラビュリント〉じゃ一勝もできないよ』
そうだな、機体相性は最悪だった。有利なマップでもどうにもならないくらいに、機体相性が悪い。
『でもね、安心して。さっきので分かったでしょ。わたしの狡猾さがあれば、きっと勝てるよ』
狡猾って、自分で言うのかよ。変に小悪魔ぶって……。
「ありがとう、楓」
『……え?』
彼女は素っ頓狂な声を上げる。突然前触れもなく礼を言ったら混乱するよな。しかも、二回目だ。
けれど自分を卑下する彼女の声を聞きたくなかった。
『どうしたの、急に』
「自分で考えてくれ」
俺もあんまり考えてない。たぶんその機体を引っ張り出してくれたことへのお礼だ。
……それだけじゃあないんだろうけど、感謝したいことが多すぎて、俺はそのどれに対しての言葉だったのかさえ分からなかった。全てに対して、だったのだろうか。
『……お弁当のお礼?』
「かもな」
「陸? お弁当って何の話ですか?」
つばさは少し訝しげに聞いてきた。彼女は家事手伝いに誇りを持っている。持たせた自分の弁当もあるというのに幼なじみが作ったものにうつつを抜かしていたなんて、とてもじゃないが言えそうにない。
通信、一端遮断!
「楓に弁当を少し分けてもらったんだ」
シェアしたから嘘は吐いていない。そして、それを嘘だと指摘できる人間は今、声を届けられない。
本当は丸々一人分だったんだけどな。まあ、あんまり変わらん。
「ダメですね、人間は。嘘を言えるようにできてます」
「あいにくだな」
否定する気はない。
「しかも優しい嘘を吐くなんて、たちの悪い機能です」
「今日も美味かったよ、ありがとう」
つばさの料理が不味かったこと何て、一度もないのだ。それは本当に、当然なことだった。
だけど、当然であることと感謝をしないこととは全くの別ものである。
「はい――ちなみに、今のは嘘ですか?」
つばさがからかうような調子でそう聞いてきた。
「料理の味をもっと褒めて欲しいなら、素直にそう言ってくれ」
同じく、自分もからかうように言った。
「ふふ。ちょっと贅沢すぎましたね」
あながち間違ってもいなかったようだ。悪戯っぽくわらうつばさは、子供っぽくて可愛らしかった。
自分が彼女の料理が好きなのは、確かに事実だ。俺の『お袋の味』は、つばさのクリームシチューなのだから。
『陸、急に通信切ってどうしたの?』
復活させた回線からすぐに楓の声が届いた。少し心配させてしまったみたいだ。通信途絶すれば、それもそうか。
「ああ、ゴメンゴメン。未だに操作になれなくて、間違ったみたい」
くすりと、つばさは笑った。全部分かっていて、黙ってくれているのかもしれない。
彼女には勝てないな。改めてそう思う。
『あー、そっか、そうだよね。私も最初の頃は操作間違えて、パイルバンカーの反動で腕を吹き飛ばしてたから気持ちは分かるよ』
「代償でかいな……」
一発しか撃てない武装を誤って使うって、致命的過ぎるだろ。
それにしても、自分の嘘を信じてくれる彼女の素直さは、なんだかまぶしい。
『それはさておき――次はチーム戦やってみよう? 〈ラビュリント〉のこともわかったし、やりやすいでしょ?』
「分かった」
『その話しぶりだと、ちゃんとお弁当渡せたのね』
『遥香ぁ!』
楓のせっぱ詰まった声が響く。少し声が裏が選っているあたり、本当に動揺しているようだ。
『良かったわね、〈ラビュリント〉を受け入れてもらって』
『もう、黙ってて!』
「あいつら、なんで喧嘩してるんだ?」
「陸にはたぶん、一生わかりませんよ」
苦笑いするつばさ。
――それから結局、日が沈む頃まで遊んだのだった。
ひとまず今日の戦闘結果を分析し終える。夕飯の時間も近いし、そろそろダイニングに向かおうか。
「つばさ、夕飯はクリームシチューなのか?」
キッチンにいるつばさにそう聞いた。ダイニングとは扉一つ隔ててつながっている。その扉は、横開きで基本的に開きっぱなし。
それにしてもこの時期には珍しい料理だ。
けれど、自分の心は躍っていた。無意識に唾液が出てくる。柔らかな空気を肺一杯に吸い込みたくなる。
「はい。あと五分でできます。待っていてください」
どうやら彼女は上機嫌らしい。鼻歌交じりに鍋をかき混ぜている。それに、時季はずれのシチューを作ってくれている。
クリームシチューは自分の好物だった。子供の頃しきりに食べたがっていたのは今でも覚えている。
――何故かシチューには家族団らんのイメージがつきまとう。コマーシャルでシチューを囲む家族が楽しそうに笑っているのを見た自分が、つばさにねだって作って貰ったのが最初だっただろうか。
今でも覚えている。あの時、自分にシチューを出すなりすぐに食卓を離れていつも通りに片づけを始めようとしたつばさを、子供だった自分は強引に引き留めたのだ。そこにいて、と。家族団らんの象徴を一人で食べることに耐えられなかったから。
目の前にしてやっと、幻想でしかないと気づかされて。
少なくともあの時あの瞬間の自分には、家族なんて物はいなかったんだから。
「どうしました?」
ふりふりのエプロンドレスを揺らしながら、彼女は振り向く。
あれ以来、つばさは自分に『孤食』をさせなくなった。自分は食べられないのに、そばにいてくれる。
「――なんでもない。そうだ。今日、映画のテレビ放送があるから、二人で見ようか」
「はい。ポップコーンを用意しておきます」
……うん。
アンドロイド偏愛と言われようと、俺はこういう暮らしが好きだった。
守れたら良いな。
夢を胸に抱きながら、食卓の椅子を引いた。
――さあ、あと五分の辛抱だ。
この二人の愛機たちは本当にお気に入りです。