9:捕獲
グラノが去ってから間もなく十二時の近付く鐘が鳴ってしまい、ガラスの靴を片方無くしたシンデレラと合流して慌ただく帰宅した。ちゃんとグラノとダンスを踊れたのか心配したメルであったが、シンデレラは熱に浮かされたように頬を染めているので満足出来たらしい。
「とても格好良くて素敵な方だったわ」
『うん、グラノは格好良い雄だね』
既に魔法が解けてしまい灰色ネズミに戻ってしまったメルの言葉はシンデレラには伝わらないが、それでも先程まで会話出来ていたのだと思えばついつい返事をしてしまう。
「会場でね、他の女の子なんて目に入らないって感じで一直線に私の所に来てダンスを申し込んで下さったの」
『良かったね』
嬉しそうなシンデレラにメルも満足であった。会場で踊るシンデレラとグラノはさぞや美しかったであろう。恐らくグラノも彼女に夢中になった筈である。
「やっぱり私の美しさが王子様を惹き寄せてしまったのね。お義姉様達を始めとした女の子全員が悔しげに私を睨んでいたわ。心の醜さが顔に現れていたわね。これだから不細工な女は困るフフフ」
『……シンデレラ?』
シンデレラの笑みが義姉達の普段の表情と瓜二つに見え、メルは目を擦る。しかしそれは一瞬で消え去り、いつもの彼女に戻ったのでメルは気のせいであったと思うことにした。
「でも王子様とお話しする前に十二時が近付いてしまったのは残念だったわ。目印にガラスの靴を置いてきたから迎えに来て下さるとは思うけど」
『流石シンデレラだね、それならきっとグラノが捜しに来るよ』
案の定舞踏会の翌日には“第四王子がガラスの靴の持ち主を捜している”という噂が出回った。それにシンデレラは狂喜乱舞し、メルは己の直感は間違っていなかった事を確信した。やはり二人は運命の相手だったのだ、と。
それから物語はトントン拍子に進む。城からの使者が屋敷へ訪ねて来てガラスの靴を娘達に試させようとするが、継母の意地悪により部屋へと監禁されるシンデレラ。動物達は一丸となり部屋の鍵を盗み出し悲しみに暮れる彼女を脱出させたり、履くのを阻止しようと継母により故意に壊されたガラスの靴のもう片方を使者の前へせっせと運んだりした。
そのおかげでシンデレラは馬車に乗せられ城へと向かった。
彼女の晴れやかな顔を見送りながら動物達は喜び合う。きっとこれでメルの役目は終わりだろう。二人の幸せな結婚式を見てみたかったが、灰色ネズミなんかが式に顔を出しては華やかな場が悪くなる。メルは参加出来ない事を残念に思いながら、寝床である屋根裏で二人の幸せを祝った。
******
明くる日の昼間、ネズミ達が寝静まった後それは起こった。
床が大きく揺れたのだ。一体どうしたのだ、地震が起こる気配なんて全く感じなかったのに、と仲間達は口々に困惑を唱える。
そして揺れの次には周囲の視界を覆うような白く濃い煙がモクモクと発生したではないか。これはいよいよおかしい。噎せかえるような煙に堪らず巣から飛び出すネズミ達。メルも空気の流れに沿って避難しようと煙の中を走り始めた。
「こっちにも一匹いました!」
「捕まえろ!殺すなよ、叱られるだけじゃすまんぞ」
通気孔から外へと脱出したメルを待っていたのは袋を構える人間であった。声を上げる間もなく捕獲され袋へと放り込まれる。その中には既に仲間が沢山おり、メルの後にも次々と新たな仲間が降ってきた。
袋が満杯になると大きな檻へと一斉に移され、メルは鉄格子の隙間から現状を目にして愕然とする。人間達が柱を揺らしてネズミを驚かせ、煙を焚いて屋敷の仲間を一網打尽で捕えていたのだ。
『なんで……?』
檻の中、次々に捕まる仲間達を見つめながら絶望に震えた。もう全員捕まっただろうと思われる頃、檻は布を掛けられどこかへと運ばれる。一定の揺れを感じることから恐らく馬車か何かに乗ったのだと推測出来た。
揺れがようやくおさまり布が外されたと思えば今度は小さな檻に数匹ずつに分けて入れられ、市でも開くのかと思う程綺麗に並べられた。
(なんなんだろう。実験にでも使われてしまうのかな?)
薄暗い部屋で怯えるメルは死を覚悟する。元々ネズミとは繁殖力が高いのに比例して死亡率も高い。いつも危険と隣り合わせの生活だが、それでも死が恐ろしいのに変わりはない。同じ檻の数匹でぴったり団子になり震えながら縮こまっていると、唐突に大きな声が響いた。
「居た! 良かった見つかって」
「チュ?」
聞き覚えのある声に警戒しながらも振り向くと、そこには泣きそうな顔のグラノが背後に数人の人間を引き連れメルの檻の前に立っていた。
『グラノ!?』
「待っていてって言ったのに居ないからさ、心配で死ぬかと思ったよ。さぁ部屋へ戻ろうね」
泣きそうなまま笑うので、折角整っている顔がへにゃりと崩れてしまうグラノ。檻の入り口へと手を伸ばす。
「グラノ王子、咬まれては大変です。私がお取りしますので」
背後の男が慌ててグラノを止めて自分が檻へと手を入れる。捕まってなるものかと逃げる仲間の一匹をむんずと掴むとグラノの前に恭しく差し出した。
「どうぞグラノ王子」
「戯け者が、ソレはただのネズミだ。私のメルとソレの区別が付かんとは、お前の目は節穴か」
「も、申し訳ありません。私には少々判別が難しく……」
「メルをただのネズミ扱いとはなんたる屈辱。もうよい下がれ!」
プリプリ怒るグラノを檻から眺め首を捻るメル。ネズミ扱いと言うが、彼女は正真正銘ただのネズミである。それも愛玩されるような種類ではなく家ネズミ、つまり人間達のいうところの害獣だ。そんな灰色ネズミのメルに向かいグラノは優しく手を伸ばす。
「おいで僕のメル。突然連れて来られて怖かっただろ、ごめんよ。キミが普通のネズミのように侘しい生活をしているかと思えば、いてもたってもいられなくなったんだ」
「チュー」
檻からメルを取りだし頬擦りするグラノに背後の人間達はざわつく。
「グラノ王子、ネズミは病気を持っております。おやめください」
「黙れ。メルには東の森の魔女の魔法薬を飲ませている、大丈夫だ。」
“東の森の魔女”と聞き驚く周囲をよそにグラノはメルを連れて部屋を出た。大切そうに抱えられた腕の中でメルは残された仲間達を見る。彼らはどうなってしまうのか。グラノに助けて貰えるようにお願いしようと決意した。
「さぁ着いたよメル」
降ろされたのは慣れ親しんでいたバスケットの雲の上。メルはここが城の中であることにようやく気付いた。
グラノとシンデレラを引き合わせるという役目はもう終えたはずであるのに、何故このように大がかりな事をしてまで自分をここへ連れ戻したのかと困惑するメル。一体なんの用があるのか、シンデレラに何かあったのか、やはり腕輪の事を怒っているのか、考えれば考えるほど不安が募った。
そんなメルをとろんとした目で見下ろすグラノ。
「そんなに不安にならなくても大丈夫だよメル。魔法が解けてネズミに戻ってしまったんだね。だから僕の前から居なくなっちゃったんだよね? ちゃんと分かっているよ」
『……何を言ってるのグラノ?』
「可哀想に辛かっただろ? だけどもう大丈夫」
人差し指でメルの顎を擽りながら優しい声で囁く。しかしメルには一体何が大丈夫なのか分からない。グラノのことは大好きだが、仲間共々無理矢理巣から引きずり出されよく理解出来ないことを喋る彼は少し怖かった。
『あのね、グラノ。仲間達を檻から出して欲しいの。みんな怖がっているよ』
「うんうん、僕を置いていった事はもういいんだよ。悲しかったけど僕はメルのこと信じてるから」
『だから何言ってるのか意味が分かんないよ……そうだシンデレラ! 彼女が捕まってる皆を見たらきっとどうにかしてくれる、シンデレラはどこに居るの?』
城には幸せになったシンデレラが居るはず。どうも通じない会話に焦れたメルは彼女の元へと向かう為にバスケットから這い出ようと動く。
「ああ、ダメダメ。勝手に出ないでおくれ。メルを失った喪失感を三度も味わうのはごめんだよ。僕が運ぶ以外の移動手段は許さないからね」
一生懸命もがいているメルをヒョイと取り上げ眼前に持って来たグラノは、幼子に言い聞かせるように窘める。
「それにもうすぐ客も来るのだから、大人しく待っていてね」
グラノのその言葉と同時にボンッと軽快な爆発音と煙幕が起こる。その中から現れた人物を見てメルは目を丸くさせ、グラノはニヤリと口端を上げた。
「やぁいらっしゃい」
「これはこれは、どうもお招き頂きありがとうよ」
そこに立っていたのは東の森の魔女であった。