6:変身
どうにか逃げ延びることが出来たメル。城外へ一歩踏み出せば、行き同様急に視界がぶれて気付くと魔女の汚ない家の中に立っていた。
「よくぞ無事だったね」
声の方を見上げると相変わらず美しい魔女がそこにおり労いの言葉がかけられるが、メルとしては一言いっておきたい。
『いきなり人間が沢山いるところに飛び出して死にそうになったんだけど』
「なんと! そうか悪かったね、私が以前城へ出向いた時には物置に使われていた場所だったが、あれからかなり経つからね。改装でもしたんだろうさ」
立たされた場所は完全に外であった。以前とは一体いつの事なのか尋ねたいところであるが、なんだかその辺は詳しく突っ込んではいけないとメルの本能が告げる。
「それにしても本当に持って来るとは大したネズミだね」
メルから渡された腕輪を満足そうに眺める魔女。
『約束、ちゃんと守ってね』
「もちろんさね。私はそんなケチ臭い魔女じゃないよ。じゃああんたを家まで送ってやるかね」
『うんお願い。あ、私の名前はメルって言うんだよ。名付けて貰ったの』
金の粉を吹き掛ける魔女に慌てて名前を告げると、彼女は微笑んで手を振った。
「いい名だ、良かったね。じゃあまた舞踏会の日に」
『うん、またね』
こうしてメルは屋敷の寝床である屋根裏へと戻って来れた。初めにするのはやはりシンデレラの元へと向かう事だ。
「私はやっぱり舞踏会に行けないのね……」
シンデレラは行きと変わらずにシクシクと悲しげに泣いており、仲間達が心配そうにそれを慰めている。
『シンデレラ! もう大丈夫だよ。舞踏会行けるよ』
意気揚々と報告するがやはり彼女に伝わることはなく涙も止まらない。仕方なくメルも仲間達に交ざり励ますことにした時、ドタドタと人間のうるさい足音が聴こえて来たのでみんな急いで散り散りになる。
「ちょいとシンデレラ!」
「はい、なんでしょうお義母様」
メルが物陰で様子を窺うと、継母がシンデレラの前で仁王立ちしていた。
「あんたって娘は、害獣に餌を与えるなと何度言えば分かるのかしら」
「でもお義母様……」
「でもじゃありません! シンデレラのお陰でこの屋敷は害獣だらけなのよ。それにあんた、外の小鳥にも餌をやっているみたいじゃないか。庭の木の実を荒らすから止めてちょうだいと言ったでしょう!」
「だってだって小鳥さんもネズミさんもお腹を空かせて可哀想なんですもの、私が優しくしてあげなくちゃ……お義母様、心はいつも綺麗であるべきなのですよ。そうすればきっと願いも空に届きますわ」
「あんたはまた訳の分からないことばかり言って! 少しはその浮かれた頭を冷しなさい!」
継母はシンデレラを怒鳴り付けるとプリプリと肩を怒らせ去っていく。するとシンデレラはその場に崩れ去りおいおいと再び涙を再開させた。
「ああ、またお義母様に意地悪を言われてしまったわ。私はただ弱くみすぼらしい生き物達に憐れみと優しさを与えているだけなのに」
自分達の為に虐められてしまったシンデレラ。どうにかしてあげたいが、何故継母があそこまで怒るのか害獣では理解出来ない。
害獣に悲鳴を上げ追い回し叩き潰す恐ろしい人間達。その中でシンデレラだけは違った。餌を与えてくれ、側に寄っても鬼のような顔で怒ったりしない、それだけで奇跡のような存在だ。グラノに出会うまで、こんな天使のような人間は彼女だけだと信じていた。
「私は一体いつまでこんなに不幸でなくちゃならないの?」
『大丈夫だよシンデレラ。もうすぐあなたの王子様が迎えに来てくれるから』
嘆くシンデレラに向かい、伝わらない言葉をいつまでも紡ぎ続けた。
******
ついに舞踏会の夜がやって来た。
「じゃあ行って来るよシンデレラ」
「くれぐれも害獣に餌を与えるんじゃないよ」
「早く行きましょ」
継母と義姉の二人が嬉々として城へ向かうのを俯いて見送るシンデレラ。無言で自室へ入るなり号泣してしまう。
メルはあまりに遅い魔女にやきもきしていた。いっそ迎えに行こうかと思った時、部屋の隅でボンッと小さい爆発が起こりモクモクと広がる煙の中から魔女が現れた。
「悪い悪い。寝過ごすところだったよ」
全く悪びれた様子のない魔女に何か言ってやりたかったが、今は時間が惜しいので冷たい視線だけ向けておくメル。
「さて。あんたがシンデレラだねお嬢さん」
「あ、あなたは誰?」
「私は東の森の魔女さね。突然だけどあんたを舞踏会へ行かせてやるよ」
「ええ!?」
何やら色々説明をすっ飛ばした面倒臭がりの魔女は戸惑うシンデレラを無視して、金の粉を部屋全体に振り撒き呪文を唱える。
次の瞬間にはシンデレラはきらびやかなドレスを纏い、蜥蜴は馭者となり、ネズミ三匹は馬へ、そしてメルは侍女へと変身していた。
「凄いわ、こんな綺麗なドレス見たことない。きっと会場の誰よりも豪華ね」
他の仲間達同様喜ぶシンデレラを目一杯祝福したいメルであったが、突如人間へと変身させられた驚きで固まってしまう。
「ほら、このガラスの靴をお履き。外のカボチャも馬車に変えといたから」
「ありがとう魔法使いさん」
余程嬉しいらしいシンデレラは輝くような満面の笑みを魔女へ向ける。魔女の方はそれに対し小さく首を横に振った。
「礼はこの灰色ネズミのメルに言うんだね。私はこの子と取り引きしただけさ」
魔女は固まったままのメルを引寄せシンデレラの前へと差し出した。シンデレラはメルをキョトンと見つめた後、再び満面の笑みとなる。その笑顔によりメルは更にガチガチに固まった。いつも皆の人気者のシンデレラがメルだけに笑いかけたのである、緊張しないわけがない。
「ネズミのあなたが魔法使いさんを呼んでくれたのね」
「う、うん。そうだよシンデレラ」
初めての会話、それもシンデレラの視線を独り占めにしている状況にメルは逆上せて顔を赤らめる。シンデレラはそんなメルの手を取ると興奮気味に叫んだ。
「やっぱり私が正しかったんだわ!」
「え?」
「弱い存在を助けるような美しい心を持ち続ければ、いつか幸せになれるって信じてたもの。そのおかげでこうして舞踏会に行けるのよ、私は間違ってなかったわ」
「そ、そうだね」
高揚していた気分が急に沈んだ。そしてメルはそれが何故なのか分からない。大好きなシンデレラが喜んでいるのだ、自分も喜ぶべき場面で真逆の気持ちが沸き起こる不思議な現象に困惑するメル。
「あのね、私ね、メルっていう名前なの。名付けて貰ったんだよ」
不可解な気分を吹き飛ばすべくシンデレラに一番に伝えたかったことを口にする。メルは自分の名前に彼女がどのような反応をするのか、少し緊張した心地で待った。
「へーそうなんだ。あ、鏡!」
握られた手は呆気なく離され、シンデレラは姿見まで走って行ってしまった。鏡に全身を映し出し、嬉しげにクルクル回ってみせる。
「どう? 似合うかしらメル?」
久々に見た晴れやかな笑顔は抜群に可愛らしく、豪華なドレスはシンデレラの為に存在するかのように似合っている。
「もちろん似合ってるよ」
綺麗なシンデレラが大きく映る端の方。そこには痩せっぽっちで地味な少女が泣きそうな笑顔で立っていた。