5:別れ
メルの足はかなり回復してきた。まだ走るのは無理そうだが、どうにか歩くことくらいは出来る。ヨタヨタと雲の上を歩いてみせるとグラノは嬉しそうに微笑む。
「良かった、大分良くなったようだね」
「チュ!」
元気よく頷くメルにグラノは顔を近づけ唇を押し付け満足するまで頬擦りしていたが、しばらくすると浮かない顔になるのはいつものことである。
「もうこんな時間か、また仕事に戻らなきゃ」
「チューチュー」
行け行けと訴えるメルをチラリと見て深いため息を吐く。
「ずっとメルと一緒に居られたら幸せなのに」
不満げに呟くグラノであったが、途中でハッと目を大きくさせた。
「そうだよ、メルとずっと一緒に居ればいいんだ」
「チュ?」
「怪我の経過も悪くないし連れて歩いても問題ないよね。メルならポケットに入るし、そうだそうしよう!」
「チュー!?」
こうしてメルはキラキラした王子様スマイルを炸裂させるグラノにより、無理矢理狭い胴着の胸ポケットへと押し込まれることとなった。
「すっぽりピッタリで可愛い……これで片時も離れずに済むね、嬉しいな」
ポケットから顔を出すメルをうっとりとした目で撫でると、本当にそのまま公務へと向かってしまう。初めはこのように狭い所など冗談ではないと抵抗したメルであったが、ポケットの中も意外と悪くはない。グラノと一緒に城の中を見て回れるからだ。魔女の話では腕輪は宝物庫に厳重に保管されているとの事だ。場所さえ分かれば小さなネズミが侵入するのは容易いだろうと、メルはポケットの中から真剣に周囲を見回す。グラノの方はそんなメルの頭をデレッと締まりのない顔で撫で、書類に目を向け真剣に取り組みつつ暫くするとまたデレッを繰り返していた。
******
メルの足はグラノの手厚過ぎる看病によりめでたく完治したが、未だ宝物庫の場所は特定出来ていない。
(そもそも宝物庫ってなんだろう?)
実は宝物庫の意味も知らないメルが苦戦するのは当然であった。グラノが城を歩くルートもほぼ固定されているので、既に共に居る意味はないのかもしれないと近頃考えているメル。シンデレラ以上に良くしてくれる人間との別れは寂しく離れがたい上に罪悪感もあるが、舞踏会の日程は確実に迫ってきている。シンデレラという“顔面と心の整った”素晴らしい花嫁候補を連れて来ることで恩返しが出来ると信じている。
そんなことを考えながらオモチャ代わりにしている石に齧りつき、数日内の逃亡&窃盗計画を練っている時であった。
「ねぇメル。その石随分とお気に入りだね」
「チュ?」
メルが齧りつつも大切に抱えている石をヒョイと取り上げたグラノは、それをまじまじと見つめる。この石は先日散歩の時に見つけた物で、グラノが仕事の間は大抵ポケットの中で大人しくそれで歯を研いでいるのだ。
「でもやっぱりこんな石ころよりキミにはもっと綺麗な物が合っていると思うんだ」
グラノはこんな石ころと言うが、メルはつるりと丸くて白いこの石がなかなか気に入っている。取り返そうと手を伸ばすがグラノは部屋の窓からそれを放り投げてしまった。
「チューー!?」
「さぁメルにピッタリの石を見つけに行こうね」
何をするのだと抗議する間もなく連れて来られたのは、やたらと頑丈そうな扉の前であった。そこには何人もの兵士がおり、慌てて頭を下げる彼らに向かいグラノは口を開く。
「少し宝物庫の中を見て回りたい。扉を開けろ」
『宝物庫!? ここが宝物庫なの!?』
とうとう発見した宝物庫にメルは興奮する。兵士達は素早く解錠すると、数人がかりで重い扉を開けた。中には大小様々な品物が綺麗に陳列されている。それらがどのような用途で使用するものなのか分からないが、今はそんな事はどうでも良かった。重要なのは“契約の腕輪”だけだ。
「宝石類だけ並べたらお前達は外で待機していろ」
「「はっ!」」
グラノが命じると兵士達は部屋のどこかから引っ張り出した色鮮やかな沢山の石を、分厚い布の上へ一つ一つ丁寧に並べて去って行った。
「宝物庫の物は色々手続きが面倒で時間がかかるから今回贈るのは止めるけど、この中からメルに合う石を選んで今日にでも同じ種類の物を宝石商に持って来させようね」
ポケットからメルを取りだしながら説明すると、彼女と石を隣に並べて真剣な目付きで見比べ始めた。
「この宝石じゃあ下品すぎる。メルはもっと品のある綺麗な宝石の方が似合う。あれも違うし、これも違うな」
メルはぶつぶつ呟くグラノを無視して、掴まれたままになりながらも必死で辺りを見回す。そして、見つけた。
「チュゥゥゥゥ!!!」
部屋の一番奥、透明なケースに入れられたソレは、やたら派手な物が多い中で質素なデザインが逆に目立っている。
「メル? どうしたの?」
突如奇声を発して暴れるメルを床へ放つと一目散で腕輪の元へと走った。しかし全く届かず台座を爪でカリカリ引っ掻くしか出来ない。
「ああ、その腕輪が気になる? 」
「チュ!」
そうかそうかとにこやかに頷くと、ケースから腕輪を取りだしメルへと持たせる。メルにとってはかなり大きいが細身なデザインなのでどうにか持ち運びも可能そうだ。ついに手に入れた“契約の腕輪”にしがみつき震えるメル。これでシンデレラは舞踏会へと繰り出せるのだ。
「そんなに気に入ったのかい? さすがは僕のメルだ。これはある意味ここで一番価値のあるものなんだよ」
再び抱き上げられ掌に乗せられたメルは取られはしまいかとひしと腕輪を掴むが、グラノが取り上げる気配はなく優しく微笑むばかりだ。それを見たメルは腕輪を発見した興奮が段々と冷め、代わりに別れの寂しさと申し訳なさが込み上げる。
『今までありがとうグラノ。お世話になりました』
ペコリと丁寧に頭を下げると、その仕草がツボに入ったグラノが楽しげに声を上げて笑う。
「まるでお辞儀しているようで堪らなく可愛いけど、急にどうしたんだい?」
『きっときっとシンデレラを連れて来るから腕輪の事許してね』
メルは手をグラノの顎に添え二本足で背伸びすると、いつも彼がするように唇へと口づける。
「っ!? メ、メルからのキス……」
普段と変わらない事であるのに何故か顔を真っ赤にさせるグラノは面白いが、動揺している今がチャンスである。腕輪をしっかりと咥え掌の上から思いきりジャンプ。
「メル!? 待って、どこに行くんだい?」
グラノを振り切り全速力で城外を目指す。メルの優秀な丸い耳はグラノの困惑しきった声を漏れなく拾うが、一切聴こえないふりを決め込んだ。