11:激昂
グラノは生まれながらの王子である。
常に物腰柔らかく、だが、誇り高く凛とした佇まいは人を心服させ時に畏怖さえ抱かせる。
城内の女の醜い争いも本性も幼い頃から見せられていて尚、女性には優しく丁寧に接した。それが周囲の求める王子様への理想像だったから。
そうやって受動的に生きる方が楽だった。
しかしある時、ふと今にも駆除されてしまいそうなネズミを目にした瞬間、体内の眠っていた奥の奥。そこを何か強い力でギュッと掴まれた。
たかだかネズミ一匹に何をそんなに揺さぶられるのか。寧ろネズミの類いはどちらかと言えば嫌いな方なのに。
気付くと部屋へと連れ帰り、必死に治療を施し薬を飲ませて綺麗に磨き、唇を寄せていた。
丸い耳とつぶらな目、常に不安げにヒクヒクする鼻と尖った前歯。全てが食べてしまいたいくらいに愛らしい。
ペットを飼うとはなんと素晴らしいものなのかと感動したが、どうも自分がおかしいことに気付いたグラノ。
彼はそろそろ婚姻の時期へと突入していた。
舞踏会という名の一対大勢のお見合いパーティ。くれぐれも結婚相手を選び出すようにとの家臣の小言が右から左へと流れ出る。
結婚結婚と周囲が騒ぐ度に思い浮かぶのは灰色ネズミのメルのことで。自分とメルの間に第三者が入ることを想像するだけで虫ずが走った。
隣に居るのはメルだけでいい。いや、メルだけがいい。
それはペットへ向ける感情としては明らかに行きすぎている。
この気持ちがなんなのか数日考えたグラノが出した結論は、『恋』だった。
ネズミ相手に恋。
人が聞けば笑うか若しくは気味悪がるだろうが、そんなことは全く構わない。
それより重要なのはメルの気持ちだった。
野生のネズミでは考えられないほどなついてはいる。しかしそれは偏にメルが異常に賢いネズミである為だ。
賢いので恩義も感じるし、害のある者とそうでない者との区別も自分で判断出来る。
だからこそグラノを慕っているだけで、男女の仲など想像すらしないだろう。
だが生まれて一度も恋というものを経験したことのないグラノは浮かれまくって突っ走った。マッハの勢いよろしく全速力で突っ走った。
種を越えての運命の恋である。
メルの方もきっと同じ気持ちに違いない。
思い込んだら一直線。
彼女と添い遂げたい。
その想いばかりが先行して肝心のメルの気持ちは全く見えていない。
ある時、メルは国宝である腕輪と共に消え去った。
グラノの胸の内はドロドロと真っ黒なものに染まる。制御出来ないほどの怒りは初めてである。
相手はネズミ。一度逃げ出した掌サイズの愛しい彼女を捜すのは厳しいだろうが、文字通り草の根掻き分けてでも見つけ出してやる。
そんな想いと同時に湧き出るのは深い哀しみ。無くては生きていけない喪失感。あまりに激しい胸の苦しみで死んでしまいそうだ。
あれもこれも、グラノを襲う感情の渦の中心にはいつもメルがいる。メルはいつでもグラノに“初めて”を与えた。
捜索はやはり難航を極め、怒りと哀しみで気でも狂いそうになった時ようやくメルはグラノの前に姿を現した。
それも人間の姿となって。
地獄から一気に天へと登り詰めるグラノ。
メルも自分と永遠に添い遂げることを望んでいたのだ。相思相愛であることはもう疑いようがない。
願うだけで行動せずに狂暴な感情を暴走させかけていたグラノとは違い、自分達の為に願いを実現させて戻ってきたメルに胸を締め付けられる。
グラノは己の身勝手さを恥じると同時に、ネズミだった頃の面影を色濃く残す、何度も繰り返し妄……想像した姿以上に愛らしい人間のメルにより一層深く惚れこんだ。
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「本当は誰にも見せたくなんかないけど、メルが望むならば最高級のウェディングドレスを用意しようね」
「……グラノ、ネズミと人間は結婚出来ないんだよ」
ネズミだった頃と同様に顔中舐め回す勢いで唇を寄せて来るグラノ。
それを戸惑いつつも押し退け、害獣でさえ知りうる常識を教える。
だがグラノは可笑しそうにクスクス笑うだけだ。
「出来るさ。だって今のメルは人間じゃないか。僕らは子作りだって可能なんだよ」
丸い形の耳に色っぽい声で囁くと、メルの腰をグッと引き寄せた。
黒目の大きな瞳をより大きくさせる彼女をうっとりと見つめながらも、部屋の奥のベッドを瞬時に確認。
そこへ向かう為メルを連れて歩き出そうとした時、部屋の扉が盛大に開く。
「王子様っ!」
それはシンデレラの声であった。
今しがた城を去ったと聞かされたばかりの彼女が、突如目の前に現れ驚くメル。
グラノはそんなメルを然り気無く背後へやり、小さく舌打ちした。
王子様にあるまじき反応であったが、幸い吃驚するメルの耳には届いていない。
「何故キミがこの部屋に? 衛兵は仕事を放り出したのだろうか」
抑えなければと自身に言い聞かせるが、それでも滲み出る苛立ちを自制出来ていない声。
そんなグラノの様子にシンデレラは全く気付かず、興奮で頬を可愛らしく染めている。
「ウフフ、いやですわ。王子様がガラスの靴を頼りに私を捜し回って下さったことは、国中に知れ渡っています。王子様のお部屋へ向かう私を止める間抜けなんて居ませんわ」
「……それで? キミは私の贈った屋敷へと向かった筈だろう。何故戻ってきてしまったんだ?」
シンデレラを城へ呼びつけたグラノは自分の所有する屋敷と結構な金を彼女に下賜していた。
表向きは贈り物である。
確かに世話になったメルへの礼の意味も含まれてはいるが、グラノの内心としては彼女達を引き離したい意味合いが強い。
国の外れにある屋敷に追いやって金と多くの使用人、それから時を見計らいそこそこの男でも見繕えば満足するだろうと、この上なく腹黒いことを考えていた。
グラノはとにかくシンデレラが邪魔だった。
メルにあのような魅力的な笑顔を引き出す存在がどうしても許せない。いっそのこと、亡き者にしてしまいたいほどに。
グラノはメルが関わる時のみ“王子様”を演じきれなくなっており、異常に嫉妬深い男へと豹変する。
「城がどんどん遠ざかる景色を、屋敷へ向かう馬車の中で眺めて思ったのです。このままでは王子様と二度とお会いできなくなってしまうって。だって屋敷があんなに城から離れているなんて思わないじゃない」
“二度とお会いできない”それはまさしくグラノの望んだことであるのに、わざわざご丁寧に戻って来たシンデレラ。
これでも冤罪を被せて無期で投獄しないだけ恩情を与えてやったとさえ思っていたグラノは、己の考えが甘過ぎたのだと後悔する。
現に背後に隠したメルは今にもシンデレラの前に飛び出して行きそうなほど目をキラキラ輝かせている。
「王子様が折角贈って下さった屋敷だけど決心しました。私、お城で王子様と共に暮らしますわ」
グラノは思った。
この女の頭を切り開いて、その摩訶不思議な思考回路を見てみたいと。
それはいみじくも先程メルがグラノに対して感じたものと酷似していた。
「ウン、それがいいよ! それなら私はシンデレラのお世話を頑張る! グラノのお部屋のお掃除も私がするね。人間の女の人がしているの毎日見てたからきっと出来るよ、任せて」
折角の人間だ。シンデレラの側に居て沢山お喋りしたい。
彼女の手助けが簡単に出来るとは素晴らしいではないか。
怒りと困惑と少しの恐怖を感じていたグラノに対しても、メルの命の恩人であることに変わりはなく役に立ちたい気持ちは消えていない。
城に居ないと聞かされたシンデレラが現れ、人間にさせられたメルは前向きになった。
人間の姿ならば仲間を助け出すのも簡単だろう。
自分の背からヒョッコリと顔を出し弾んだ声でそんな宣言をするメルに、グラノは目眩を覚えた。
「メル、メルはそんなことしてはいけないよ。だってメルは―――」
『僕の妃になるのだから』と続けようとしたが、興奮気味に遮られたメルの次の言葉に声が詰まった。
「あ、でも身体が大きいから自分で上手く餌を探せないかも。その時は餌と水を少し分けてね。この身体なら沢山食べそうだけど、ちょっとで我慢するから。その変わりお部屋ピカピカにするよ」
グラノはうっかり想像してしまった。
最低限の食糧だけで無理に働かされるボロボロなメルの姿を。
思い浮かべるだけで胸が詰まり苦しい。
そんなことは絶対にさせない! と誰に向けるでもなく怒鳴り散らしたい衝動に駆られるが、喉の奥がジリジリと焼けて声にならない。
しかしグラノの想像するその姿はつい先日のシンデレラの様子そのものだ。
グラノもそれは知っている。
何故なら屋敷を与える為に面会をした際、シンデレラが涙ながらに自ら語ったからだ。
継母が、姉達が、酷く自分を虐めるのだと。
グラノの感想は、シンデレラの亡くなった父親はかなりの間抜けだということ。
それと、シンデレラ本人も。
上に腹違いの兄が三人も居り、彼らを敢えて蹴落とさずに思う通りに動く傀儡として操るくらいはしてみせるグラノ。そういうところはかなりシビアだった。
けれども相手がメルとなると、グラノは一気に甘くなる。
メルがネズミとして埃っぽく薄暗い天井で眠り、生ゴミを漁って生活していたかと思うと号泣しそうになるのだ。
「嗚呼、メル、メルメル。目一杯食べていいから! 見たこともないような美味しいものを世界中から集めようね。メルの好きなものも沢山用意するよ」
「本当!? じゃあじゃあ仲間達の分も貰っていい?」
「いいとも。従者に毎日運ばせるよ」
メルを抱き締めながら笑顔で頷くグラノ。然り気無く他のネズミ達への面会は却下した。
「ヒャー! みんな絶対大喜びだよ! グラノ大好きっ! 」
「っ!!」
グラノの狭量に気付かないメルは彼の胸板に額を擦り付けて喜びを表し、その可愛い行動と嬉しすぎる言葉に腰砕けになりそうなグラノ。
この甘ったるい雰囲気についていけないのは一名だけ。
シンデレラだ。
突然王子様の後ろから現れた少女に面食らい呆然としていた彼女だったが、王子様との抱擁には流石に黙っていられない。
「そこの貴女。王子様を誘惑なんて、なんと破廉恥な。きっと色々なところで殿方を弄んでいるのでしょうが、もっと自分を大切になさいな」
シンデレラは慈悲深い聖母のような微笑みを携えメルに語り掛ける。
「私は王子様と大切なお話があるの。ちょっと席を外して貰えるかしら?」
メルの服装は舞踏会の夜と同様に灰色のメイド服だった。
それを見たシンデレラはどうやらメルを城の侍女だと勘違いしたらしい。
それに気付いたメルはグラノの胸から慌てて離れ彼女へと向き直る。
「やだなシンデレラ。私だよ?メルだよ?」
「メル? どこかで聞いたことがあるような気がするわ」
首を傾げるシンデレラにメルの心はジワリと痛む。
シンデレラに覚えて貰えていなかったのだ。彼女にとってメルはその程度の存在でしかなかった。
「まぁいいわ。顔見知りなら知っているでしょ。私と王子様の噂くらい」
とうとうメルが何者であったか考えることを放棄したシンデレラ。
メルのつぶらな黒い瞳は絶望で波打つ。
「貴女は身分を弁え下働きの者にでも声をかけてみたら?お似合いだと思うわ。無理に迫って優しい王子様を困らせては駄目よ」
ポロリ。
幼さを残すまろい柔かな頬から涙が伝った瞬間、グラノの我慢は限界を迎えた。




