10:結婚式
お久しぶりです。
『なんであなたがここに居るの?』
メルが疑問の声を上げると、魔女は苦笑いを一人と一匹へ向けた。
「やっぱり王子とメルは繋がっていたんだね。血相を変えてネズミの治療薬が欲しいと連絡を寄越してきた時は、まさかと思ったが」
「ああ、メルと初めて出逢った時だね。僕のメルをあんな危険な目に合わせるなんていくら魔女でも許しがたいな」
どうやらグラノと魔女は顔見知りのようで普通に会話を始めてしまった。
「悪かったさね。だがメルのおかげで私はこの国の王家から解放され、他国に旅へ出られる。感謝してるよ」
魔女が“契約の腕輪”を対で二本着けた右腕を翳すと、グラノは少し顔をしかめる。
「解放なんて人聞きの悪いことを言わないでくれるかな。メルが誤解したらどうしてくれるんだ。そもそもその“契約の腕輪”は何代も前の王が開いた晩餐会で、酔っ払ったキミが国宝を次々に破壊してくれた時の損害賠償のようなモノだと伝わっているんだけど」
グラノが苦言を呈すと魔女は決まり悪そうにワハハと笑ってごまかした。
普段はいい加減な魔女。だが当時酔いが冷め、粉々になった国宝の数々と床に伏して号泣する周囲を目にし、こりゃ不味いと青くなったらしい。
戦乱の世が続いていた時代、嘗ての王は国宝の代わりに魔女がこの国に留まるように頼んだ。それの証が“契約の腕輪”だ。
王は戦に魔女を使おうとでも考えていたのであろうが、利用するには彼女は強すぎた。
人間達の争いごとに介入するなど真っ平ごめんの彼女は、国に留まるもののその力を戦に使うことは頑なに拒んだ。ただの人間が無理に魔法を使わせようなど出来る筈もなく、それでも嘗ての王は他国へその力が渡らないだけマシだと思うことにしたらしい。
こうして魔女は歴史の表舞台に立つこともなく、東の森の中で日々面白いことを探しのんびり生きてきた。
ときたま王族に呼び出され面白い願いなら叶えてやっていたが、その報酬は例え王族と言えどかなりの額であったので、それもあまり頻繁ではない。
やがて民の間で魔女は夢物語の実在するかしないか眉唾物な存在となった頃、気まぐれな魔女は他国へ旅に出ることに決めた。だが己が創った“契約の腕輪”の効力により城にあるソレを取り返せず、どうしたものかと悩んでいるときにノコノコとやって来たのがメルだ。
「しかし私が言うのもあれだが、良かったのかね。こんなに簡単に腕輪を渡して」
「今はどこの国も戦などしていないし、絶対にあなたが手を貸さないのは何代にも渡って実証されているからね。問題ないさ。それに経緯はどうあれ、メルが欲しがったものを取り上げるなんて到底僕には出来ないよ」
肩を竦めたグラノは優しくメルの顎を擽る。そんな様子を魔女は面白そうに見ていた。
「興味深いねぇ、実に興味深い」
『なにが?』
「グラノ王子さね。今までネクロフィリアの王子も髪フェチの王子も超歳上好きの王子も魚類好きの王子も見てきたが、こんなに興味深い恋をする王子は初めてだよ」
「まさか僕もここまで運命的な恋をするとは思わなかったさ。さぁ魔女、僕らの恋の障害を取り去る手伝いをよろしく頼むよ」
「分かっているさね。これ以上ない程面白い依頼だ、やってやるよ」
満足げに頷いた魔女はバスケットからメルを取りだし床へ置いた。グラノは一歩後ろへ下がり傍観の態勢へと入る。
一体これから何が起こるのか分からないメルがポカンと上を見上げると、魔女が綺麗に微笑んでいた。
「あんたも奇特なネズミだね、メル。人間に相手に恋に堕ちるなんてさ」
『恋? なにそ―――えっ?』
魔女の不可解な言葉に首を捻り訊ねようとしたが、既に彼女は聞いていなかった。
何度か目にしたのと同じように……否それ以上に長く真剣な目で呪文を呟き、金の粉をメルの頭上へと降らせる。
『え? え? うわぁぁぁぁ!?』
突然メルの手が…いや全身が光り始め、目線がどんどんと高くなる。これはシンデレラと共に魔法を掛けられたあの時と同じ……そう、人間に変身しているのだ。
「ああああ、やはりメルはネズミでも人間でも魅力的過ぎる。なんて愛らしさだ!」
発光が収まってくると、ツカツカと歩み寄ってきたグラノが戸惑うメルを抱き締める。突然顔を彼の胸に押さえつけられメルはもがく。
「こらこら、人前でイチャつくもんじゃないよ。ほらコレ、メルの腕輪だ」
「メルの腕輪?」
「基本的に身体は人間に作り替えたが、元の姿にも戻れる方がいいだろ。腕輪に念じれば姿が変わる仕組みさ。ネズミに戻れば腕輪は大きすぎるから王子が持っていてやればいいさね」
「へぇ便利だな。流石高い料金を払うだけあるね」
何やらグラノと魔女で話が進んでいるが、未だグラノの胸から脱出できず呼吸もままならないメルは会話を把握していない。
取りあえず脱出すべくグラノの背をタップすると、漸く気付いてもらえ解放された。
「ぷはっ! はぁはぁ……」
「あ、ごめん苦しかったね」
反省したのか肩で息をするメルを優しく擦るグラノ。そんな二人の様子を微笑ましげに見守っていた魔女は、しばらくして口を開く。
「じゃあ私はお邪魔なようなのでもう行くかね。ネクロフィリアの王子の国で、仲間の魔女が熱々の鉄下駄履いて単独タップダンスコンサートをするようでね。こりゃ見逃せないさね」
魔女という生き物は総じて愉快なことが大好きだ。玉の輿に乗った、東の森の魔女の友達も例に漏れずである。
彼女には純粋で人を疑うことを知らない頭の弱い娘がいる。その子の将来を心配した彼女は、城から娘を追い出してスパルタで鍛えることにしたのだが、これがからっきしダメ。
疑いもなく見知らぬ男について行き森に放置され、ドワーフといえども七人もの男と同棲。彼女の扮した老婆から差し出され毒リンゴを平気で手に取る体たらく。しかも毒リンゴの前に、ギリギリと締め付ける魔法の腰紐と毒の塗ってある櫛という罠に引っ掛かったばかりだというのにだ。
しかし悪いことばかりではない。
特殊な魔法のかかった毒リンゴで仮死状態にあった娘を、死体好きの王子がお持ち帰りし結婚したのだ。
肩の荷が下りた彼女だが、途中で魔法が解けて娘が動き出してしまった王子はたまったものではない。
腹いせに彼女を悪役にして惨たらしい刑を命じた。
しかしそこは東の森の魔女の友人。
最近習い始めたタップダンスを、熱々の鉄下駄という文字通り熱いパフォーマンス付きで披露出来るチャンスに喜んだ。
それを自慢し、是非観に来るように進められた東の森の魔女は当然行かない訳もなく。それが今回、魔女が国を出ようと思い立った全ての要因であった。
「え!? 魔女、ちょっと待っ――」
このまま去ってしまいそうな魔女を引き留めようと慌てるメルだが、魔女はメルの話を聞いてはおらず「じゃあ幸せにね」とかなり良い笑顔と共に魔法で姿を消してしまった。
唖然とするメルをよそに、グラノは嬉しそうに顔を緩める。
「ようやく二人きりだねメル」
魔女が去ってしまった今、もう残っているのはグラノしかいない。呑気そうな彼をメルはキッと睨み付けた。
「これは一体どういうことなの!? 早く元に戻して!」
メルは人間などになったところで、どうやって生きていけば良いのか分からない。
今にも掴みかかりそうな勢いでグラノへと詰め寄る。あまりに必死な形相にグラノは目を丸くし、首を傾げる。
「どうしたんだい? 何か不味い事でもあったかい?」
「不味い事があったかって!? 不味い事だらけだよ!」
あまりにも悪びれた様子のないグラノに苛立ち叫ぶメル。それを見て漸くグラノも顔色を変えオロオロし始めた。
「お、怒らないでおくれ愛しいメル。怒った顔もモチロン愛らしいが、僕は君の輝くようなあの笑顔が見たいよ。さぁ、可愛い顔が歪んだ理由を詳しく話してくれないか?」
宥める甘い口調にメルの怒りは余計に増すばかり。
「私は人間になんて、なりたくなかったの!」
その言葉にグラノは不思議そうにポカンとした後、暫くしてああと頷く。
「もしや僕の方がネズミになることを望んでいたのかい? それは思い付かなかった」
グラノは何やら納得したようだが、メルは状況も把握していなければ納得もしていないし、彼の言っている意味もサッパリ理解出来ていない。
「しかし第四王子である僕はメルに不自由させないだけの力を持っている。だから人間の方が都合がいいのだけれど……それにネズミの寿命は短いと聞くよ。少しでもメルと共に長い時を過ごしたいんだ、分かってくれるかい?」
説得するかのごとく肩に置かれた手を
、メルはピシッと払う。途端にグラノの笑顔が固まった。
「さっきから意味が分からないよ! 私はグラノがネズミになる事なんて望んでない。そんな事になったらシンデレラが悲しむじゃない」
「…………また彼女の事か」
一瞬、メルの華奢な身体がビクリと跳ねる。
今までずっと優しかったグラノの声が地を這うように低かったからだ。激甘で柔らかだった雰囲気は明らかに鋭いものへと変化した。
払われた自らの手を撫でつつ、メルを見据える目には怒りが燻っている。
「彼女は今朝城を出たからその心配は無用だ。もう二度とメルにも僕にも会う事はないだろう」
「っ!?」
グラノの変化は勿論恐かったが、それどころではない内容に思わず息を飲む。
城へ向かったはずのシンデレラが居ないという衝撃の事実で、グラノへの恐怖心など頭から吹っ飛んでしまった。
「城を出たってなんで!? どこへ行ったの? 結婚式をするんじゃなかったの?」
グラノは確かに今まで怒っていたはずだが、メルの叫び混じりの問いに虚を突かれたように目を数回瞬かせた後、元の柔らかい雰囲気で嬉しそうに笑った。
「結婚式って、メルと僕の? いいね是非とも盛大に行おう。そういう事なら彼女……シンデレラもメルは招待したいよね」
「………え?」
メルはグラノの言葉に耳を疑う。
「でも美しく着飾ったメルを大勢の目に曝すのは抵抗があるなぁ。だって最上の宝は誰にも見せずに宝箱の奥にしまって、一人だけで楽しむものだろ?」
どこか空を見つめて物凄く嬉しそうに語るグラノを前にメルは小さく後ずさる。既に彼からは先程の怒りは消えているというのに、何故かとても恐かったのだ。




