1:灰かぶり
若干アンチシンデレラですのでご注意下さい
『灰かぶり』なんて名前、あの子には似合わないのに。
シンデレラの名を人間達から耳にする度に悔しく思う灰色ネズミ。優しい内面をそのまま具現化したような、あの眩い美貌の前にはどんなボロを纏っていようと遜色を与える事なんて出来やしない。『灰かぶり』は自分のような全身が汚ならしい灰色の家鼠にこそ付けられるべき名なのだといつも歯噛みする。
『泣かないで僕らのシンデレラ、そのうちきっと良いことがあるさ』
一人ひっそりと涙を流すシンデレラを仲間達全員で必死に慰める。毎日毎日継母や義姉達にいびられ哀しみに暮れるシンデレラ。使用人達にさえ蔑ろにされ、話し相手は家の中の害獣や野性の小鳥達だけ。泣いている彼女の周りに集まりチューチューピーピーキューキュー励ます。その中でも灰色ネズミは特に熱心に鳴いている。灰色ネズミはシンデレラが大好きなのだ。
灰色ネズミがシンデレラに出会ったのは餌を求め半死半生で彷徨い歩いていた時である。人間や動物達に狙われ最後に辿り着いたのがこの屋敷。開いている窓を必死によじ登り中に侵入した時にはもう息も絶え絶え餓死一歩寸前であった。人間の近付く大きな足音が聴こえるが、既に灰色ネズミに逃走の余力は残っておらずここまでかと覚悟した時に現れたのがシンデレラだ。
彼女は倒れる灰色ネズミを箒で掃くわけでも外へ放り投げるでもなく、ハンカチに包み自室へと連れ帰ったのだ。そこで彼女は夕飯を惜し気もなく分け与えてくれ、起き上がって走り出すまでずっと見守っていた。
それからと言うものの、灰色ネズミはこの屋敷に住み着きシンデレラを側で見守っている。今日も今日とていつものように泣き暮れるシンデレラを見守る灰色ネズミは何も出来ない己の不甲斐なさに悲しくなる。
「清く優しく生きていれば、いつかそれに気付いた素敵な方が迎えに来て下さるわよね」
『そうだよそうだよ』
シンデレラの言葉に一斉に頷くがシンデレラの顔が晴れることはない。
「あなた達に言っても仕方のないことね」
ふふふと儚く笑ったシンデレラに再び口々に慰めの言葉を紡いだ。
そんなある日のことである。珍しく機嫌の良さそうなシンデレラは動物達に弾んだ様子で喋り始める。
「今度お城で舞踏会があるらしいの。第四王子様の花嫁探しなんだって」
シンデレラが嬉しそうだと灰色ネズミも嬉しい。チューチューと楽しげな鳴き声が飛び出る。しかし夜になるとシンデレラは再び沈みシクシクと涙を流し始めた。
「お姉様に言われたの、アンタは着ていくドレスを持っていないから行けないわねって。舞踏会なんて私には無理みたい」
義姉達が沢山のドレスを持っていることを知っている灰色ネズミは、それを全てかじり破いてしまいたい衝動に駆られる。しかし悔しがって歯をカチカチ鳴らしたところでどうにもならない。
「汚い場所であなた達と過ごす私を神様はいつ救って下さるのかしら。もうこんな生活は嫌よ」
シンデレラに笑って欲しい灰色ネズミは考えた。どうすれば彼女を幸せに出来るのだろうかと。とりあえずシンデレラの周りを走ってみる。クルクルパタパタ回るが涙を流し続けるシンデレラがこちらを見てくれることはなかった。
ではどうすれば良いのか。シンデレラの望みはお城の舞踏会とやらで、その為にはドレスが必要だ。しかし灰色ネズミでは人間のドレスを持ってきてあげることは出来ない。
そこで灰色ネズミには一つだけ方法が思い浮かぶ。それは仲間達の噂で耳にした程度の確証のない当てではあるが。
『待っていてシンデレラ。きっと私があなたを舞踏会へ連れて行ってみせるわ』
チューチューと元気良くシンデレラに宣言した灰色ネズミは、仲間達の制止も聞かずに屋敷から飛び出した。
行き先は東の森に住む魔女の家。彼女に願いを叶えて貰いに行くのだ。
流れてきた噂によるとその魔女は大の面白いもの好きで気紛れ屋、そしてとても優秀なのだそうな。魔女に強くなりたいと願った蜥蜴は竜へと変えて貰えたが、群れのトップになる力を望んだ狼は牙を抜かれ小さくなって貴族の娘のペットにされた等々、噂の種は尽きない。
願いが届くかは魔女の気分次第。しかし動物達の話を聞き願いを叶えることが出来るのは彼女しかいない。実際に会ったことはないが、ここは賭けに出るしかないと決意した灰色ネズミは魔女の家へと走る。
幸いそこは屋敷からさほど離れてはいないが、それは人間の感覚である。灰色ネズミにとってはかなり冒険な距離だ。途中カラスや鳩や猫に狙われたが命からがら東の森まで辿り着く。
魔女の結界が張ってあるらしく人間達には見えないので、森の中は動物達しか居ない。だから灰色ネズミにとっては余計に危険で、更に激しく狙われることとなった。それでも灰色ネズミの足が止まることはなく、出来るだけ気配を断ち隠れて移動することによりなんとかそれらしい小さな家まで辿り着いた。
『お邪魔します』
少しだけ開いている扉の隙間から恐る恐る中へ入ると、そこは外観と変わらず随分こぢんまりしておりそれ以上にあまりの汚さに害獣である灰色ネズミも驚いた。本が山積みされ謎の液体が入った瓶があちこちに散乱しており衣服なども脱ぎ散らかされている。
「おやまぁ、可愛らしいお客だこと」
突然かけられた声の方を振り向くと、部屋の奥の方で火を掛けた大鍋を掻き回す一人の女が笑っていた。
『あの、あなたが魔女ですか?』
「そうだよ、私が東の森の魔女さね」
魔女は美しかった。燃えるような赤毛に華やかな目鼻立ち。地味なローブの下からでも分かる豊満なバストはまさに妖艶な美女である。魔女というからには老婆を思い浮かべていた灰色ネズミは呆気に取られて美女を見上げた。
灰色ネズミの視線を可笑しそうにクスクス笑う美女は手を止めることなく大鍋を掻き回す。そのグツグツと音をたてる大鍋から出ている煙が怪しげな紫色をしているので、彼女が魔女であるのは間違いないらしい。