Ⅲ
少女ロージー=シュタイフは大いに怒っていた。
目の前の騎士の瞳は、先ほどから困惑している。
ロージーは日勤の仕事が終わり、夕飯の買い物をしようと大通りに出た。
いつも持つバスケットの中には、仕事先でもらった果物が詰められていた。
それを眺めて、思わずほほえむ。
ロージーの仕事は、フォンツベルグ子爵家の次女ローリカの家庭教師だ。
といっても、ロージーは貴族でも何でもないので、家庭教師の真似事のようなものだが。
どうやら、フォンツベルグ子爵の妻ハリリエとロージーの育て親エリリカは従姉妹だったらしい。
エリリカが亡くなり、少ない情報を頼りにロージーはフォンツベルグ子爵家を訪ねた。
詳しいことは聞いていないのでわからないが、ロージーが働く当てがないのだと知るや、子爵家に養子にくればいいだの、一緒に住めばいいだのと子爵もその妻も言うので、ロージーは幼いながら詐欺にあってないだろうかと心配してしまったものだ。
幼い頃に、宮廷女中だったというエリリカから施された礼儀、マナー、学習が役立つことになるとはこのときは夢にも思わなかったが。
「ロージーちゃん!今日は魚がやすいよ!」
「あら、そうなの?じゃあ一匹頂こうかしら」
いつも買い物をする魚屋のおばさんが明るく声をかけてくれる。
ロージーはおばさんの言葉ににっこりと笑って、魚を指さした。
今日の夕飯は決まりだ。
安く食材が手に入ったことに気分をよくしていると、ロージーの髪が突然引っ張られた。
あまりの強い力に、ロージーは踏鞴を踏み、ふらふらとする。
「もう!危ないじゃない!!!」
ロージーは反射的にキッと、後ろを睨みつけた。
本当は誰がやったかはロージーには明白なのだが、文句を言わずにいられない。
「お、アップルが怒った。顔まで真っ赤じゃん!」
「真っ赤、真っ赤ー!」
3人の少年がにやにやと嫌な笑いを浮かべながら立っていた。
ロージーの赤い髪を揶揄して、昔からなにかと絡んでくるのだ。
しかし、幼い頃から同じことで繰り返しいじめられていては、さすがに慣れてくる。
ロージーにはもはや怒りを通り越して呆れしかなかった。
「あんたたち、子供じゃないんだからやめなさいよ。だからボンクラ息子って呼ばれるのよ」
「あ!?」
「呼ばれてるのはパーシーだけだし!!」
パーシーと呼ばれた少年は、3人の中でボス的な存在だ。
マニュエル男爵の一人息子パーシーは見目はいいが、性格が壊滅的でおまけに賢いとはいえない。
最近の男爵の悩みが、どうやって息子を後継として育てていくかということなのだから。
ロージーの反撃に苦虫を噛み潰したかのような顔をしていたパーシーが、一転凄まじい笑顔を浮かべた。
嫌な予感がする、とロージーの眉間に思わず皺が寄る。
「そういえば、知ってるか?王さまの命令の話」
「娘を捜してるってやつでしょ。それが?」
「あれー?おまえ知らないのかよ」
にやにやと笑ったパーシーが再びロージーの髪を引っ張る。
長く延びたロージーの髪はするりと逃げることなく、パーシーの手でまとまっている。
「ちょっと、いたいってば!!」
「子爵のロゼベリア様が選ばれたんだと!ロゼベリア様は綺麗な金髪をお持ちだからな」
フォンツベルグ子爵家の長女、ロゼベリア。
ロージーも深く知っている。
ローリカの姉であるロゼベリアとは、身分が違いながらも親友のような関係を築いてきたからだ。
だが、そのような話は一切聞いていなかった。
今日もローリカの教師として屋敷に行ったし、ロゼベリアとも会っているのだが。
「おまえの耳に入らないよう口止めされてされてたんだけどなあ。かわいそうなおまえに教えてやろうと思って」
それにおまえは間違っても選ばれることはないからな、とパーシーはにやりと笑った。
その顔がもの凄く不快で、だが傷ついた心を見せるのも嫌で、ロージーは顔を伏せた。
別に、貴族の身分ではない自分が子爵家のすべてを知る必要はないのだ。
だが、友達ね、と柔らかくほほえんでくれたロゼベリアの顔がじんわりとぼやけていくようだった。
むろん、パーシーの言葉を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。
「私には別に…………!!」
関係ない、と続けるはずだった言葉は、一台の馬車によって途切れた。
馬が蹴った水たまりは、ロージーのすぐ側にあった。
ぱしゃり、と音がしたかと思うと、冷たいものを全身で浴びる。
パーシーたちはちゃっかり逃げていて、少し離れたところからにやにやとロージーを笑っていた。
泥水を被ったロージーは、普段主張が激しいあの赤い髪すら真っ黒だ。
雨の日は馬車のスピードを出さないようにするのが、暗黙のルールなのよ!!と心の中で馬車の主を罵倒する。
だが、見るからに高貴な雰囲気の馬車なので、謝ってくれる可能性も低そうだ。
帰ったらすぐ湯浴みだわ、とロージーはため息をついて目を伏せた。
今日は本当についていない。
パーシーにはからかわれるし、泥水は浴びてしまうし。
「すいません、大丈夫ですか」
そのとき、馬車の扉が開いて青年が降りてきた。
謝罪があるとは思わなかったロージーは、ぽかんとして声の主をみる。
年は20歳前半くらいだろうか。
すらりとした体躯はすばらしく、柔らかい色の茶色の髪と落ち着いた紫の瞳が、青年の性格を物語っているかのようだった。
なにより、顔の造形が素晴らしい。
だが、ロージーはぽかんとしていた口をすぐさま閉め、眉間に皺を寄せた。
パーシーとの一件もあり、むかむかとしていたロージーは青年をじろりと睨む。
俗に言う、やつあたりだった。