これが勇者のお仕事です
勇者一行、改め、お貴族様の御子息様と私兵達が旅立ってから、早くも十日が経とうとしています。僕は元気と言えなくもありません。とりあえずは五体満足です。素晴らしい。
この十日間で問題になった事と言えば、主に移動手段がお馬さまだということであって、それ以外はちょっとよそよそしい人間関係に胃を痛めるのみです。僕のお尻や胃や筋肉やらは悲鳴を上げていますがとりあえずは生きていますので。実に素晴らしいですね。
都から旅立っただけあって、今はまだ進む先進む先に宿があります。なので、まだ僕は野宿も経験していません。師匠の元に弟子入りしてから清潔なふかふかベッドでしか寝たことがない身としては、土の上でのうのうと眠れるかが目下の心配事です。昔取った杵柄よろしく、生来の農民根性で乗り切れると信じてはいるのですが。
「おー、やっと着いたな」
「予定してたよりも、随分かかっちゃいましたねぇ。でもこれで、ようやくお役目が果たせるってもんです。いざ魔物退治っす!」
そう。僕の心配事は本日のお宿事情であって、決して目の前に広がる危ないやばい立ち入るな!という看板の乱立する森の事ではなかったはずです。
おかしいな、おでこから涙が、と思ったら脂汗でした。目に入って痛いです。
「最終確認をする。ここが、十年前に魔物の発生が認められたという森だ。魔物に関する情報は誇張された噂が多すぎるため正確なものは分からない。魔物の住処であるこの森は半日あれば探索が可能な規模だ。本日中に魔物との戦闘を目指す。しかしそれが不可能ならば、日が沈む前には一度森から出るものとする」
いえ、その、最終確認どころか、僕にとっては今が初めての確認ですけど。
これは嘘の看板ですよ!というどっきり看板があるのでは、と目を皿のようにして捜していた僕は、オムズガルンさんの言葉を何とか聞き違いで済ませようとした。
しかし他の三人はうんうんわかってますよと言わんばかりの顔をしているし、ピルグリンさんに至っては、今まで背中でおんぶしているだけだった剣を撫でて嬉しそうに笑っています。
これを絶望と言わず、何を言うのでしょう。
僕は何の心構えも出来ていないどころか、師匠に相談することすら出来ずに魔物とご対面な予感です。もはやベッドどころではありません。下手したら、白の棺が今夜のお宿です。兄弟子のクソ野郎!
「問題ありません、オムズガルン様」
「そうそう!こうしてたって仕方ねーし、はやく行こうぜ!」
「馬は、そこの木に縛っておけばいいっすよね?どーせ、魔物のいる森に人なんか来ませんし」
「そうだな、エルムムン……では魔法使い様、よろしくお願いします」
お馬さまの手綱を促されるままエルムムンさんに渡していた僕は、オムズガルンさんの言葉にそっと手を握り締めた。汗で濡れて、ぬるぬるして気持ち悪い。喉が干上がったように乾いていたから唾を飲み込もうとしたが、それすらも出来なかった。はりついてしまったような舌をひきはがし、なんとか声を発せられる状態に持ち直す。
僕は魔法使いだ。
国に志願した勇者で、大魔法使いディーコットンの弟子。下手な姿は見せられない。
心構えなんて旅立つ前に散々構えてきたのだから、今さらしなくたっていいはずだ。たぶん。師匠から貰った腕輪を指でなぞって、深く呼吸をする。
「はい。では、順番に」
魔法使いと兵士風な人達がいれば勇者一行かと期待される、というのは、勇者一行には魔法使いが必要不可欠であるからだ。魔法使いの使う魔法がなければ、人は、魔物の住処に立ち入ることすら出来ない。
魔物の発する瘴気は土地と空気を汚す。人の身体にもそれは同じで、魔法で防がなかれば猛毒をあおったように苦しんで死ぬだけだ。
「顔にさわりますよ。落ち着いて、ゆっくりと息をして……」
僕は、囁くようにして呪文を唱える。
同時に空気が揺れた。僕の耳を、茶色のぱさぱさした髪がくすぐる。目を閉じていたオムズガルンさんが、少しだけ震えたのが分かった。
魔法というのは、選ばれた才能ある人間しか使えない。そこには容姿も血筋も関係なく、ただ魔力をもっているかのみが問題だ。僕は魔力を持っていた。だから、師匠の弟子になれた。
魔力の籠った空気が、オムズガルンさんの周りを包むように循環する。霧散することのないそれは、オムズガルンさんが呼吸するたびに減っていくが、夕刻までは余裕でもつだろう。
「できました。これで、瘴気を吸っても問題ありません」
「意外と、あっさりかかるものですね……」
不思議そうに自分の身体を見下ろしているオムズガルンさんに誤魔化すように微笑みかけて、僕はそっと左手首にある腕輪を確認した。
銀の台座に埋め込まれた、小粒の水晶。
ぐるりと僕の手首を一周する輝きの中で、一粒だけ、黒くくすんでしまっているものがある。
「では、次は私が。よろしくお願いします、魔法使い様」
進み出てきたメリネールさんにそっと手で触れ、呪文を唱える。
すると、また水晶が一粒、その輝きを失った。
『いいか、ジャム。この水晶には俺の魔力を籠めてある。呪文を唱えることで、この腕輪に仕込んだ魔法式が作動して、瘴気避けを対象者に付与するからな』
ああ、親愛なる僕の師匠。
大魔法使いディーコットン様。
『おまえには魔力がある。しかし、それを動かす機能がないと見抜けずに弟子にとったのは俺の責任だ。すまない。おまえの持つ魔力は一流だが、それを扱うという点では、才能は全くない。魔法を使うことは諦めろ、研究者として生きてくれ』
師匠は僕を弟子にしたことを後悔していましたが、それでも僕は、あのまま食べる芋もなくなって死ぬよりは、出来損ないでも師匠の弟子になれてよかったと思うのです。
師匠の元に来てから、毎日が、幸せなのです。
感謝しています。
魔法使いになれない僕を、捨てないでくれたことを。
いくら兄弟子の代理とはいえ、魔法が使えない僕が勇者だなんて、きっと誰にも認めてもらえない。僕は魔法使いを騙る、ただの詐欺師だ。それでもこれは、兄弟子が逃亡して途方にくれていた師匠に僕ができる最大の恩返しだと思ったから、師匠の反対も押し切って僕は勇者になった。
これが、僕にできる精一杯のこと。後悔はない。
ああ、でも、何故でしょう。
胸がひどく痛むんです、師匠。