「ごめん」じゃなくて、「ありがとう」が聞きたくて。~雨から幼なじみを守るため、相合傘で左肩を濡らし続けた俺は、半ば強引に彼女の家のお風呂に入れられました~
4月末の早朝。お隣さんで幼馴染の相川風香の家の前で、井上一馬は深呼吸してからインターフォンを押した。
一馬は高校生になって色気づいてきたのか、最近幼なじみのヒロインのことが気になってきている。
異性として、恋愛的な意味で。
「あっ、一馬くん。ごめんねー、風香まだ寝てて……」
風香のお母さんの申し訳なさそうな声がインターフォンから響く。
そして先ほどからは少し遠くなった声で「風香ー! 一馬くん来たよー!」と叫んでいる声が聞こえた。
「毎朝ごめんねー。鍵開けるから上がって待ってて」
インターフォンからドアの鍵を操作したのだろう。ウィーンウィーンと二つの鍵が自動で開いたので一馬は遠慮なく井上宅へお邪魔させてもらった。
「あー、一馬。おはよー」
玄関からリビングへ行くと、そこにはボサボサ髪のパジャマ姿であくびをしている風香の姿があった。
「あぁ、おはよう……」
一馬はそんな風香のだらしない姿に内心ドキドキしながら、しかし平静を装い挨拶を交わした。
高校生になってからほぼ毎日、一馬はこのように風香を迎えに行っている。
なぜかと言えば、風香が時間にとてもルーズだから、もしくはマイペースだからだ。
高校入学から今日に至るまで、風香が余裕を持って家を出てきたことはない。
「高校生になっても二人で登校しよう!」と入学前に風香から言い出したのにも関わらずである。
忘れもしない、入学式を終えた次の日、一緒に高校に登校する初日。歩いていても余裕で高校に着く時間に家を出た一馬は、そこから5分間家の前で待っていた。
おかしいと思い井上宅を訪ねると、風香はまだ髪もボサボサの状態で朝食をかきこんでいたそうな。
結局その日は二人とも息を切らして学校へ登校した。もちろん遅刻ギリギリだった。
その日以来、一馬は余裕を持ってさらに20分前には家を出るようにし、このように毎朝風香のことを起こしに来ているというわけだ。
今の話を聞いて風香のことを恋愛的に好きになる要素などないのではと思うだろう。
一馬自身も、ぶっちゃけそのように感じている。
思えば小さいころからマイペースな風香に振り回され続けて、何度か痛い目にもあったような気がしないでもない。
しかしながら、そんな記憶の重要度が下がるくらいに、一馬は風香のことが気になっている。
それを意識したのは、実はつい最近のこと。
今日のように風香を起こしに迎えに来て、今日のようにだらしない恰好で「おはよう」と言う風香の姿に、なぜかグッときてしまったのだ。
正直戸惑った。その日は家に帰った後もなぜ風香のボサボサパジャマ姿にグッときたのか自問自答の繰り返しだった。
だって風香のそういう姿を見るのは初めてではないのだ。
小学校、中学校の時も何度かお泊り会と称しどちらかの家で夜通し遊んだこともあったし、その時は何とも思っていなかった。
高校生になって、なぜか急にそう思うようになったのである。
何がそう一馬の心を乱すのか。信頼してくれているからこそ見せてくれる姿が嬉しいのだろうか。
だがしかし、それは逆説的に風香が一馬に対し意識なんてしていないと証明していることと同義であるので……。そう考えると、一馬の心は黒いもやもやにまとわりつかれたようになるのである。
そんなことを今日も考えていたら、洗顔をして、朝食も食べ終えたらしい風香が二階の自室に戻って行った。二分も経たずに制服姿に着替えて戻ってきた風香は、ボサボサだった髪に霧吹きをかけてブラッシングをして、準備万端と一馬の前に立つ。
「おまたせ一馬!」
一体どのような手品を使ったのだろうか。さっきまで「美」というものが皆無だった少女が、一瞬で美少女への変身を果たしていた。
風香の持つ素養だろう。彼女は昔から身支度は特に早かった。先ほども霧吹きをかけてブラッシングするだけで、風香の髪はツヤツヤなストレートヘアーに早変わりである。
化粧を覚えても5分以内には済ませるのだろう。そしてめちゃくちゃ簡単な化粧なのにめちゃくちゃ可愛くなるのだろう。一馬は密やかに確信していた。
「なにしてるの一馬! 早くしないと学校遅刻しちゃうよ!?」
「どの口が言うか!」
そんなことは一馬が一番よくわかっている。
そしてそれは風香もわかっていてからかったのだろう。
風香は舌をペロッと出して笑い、玄関から出て行った。
まったく、世話が焼ける幼馴染である。
■■■
放課後。一馬と風香の部活がそれぞれ終わった頃、4月末になり6時頃になっても空が明るくなってきたにも関わらず、今日の空模様はあまり芳しくないようだった。
空を隠した雲からは雨が降り、湿度が高くどんよりとした空気があたりを満たしていた。
「雨……か……」
一馬の口から思わず言葉がこぼれ、隣にいる風香の顔をチラリと見る。
「うっそー……わたしたち傘持ってきてないのにぃー……」
風香は涙をこぼしながら、魂の抜けたような顔で絶望の言葉を漏らしていた。
といっても、深刻そうな顔というわけではなく、「どうしよう……」という気持ちが表に現れただけのようだ。
「どうする一馬? 雨が止むまで雨宿りしてく?」
「いや、その必要はないよ」
そう言って、一馬はニヤリと笑いながら、スッとカバンから一本の折り畳み傘を取り出した。
こんなこともあろうかと、この井上一馬、常日頃から折り畳み傘を持ち歩いていたのだ。
「おぉ! さっすが一馬!」
「備えあれば患いなしだからな。そんなにかさばらないし、カバンに常備しておいて損はないし」
そう言いながら、一馬は折り畳み傘のカバーとネームバンドを外し、ハンドルにあるボタンを押し込む。
するとバッと勢いよく折り畳み傘が開いた。自動開閉傘、いわゆるワンタッチ傘というやつだ。買った当時は中学生ということもあり、家の中で意味もなく開け閉めしたことである。
ちなみに高校生になってもこのワンタッチ変形は楽しい。
開いた傘を上にさした一馬はスッと傘を風香の方に寄せる。
「えへへ、お邪魔しまーす」
そうして、一馬たちは一つの傘をシェアしながら、二人仲良く帰路に立つ。
校門を出て、数歩歩き、信号で立ち止まったところで、一馬はふと窮屈だなと感じた。
そこそこ大きい傘ではあったが、それは一人用の時だけの話だったらしい。二人で入ると、小さいというわけではないのだが、やはり窮屈に感じる。
現に一馬と風香の肩は触れるか触れないかの距離にあって――。
(――あれ?)
一馬は、そこでようやく気づいた。
(コレってもしかして、相合傘?)
相合傘。それは一つの傘に二人で入る行為。
字面だけ見ればなんて事のない行為である。喫茶店のカウンター席で知らない人の隣に座るくらいのなんて事ない行為。
だが文章と現実は違う。そして傘に入っている二人が親密な男女ともなればただの相合傘に別の意味が生まれてしまう!
そういえば、校舎から校門まで二人で歩いている間、妙に視線を集めていたような気がする。
もしかしたら、一馬と風香が付き合っていると見られたのかもしれない……!
なんということだろう。もしそんな誤解が広まってしまえば風香に迷惑がかかってしまう。
「ねぇねぇ一馬」
軽率な行動だったかもしれない。そう思うと一馬はぐるぐると周りの音が耳に入らないほど考えこんでしまっていた。
今からでも遅くない。傘は風香に貸して自分は雨に濡れて帰るか? しかしそれだと風邪をひくかもしれない。自分が風邪をひいたら風香は明日一人で登校することになる。俺がいなくても遅刻せずに登校できるだろうか。それともこれは自分の自意識過剰か? 等々。
「おーい、一馬くーん?」
「ッ!?」
と、考えこんでしまっていた一馬の右肩をツンツンと風香に突かれ、一馬の意識は現実に引き戻された。
「ど、どうした?」
「信号、青だよ」
「あ、あぁ……」
どうやら考え込み過ぎて信号が青になったことに気づかなかったらしい。
「ごめんごめん、ぼーっとしてた」
「一馬でもぼーっとすることあるんだね」
青になった信号を渡りながら、そんな話になる。
「一馬っていつもしっかりしてるから、あんまりそういう姿見たことなかったなって」
「そりゃ俺だってぼーっとするときぐらいあるよ」
実際はぼーっとというよりもめちゃくちゃ考え込んでたせいなのだが、そういうことにしておこう。
「……そういえばなんだけどさっ」
「……なに?」
なにやら風香がニヤニヤした顔で一馬の耳元にこう囁いた。
「気づいてた? わたしたち相合傘してるねっ」
ピクッと一瞬止まってから、一馬は再び歩き出す。
「……気づいてたよ」
「えぇ~? うっそだぁ、今わたしに言われて気づいたんでしょー」
――いや気づいてましたよ! 確かに気が付いたのは今さっきだけど、風香に言われる前には気づいてた! そう喉元まで出かかった言葉を、一馬は何とか飲み込んだ。
「――バレたか」
そして一馬は風香に乗っかることで事なきを得ることにした。
「やっぱりー? だと思った」
と、風香はそれだけ言って笑った。
――なんなんだよ! と叫びたい気持ちを押しとどめながら、一馬は平静を装い、心を落ち着かせようとする。
だがしかし、意識し始めたらつい気になってしまうというのが人間の性なのだろう。理由もなくチラチラと風香のことを見てしまう自分がいるのだった。
触れあいそうな一馬の右肩と風香の左肩。少し湿気を帯びて広がりぎみの長い髪――。
と、そこまで視線が動いて、気づいた。
風香の右肩、つまり外側の肩が、水滴で少し濡れていたのだ。
大きめの折り畳み傘といっても、二人で使うには少し窮屈な大きさ。
一馬も左肩を見ると少し濡れていた。
「…………」
一馬はそっと、風香に気づかれないように傘を風香の方に徐々に寄せて行った。
当然、一馬の左肩は、どんどんと濡れる面積が広くなっていく。
風邪をひくかもしれないと、濡れるのを嫌っていた一馬であったが、肩ぐらいなら大丈夫だろうと、風香の体を雨から守るように傘を傾けていく。
最終的に、一馬の雨にあたる面積は肩にとどまらず、左腕が丸々傘からはみ出すほどにまでなった。
徐々に左腕が雨に当たり濡れていく。
雨の勢いがそこまで強くないため、この程度であれば風邪はひかなそうだ。
一馬は安堵の表情を浮かべながら、チラリと雨から守られた風香を見て微笑むのだった。
■■■
二人が通っている高校は、家からそれなりに近いところにある。なので数分も歩いていると、一馬の家と風香の家が見えてきた。
これで長いようで短かった相合傘は終わりである。最初はドキドキしていた一馬の心も、時間と共に落ち着きを取り戻していた。
終わってしまうのは少し残念だが、永遠に続けたいものでもないので、ここら辺が潮時というものである。
「いやー今日はありがとう。一馬がいなかったらびしょ濡れで帰ってたとこだったよー」
「どういたしまして」
隣で歩きながらそう朗らかに笑う風香に、一馬の口元もほころぶ。
目と鼻の先だった風香の家は、もう目の前になっていた。
「よいしょっ、ありがとう一馬、また明日……って、ちょっとそれどうしたの!?」
傘の中から玄関ポーチに素早く渡って、振り返り、お礼を言った風香が、驚いた顔で一馬の左腕に指をさしてきた。
「びしょ濡れじゃん……。――ッ!?」
眉をひそめていた風香は、突然ハッとした顔になり、自分の右肩を見る。
風香の右肩は水滴の跡がついているだけで、一馬のように濡れていたわけではなかった。
「もしかして……わたしのため……?」
風香の問いに、一馬は少し困ったように首を傾げて笑う。
「――ッ!! 一馬! こっちに来て!」
ぐいっと濡れた左腕を引っ張られ、一馬は風香の家に連れ込まれる。
「お母さーん!? ただいまー! お風呂沸いてるー?」
玄関から叫んだ風香に「おかえりー、沸いてるよー」と恐らくキッチンから、風香のお母さんの返事が返ってくる。
「ありがとー!」と短く返した風香は一馬を連れて脱衣所に直行した。
「はいっ、そこにお風呂があります。入ってください」
「急すぎないですか……? ――ちょっ、無言で制服を脱がそうとしないで!?」
「いいから入る! 風邪ひいちゃうでしょ!?」
「家でシャワー浴びるから大丈夫だってっ……!」
「お風呂の方が体温まるからっ……!」
風香が服を脱がそうとするという強硬手段をとってきたので、一馬が避けようとすると、風香は一馬の手をガシッと掴んできた。
風香の力が何気に強いので、こちらも負けないように力を込める。
「……迷惑だろっ?」
「それを言うならこっちが先に迷惑かけたんだからお互い様っ……!」
――ぐぐぐっと力を入れ合っていた二人だったが、一馬の方がため息をついて先に力を抜いた。
「分かったよ。入る。お風呂もらうから……。着替えは俺の家からなんか見繕って来て」
一馬が自分の家の鍵を渡しながらそう答えると、風香はニッコリとした笑顔で「ではごゆっくり~」と言いながら脱衣所から去っていった。
それを見送り、自然とため息を漏らしながら一馬は服を脱ぎお風呂場へと入っていった。
■■■
風呂場にはシャンプーやボディーソープがいくつかおいてあったが、どれを使って良いか分からなかったので、石鹸ならば使ってもそんなに怒られないだろうと思い、少し拝借して体を手で撫でるように軽く洗ってから湯銭に浸からせてもらった。
雨に当たっていた左腕と全身の温度差が徐々に無くなっていき、次第に体がポカポカしてきたのを感じる。
そういえば、お湯の質から見て、これがどうやら一番風呂らしい。
部外者が一番風呂をいただいてしまってよかったのだろうか。申し訳ない気持ちでいっぱいである。
だがしかし、風香が入って良いと言ったのだ。ほかならぬ風香の頼みなのだ。
そうやって自身の正当化を試みるが、でもやっぱり一馬は申し訳ない気持ちになってしまうのだった。
首から下はリラックスさせながら、首から上はグルグルと考えを巡らせていた時。
「一馬ー?」
――コンコンと扉をノックした風香の声が聞こえ、ビクッと一馬は体を震わせた。
「着替え、洗濯機の……一馬が脱いだ服の横に置いといたからねー?」
「あ、あぁ、ありがとう……」
ちなみに誤解のないように言っておくと、着ていた下着は脱いだ服でカバーをするように置いておいたため風香には見られていないはずである。一馬は人の家で脱いだ下着をむき身で置いておくような人間ではないのだ。
さて、十分温まり、着替えも持ってきてくれたみたいなので、そろそろ上がろうと思ったら、扉の前にまだ人影があることに気づいた。
「……風香?」
「――ッ!」
どうやら、扉の前にいるのは風香のようだ。
どうしたのだろう。磨りガラスで表情は見えないが、その立ち姿から、いつもとは違う雰囲気を感じる。
具体的に言えば、いつものような明るさが、その姿からは感じ取れなかった。
さっきまで、あんなに笑顔だったのに。
「――ごめん、ね」
扉の奥から聞こえたのは、謝罪の言葉だった。
「わたし……、気づいてなかった。一馬が自分のことを……、私のために……。一馬の傘なのに」
「風香……」
「傘から出て、ようやく気づいたんだよ。わたし……、一馬のこと見てなかった。一馬はわたしのこと、見てくれてたのに……」
少し、喉に引っかかるような声。もしかしたら、涙で頬を濡らしているのかもしれない。
磨りガラス越しでも、一馬には、風香が今どのように立っているのか手に取るように分かった。
眉をひそめ、歯を食いしばり、拳を固く握った腕で、頬に流れた涙を拭いていることだろう。
彼女は、昔からそうだった。大声で泣くというよりも、小さく静かに。そして一人になった時に、小さく声を上げて涙を流すのだ。
彼女は今、心の底から悔しいのだろう。一馬は自分のことを見てくれていたのに、自分は一馬のことを見ていなかった。自分のことしか見れていなかったことに。
彼女はマイペースだ。だが決して人でなしではない。先ほどだって、多少強引とはいえ、一馬が風邪をひかないように、お風呂に入れてくれた。
ただ、視野が狭かった。自分のことしか見れていなかった。ただそれだけのことなのだ。
一馬だってそうだ。視野が狭い。自分と、風香とその周りのことにしか目に入っていない。
だが、それは悪い事ではないと思う。誰だって物事は自分を中心に考えるものだ。
一馬はただ、その自分と同じところに、風香がいるだけ。自分と同じくらい、風香が大切だから、見える範囲が広くなっただけなのだ。
でも、いくら視野が広がったとしても、一馬は風香ではない。一馬は風香の視点には立てない。
だから真に、今風香が何を思っているのかは分からない。過去の経験から、想像することぐらいしかできない。
どんな言葉をかけてほしいのか、それとも、ただ吐き出してしまいたいだけで、返答は何も求めていないのか。
分からない。だから、一馬はそれを考えないことにした。
だから、一馬は、今、風香に一番伝えたいことを、伝えることにした。
「……気にしないでいいよ。俺がやりたくてやったことだし」
「……ッ、でもっ――」
「――風香だって。今こうして風呂に入れてくれたのも、風香がやりたかったからだろ?」
「…………うん」
「だったら、……うん。お互いさまだよ。迷惑かけたのも、やりたかったことをやったのも。だから、気にしないで大丈夫だよ。それぞれやりたいことをやった結果だったんだからさ」
「……ごめんね、一馬」
「だから、謝らなくていいって……」
そう、一馬は、風香に謝ってほしいのではない。謝ってほしいからやったわけではない。
――俺はただ。
「――そう、……俺は、ありがとうって。……その方が、嬉しい」
「――! ……そう、だね。私も、そう思う。……ありがとう、一馬。お風呂上がったら、もう一度言わせてね、こんな扉越しじゃなくて……」
「こちらこそ、お風呂ありがとう。……じゃあ、風香。そろそろ脱衣所から……、ほら、俺出れないから、さ」
「そっ、そうだね……! じゃあ、また後でっ」
タッタッタッと、風香が脱衣所からいなくなったことを確認してから、一馬は風呂から上がった。
その後は、なんてことない出来事。着替えて、風香ともう一度話して、なんか夜ご飯までごちそうになっちゃって。そして、自分の家に帰っていった。
そのころにはもう雨は止んでいて、珍しいことに、雨上がりの空は月明りに照らされて、虹がかかっていた。
■■■
次の日の朝。
今日もまた寝坊しているであろう風香を迎えに行くために早めに準備を済ませた一馬だったが、玄関を開けると、予想外の光景を目にした。
「あっ、一馬。おはよう!」
なんと玄関の前には、一馬の家のインターフォンを鳴らそうとしていた風香の姿があったのだ。
「……なぜ? 今のこの時間はまだ寝てるはずじゃ……」
「いや~、昨日のあれの後さー、いろいろ考えたんだよねー。いつも迎えに来てもらってたのももしかしたら迷惑だったかもって」
「それは――」
「――もしかしたら一馬はやりたくてやってるから気にするなって言うのかもしれないけど、わたしにしたら、それはよくないことだって思ったの。ずっと一馬に甘えているのもどうなんだって」
でも、それは一馬がやりたくてやっていることを結局邪魔しているから、一馬には結局迷惑をかけているのかもねと風香は笑う。
「これからわたしは、一馬がしてくれていたいろんなことを返していくつもり。それはもしかしたら、一馬のやりたいことを邪魔するようなことになるかもしれないけれど、まぁ、末永く付き合ってくれると嬉しいな」
「末永くって、もし俺が逃げたら?」
「その時は追いかけるよ。ずっとね。そして返し終わったら今度は私が一馬にしてあげたいことをしてく。できればずっと。とりあえずこれまでしてきてくれた分はするつもり」
「なんだそりゃ、期限がないなら今後の人生ずっと俺と一緒にいることになるぞ?」
「おぉ……、いいねそれ! これからも一馬とずっと一緒!」
この嬉しそうに笑う幼なじみは、自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
本当にやめてほしい。表情を取り繕うのも限界だ。心臓が口から飛び出して行ってしまいそうだ。
一馬は少しだけ後ろを向いて深呼吸をする。心臓は未だに、ドクドクと強く脈を打っている。
一馬は今、風香の無意識の攻撃を食らっている。
そして自分だけドキドキして、なんか悔しい。
だからこちらも、一つジャブを返すことにした。
恐らく、彼女には効果はないが、それでも、ちょっとだけ、困らせることが出来たらいいなと思い、一馬は振り返る。
「じゃあ返され切られないように、俺もお前の世話を焼き続けることにするよ」
出来るだけ、笑顔で。いつも通りの、声色で。一馬は歩き始めて、風香の前に出る。
「えー、それだと永遠に返し切れないじゃーん」と不満そうな顔で嘆く風香は、一馬の横に並ぶように追いかけ、二人は通学路を歩いていく。
いつも通り。でも昨日とはちょっと違う、朝の道を。
迷惑と思いやりは紙一重です。
そして、人間関係というものは迷惑をかけ合い、思いやりをかけ合うことなのだと思います。(もちろんこれが全てだというつもりはありませんが)
一馬と風香の間には、愛情があります。
それが友愛なのか、家族愛に似たものなのか、二人は(主に風香は)はっきりとはわかっていないでしょう。
ただ、私としては、この確かな愛情が、何らかの形で実を結んでくれることを祈るばかりです。




