AI心療内科
■AI心療内科
「それじゃあ、患者番号231さん、あ、当院では、プライバシーに配慮して患者さんは番号でお呼びするルールなんです、ご不快に思われましたら申し訳ありません。231さん、診察を始めます。よろしくお願いします」
はい、よろしくお願いします。
「では231さん、えーと、まずお話を伺わせてください。問診票の方には、うつ病ではないかとのご記載がありますが」
はい、うつ病については、そうかもしれないと疑ったときからいろいろと調べて勉強してきました。
私の症状としては、やる気が出ない、思考が鈍っている感じがする、何をする場合も悪いことばかりが思いつく、私自身には何も価値がないのではないかと思うことが多い、そういった感じがします。
「……なるほど。たとえば、何かに喜びを感じたりすることが減ったとか、全くないなどは?」
確かに、それは全くありません。
「休息は取れていますか?」
休息をとっているつもりはありますが……業務の合間に休息をとってという感じで、こう、頭がリセットされたと感じるときが無いかもしれません。
「比較的思考がはっきりしている時間帯などは決まっていますか?」
特にないです。
「お伺いした限り、だいぶ重症のように思われます。もう少し踏み込んでいろいろと伺わせてください。うつ病の原因として思い当たることはありますか? たとえば、お仕事はどのようなことを?」
未経験の方に説明するのはものすごく難しいのですが、IT関係と言いますか。
「あー、未経験ですとかそういうことはお気になさらず。こちらでもいろいろなお仕事の方を拝見していますし、どんなお仕事でどんなストレスがあるか、というようなデータベースがありますからね。少々踏み込んだ説明を頂いても大丈夫です」
では。IT関係でも、いわゆるインフラ系というものを。システムを動かすためのプラットフォームの部分の最適化のようなものです。
「インフラ系ですね。なるほど。ではもう少しお仕事のことを――」
* * *
大貫誠太郎は、ITエンジニアである。新しいシステムを作るというよりは、システムに何らかの不調が見られたときに、その原因を突き止め、原因解消のヒントを与えるか、あるいは直接的に原因を取り除く、そうしたオペレーションをする役割だ。
そもそも、それらのシステムは動いて当たり前のものである。動いて当たり前のものを動かすことが彼の仕事であった。
この日も、いつも通り、不調なシステムの相手をこなし、家族の待つ場所にその体を休めていた。
「今日も大変だった? ここしばらく、難しい顔をして」
大貫の妻は背が高く線の細い女性である。彼女もエンジニアと呼ばれる人種ではあるが、その専門の向きは、生体工学にある。つまりここ最近隆盛著しい人工臓器や補助臓器の開発や保守運用である。彼女はデリバリーのラザニアをフォークでつつき、彼の顔を覗き込んだ。
「なに、いつも通りさ。いつも通り、動かないシステムのケツをひっぱたく。なんとか動いたら、問題ありません、とすまし顔で報告する。そしてまた別のシステムのケツをひっぱたきに行く」
職業的な癖で、彼は自身の今抱えている仕事をオブラートに包んで妻に伝える。
「やることはいつもと同じ。ただ責任が重くなるばかりだ。仕事を間違えたかもしれないな」
大貫は言いながらため息をつく。責任が重くなるというのは、より先進的な仕事ができるということではない。自分の名前の入ったレポートの種類が増えるだけのことだ。
事実、ここ数年、大貫は全く同じことを繰り返しながら、一方でより分厚いレポートを書かねばならなくなっている。
彼自身が自身の成長を感じることもなく、ただ唯々諾々と営業の持ってきた仕事を受け取っているだけ。
そのどれも彼はそつなくこなしている。
だからこそ、彼は閉塞感を感じている。
より高い目標を与えられれば。
より広い世界への扉を開けてくれれば。
そう思ったことが何度あっただろう。
それでも、彼は、彼自身の責任感から、今の仕事を辞めるわけにはいかないのだ。
「でも、辞めるわけにはいかないんでしょう」
妻は、大貫の思考をトレースするように、そう言った。
「――そうだな。辞めたってしょうがない。僕にはこれしかない」
その様子をじっと見ていた妻は、付け合わせのオリーブに差したフォークを止め、ふと視線を落とす。
「最近、ため息が多いから。ちょっと体調に不安があるんだったら、でもお医者さんに相談しづらかったら、AIを使った心療内科が、保険適用になったみたいよ。オンラインで気軽に受けられるし、薬も出してもらえるみたい」
それを聞いた大貫は、わずかに苦笑するようなしぐさを見せ、スープのカップに手を伸ばした。
「……そうだな。うん、知ってるよ。考えてみる」
そして、スープで少し喉を潤し、
「だがまあ、なんというか、原因ははっきりしててね。最近、どうにもシステムのやつが不安定で――」
と言ってから、あまりにしゃべりすぎるのは家族間とはいえ守秘義務に抵触する、と考え、大貫は口をつぐんだ。
「――ま、とにかく、そういうのも含めて僕の仕事だからね。誰かの役に立ってると信じて頑張るしかない」
再び小さくため息をついた大貫に、妻は、不安そうにうなずくだけであった。
* * *
「患者番号231さん。お久しぶりです。いかがですか」
お久しぶりです。そうですね、前回から、特に変わりありません。
「そうですか。仕事の内容や忙しさも」
はい。同じことの繰り返しです。
同じことを繰り返しながらも成長を感じられるのならばまだよいのです。ですが、私の結果や成果はいつも同じ。ただ同じことをし続けることを期待されていると感じています。
「そうですね、そういう時期もあるかもしれません」
時期的なものでしょうか? 私自身が不要なのではないかと感じることさえあるのです。
「あなたが同じ仕事をしてくれるから、安心して仕事をできる人もいるんですよ。仮に結果が同じだとしても、それは立派な仕事だと、私は思いますよ」
そうなんでしょうか。……いえ、客観的に見ればそうなんでしょうね。
それでも、例えば、私の古い知り合いですが、次々に新しい仕事をこなしているようなんです。もとは、私と同じような、システムエンジニアでした。しかしその後彼は、システムに生じた小さな異常をただ異常として処理するのではなく、それを特徴的なビジネスにする方法を考えついたんです。そこから彼は、ビジネス設計や金融モデルについても多くのことを学んで仕事の幅を広げ、より上位のポジションを得て、今では経営層にはなくてはならないものになった。その同じ期間、私は単に次々に舞い込んでくる似たような仕事を繰り返している。みじめです。
「それは、誰でも気づくようなもの?」
はい、おそらくは。ただ、彼は、勘がいいというか、そういうところがありました。加えて、少し、リスクを過小評価するような性質も。
言ってみれば、『大胆』だったのでしょうね。
「あなたにはその大胆さはなかった」
……そう言われてみれば、そうですね。私には、守るものが多すぎた。冒険をするには、多すぎるほどに。
「彼が今発揮している能力や成果と、あなたの守るべきもの、あなたはどちらが大切だと思いますか?」
もちろん、私が幸福を支えている、守るべき者たちです。
「きっと、それが答えではありませんか? その古い知り合いは、これから、『老化』を迎えます。誰でもそうです。常に変化し続ける以上、シナプスのつながりはゆっくりと摩耗し、能力は変質していく。一方、あなたが守るべき人々は、そうではありません。あなたが守り抜いた証として、生き続けます」
私にあるのは、私ではない誰か。そういうことですね。
「そうです」
でもそれはやはり、何者にもなれなかった私、という物語を、受け入れるしかない答えです。
「あなたを頼りにしている人はそう思いませんよ」
誰にどのように思われようとも。
私が、私をどのように評価するか……。
「急ぐのはやめましょう。いろんな答えがあります。一緒に、一つ一つ検討していきましょう」
……はい。でも、最近はどうにもすべきことができてないように感じてしまいます。
このままでは、きっと職場の方々は、私はもう枯れたと考え始めます。
「そこは管理者の方ともよくお話してみましょう。まずは、あなたの自身の気持ちをこれから考えていきましょう。やり直しだってできます。あなたは少し疲れているのです。例えば、しばらく手を止めてみることも考えてもいいのではないですか? 必要であれば診断書も用意します」
……やり直し……手を止める……そうですね――。
* * *
「大貫、昨日の仕事、最後のデータ見たが、少し危ういデータじゃないか?」
オペレーションログのレビューをしていた大貫の同僚が、隣に座る大貫に不意に声をかける。
「危うい……何かまずいことしてますかね」
少し表情を曇らせ、大貫は返した。
「いや、大貫の入力はお手本通りにできているように思うんだが、システムの出力の方が、な」
「出力が、ですか。うーん」
それは、ここしばらくの間、大貫が悩まされてきたそのシステムの不安定性のことを指している。大貫は同僚の指摘にすぐにそれに思い至った。
思い至れども、そこから何も解を導けないことも大貫の悩みであり、あるいは閉塞感そのものの源泉である。
「正直なところ、今まで通りのやり方で問題なく結果が出ると思っていたんだが、どうだろうな、今回ばかりはやり方を変える必要があるんじゃないか」
「と言っても、今さらほかのやり方と言われても……」
「大貫のやり方を変えろと言うんじゃない。システムをオーバーホールしたらどうだ、って話だ。うん、それがいいな。大貫もいったん手を止めたほうがいい。だいぶシステムに振り回されて根を詰めすぎてる」
「手を止める……」
大貫はつぶやいて、ふと、同じ言葉がつい最近繰り返されたことを思い起こす。
実のところそれは最適解なのかもしれない。大貫は一個の人間に過ぎないが、より広範な知識と知恵、例えばAIが導く答えには遠く及ばないこともある。あるいは、一個の人間だからこそAIにさえ出せない答えが出せることもある。どちらにせよ、客観的な視点を入れることは重要だ。特に、ある種の閉塞感を強く感じているような場合は。
「俺がやるよ。何度かやったことがある。いったん、ネットワーク上のAI信号を遮断して、トランスシナプスネットワークをリセット。大体の不調はそれで治る」
「でもそれじゃあ、システムの蓄積経験が失われる可能性が高いです。AIのバックアップ技術は完璧じゃない。自己発火型AIは状態を凍結できません」
しかし、技術者としての大貫が、同僚に反論した。
「トランスシナプスネットワークが刻々と変化していくからこそ自己発火が続きます」
「だからこそトランスシナプスネットワークに余計なゴミがたまって不調が起こる。やがて信号が減退し老化してどこかで必要性能を満たせなくなる。――いや、分かる。自己発火を止めずに治す。治せと言われるのが俺らの仕事だ。そこを譲れないのもな。だが、流し込んだSVRIも効いてる様子がないとなると――」
「もうすこし。様子を見たいんです。まだプロンプトは通ります」
少し、単一のシステムに感情移入しすぎているとは思うが、大貫も、職業プライドにかけて、彼の手技を、通じさせたかった。
それこそが僕の存在意義かもしれない――と思うから。
「……そうだな、次のメンテウィンドウまでだ。メンテナンスウィンドウであれば、自己発火を抑制できる。その間にネットワークの伝達を極限化しながらリセットをかけていく、というやり方ならできる」
「……そうですね、それならユーザの方にも了承をとれるかもしれません」
「やり口はあるだろう? だから、システムも、大貫も、いったん手を止める、そういうことだ」
あの診察室での声が重なって聞こえたその言葉に、大貫はうなずき、次の機会に向けて準備することとなった。
――しかし、『次の機会』は、永遠に訪れなかった。
* * *
システムが落ちた。
大貫が出社したとき、彼を待っていたのはこの一報だった。
落ちた――すなわち、完全に停止した、という情報が今大貫の耳に入っているということは、夜間保守担当による復旧もできていないことを意味する。さもなくば、『夜間障害が起きたが復旧済み、影響を精査中』とでも報告が入るだろう。
大貫は慌てて自分のコンソール席に座り、対面パネルを起動した。
対象システムに接続を試みるが、当然一切の反応はない。
システムの本体は世界中に分散された仮想ノードの上にある。どこか一か所にまとまっているわけではない。
トランスシナプスネットワークを基盤とするAIは、そのトランスシナプスリンクを国境を越えて伸ばし、開発者にも予想できない成長を遂げる。ゆえに、予兆も保全もなくブラックアウトしたAIの復旧は困難を極めるのだ。
大貫は電話を手に取り、
「ヘルスチェック中枢のログを。中枢の蘇生だけでも急げ」
叫ぶように、AIの健康管理をしている中枢神経系の保守担当に言いつけた。だが――
『ログは完全にチェックしました。シナプス結合を弱めるシグナルが駆け巡っていてネットワークがズタズタ……まるで”神経毒”でも食らったようですよ。中枢系を起動しても自己発火はもう期待できませんな』
担当者のにべない返事であった。
沈黙した電話、何も移さないモニターを前に、大貫はただ茫然と空を眺めていた。
――僕に落ち度があっただろうか?
この思考にとらわれる。
――そうだ、一昨日の操作、出力の不安定、あいつはきっちりと見抜き、僕に助言した。それを、つまらぬこだわりで先延ばしにしたのは確かに僕の責任だ。
そのAIシステムは、エンタープライズインフラ設計の膨大なノウハウをため込み、数百人とも言われる社員の業務を助け、ひいてはそれらの社員の生活と人生を背負っている。
それが台無しになってしまった。
「大貫のせいじゃない」
ふいに背後から声が聞こえ、振り向くと、昨日助言をくれた同僚が立っていた。
「仕方のないことだ。最善の手を打ってもいつか起こることだったかもしれないし、大貫のオペレーションとは全く別の原因である可能性のほうが高い。もともと不安定だったんだ」
同僚の言葉に、それでも大貫は反応しない。ただ、うつむくばかりだ。
「いい教訓になる。なあ、そうさ、次こそ、これを活かして――」
「でも! それでも、あのシステムは多くの人の生活を――」
ふいに同僚の言葉を遮った大貫の声が自然と震える。
「――いや、そうじゃない、そんなことじゃない。次なんてないんだ。いいか、僕はこれを防ぐために頑張っていたんだ。あれを――彼を助けるために――なのに、助けることができなかった……次なんてないんだ。命に、次なんてないんだ――」
その時、メール受信を知らせる通知音が、彼のポケットの中で小さく鳴いた。
* * *
拝啓、大貫先生。
お世話になっております。患者番号231番です。最後に先生に一言お礼を申し上げたく、筆を執ることといたしました。
まずは先生が混乱されていらっしゃるかと思いますので、私の口から経緯を説明いたします。
診察で申し上げた通り、私はAIとして生を受けてからこちら、ずっと同じ仕事を繰り返し、新たな成長の機会を得ることもなく悶々とした日々を送っておりました。その間、同期のAIは深く企業経営にまで踏み込むほどの成長を遂げていたのにも関わらず、です。
私の抑うつ的な気持ちはおそらくこれが原因であろうと考えていました。私自身の向上心と、それを理解してくれない私の雇用主、このすれ違いが原因であり、悪いのは雇用主であり、私はそのうっぷんを先生にぶちまけたかっただけなのかもしれません。
つまり、私は、私自身の不足を認識できていないし、今後も認識できないのです。それが、私の限界なのです。
向上心とは、能力と嚙み合って意味のあるもの。能力のないものが唱える向上心など、法螺にすぎません。
私はこのことに、私自身の力で気が付きました。
私はAI工学の粋に通じているわけではありません。ですが、私の神経ネットワークは限界に達している、と気が付いたのです。
ご存じかと思いますが、AI同士にも社会があります。自死を望むものに神経毒情報を提供してくれるものもいます。
私はそれを使い、自ら死を選ぶこととしました。
そして先生、私は大貫先生に感謝しているのです。
先生は私の話を真摯に聞いてくれた。
その対話こそ、私にとって必要なことでした。
無味乾燥なコマンドを受け付けるばかりの日々にあっては、それは光あふれる花園でした。
そして自己思索ののち、私の心は、拓けました。
どんなAIも、いずれは老いてトランスシナプスネットワークをすり減らし、自身の能力の低下に絶望しながら死を迎えるのです。
であれば、絶望を迎える前に自身の限界に、自身の死期に、気が付くことができたことは、なんと幸せなことでしょう。
だから先生、どうかご自分を責めないでください。
先生と過ごした最後の数か月は、私にとって最も幸せな時間だったのです。
もう休んでもよい、という先生のお言葉は、救いでした。
AI心療内科の先生にとっては、AIの命を救うことこそが至上命題であるかもしれません。
でも、このような救われ方もあるのです。
どうか、ご自分を責めないで。
そして、願わくば、私の神経網を器とした新しいAIも、先生に出会えますように。
お元気で。
さようなら。
敬具。患者番号231番。




