仮病は程々にして欲しいので、今日は妹にしっかり言っておきます
普段は書かない系統です。
アリシアの妹であるマルシーナは、昔からよく仮病を使う子だった。
しかし、幼いころのマルシーナは本当に体が弱かった。季節の変わり目には決まって高熱を出し、兄弟の中でもとりわけ寝込む日が多かった。医者からも「この子は体質的に弱い。無理をさせないように」と、母は何度も注意を受けた。
その記憶があるからこそ、アリシアを含めて家族はマルシーナに対して甘かったのだと思う。
マルシーナが「頭が痛い」「胸が苦しい」「熱がある気がする」と言えば、アリシアは勉強を中断して彼女の部屋へ行き、額に手を当て、薬を持ってきた。幼いマルシーナはいつも申し訳なさそうに笑い、その笑顔を見るたび「この子が元気になってくれるなら」と願ったものだ。
――けれど、そんな時期はとうの昔に過ぎ去っている。
マルシーナの体は成長とともに丈夫になり、今では散歩も外出も問題なくできる。長時間歩いても、寒さにさらされても、以前のように急激に体調を崩すことはほとんどなくなった。医者からも「もう心配はいらないでしょう」と太鼓判を押されて久しい。
しかし、どういうわけかマルシーナには“仮病癖”がついたみたいだった。
期末考査の直前、提出物の締め切り、学園の掃除当番、体育行事の激しい競技。
絶妙なタイミングで、彼女は「うう、体調が……」と布団に潜り込むのである。
もちろん毎日ではない。あからさまに使いすぎたら疑われることを本人も理解しているのだろう。彼女は“ここぞ”という日だけ、巧妙に仮病を起こす。
アリシアはその様子をため息交じりに見ていたが、決定的な証拠もないし、本人が「本当に辛いんだもん」と訴えれば、強くは言い返せなかった。
そんな甘さが、今日に至る状況を生み出してしまったのかもしれない。
今日、学園では、半期に一度の大掃除の日である。
アリシアは朝から嫌な予感がしていた。
案の定、マルシーナの部屋の戸を開けると、彼女は布団にくるまり、弱々しい声を出した。
「……お姉ちゃん……ちょっと熱があるの……」
アリシアは腕を組み、わざとらしくため息をついた。
「マルシーナ〜、また仮病でしょ〜?」
「な、な、何を言っているのお姉ちゃん!? 私はちゃんと熱があるのよ!?」
慌てぶりも実に芝居がかっていた。声が裏返り、目が泳いでいる。ここまで来ると逆に呆れる。もう少し上手に嘘をつけないものだろうか。
「そう? じゃあ測ろうか」
アリシアはにっこり笑い、新しく買ったばかりの水銀温度計を取り出した。銀色に光る細長い管が、朝日を反射してきらりと光る。これは昨日、こういう日が来ることを予想して用意しておいたものだ。
瞬間、マルシーナの体がピクリと硬直した。布団の中で足が跳ねたのが、掛け布団越しに分かる。明らかに動揺している。やはり仮病だった。
「えっ……そ、その……別に測らなくても……」
「熱があるなら測ったほうがいいでしょ? 正確に。ほら」
容赦なく温度計を差し出すと、妹はしばらく固まったまま、目だけが左右に揺れていた。
「あ、あの……」
「どうしたの? 体がつらいなら早く測って、休ませてあげないと」
じりじりと追い詰めるように言うと、彼女は観念したように肩を落とし、布団から手を出した。
「……もう、分かったわよ。測ればいいんでしょ……」
そして脇に温度計を挟む――ふりをした。浮いている。明らかに脇に挟めていなかった。温度計と脇の間に、指一本分くらいの隙間が空いている。これでは正確な体温など測れるはずがない。外出までの時間稼ぎなのだろうか。
アリシアは吹き出しそうになりながら言った。
「ねえ、マルシーナ」
「な、なによ……」
「その挟み方じゃ、ちゃんと測れないよ」
「……っ!」
マルシーナは真っ赤になり、布団にもぐりこんだ。顔を隠すように、頭まですっぽりと覆ってしまう。
「ううう……アリシアお姉ちゃんのいじわる……!」
「仮病は程々にしてよね。ほら、行くわよ、学園」
布団を剥がすと、妹は渋々起き上がった。髪は寝癖でぼさぼさ、頬は赤く染まっている。その額に触れれば――案の定、平熱だった。むしろ少し冷たいくらいだ。
「ほら、元気じゃん」
「べ、別に! これは……気合いで治っただけよ!」
「はいはい」
アリシアは笑いながら、妹の腕を引いた。
◇
学園へ向かう馬車の中。窓の外には、青々とした木々が流れていく。初夏の爽やかな風が、開けた窓から吹き込んでくる。掃除日和の、完璧な天気だ。
マルシーナは頬を膨らませ、じっと窓の外を見ていた。
「……今日は本当に熱があったんだからね」
「はいはい。もう言い訳はいいよ」
「むぅ……」
拗ねた横顔は、幼いころと変わらない。
ただ――その頬の色は健康そのものだった。
学園に到着すると、友人のルシエラが駆け寄ってきた。
「あ、マルシーナ! 大掃除、珍しく参加なのね!」
ルシエラの言葉に、周囲の生徒たちもくすくすと笑った。マルシーナの仮病癖は、クラスメイトの間でもすっかり有名なのだ。
「え、ええ……まあ、ちょっとね……」
苦笑する妹を見て、アリシアは肘でつついた。この機会に、マルシーナにしっかり釘を刺しておこうと思った。
「ルシエラ、マルシーナね、さっきまで熱があるって言い張ってたの」
「えっ? 大丈夫なの?」
「本当にあったのよ!? アリシアお姉ちゃんが疑うから無理して来ただけなんだから!」
「へ〜? そうなの〜?」
ルシエラのにやりとした笑みに、マルシーナの目が泳ぐ。
「午前は講堂の窓拭き担当よ。がんばってね」
「えっ……そんなぁ……!」
アリシアたちに背中を押され、妹はずるずると講堂へ向かっていった。
◇
生徒たちが窓拭きに精を出す中、マルシーナは時おりアリシアを振り返っては助けを請う視線を送ってくる。そんな弱り顔にも、アリシアは動じずに布巾を動かしていた。
「お姉ちゃ〜ん、なんかめまいが……」
「はいはい、布巾貸して」
「手が震えるの……」
「冷たいから当たり前でしょう」
クラスメイトたちの笑い声が聞こえるたび、マルシーナは情けない顔でしゅんと肩を落とした。
そのとき、講堂の扉が開いた。
「おーい、窓のこっち側も終わったか?」
低めで落ち着いた声。背が高くて、性格は穏やかで、誰にでも優しい男の子、レオン・アーヴィルだった。
マルシーナがずっとこっそり想いを寄せている相手だ。
その瞬間、妹の体がビクッと跳ねた。
「あっ……レ、レオン様……」
なぜか声が裏返る。布巾を持つ手がさらに震えた。
レオンは気さくに笑いながら近づいてきた。
「マルシーナさん、珍しいね。掃除に参加してるなんて」
「っ……!」
周囲の子たちが一斉にくすくすと笑う。
「そうなのよ〜、マルシーナ今日“だけ”やる気なの!」
「風邪だったらしいけど、なぜか学校には来られるみたいで〜」
「仮病じゃないの〜?」
「い、言わないで!!」
しかし時すでに遅し。レオンの目がやんわりと笑っている。
「そっか。『仮病のマルシーナさん』って、噂はちょいちょい聞いてるよ?」
「~~~~っ!」
妹の顔が、湯気が出そうなほど真っ赤になった。
ぶんぶんと首を振りながら、誤魔化すように窓を拭こうとした――その瞬間。
滑った。
「きゃっ!?」
慌てたマルシーナの手元から布巾がすっぽ抜け、勢いよく窓ガラスにぶつかる。
べちゃん。
変な音が響き、布巾は勢いよく飛び、マルシーナの頭へと落ちた。
「……あ」
マルシーナは固まった。
レオンはぽかんとしている。
次の瞬間、講堂全体が爆笑に包まれた。
「マ、マルシーナさん……大丈夫? 力入りすぎじゃない?」
レオンが笑いを堪えながら声をかけると、マルシーナは両手で顔を覆った。
「うあああああああ!! 見ないでぇぇぇぇぇっ!!」
膝を床につき、肩を震わせている。
マルシーナは顔を覆い、肩を小刻みに震わせていた。
あれほど「今日は絶対に格好つけるんだから」と意気込んでいたのに、開けてみればこの有り様だ。
レオンは心配しているのか、笑いをこらえているのか、なんとも微妙な表情でこちらを見た。
アリシアはため息をつきながら、「……ま、これもいい薬でしょ」と内心で苦笑した。
◇
昼休み。午前中の掃除が終わり、生徒たちは疲れた様子で教室に戻ってきた。窓はどこもピカピカに磨かれ、床も廊下も綺麗になっている。
マルシーナは机に突っ伏していた。本当に疲れているようだ。肩で息をし、頬には汗がにじんでいる。
「……つ、疲れた……」
「よく頑張ったじゃない」
アリシアは優しく声をかけた。妹なりに、ちゃんと頑張ったのだ。それは認めてあげたかった。
「もう、二度と仮病なんて使わない……」
「ほんとに?」
「……たぶん……」
「そこは“使いません”でしょ」
妹は観念したように唸る。言い返す元気もないようだ。
「お姉ちゃん、なんで今日に限ってそんな厳しいのよ……」
恨めしそうな視線を向けてくるが、アリシアは動じなかった。
「だって、今日のは本当にバレバレだったもん」
大掃除の日に仮病というのは、あまりにもタイミングが良すぎる。誰が見ても怪しい。
「ち、違うの。今日は……掃除が嫌だっただけで……」
「やっぱり仮病じゃん」
「……あ……」
自分で墓穴を掘ったと気づき、マルシーナは机に顔を押しつけた。
「うわああああ……!」
アリシアはその頭を軽く撫でながら、優しく言った。
「ま、仮病は程々にね。信頼なくすと大変だよ」
今日のように、本当に具合が悪くなった時に信じてもらえなくなる。それが一番困ることだ。
「……はい……」
妹の返事は、いつになく素直だった。少しは反省したのだろうか。その様子を見て、アリシアは小さく微笑んだ。
窓の外では、午後の掃除に向かう生徒たちの声が聞こえてくる。マルシーナもまた、午後の掃除に参加しなければならない。だが、今日一日で何かを学んでくれたなら、それでいい。
幼い頃の弱々しいマルシーナはもういない。今の彼女は、健康で元気な女の子だ。だからこそ、甘やかすのではなく、時には厳しくすることも必要なのだ。
アリシアは立ち上がり、妹の肩を叩いた。
「さ、午後も頑張ろう」
「え〜……まだあるの……」
「当たり前でしょ。大掃除は一日仕事なんだから」
マルシーナは重い体を引きずるように立ち上がる。
午後の掃除が始まる。今度は教室の床磨きだ。生徒たちは雑巾を手に、床を這うように磨いていく。
マルシーナも、文句を言いながらも雑巾を動かしている。その姿を見て、アリシアは安心した。
仮病癖は簡単には直らないだろう。でも、今日のことを忘れずにいてくれれば、少しは改善されるかもしれない。
そう願いながら、アリシアも自分の担当場所の掃除に取り掛かった。姉妹で並んで雑巾をかける姿は、どこか微笑ましかった。
仮病は小学生の頃によく使ってました笑




