第4話 王女、正妻戦争に参戦す
──こんなはずじゃ、なかった。
暖かな午後の陽射しの中、ルークは屋敷の中庭に置かれた石の椅子に腰を下ろしていた。
剣の手入れをするはずが、手元の布は止まり、彼の目はどこか虚空を見つめていた。
(転生して、才能も環境もあって、過去の自分よりずっと恵まれてると気づいた。だから、必死で鍛えてきた。魔法も、剣も、知識も──全部、“世界を救う”ために)
(なのに……なんで、毎晩、魔女と添い寝して、朝になると妹に結婚を申し込まれてるんだ……?)
心が叫び出したかった。
今も屋敷の奥からは、「ルークさま、今日の下着はどう思いますか?」という魔女の声や、「お兄ちゃんと混浴するのは妹の特権でしょ!?」という叫び声が交錯していた。
「……これ、平和の代償ってレベルじゃない」
額を押さえるその時だった。
一羽の伝書鳥が、天空からくるりと舞い降りた。
王家の紋章が刻まれた封蝋。差出人は、ノクトヘルム王国・国王フェルナンド三世。
(また、面倒なことにならなければいいけど……)
* * *
王都・セレスタリア。光の大理石で築かれた王宮の謁見の間。
天井の高窓から差し込む光の筋の中に、ルークは一人、立っていた。
「来てくれてありがとう、勇者ルークよ」
王の言葉は穏やかだった。白銀の髭をたくわえたフェルナンド三世は、年老いてなお威厳に満ちた人物だった。
「我が国──いや、この世界のために、魔女をひとり倒したというのは、まさに歴史的偉業である」
「……いえ、俺はただ、自分にできることをしただけです」
ルークは頭を下げながら、心の中で思う。
(こういう空気、苦手だ……)
そして──王は次の瞬間、重くも衝撃的な言葉を放った。
「よって、我が娘アリシアとの婚姻を許したい。勇者として、家族として、王国の柱になってほしいのだ」
「…………は?」
ルークの思考が停止する音が聞こえた気がした。
* * *
応接の間に通された後、ミレイアが激昂したのは言うまでもなかった。
「ちょっと、それってどういうこと!? ルーク様には私がいるっていうのに!」
「ミレイア、落ち着け。俺はまだ何も──」
「ふざけないで。“正妻の座”は、誰にも譲る気なんてないんだから!」
その時、部屋の扉が静かに開いた。
銀のティアラを戴き、淡い紫のドレスに身を包んだ少女が、静かに立っていた。
「はじめまして。私はアリシア・ルミナシア。ノクトヘルム王国第一王女にして、貴方の……将来の花嫁です」
冷静で、整った顔立ち。気品と自信をまといながらも、その瞳はまっすぐにルークを見つめていた。
「……あら、これが“政略結婚”ってやつなのね」
ミレイアがジロリと睨む。
「政略は、あくまで入口。私はそれ以上に、あなた自身を見極めたいと思っています。──勇者、ルーク・アルヴェイン」
彼女の声は静かだった。けれど、ルークは理解した。
この王女は、“本気”で、自分を選ぶ覚悟がある。
それは、ミレイアの忠誠でもなく、ルミナの兄愛でもない、“王女の眼”だった。
「──勇者様には、私と共に歩む覚悟がありますか?」
アリシアはそう問いかけた。
ルークは一瞬、言葉に詰まった。
(覚悟……そうだよな、普通は“勇者と結婚”なんて、自分の意思とは無関係の話にされがちだ。だけど、この人は──)
その瞳には打算だけではない“意思”があった。
ふと、ミレイアが小さく鼻を鳴らした。
「ずいぶんと上から物を言うのね。倒された魔女の前で“共に歩む”なんて、よく言えるものだわ」
「そちらこそ。討伐された側が“妻”として居座るというのも異常です」
「異常じゃないわ。文化なの。私たち魔女は、強き者にすべてを捧げるのが当然なのよ」
「“文化”で押し通すのは野蛮です。王家の婚姻とは、国家と国民の未来を担う責任の形なのですから」
「じゃあ聞くけど、あなたはルーク様の何を知っているの? 一緒に朝食を食べた? 一緒に寝た?」
「それは、まだ──」
「じゃあ黙って」
「っ……!」
ピシィンッ、と見えない火花がはっきりと空間に走った。
互いに一歩も譲らぬ視線。高貴さと魔性の“嫁候補”ふたりが、同じ空間で正面からぶつかっていた。
ルークはその間に挟まれたまま、膝の上で手を組み、静かに俯いた。
(これ……俺、戦場より疲れるんだけど)
心底からの本音だった。
* * *
帰路の馬車の中。ミレイアは窓の外を見つめながら、ぽつりと漏らした。
「でも、あの子……“見てた”わね。ちゃんと、あなたを」
「……ああ。俺も、それは感じた」
「ふふ……負けてられないわね、妻として。ちゃんと、私の方を見てもらわなきゃ」
そう言って、彼女はルークの肩に頭をもたれさせてくる。
「ねえ、今日から、もっと深い関係になっても……いいかしら?」
「……だめ」
「即答なの!?」
「いまそれどころじゃないだろ!?」
ミレイアが膨れる横で、ルークは心の中で深く深く溜息をついた。
(世界を救うって、こんなにも……家庭的な戦いだったんだな)
* * *
こうして、王女アリシアが正式に“正妻戦線”に参戦し、
勇者をめぐる争奪戦は、国家レベルの泥沼へと足を踏み入れた──!
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