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第2話 婚約届と風呂と闇の魔女

 ミレイア・ノクトルーナが「妻になります」と告げてから、数時間が経っていた。


 ノクトヘルムの大地には、もはや魔力の気配はない。かつて濃密な闇の魔力に包まれていたこの地は、いまやただの岩と草と、静かな風の吹く荒野となり果てている。


 魔核を失った魔女──いや、元・魔女のミレイアは、ひとつも後悔の色を見せていなかった。

 むしろ、晴れやかな表情で馬車に揺られながら、ルークの隣にちょこんと腰掛けている。


「なあ……ミレイア。ひとつだけ、聞いてもいいか」


「何でも聞いて、ルークさま」

 くすりと笑って、そんなふうに言うから、ルークの眉間はぎゅっと寄った。


「“ルークさま”って言うのをまずやめてくれ」


「え? でも、私、あなたの妻になったのよ?」


「……なんで、そうなるんだよ」


 後部座席で足を投げ出していたジークが、大きな溜息をついた。


「おーい勇者、ちょっとそこんとこ詳しく聞かせてもらってもいいか。つーかこいつ、まだ“魔女”だろ? だったら──」


 ガッ


 ジークが腰の短剣を引き抜き、ミレイアに向かって飛びかかった。


「はっ!」


 ルークが即座に剣を抜こうとした瞬間、ジークの刃はミレイアの肩口を切り裂いた──かに見えた。


 だが次の瞬間、刃はまるで“水面”を斬ったように沈み込み、手応えを失った。


「なっ……!」


「ふふ。私は不死身よ? その程度の刃では死なないの」


 ミレイアはニッコリと微笑んで、自分の肩を軽く撫でる。そこには血ひとつ、傷ひとつなかった。


「でも安心して、勇者様に魔核を斬られた私は、もう魔力を使えない。いまの私は、ただの女の子よ?」


「いやいやいやいや、説得力ないんだけど!? “ただの女の子”が不死身なのかよ!」


 ジークが大声で叫ぶ横で、ルークは頭を抱えていた。

 何もかもがテンプレ通りではあるのだが、それだけに逆に現実味がなかった。


* * *


 屋敷──アルヴェイン家の本邸に戻ったとき、太陽はすでに傾き始めていた。


 敷地内には魔除けの結界が張られ、使用人たちが整然と動き回っている。

 その中心に立つのは、豪胆な風格を湛えた男、ルークの父・カイル・アルヴェインである。


「ほう。魔女を倒して帰ってきたと思ったら……嫁を連れて帰ったってか?」


 笑いながら腕を組み、玄関で出迎えたカイルに、ルークは目をそらした。


「いや、これはその、事情があって……」


「ふむ。責任は……取るんだろうな?」


「取るって、何を──」


 横からミレイアがぴたりと寄り添い、「婚姻の儀はいつになさいますか?」とさらりと言った。


 屋敷の空気が、数秒だけ固まった。


「……ったく、お前、いきなり親に“嫁連れてきました”ってのは驚くわ。まあ、いい。家のことは俺に任せておけ」


 あっさりすぎる父の了承に、逆に頭が混乱してくる。


「そういえば母さんは?」


「母か? ちょうど今、実家に里帰り中だ。手紙で伝えておくさ。“ルーク、魔女と結婚する”ってな!」


「やめてえええええええっ!!」


 絶叫が屋敷に響き渡った。


* * *


 その夜、屋敷のゲスト用浴場に湯気が立ち込めていた。


「ふぅ……この時代のお風呂って、思ったよりも気持ちいいのね」


 脱衣所から出てきたミレイアは、バスタオル一枚を体に巻きつけただけの姿で、まるで当然のようにルークの部屋の扉を開けた。


「ちょっ、待──お、おいっ!? なに勝手に入ってきて──」


「だって、これからは一緒に寝るのでしょう? 妻ですもの」


 ルークは顔を真っ赤にしながら目を逸らした。

 タオルの隙間から覗く艶やかな肌、濡れた長髪から滴る湯のしずく。そのすべてが、理性を削っていく。


「いいやいや、そういうのはもっと順序ってものがだな……!」


「順序? 倒された魔女は、夫に尽くす。それが我が一族の文化。異論は?」


「ぐっ……ぐぅぅ……!」


 文化の違いって、こんなにも厄介なのか。


 ルークはついに観念し、隅の布団を引っ張り出して言い放った。


「わ、わかった。とりあえず今日は……! その布団使え! 俺はソファで寝る!」


「ええ。構わないわ。でも……」


「……でも?」


 ミレイアは無邪気な笑みを浮かべ、布団の中から“あるもの”を取り出した。


「これ、提出先はどこかしら? 婚約届って、どの役所に出せばいいの?」


「……は?」


 差し出されたのは、見覚えのない書式。けれど、どう見ても正式な書類だった。ルークとミレイアの名前が、既に丁寧な筆跡で記入されている。


「いや、どこで入手した!? 誰が書いた!? てか俺、記憶にないんだけど!?」


「私が書いたの。空欄だった部分も、さっきの会話をもとに、きちんと補完しておいたわ」


「補完って何だ!?」


 ベッドの上でふわふわと微笑むミレイアは、まるで子猫のような無邪気さで、それでもしっかりと牙を持っていた。


 ルークは再び頭を抱えた。

 魔女との戦いが終わっても、心の平穏はまるで訪れてこない。


「……始まったな」


 ジークが廊下の隅でぽつりと呟いた。

 そして、その隣ではフィオナがそっと手を合わせていた。


「勇者様……ご武運を……」


* * *


こうして、討伐後の平穏など微塵もなく、“ラブコメ戦争”の幕が開いたのである──

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