第10話 旅立ち
数々の騒動が過ぎたある朝、ルーク・アルヴェインは、いつもより早く目を覚ました。
アルヴェイン邸の東の空が、橙に染まり始めている。
まだ誰も起きていない廊下を歩き、静かに庭へ出る。風がやさしく肌を撫でた。
(そろそろ……次の一歩を踏み出すときだな)
行き先は、テラスマール大陸。
大地を支配する【大地の魔女】──グレイアを倒すため。
彼女の魔力が満ちる大陸では、山岳地帯と地下迷宮が連なり、魔物たちが自然に同化していると報告されていた。
人類の再定住が難しいこの地を取り戻すため、勇者の剣が再び抜かれる。
* * *
「ふーん、テラスマールかぁ。いかにもトラップと抜け道だらけって感じ」
ジークは地図を見ながら、くくっと笑った。
「ま、索敵とか隠密とか、俺の出番がやっと来たって感じかね?」
「ジークさんがいれば、安心です……あ、でも回復は、私が全部引き受けますから!」
フィオナも意気込んで微笑む。
彼女の治癒魔法は“ほとんど死者を蘇らせるレベル”とまで評され、激戦の中ではルークすら頼りにする重要な支援役だ。
「当然、私も行きますわよ」
ミレイアが即座に名乗りを上げた。
「そ、そんなの当たり前でしょ! 嫁として、戦いの旅に同行するのは当然!」
クラリスもぴょこんと立ち上がる。
「……お兄ちゃん……」
その場にいた妹のモナが、下唇を噛む。
「私は行けないんだね……学院の授業、今は重要単元だし……でも、本当は一緒に行きたいよ……」
「モナ……」
ルークがしゃがみ込み、妹と視線を合わせる。
「大丈夫だ。お前がいる場所を、俺がちゃんと守る。
だから、安心して魔術師として強くなってこい」
モナは、目に涙をためながら、こくりと頷いた。
「……じゃあ、お兄ちゃん。ちゃんと帰ってくるまで、“浮気しない”でよね……!」
「浮気って……いやもう、何人か嫁候補増えてる時点でその定義が……」
「聞こえない!」
* * *
ルークは旅立ちの準備を終えると、父──カイル・アルヴェインのもとを訪れた。
「大陸を離れる? ……まあ、お前の性格なら、そう言うだろうと思ってた」
「うん」
「だが、“勇者”がこの大陸からいなくなるとなると、いろいろ波紋も出る。まずは王都に挨拶してから行け。
王族との関係も、軽く見られる立場じゃないからな」
「……わかった」
「それと、ひとつだけ言っておく」
カイルは立ち上がり、背中をポンと叩く。
「女のことで悩む暇があったら、ちゃんと剣を振れ。
でも、手ぇ出した女には、ちゃんと責任取れ」
「……うん。ありがとう、父さん」
王都・セレスタリア。
白亜の城門の前、ルークは王宮の階段を登っていた。
報告と挨拶。
それが、勇者として、この地を去る前の最低限の礼儀だった。
「お久しぶりですね、ルーク様」
応接室に現れたのは、凛とした美しさを纏う王女──ステラ・ルミナシア。
相変わらず隙のない姿勢と冷静な表情を崩さず、しかしどこか、目だけは柔らかさを帯びていた。
「他国へ……行くと?」
「はい。次の魔女を討伐するため、テラスマール大陸へ向かいます」
「……なるほど」
しばしの沈黙ののち、ステラは足音も立てずに一歩近づき、低い声で告げた。
「よく聞きなさい、ルーク・アルヴェイン。
この国の勇者が、他国の女──特に“王女”と婚姻した場合、我がルミナシア王国は、それを“政治的侵略”とみなします」
「……」
「戦争になります。冗談ではありません」
声には静かな怒りが含まれていた。だが、それ以上に──
「……だから、私を、置いて行かないでください」
その呟きは、恋するひとりの少女のものだった。
「ステラ……」
「……いえ、なんでもありません。あなたの道を、止める権利など、私にはありませんから」
背を向けた彼女の揺れる金髪が、どこか寂しげに揺れた。
* * *
その帰り際、門の外で待っていたのは──マリア・ロッセル。王国護衛団副団長。
「もう行くのか、勇者」
「うん。次の大陸へ。もう、準備はできてる」
マリアは、少しだけ寂しげに笑う。
「この大陸は、私が守る。お前が戻る場所として、ちゃんと残しておく」
「ありがとう、マリア」
そして彼女は、ふいに視線を外し、ほんの小さく呟いた。
「……私は、第二夫人でもいい。
だから、無事に帰ってこい。──約束だ」
「……!」
ルークは一瞬だけ、驚きに目を見開いた。
だがすぐに笑い、小さく頷いた。
「わかった。帰るよ。必ず」
* * *
そして──
「全員、揃ったな。いよいよ、出発だ」
ルークが振り返ると、そこにはジークが片手を挙げ、フィオナが小さく祈りの印を結び、
ミレイアが静かに立ち、クラリスが大きな荷物を抱えていた。
「さあ、テラスマール大陸へ。次の魔女を倒しに──」
「そしてまた、嫁が増えるのね……」
「やっぱりそうなるのね……」
「予言ですからね……」
「やめろ全員! フラグ立てんな!!!」
ルークの悲鳴と共に、馬車が王都を離れて走り出す。
その背に、王国の人々の視線と、ひとつの想いが重ねられていた。
──帰ってこい。必ず。
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