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この世で一番悲しい日 ~二人の皇子と許嫁~  作者: 木山花名美
エメラルドの瞳

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~番外編~ 樫の木の少女 中編

 

 はあ……今日は本当に疲れた……


 風呂で汗を流すと、ベッドに沈み込む。


 これだけ苦労して仕える皇太子妃が、あの色気のない子供(子供じゃないけど)だなんて……給料が良くなきゃやってられん。

 この村……娼館はあるかな……酒も女もないなんて……耐えられ……ない……


 セノヴァはそのまま、深い眠りに落ちていった。



 ◇


「どうだ?」


  調査書類に目を通すボイに、オーレンが尋ねる。


「仕事ぶりは問題ないようですね。侯爵家でも、ヘイル国皇室でも問題なく任務をこなしています。ただ……」

「ただ?」

「無類の女性好きみたいですね」


 オーレンが眉を寄せる。


「まあ、シェリナ様でしたら全く問題ないでしょう」

「……どういう意味だ?」


 睨まれ、ボイは誤魔化すように咳をする。


「とりあえず当面はユニと兵を何人か付けて、護衛としての素質を見極める。逐次報告させろ」

「承知致しました」


「……大人しくしていてくれたら楽なんだけどな」

「殿下。あまり束縛が過ぎると、女性も息苦しく感じられるものですよ」


 オーレンは深いため息を吐き、遠くを見つめる。


「貴方には分からないよ……こんな気持ちは」



 ◇


 翌朝、まだ日の昇らぬ内から、部屋に乱暴なノックが響く。


「セノヴァさん、起きてください! 妃殿下がそろそろお出掛けになられます!」


 うーん?

 時計の針はやっと5時になろうという所だった。


「こんな朝早くから、皇太子妃が何処に行くんだよ……」


 再度枕に倒れ込むも、女の怒鳴り声と激しいノックの音に、頭を掻きむしりながら起き上がった。



 ふわあと大きなあくびをしながら、とりあえず女達の後を付いていく。


「何処へ行くんですか?」

「月蓮草を摘みに行くの。朝露を凍らせると、より綺麗な色に染まるのよ」


 月蓮草? ああ、染色の。


「セノヴァさん、昨日殿下からお話があったと思いますが、染色工程は国家機密ですからね。決して外部に漏らしませんように」


 ラベンダー色の女……ユニとやらが人差し指を立てながら睨む。


「はいはい」

 興味ありませんよ。それよりも……


「何で皇太子妃が摘むんですか? 誰かにやらせりゃいいでしょう」

「月蓮草の管理はユニの担当なの。私も染色を始めた頃からやっているし、一緒に取り組みたいのよ」


 妃らしくない。


「皇太子殿下は随分寛大なんですね。こんな早朝から大切なお妃様を外出させるなんて」

「それは……なかなか離してくれない時もあるけど、でも、レンは優しいから」


 離してくれないって……おいおい、そんな子供っぽい顔でさらっと言うなよ。


 シェリナは話しながらも、ユニと息の合った動作で、凍らせた草を摘んでいった。篭が一杯になると、またさっさと何処かへ向かおうとする。


 今度は何だよ。


 二人に連れられ、兵達が厳重に護る建物へ入っていく。中は釜戸や水場が幾つかある、広いキッチンのようなスペースになっていた。


 染色専用の施設か。


 素早く火を点け湯を沸かすと、さっき摘んだばかりの草を、これまた息の合った動作で処理していく。


「上質な媒染液を作るには、時間との闘いなんです」


 へえ…………ああ、眠たくなってきた。



 一度宿に帰り朝食を採ると、またすぐに何処かへ行くと言う。せめて食後くらいまったりさせてくれ……


 今度は何やら大きなバスケットを持って山を登っていく。さっき食べた物、全部吐きそうだぜ。


「シェリナ様!」

「シェリナちゃん」


 山で作業をしていた男達と少年が、シェリナに気付き頭を下げる。


「お疲れさまです。少し休憩してくださいね」


 切り株に腰掛けた男達に、バスケットからお茶やサンドイッチを出しては渡して行く。


「いつもありがとうございます」

「いいえ、暑くなりそうなので、冷たいお茶にしました。無理しないでくださいね」


 ……これも妃らしくない。誰かにやらせりゃいいだろ。


「はい、セノヴァもどうぞ」


 小さな手からコップを渡され、カラカラになった喉を一気に潤した。


「ごめんなさいね、朝から連れ回してしまって」

「……いえ」


 言いたいことを全て呑み込む。


「この後は何かあるんですか?」


「この後は……暑くなるし、一旦宿に戻るわ。今度首都でお祭りがあるから、そこに展示する金糸の作品を作るの。午後涼しくなったらまた出掛けるけど、それまでセノヴァは少し休んでね」


 はあ、助かった。



 ◇


 オーレンは金糸と格闘するシェリナの口に、小さく切った林檎を運んでやる。


「はあ……どうしてこんなに不器用なのかしら」

「皇太子妃が心を込めて刺繍しているんだ。それだけで価値があるさ」

「それじゃ嫌なの。折角の金糸なのに。ちゃんと美しさを認めてもらわないと」


 オーレンはシェリナの荒れた指先を見て眉をしかめた。手を止めさせ、針と布を奪い取ると、柔らかな風に包んでいく。


「暖かい……ありがとう、レン」

「これじゃ痛むだろ。医師に診させよう」

「クリームを塗れば大丈夫よ」


 少し疲れた顔でにこっと笑うシェリナを、腕に抱き締めた。


「もう今日は外へ出るな。朝から動き回っているんだから、休んだ方がいい」

「でも……タチアナさん達と約束してしまったの。今、銀糸の染色にも挑戦しているのよ」


 はあ……

 もう今日何度目のため息を吐いただろう。


 ユニが迎えに来ると、林檎も焼き菓子も残したまま、また出掛けて行ってしまった。




 ◇◇◇


 それから一週間経った頃────

 セノヴァはいい加減うんざりしていた。


 毎朝早くに叩き起こされ、暑い中あちこち連れ回される。時には下働きのように、肉体労働まで手伝わされ……子爵家の三男として、恵まれた環境で自由に育った彼にとっては、今の暮らしは地獄だった。


 酒場もパーティーもなければ、美しい女も居ない。あるのは緑、山、河、草、草、草……不満やら色々なものが溜まり、頭も身体もおかしくなりそうだった。


 こっちから辞めてやる!


 セノヴァが決意したその日、ユニが体調を崩した為、シェリナとセノヴァ、兵二人だけで外出することになった。




 はあ、今日で最後か。あのキツいラベンダー女が居ないのがせめてもの救いだぜ。


 染色施設を出た頃は丁度日差しが一番強い時間帯で、少し休もうとシェリナに言われ、あの樫の木陰に入った。兵に水を勧めた後、フラフラと幹に小さな身体を預けている。


「……大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」

「丁度暑い時間に出ちゃったね、ごめんね」


 いや、そうじゃなくて。俺は手をシェリナの額にかざし、冷気を出してやる。


「氷の……魔力?」

「ええ。このくらいしか出来ませんけどね。剣に乗せればそこそこ使えるんですが、魔力単体では何の役にも」

「いいえ……ありがとう」


 しばらく冷やし続けてやると、シェリナは心地好いのか、瞼を閉じうとうとし始めた。


 本当に、こうして改めて見ても、村の子供にしか見えない。上の方で一つに結わいただけの黒髪、大きな瞳ばかり目立つ幼い顔、薄汚れたエプロン姿、華奢な身体。

 皇太子はあれ程の美貌を持ちながら、何故この女を選んだのだろう。そんなことを考えている内に、いつの間にか自分も船を漕いでいた。



 ふと目を開けると、日差しが大分和らいでいることに気付く。

 やべえ……護衛のくせに寝ちまった。こりゃ辞職する前にクビだな。

 隣を見ると、幹に凭れていた筈のシェリナが、柔らかい草の上に倒れている。


「……おい!」


 揺り動かそうとして、すうすうと寝息を立てているのに気付く。

 なんだ……寝ているだけか。


「う……ううっ……」


 突如苦し気な声を上げる。やっぱり具合が悪いのか? 顔を覗き込むと、閉じた瞼から涙が溢れている。

 ……夢でも見ているのか?


「うっ……」

 悲しげに歪めた瞼から、更に涙が溢れ出る。見ていられなくなり、俺は強く呼び掛けた。


「おい! おい!」


 ビクッと身体を震わせ、シェリナは瞳を開く。慌てて飛び起き、暫く周りの景色を眺めた後、手で顔を覆った。


「大丈夫か? なんか魘されてたぞ」


 敬語も忘れて問いかける。シェリナは何も答えず、そのままの姿勢で、声を押し殺しながら震え続けていた。


 少しすると落ち着いたのか、ふらっと立ち上がり、黙ったまま宿の方へ歩き始めた。


 ……大丈夫か?


 華奢な背中が、日差しに消えてしまいそうに見えた。




 河沿いを歩いていた時、子供の叫び声が聞こえた。遊んでいるのかと、ふと目をやれば……

 流れる水の中に、浮き沈みする何か。


 あれは……!


 河原を走って流れを追いかける子供と、溺れる子供。周りに大人はいない。


「ここで待ってろ!」


 セノヴァはシェリナに叫ぶと、迷わず河に飛び込んだ。夕べ雨が降った為、水嵩があり流れも速い。何とか追い付き、後ろから子供を抱き上げると、河岸の兵に手渡す。


 セノヴァが子供を助ける様子をハラハラしながら見守っていたシェリナは、ふと別の水音に気付く。そちらに目をやると、別の頭がバシャバシャともがいていた。


 もう一人居たの……!?



 子供を手渡したセノヴァは、ほっとしながら岸に居るはずのシェリナを振り返るも、そこに姿はない。


 え……?


 ふと不規則な水音に気付くと、黒い頭が子供を抱いたまま器用にすいすい泳ぎ、向こう岸へ向かっているのが見える。


 もう一人居たのか!


 何処からか騒ぎを聞いた大人が慌てて駆けつけ、岸に辿り着いたシェリナから、子供を受け取り引き上げる。


 へえ……リスは木登りだけじゃなく、泳ぎも得意なんだな。こんなに運動神経が良いなら、いっそ剣も教えちまえば自分で護衛出来るんじゃないか?


 呑気にそんなことを考えている内に、シェリナの違和感に気付く。岸に上がろうとしているのに何故か上手く上がれない。大人は子供に手一杯でそれに気付かず……そのまま手が岸からするりと離れ、流れに飲まれていった。


 ……馬鹿!


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