4 覚悟
つり上がった目、彫りが深く尖った顔、そして紅をささなくとも真っ赤な唇。
どの女も、さすが皇妃の血筋だな。
不快感をひたすら隠し、当り障りのない交流を重ね……数日の滞在の後、令嬢達は帰って行った。
「オーレン皇子、娘達はいかがでしたか? 皆、殿下の美しさに見とれていましたわ……枯渇した魔力のことなど気にならない程に」
「品の良い娘ばかりだったけど……どう? 誰か気に入った?」
嘲笑を浮かべる皇妃も、軽い調子のルイスも、どちらも腹立たしい。
「……はい、さすが皇妃陛下のお血筋。申し分のないご令嬢ばかりで、私には勿体ない程でした」
「ふっ、謙遜しなくとも良い。……親戚と言っても分家の遠縁の娘達だ。たとえ重罪人の息子と言えども、そなたは皇子であることに変わりはないのだからな」
皇妃のその言葉に、オーレンは煮え繰り返りそうな感情を必死で抑える。
「仰る通りです。私は皇子ですが先帝を殺めた重罪人の息子。貴い皇妃陛下のご親戚を、妃に頂く訳にはいかないのです。つきましては……私は平民の娘を妃に娶りたいと考えております」
「平民だと?」
皇妃は盛大に眉をしかめる。
「はい、私は両陛下のお情けで、宮殿を追われることなく成人を迎えることが出来ました。ですが私が重罪人の息子である事実は変わらず……更には魔力もほとんどない為、今後も皇室のお役に立つことは難しいと考えております。母の犯した罪を背負い、皇室の栄華を祈りながら、ただただ静かに暮らしてゆきたいのです」
「だからその為に、魔力の強い娘達を……!」
オーレンは皇妃の言葉を遮り、ルイスに向き直る。
「皇太子殿下、私に殿下のご学友を紹介していただけませんか?」
「僕の?」
「はい。私は公式行事以外ほとんど屋敷の外へ出ることがなく、出会いの場もございません。ですので、殿下のご学友を紹介していただきたいのです。心優しく、私に寄り添ってくれる平民の女性を。そして生涯、感謝を込めて皇太子殿下にお仕えしたいのです」
「オーレン……」
ルイスは胸に迫る何かを呑み込む。
「……皇法学園の生徒は、ほとんどが皇族や貴族だけど、中には特待生の優秀な平民の生徒もいる。……分かった。真面目な良い娘を君に紹介しよう」
「ありがとうございます。殿下の御心に感謝致します」
視界の隅に捉えた皇妃は、隠しきれない怒りでわなわなと震えている。
非常に愉快なその様子に、ふっとオーレンの溜飲が下がった。
生憎だな……俺はお前の掌には乗らない。
皇子達が下がった執務室は、不穏な空気に包まれていた。
苛々と扇を畳んでは開く皇妃を視界に捉えながらも、どこか遠くを不安げに見つめる皇帝。
「本当に良いのだろうか……父上の意思に背き、オーレンから皇位継承権を奪っただけでなく妃まで」
気弱な夫の声に一層苛立った皇妃は、畳んだ扇で自分の掌をバシッと叩いてから、冷たい声を放った。
「ああするしかなかったでしょう。罪人の息子を帝位になど就ければ、間違いなく国が荒れます」
「だが……先帝の遺言をないがしろにして、災いを呼んだらどうする。せめて妃だけでも遺言通りオーレンに」
扇をどかせば、赤く腫れた掌に氷の粒が浮かび上がる。皇妃はそれを乱暴に握り潰した。
「災いが起きるならとっくに起きているでしょう。陛下が帝位に就かれて、一体何年経つと思っていらっしゃるんです? オーレンしか皇子がいないならともかく、我が皇室には、国民の支持が厚いルイスという立派な皇子がいる。それに……」
立ち上がると、ドレスの裾をさばきながら大股で窓辺に近付く皇妃。遠くに霞む孤独な屋敷を、氷のような瞳で睨みつける。
「災いというなら、カレン妃こそが災いでしょう。遺言に背いて、貧しい村の卑しい平民なんかを皇太子妃に迎えたせいであんなことに。罪があるとすれば私達ではなく、皇太子可愛さにあんな女を皇室へ迎えた先帝陛下です」
「……おい! 父上に対して口が過ぎ」
窘めかけて、皇帝は口をつぐむ。ピシピシと凍りつく窓ガラスに映る妻の顔が、酷く歪んで恐ろしかったからだ。
「シェリナ嬢も半分平民ではありますが、“貴方の尊敬する先帝陛下” が特に目をかけていた特別な許嫁です。呪われた皇子よりも、この国を担うルイス皇太子にこそ相応しいのでは?」
外の景色などもう何も見えない白い窓。その中で嗤う赤い唇は、見慣れた妻のものではなかった。
慌てて伏せた皇帝の瞼にぐにゃりと歪んで浮かぶのは、遺言書に綴られていた正しい文言。
『サレジア国皇帝 ジークリード・バロン一世の名において
次期皇位継承者“オーレン・バロン”の妃を、シェリナ・コット嬢と定める』
◇◇◇
鏡に映る一人の女性は、自分であり自分ではないようだ。
「シェリナ様、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
繊細なレースが身頃からスカート部分にまで幾重にも重なり、襟元と裾にはパールがあしらわれた美しい水色のドレス。地味な黒髪はハイネックが映えるよう一つに結われ、ティアラと見紛う程の豪華なパールの飾りが着けられている。
素材を活かした薄い化粧を施された女性の口が、鏡の中でゆっくりと開いた。
「……ありがとうございます」
曇一つない、澄みきった青空の今日は、国中が祭りのような騒ぎだ。
美しい容姿と温厚な性格、加えて優れた魔力を持つ、ルイス・バロン皇太子。人望厚いその皇太子が成人し、更に未来の皇太子妃と婚約する日とあれば当然のこと。
護衛兵が何人も置かれた小さなコット家の周りには、祝いの言葉を叫ぶ多くの国民が押し寄せていた。
婚約式の後、正式に婚姻を結ぶまで三ヶ月。宮殿内の神殿に毎日祈りを捧げる為、婚約者は宮中で生活することが義務づけられている。シェリナは今日で、十八年間産まれ育った家に別れを告げるのだ。
「シェリナ……綺麗だな」
「父さん」
◇
ユリが最後に家に来た夜。渡された小箱の中身を見たシェリナの父は、しばらく難しい顔をした後、自室に籠ってしまった。
その翌朝、父から渡されたのは、銀のロケット型のペンダントトップ。器用な父の手によって美しい月の彫刻が施され、鍵も掛かる細工だ。開けると、ちょうど指輪を二つ仕舞えるようになっている。シェリナはっとして父を見上げた。
『シェリナ……父さんにはこれくらいしか出来ない。お前を守れる魔力があったなら、どれ程良かったか。こんなに自分を情けないと思ったことはないよ』
『父さん』
『……父さんと一緒にどこかへ逃げてしまおうか? もしもお前に万一のことがあったら……それ以上に怖いものなどないのだから』
やはり父も、先生のただならぬ様子に得体の知れない恐怖を感じていたのだ……とシェリナは思う。
『……父さん、私は大丈夫。先帝陛下が何故私を許嫁に選ばれたのかは分からないけど……私には何か大事な使命がある気がして。夫となる人は変わっても、レンの……オーレン皇子の為に宮殿へ行かなければと』
『シェリナ……』
『夕べ、いつもとは違う夢を見たの。レンが黒い檻に閉じ込められて苦しんでいる夢。助けられるのは私しかいない……早く来て……助けてって。そう叫んでいる気がしたわ』
父を心配させまいと、明るく笑う。
『すごく素敵なペンダント……最高のお守りよ。ありがとう、父さん』
◇
レースに包まれた胸元にそっと手を当てると、コツンと固い感触。
一本のチェーンの先には、祖母のエメラルド色の石と、父のロケットペンダント。
大丈夫……大丈夫……
自分に言い聞かせる。
「シェリナ様、お時間でございます」
父としばらく向き合った後、きつく抱き合う。
「……シェリナ、身体を大切に……どうか元気で」
「父さんも……元気で。今まで育ててくださって、ありがとうございました」
兵によって開かれた華やかな宮殿の馬車。
一歩踏み出す小さな身体には、強い覚悟が漲っていた。