44 壊れたエメラルド
一人になったシェリナは、そのまま崩れるようにソファーに座り込んだ。
『俺は……この村の誰も信用していない』
私はレンを全然理解していなかった……あの言葉の裏に、どんな苦しみがあったかを深く考えもせず。
傍にいられて、浮かれて……浅はかなことをして傷付けてしまったのだ。
「……シェリナちゃん、大丈夫?」
いつの間にか隣にいたクレオが、心配そうに自分を覗き込んでいる。
……悲しみの中に居るこの子に、余計な負担をかけさせる訳にはいかない。
シェリナは溢れそうな涙を必死で飲み込み、明るい顔をつくった。
「うん。ごめんね、心配かけて」
「……あんなに怖い皇子様は初めて見たよ」
「私が彼に酷いことをしてしまったから」
「そうなの?」
「うん。自分が嫌い」
「でも、皇子様はシェリナちゃんのことが大好きだと思うよ?」
そう……こんな自分でも、優しい彼は見捨てずに傍に置いてくれるだろう。これでは足手まとい以下ではないかと、そう思えば更に苦しくなった。
「ちゃんと話し合えば大丈夫だよ! 僕もついててあげようか? シェリナちゃんの味方になってあげるから」
手をグーにして戦う仕草をするクレオに、シェリナはくすっと笑う。
「ありがとう、クレオ」
クレオも笑うとソファーから立ち上がり、脇に置いていたらしい何かを、ひょいとその背に背負った。
「何処かに行くの?」
「うん、久し振りに山に行こうかと思って。一本腐りかけの木があったから心配なんだ」
確かに、大きな背負子には、斧らしき物がくくりつけられている。
「でも、レンがまだ外出したら危ないって言っていたでしょう」
クレオには話していないが、人質として皇妃に狙われる可能性もあるからだ。
「うん……でも大切な山だから気になっちゃって。今はみんな自分のことで必死だから、手入れする人も少ないんだ。僕がいつまでも落ち込んでいたら、きっと山もこの村も駄目になっちゃう」
……まだ幼いのに、この子は自分なんかよりもずっと大人だ。こんな状況で、村の為に出来ることをしようとしている。
シェリナは自分の肩をチラリと見て、少し考えると言った。
「じゃあ……私も行く。ほら、エンジェルもいるし。クレオの護衛にね」
「いいの?」
「うん。みんな大変なのに、他所から来た私が落ち込んでなんかいられないわ。大切な山のことも、ランネ村のことも、色々と教えてくれる?」
「もちろん!」
二人は手を繋ぐと、裏からこっそり出て、山の方へ歩いて行った。
執務室として使っている部屋で、オーレンは書類を整理しながら何度もため息を吐く。
……シェリナは真っ直ぐだ。真っ直ぐで優しすぎる。
愛して止まないその美点が、今の彼には何より怖かった。
「オーレン殿下、宿の主人がお目通り願いたいとのことですが」
「……通せ」
ボイの後ろから、主人が頭を低く垂れ入室する。何の用かと促され、主人はやっと口を開いた。
「先程は私共が勝手なことをしたばかりに……申し訳ありませんでした」
「今後は必要以上にシェリナと接触するな」
「承知致しました。あの……ただ……」
少しの間の後、主人は震える声で続ける。
「シェリナ様のお気持ちだけはご理解いただきたいと思いまして」
「……気持ち?」
「はい。シェリナ様は殿下の為に、栄養のあるものをご自身で作りたいと仰り学ばれていたのです。どうかそのお気持ちだけは、汲んで差し上げてください」
頭を殴られた気がした。
……理解していなかったのは自分の方かもしれない。制御出来ない恐怖と憤りを、シェリナに当て付けたのだ。
あんな風に怒鳴った挙げ句に突き放して……今頃部屋で一人泣いているかもしれないと、胸が締めつけられる。
目を固く閉じ、顔を覆った。
◇
「気持ちの良い山ね」
「うん、最高の仕事場なんだ。えっと……あっ、あの木だ。伐り倒すから、シェリナちゃんは離れた所に座っていて。危ないからね」
「うん、此処にいるわ」
クレオは斧を持つと、慣れた手つきで木に切り込みを入れていく。
格好良いなあ。
そんなことを考えていた時、木がバキバキと鈍い音を立てながら、想像していた方とは逆の……クレオの方へ倒れて行くのが見えた。
ズウウウン…………
「クレオ!!」
駆け寄るとクレオの小さな身体が太い木の下敷きになっている。
「シェリ……ちゃん」
口からゴフっと血を吐く。
「クレオ……」
ドラゴンに変化したエンジェルと共に、ありったけの力で木を押す。何とかクレオの身体から退けると、倒れた木の枝が折れて腹部に突き刺さっていることが分かった。シェリナは咄嗟に彼の心臓に耳を当てる。
弱い……弱い……
『心臓の音をよく聴いて……もう……弱いのが分かるでしょう? 決して生死を……寿命を……動かしてはいけないの』
駄目……クレオ……死んじゃ……死んだら駄目……
もうそれしか考えられない。
シェリナは木の枝を引き抜き、血が溢れる腹部に手をかざした。
「シェリナちゃん……?」
さっまでの痛みも苦しみもない。呼吸も普通に出来る。ゆっくり身体を起こしたクレオの目に、シェリナの身体が仰向けに倒れているのが見えた。
上下する胸から呼吸していることは分かるが、糸の切れた人形のように手足はだらんとあらゆる方を向き、瞳を見開いたままピクリとも動かない。
その瞳を覗き込み、クレオはあっと叫んだ。
ばあちゃんと同じ色……
「シェリナちゃん、待ってて、待っててね」
恐ろしくなり、一気に山を駆け降りた。
◇
「皇子様! 皇子様!」
真っ赤な服で部屋に飛び込んで来たクレオに、オーレンの血の気がさっと引く。
「クレオ……どうした? 何があった!?」
「山で……木が倒れて……シェリナちゃんが僕を助けてくれて……そしたらシェリナちゃん動かなくて」
もうオーレンは飛び出していた。
シェリナ……シェリナ……
クレオと共に山に駆けあがると、木の陰に長い黒髪が見えた。
どくんと心臓が跳ね上がる。
「……シェリナ?」
回り込むと、そこには力なく倒れる小さな身体があった。黒とエメラルドの入り交じった瞳を見開いたまま────
首からはネックレスが飛び出し、エメラルドの石には大きなひびが入っていた。
私……一体どうしたんだろう。
エンジェルが心配そうに、顔に止まっている。意識ははっきりしているのに、神経が通っていないのか全く身体が動かせない。ルイス様の風邪を治した時の倦怠感とは全く違う……
レン……?
私を見下ろし、震える手で抱き上げてくれる。貴方を傷付けたのに……約束を破って、魔力を使ってしまったのに。
「レ……ご……さい」
少しだけ動く口を開いてみる。
謝りたいのに……上手く喋れない……
ごめんなさい……ごめんなさい……
……どうしてそんな瞳で私を見るの?
苦しそうな、悲しそうな……何かに怯えているような。
頭を撫でてあげたいのに、手が動かない……




