40 青空
夕べシェリナ様は、ご用意した部屋をお使いにならなかった────
どうしたものかと、側近のボイは頭を抱える。
皇太子殿下からの書物はあまりにも衝撃的な内容だった……
先帝陛下暗殺とカレン妃迫害の疑いで、皇妃陛下を殿下自ら拘束されること。皇妃陛下がシェリナ様の魔力を悪用しようとしている為、シェリナ様を極秘にこちらへ避難させたということ。
そして……先帝陛下の定めた本当の許嫁はオーレン殿下とシェリナ様であり、お二人を守って欲しいとのこと。
宮殿から遠く離れたこの村で、自分は皇室の為にどのように動けば良いのか……
敬愛するエドワード殿下が亡くなられ、一線を退いている間に起きた痛ましいあの事件。
ずっと逃げていたが、今になって向き合う時が来たのかもしれない。ご子息のオーレン殿下の為に────
◇
「ん……」
何だかふわふわする……雲の上にいるみたい。こんなに心地好い目覚めはいつぶりだろう。
手を伸ばし、何かを求めるも、冷たいシーツに触れるだけ。急に強い不安が襲い、シェリナは飛び起きた。
「レン!」
力を入れた足に痛みが走り、またベッドに倒れ込む。
「つっ……」
「シェリナ、大丈夫か?」
顔を上げると、藍色の瞳が心配そうに自分を見下ろしていた。
「……レン?」
「うん」
「本当にレン?」
「うん」
恐る恐る伸ばされた手を、オーレンは優しく取り、自分の頬に持っていく。
「ほら、ちゃんと居るだろ」
「良かった……夢かと思った」
へにゃっと泣きそうな顔で笑うシェリナがたまらなく愛おしい。落とされたオーレンの唇を合図に、二人はしっかりと抱き合い、長い間互いを確かめ合った。
名残惜しさを断ち切るようにベッドサイドから離れると、オーレンはさっと上着を羽織る。
「外へ手紙を取りに行ってたんだ。これから船の様子を見て来る。まだ朝早いし、君は部屋でゆっくり休んでいて」
「レン、行っちゃうの?」
「……皇子の務めだから」
「私も行っちゃだめ?」
「駄目だ。落ち着いてきたとはいえ、まだ感染者も出ているんだ。移ったらどうする。しかもそんな足で動けないだろ」
話しながらもオーレンは、さっさと出掛ける支度を進めていく。
シェリナは急いでベッドから出ようとするも、足の痛みにバランスを崩し、床にガクっと座り込んだ。オーレンは近寄り、しゃがむと痛々しい足首を見ながら顔をしかめる。
「昨日より腫れているじゃないか。相当痛むだろ?」
大きな瞳に涙を溜めながら首を振るシェリナに、オーレンは困った顔で笑う。
「シェリナは昔からそんなに頑固だったか?」
首を振る度に涙がボロボロ溢れ、寝巻きに染みをつくっていく。
「まったく……人の気も知らないで」
オーレンはため息を吐くと、シェリナを抱き上げ、厳しい口調で言った。
「今から全部言う通りにしろ。じゃないと置いていく」
その後オーレンは、恥ずかしがるシェリナを余所にさくさくと動いた。濡らしたタオルで顔を拭き、手早く服を着替えさせ髪をすくと、再び柔らかいベッドの上に座らせる。真っ赤な顔で人形のように固まるシェリナに、くすっと笑いが込み上げた。
オーレンは引き出しから一枚のショールを取り出すと、「お守り」と言いながら、シェリナの肩に優しく掛ける。
「綺麗……」
「母上が父上の為に作ったものだよ。二人の形見なんだ」
「そんな大切なものを」
「……大切だからだよ」
ショールごと腕に包むと、そのままふわりと抱き上げた。
「じゃあ行くぞ」
「レン! 今日こそは歩いて行くから下ろして。後からゆっくり付いていくから」
「駄目だ」
「だってこんなに明るいのに……」
「言う通りにするって約束しただろ」
「……ねえ?」
「駄目だ」
「……レンはそんなに頑固だったかしら」
眉を寄せ、口を尖らせるシェリナの耳元に囁く。
「離れたくないんだよ、俺も」
何日ぶりかの抜けるような青空の下────
美しい皇子が一人の少女を軽やかに抱いて歩く姿は、たちまち人々の口の端に上り、狭い村に広まっていった。
◇
「宮殿の食事に比べたら質素だけど……」
船を確認して宿へ戻ると、部屋のテーブルにはパンと林檎が二人分用意されていた。
「ううん! ありがとう。頂きます」
シェリナはにこっと笑うと、パンを千切ってオーレンの口に持っていく。
「ちゃんと食べてね」
オーレンはそれをぱくっと咥えると、今度はシェリナの口元に、さっきの倍以上の大きさのパンを千切って持っていった。
「こんなの口に入らないよ!」
「あれ、俺が覚えているあの食いしん坊なら、このくらい一口でいけるはずなんだけどな」
「もう!」
二人は子供みたいに、顔を寄せて笑い合った。
食後のお茶を飲んでいると、オーレンが突然思い出し笑いをする。
「それにしてもシェリナは面白かったな。すごい目つきで村中威嚇しているんだから」
「だって、何処かから石が飛んでくるんじゃないかと思って」
「最近はそんなあからさまに攻撃されることないよ。この間ムジリカ国の奇襲を防いでからは、心なしか村人の当たりが柔らかくなった気がするんだ」
「…………」
シェリナはカップを置くと、改めて居住いを正す。
「朝はごめんなさい……どうかしてた。レンは色々大変なのに。これからは足を引っ張らないようにするから」
オーレンは静かに立ち上がると、シェリナの傍に跪き真剣な顔で手を握った。
「ここで一緒に暮らすなら、気に留めておいて欲しいことがある」
「はい」
「俺は……この村の誰も信用していない。常に疑い警戒していると言った方がいいか」
「……誰も?」
「ああ。村人の中には、昔母上の兄弟に手をかけた奴がいるし、兵だって皇妃の息がかかっている奴が殆どだろう。側近のボイも……元は父上の側近で優秀な人だが、未だに信じきれていないんだ。彼が用意するこの食事も、毒が入っていないと確信出来るまで随分時間がかかったよ」
「レン……」
「だから出来るだけ、この宿の中でもシェリナを一人にしたくなかったんだ」
「私なら大丈夫よ。ほら、あの子もいるし」
部屋の中でヒラヒラと舞う氷の蝶を指差す。
「……出来ることならずっと傍に付いていてやりたいけど」
シェリナは頬を膨らませると、オーレンの顔を両手でペシャッと挟んだ。
「シェリナ……?」
「大丈夫! 私は元々市井で逞しく育ってきたのよ。炊事洗濯も、兵が信用出来ないならレンの護衛だってやる。だから、必要なら何でも言って。……足手まといにはなりたくないから」
悲しげな顔に変わるシェリナ。
オーレンは強く首を振り、彼女を抱き寄せた。
「足手まといどころか……傍に居てくれるだけで力になるよ。シェリナと一緒なら何処ででも生きていける」
「本当に……?」
「うん」
……違うな。
シェリナが居なければ、もう自分は生きていけない。自分に示された道は、自分が生きる道は、必ず彼女を守り抜くこと。ただそれだけだ。
オーレンは、大きな弱味を抱えてしまったことを自覚していた。
「あ……でも、この村でも心を許せる人が居たな。今度シェリナにも紹介するよ」
その一人であるクレオの顔を思い浮かべると、オーレンの胸が痛む。
今朝、ドラゴンから受け取ったルイスの書物に書かれていたのは、ダラの悲しい最期。彼を傷付けないように……そしてシェリナに恐怖を与えないように、どう伝えれば良いかずっと悩んでいたのだ。
「オーレン殿下、お休みのところ失礼致します。ムジリカ国の捕虜の件でご相談したいことがあるのですが」
ドアの外からボイに呼び掛けられる。
「……シェリナ、ちょっと出て来るから待っていてくれるか?」
「うん」
「午後には医師が戻るから、足を診てもらおう。大人しくしているんだぞ」
そう言うとシェリナの頭を撫で部屋を出て行った。
さてと……とりあえず自分に出来ることは……
ぐるっと部屋を見回すシェリナ。視線を落とすと、空の食器が載ったトレーが目に入った。
痛みはあるものの、ゆっくりなら何とか歩ける。氷の蝶が足にピタッと止まり、冷気を送り続けてくれているからだ。さっきまで自由に舞っていたのに、こうして必要な時にはちゃんと寄り添ってくれる。
「あなたって本当にお利口なのね」
キッチンらしき場所を見つけるが誰も居ない。
とりあえず桶でさっと食器を洗い、部屋に戻る為廊下へ出た。
階段の前まで戻った時だった。
小柄な少年が、踊り場に腰掛けているのが視界に入る。ぼんやり窓を見上げるその黒い瞳には、うっすら涙が滲んでいた。
シェリナの視線に気付くと、少年は口を開く。
「君……誰?」
「私は……オーレン殿下のお友達。事情があって、昨日からこちらでお世話になっているの。貴方は?」
「僕も……オーレン殿下の友達」
シェリナは優しく笑う。
「じゃあ、私達もお友達ね。ねえ、退屈だから、私とお喋りしてくれない?」
「……いいよ」
二人は自然と手を取り合った。




