29 夢と現実の狭間
「学園の書物はいかがですか?」
「珍しいお話でとても面白いわ。学園長さんが、素敵な本を沢山選んでくださったの」
「それはようございましたね。全部お読みになったら、私にも内容を教えて下さいませ」
ユニはシェリナの肩に、ふわりとショールを掛ける。
「温かいお飲み物をお持ち致しましょう。こう雨続きでは、お身体も冷えてしまいますわ」
カーテンを閉め、部屋を出ていこうとするユニの袖を、シェリナはツンと引っ張る。
「ユニ、ちょっとここに座って」
シェリナはそのままユニをドレッサーの前に連れて行き座らせる。
「シェリナ様?」
小さな紙袋から取り出された何かが、ユニの柔らかな巻き髪にパチンと留まった。
「これは……」
「この間街で見つけたの。ユニに似合いそうだと思って」
それはべっ甲細工の土台に、淡い紫色の天然石が幾つか嵌められている美しいバレッタだった。ユニのラベンダー色の瞳を引き立たせ、キラキラ輝いている。
「私のお金で買ったから、あまり高価な物ではないの。貴族のお嬢様には失礼かなって迷っていたら、しばらく渡せなくて」
ユニは無言のまま鏡を見つめている。
「やっぱり失礼よね……ごめんなさい」
シェリナの言葉に我に返ったユニは、激しく首を振る。
「いいえ、いいえ! こんなに美しい物を、私は頂いたことがありません。……ありがとうございます。シェリナ様」
「良かった……」
シェリナはほっと微笑むと、鏡の中のユニを改めて見つめた。
「すごく綺麗。何だかユニの方が本当のお姫様みたいね」
「そんなこと……!」
「ねえ、ユニ」
シェリナはその場にしゃがむと、ユニと目線を合わせる。
「私、ユニが傍に居てくれたから、三ヶ月間ここで頑張ることが出来たの。本当にどうもありがとう」
「そんな……私は私の務めを果たしただけで……」
今度はシェリナが首を振る。
「婚約前にね、ずっと私を教育してくださっていたユリ先生という侍女がいたの。私にとっては母みたいな……歳の離れた姉みたいな大切な人だった。でも急に会えなくなってしまって……ちゃんとお別れも言えずに」
シェリナはユニの冷たい手を強く握った。
「ユニは何処にも行かないで。ずっと私の傍に居てくれる?」
澄んだ眼差しに耐えきれなくなり、ユニは目を逸らす。その目尻には溢れそうな程の涙が揺れていた。
「ユニ……」
伸ばされるシェリナの手を避け、ユニはすっと立ち上がる。バレッタを外し、両手で堅く握り締めた。
「シェリナ様、本当にありがとうございました。大切に致します。さ、早くお飲み物をお持ちしませんと」
しゃがんだままのシェリナを振り返らずに、ユニは部屋の外へ出て行った。
◇◇◇
中庭の花の中、幼いシェリナが笑っている。
傍に行こうとするも、突然強烈な花吹雪に飲まれ、その姿が見えなくなる。
「シェリナ!」
ハラハラと舞う花びらの中、現れたのは大人になったシェリナで。悲しげな瞳を自分に向ける。
「どうしたんだ? シェリナ」
近付きたくとも、何かに掴まれているように足が重く、距離が縮まらない。漸くあと数歩の所まで来た時、その小さな手に、鋭く光る物が握られているのに気付く。
「……シェリナ」
「怖いの……怖くて仕方がないの」
「シェリナ?」
ゆっくり手を上げ、大きな瞳にそれを振り下ろす。
「やめろ!!」
辺りが真っ赤に染まる。
空も、花も、愛しい姿も何も見えない。
「……はっ……うっ、ぐっ……!」
あまりにもリアルな夢に吐き気が込み上げる。手元には数日前、ダラから手渡された本が、開きかけのまま置かれていた。
そのまま眠ってしまったのか……
胸を押さえ、息を整える。
あれから毎日何度も開いてはいるものの、白紙だけが綴じられたこの本の意味を見出だせないでいた。
手をかざせば強い魔力を感じる為、ただの書物でないことは明らかだが……
「……レン殿下、オーレン殿下」
ドアの外からボイに呼び掛けられ、はっとする。
「どうした」
「クレオという少年が殿下にお目通り願いたいと……時間も遅いので兵が追い返そうとしたのですが、門から離れない様子で」
「私が向かう」
オーレンは本を懐に入れると、立ち上がった。
宿の門には、雨の中、クレオが小さな身体を丸めて座り込んでいる。
「クレオ!」
慌てて駆け寄ると、憔悴しきった黒い目をオーレンに向けた。
「皇子様……どうしよう……ばあちゃんが……もう何日も帰って来ないんです。あちこち探したけど何処にも居なくて、こんなこと初めてで……どうしよう、ばあちゃんに何かあったらどうしよう」
『怖いの……怖くて仕方がないの』
夢の中のシェリナが甦り、身体中を恐怖が駆け巡った。




