2 悲しい夢
咲き誇る花の中、背の高い美しい男の子が立っている。
銀色の髪に藍色の瞳。神々しい輝きと深い静寂は、まるで月夜みたいだ。
『……こーたいしさま?』
『オーレン。オーレンでいいよ』
『……オーエン、レン?』
舌足らずの私にくすりと笑う。
『レンでいいよ。お母様にもそう呼ばれてるから』
『でも……えらい人なのに名前で呼んでいいの?』
『だって君は僕の友達になってくれるんだろ?』
胸にぱあっと温かいものが広がった。
『そっかあ! もうお友達だもんね! じゃあレン、これからよろしくおねがいします』
『よろしく、シェリナ』
────次の瞬間、辺りの花が黒い炎に包まれる。
『お前……お前のせいだ。お前さえいなければ、僕もお祖父様と一緒に死ねたのに! お母様も死ななかったのに!』
『ごめんなさい……ごめんなさいレン』
『……ここから出ていけ。二度と……二度と僕の前に現れるな!』
はっと目を覚ますと、見慣れたクリーム色の天井が広がっていた。
「……また同じ夢か」
頬を伝う涙を、いつも通り震える手で拭う。徐々に開けていく視界の先……壁時計の針が指し示す数字に、仰天し飛び起きた。
もうこんな時間! 早く支度しないと、先生が来ちゃう。
シェリナは慌ててベッドから飛び起き、ドレッサーに腰掛けた。
鏡に映る自分を見つめ、思わずため息を吐く。
白い小さな顔とは、不釣り合いな程大きく主張する真っ黒な瞳。それと同じ真っ黒な髪。
改めて見ても、地味なその姿にがっかりする。
お婆ちゃんも母さんも、綺麗なエメラルド色だったのに。
今は亡き二人の、美しい瞳の色を思い浮かべる。
父さんの瞳だって栗色だし、私はどちらにも似ていない。おまけに先日18歳になったというのに、背が低く、女性らしい肉など少しもない。まるで痩せた子供のような体型だ。
シェリナは再び大きなため息を吐くも、秒針の音に我に返る。黒髪をさっと梳かし、雑に束ねながら呟いた。
「……レンは綺麗だったな」
身支度を整え下に降りると、既に誰かの気配があることに気付き駆け寄る。
「ユリ先生! おはようございます! 遅くなって申し訳ありません」
眼鏡をかけた美しい中年の女性は、上品な所作で立ち上がると、にっこり微笑みながらシェリナへ礼をする。
「おはようございます。本日はシェリナ様と朝食をご一緒したかったので、私が早く着き過ぎてしまったのですよ」
「いやあ先生、お待たせ致しました。突然のことで、このような物しかご用意出来ずに。お恥ずかしい限りです」
シェリナの父が、キッチンから熱々のパンとスープを運んで来る。
「いえ、急なことでしたのに、私の分までご用意いただき恐れ入ります」
「ほらシェリナ、こちらのフルーツタルトは先生がお持ちくださったんだ」
「うわあ美味しそう。先生、ありがとうございます」
「シェリナ様のお口に合うとよろしいのですが」
美しいその笑顔に、今日もシェリナはうっとりと見惚れていた。
◇
シェリナがオーレン皇子の友達ではなく許嫁だと知ったのは、先帝が崩御した頃……シェリナが8歳の誕生日を迎えた頃だ。
父からその事実を告げられた数日後、ユリが突然家にやって来た。彼女は元々先帝の侍女で、生前、先帝よりシェリナの教育係を命じられていたという。
皇族や貴族の令嬢が学ぶような、難しい語学、マナー、ダンスなど。厳しくも充実したユリのレッスン。最初は現実味が湧かなかった幼いシェリナも、次第にこれが妃教育であること、また自分が皇室に嫁ぐ立場だということを理解し意識していった。
宮殿に遊びに行く度に、孫のように可愛がってくれた先帝。そしてオーレンとよく似た、優しい眼差しの元皇太子妃。大好きだった二人を失い、更にオーレンにも拒絶された悲しみを、全て受け止め慰めてくれたユリ。
シェリナにとって、彼女はもう一人の母のような存在でもあった。
だが、そんな彼女に対して、奇妙な壁を感じる瞬間がある。それは魔力や魔術の話を口にしてしまった時だ。彼女から触れないのはもちろん、シェリナが尋ねても多くを語ろうとはしない。
皇族や貴族に伝わることの多い、魔術の才。
祖母と母は、代々女児が回復魔力を受け継ぐ伯爵家の令嬢だった。
二人とも優れた回復魔術の使い手だったのに、その血を引く私には微量な魔力しかない。小さなかすり傷程度の治療がやっとだ。
その為、二人が生きていた頃は繁盛していた我が家の診療所も、今は薬局として細々と生き残っている。魔力のない平民ではあるが、薬草の調合センスに優れた父のおかげである。
もしも自分にもっと強い魔力があったなら、父の手助けが出来たのに。
そんな思いから、シェリナは以前、ユリに魔術の指導を仰ごうとした。
『私はシェリナ様に、魔術の指導は行いません』
『何故ですか? 皇室に嫁ぐのなら、魔力が強い方が殿下をお支え出来るのではないですか?』
『……先帝陛下のご意思なのです。いずれシェリナ様にも、お分かりになる日が来るでしょう』
◇
「いよいよ来月ですね」
ユリはティーカップを置き、シェリナの目を真っ直ぐに見る。
「……オーレン殿下は、私を受け入れてくださるでしょうか」
「その為に懸命に学んでこられたのです。何よりシェリナ様は、先帝陛下がお選びになった方です。自信を持って、謁見にお臨み下さいませ」
「でも……私には秀でたものが何もないのです。せめて先生のように綺麗だったら……」
ユリは一瞬きょとんとした後、優しくシェリナを見つめる。
「シェリナ様はお綺麗ですよ」
「まさか、そんな」
「シェリナ様には、シェリナ様だけのお美しさがお有りです」
お世辞とも思えない、ユリの真剣な眼差しに、シェリナは何も言えなくなってしまった。
「主要なレッスンは本日で終了です。後はドレスの採寸や、儀式の確認のみとなります。今までお疲れ様でした」
深々と頭を下げるユリに、シェリナは慌てる。
「いいえ! こちらこそ! ……ユリ先生が傍に居てくださったから、乗り越えられたんです」
ボロボロと涙を溢すシェリナを、ユリはギュッと抱き締めた。
「お妃様になられた暁には、先帝陛下の命により、私がシェリナ様の侍女としてお仕え致します。これからもお傍におりますので、ご安心なされますよう」
「ありがとうございます。ユリ先生が傍に居て下さったら百人力です」
額がくっつく距離で、ふふっと笑い合う。正式な主従関係となれば、きっともうこんな風に接することは出来なくなるだろう。
「それでは、シェリナ様が皇室に入られる日を心待ちにしております」
再び深々と礼をして帰って行くユリの背に、シェリナは一抹の寂しさを覚えた。
「父さん、今朝はご飯ありがとう。寝坊してしまってごめんなさい」
「なんてことないさ。小さい頃から今まで、家事に店の手伝い、厳しいレッスンや勉強まで……よく頑張ったな」
温かな手で、頭をわしわしと撫でられる。
「本当はお前を皇室へ嫁がせるなんて、不安で仕方がないんだ。でも先帝陛下がお決めになったことだからな」
いつも前向きな言葉で励ましてくれていた、父の本音がポロリと零れた。ずっと鼻水を啜ると、明るい声で娘へ向かう。
「……なあに、ユリ先生が付いていてくださるんだ。お前は見た目も性格も世界一器量良しの娘なんだから、世界一の妃になるさ」
「もう、父さんたら」
あまりの親バカぶりに、思わず吹き出してしまう。
「いつでも父さんはお前の味方だからな。皇子様と喧嘩したら、すぐに帰って来るんだぞ」
どんと胸を叩きながら言う。
ああ……私はどんなに愛されているか。父さんの娘で本当に良かった。
でも私が嫁いだら、父さんはこの家に一人ぼっちになってしまう。皇族は簡単に里帰りなんてさせてもらえないだろうし。
いつもより小さく見える父の姿に、胸がギュッと締めつけられた。
すっかり暗くなった部屋に戻ると、カーテンを閉める為窓辺に向かう。
ふと見下ろした窓の桟に、小さな蝶が羽を閉じて息絶えているのに気付いた。
「可哀想に」
そっと手をかざして念を送ると、僅かに羽ばたくも、また元通り動かなくなってしまった。
朧気な記憶の中で、幼い頃はもっと魔力が強かったように思う。このくらいの蝶や小鳥、道端で死んでいた子猫……それから……
こうして念を送れば、息を吹き返し元気に駆けて行ったのに。いつからこんなに魔力が弱くなったのだろう。
ベッドにごろんと横になり、胸元に手を当てた。
◇
『シェリナや、お前に贈り物をあげよう』
『うわあ! 綺麗! 私のお目めと同じ色』
『……綺麗なエメラルド色だろう。これは今日からお前のお守りだ。誰にも見せず、肌身離さず着けていなさい』
『はだみはなさず?』
『……ずっとずっとっていうことだよ。お前が大人になって、このネックレスの本当の意味が分かるまで』
皺のある優しい手が、幼い首にチェーンをかける。
『うん! ありがとうお祖母ちゃん』
◇
私の目と同じ?
私の目は黒なのに……
次第に睡魔に襲われ、重たい瞼が下りていく。
今夜もまた、あの悲しい夢を見るのだろうか。
……私は本当に、彼の元へ嫁いでも良いのだろうか。