22 遠い空へ
『皇妃様は元々エドワード殿下の許嫁でいらっしゃいました』
灯りを落とした室内で、オーレンはタチアナの言葉を反芻する。
『皇妃様は、先々帝陛下が遺言で定められた、エドワード殿下の許嫁様だそうです。……カレン様は、殿下とお気持ちが通じ合った後で遺言の存在を知り、身を引く覚悟でいらっしゃいました。ですが先帝陛下がお二人をお許しになり、ご結婚されたのです。当時カレン様はそのことで随分悩まれて、私だけにお話しくださいました』
……皇妃が母を憎んだ理由。
先々帝の遺言をふいにされ、皇太子妃になり損ねたことへの恨みか?
それとも……三人の間に、痴情のもつれがあったのだろうか。
例えば……母が皇妃を……それとも、父が皇妃を……
記憶の中の、穏やかで人望厚い両親からは、あまりにもかけ離れた想像。オーレンは首を振り、浮かんだそれをすぐに搔き消した。
それにしても……村に到着したその日に、たまたま助けた娘の母親が、母と繋がりのある女性だったとは。
まるで父と母に導かれているようだ。
長い指で、ショールに踊る美しい羽を辿った。
立ち上がり窓を開けると、オーレンは暗い空を見上げ呟く。
「そろそろ着く頃か」
◇
シェリナは部屋の窓から遠い空を眺めていた。
ついさっきまで綺麗な藍色だった空。急に重い雲が月を隠し、今、広がるのは暗闇ばかり。
「……また雨かしら」
レンがここを発ってから一週間……どうか無事に着いていますように。
手を合わせ祈ろうとした時だった。
バサッバサッ
何かが羽ばたく音と共に、青い光が上空に現れる。
「あれは……!」
窓を開けて身を乗り出すと、それは隣の部屋へ悠々と降り立った。シェリナは廊下へ飛び出し、ルイスの部屋へと向かう。
「ルイス様!」
中庭のガラス戸が開け放たれており、そこには青い炎のドラゴンとルイスが立っている。
「この子……フェアリー! フェアリーだわ!」
「フェアリー?」
「妖精みたいに綺麗だから……昔そう呼んでいたんです」
「そうか……君もこの子に会ったことがあるんだね」
ルイスはドラゴンの口から書物を取ると、封印を解き、目を通した。
「……オーレン、無事にランネ村に到着したみたいだよ」
「よかった……」
どれほど彼の身を案じていたのか……泣きそうなシェリナの笑顔が、ルイスの胸を刺す。
「……返事を書いて来るから、ちょっと待っててくれる?」
書物を手に書斎へ向かうルイス。ドラゴンと二人きりになったシェリナは、青い頭をそっと撫でた。その感触は、昔と変わらず温かい。
『レン……この子、妖精みたいにきれい。フェアリーって呼んでもいい?』
『いいよ。じゃあ僕もそう呼ぼう。よし、飛べ! フェアリー!』
中庭の花の上をすいすい泳ぐ姿は、本当に妖精みたいに美しかった。
「……また会えたね」
いつの間にか降り出した雨が、二つの影を霧のように優しく包んでいた。
「お待たせ」
ルイスは封印した書物を、ドラゴンの口に咥えさせる。そして庭の大きな葉を一枚摘むと、手をかざし、パリパリと傘のような形に整えドラゴンの頭に挿す。
「オーレンの魔力なら大丈夫だと思うけど……雨が降ってるから一応ね」
ドラゴンの目が心なしか嬉しそうに見えた。
再び暗い空に吸い込まれていくドラゴンを見送ると、ルイスはシェリナの髪の雨粒を拭った。
「風邪をひくから入ろう」
部屋へ促そうと、思わず抱いた肩の柔らかさにルイスは息を呑み、慌てて手を離す。
「ルイス様?」
ルイスは何も言わずにさっさと部屋に入ると、ガウンを取りシェリナの肩にかけ視線を逸らした。
「……こんな時間に男の部屋へ来てはいけない」
「え……」
そこでシェリナは初めて、自分が薄い寝巻一枚であったことに気付く。しかも雨に濡れた為、肌にしっとりとくっ付いている。みるみる赤くなり、慌ててガウンを搔き合わせた。
「申し訳ありませんでした……失礼致します」
蚊の鳴くような声で呟くと、ルイスの部屋を足早に出て行った。
ルイスは、はあと深いため息を吐きながら、ソファーに身を預ける。
自分もシェリナも、子供の頃に会ったことがあるオーレンのドラゴン。だが、自分とシェリナは子供の頃に出会うことはなかった。
きっとお祖父様が、僕とは会わないように気を配っていらっしゃったのだろう。
……オーレンの許嫁だから。
もしも初めから三人が同時に出会っていたなら……何かが違っていたのだろうか。
ルイスはシェリナに触れた手を目の前にかざす。
まだじんわりと帯びている熱。振り払うように、固く目を閉じた。
婚礼まで……あと三週間か。
◇
雨に混ざる羽音を聞きつけ、オーレンは外へ出る。
濡れた草の上に微かな煙を立てながら、炎のドラゴンが創造主を待ち構えていた。
「よく戻ったな」
頭上に挿さっている葉を抜けば、氷の粒で固めてあることに気付く。
「ルイスに作ってもらったのか……良かった、雨だから少し心配してたんだ」
口の巻物を取りながら頭を撫でてやると、ドラゴンは片足をヒョイと上げて見せる。
「ん?」
そこにはシロツメクサの小さな輪が嵌められていた。
「これは……」
『ほら見て、レン。すてきでしょ?』
『冠?』
『うん! 白いお花で作ったの。フェアリーにぴったりだと思って』
オーレンはふっと笑う。
「そうか……シェリナにも会えたのか。良かったな、フェアリー」
ドラゴンを消すと、草の上に落ちた白い花輪を取り、手で優しく包みながら遠い空を見上げた。




