1 二人の皇子
「面を上げよ」
久しぶりにこちらを見据えるオーレンの顔は、相変わらず無機質で気味が悪い。全てを見透かすような、深い藍色の瞳が特に。
母親と同じ……
忌々しさに、皇妃はギリギリ奥歯を噛み締めた。
「変わりはないか?」
「はい、両陛下のご慈悲で、つつがない日々を過ごしております」
「ならば良い。本日は亡き先帝に心より祈りを捧げよ」
「はい」
例年通りのやり取り。皇帝の言葉に淡々と答えるオーレンが、この後どんな反応を示すか……
皇妃の口角がニヤリと上がった。
「オーレン殿下も来月で18歳ですね。そろそろお妃候補とお会いする場を設けませんと」
皇妃のその言葉に、無機質なオーレンの瞳に明らかな嫌悪の色が浮かんだ。
「おお、時が経つのは早いものだな。妃については皇妃の采配となるが……既に候補はおるのか?」
「はい、私の遠縁ですが、家柄器量共に申し分のない娘が数名おります。魔力にも長けておりますので……力の弱い皇子の支えになるかと」
思わず溢れる嘲りの笑みを、扇の裏に隠す。
「うむ、皇妃の親戚なら間違いない。早速日を決めて懇談の場を設けよ。皇子、何か不足はあるか」
「……いえ、仰せのとおりに」
深々と礼をする銀色の頭を、傍らで皇太子がじっと見つめていた。
長い祈祷を終え神殿の外へ出ると、本降りになった雨が庭園を激しく濡らしていた。
さっと頭上に差し出された傘を、オーレンは怒りに任せて侍従の手ごと振り払う。
「……必要ない、どこかへ失せろ」
「も、申し訳ありません!」
皇妃の言葉を聞いた瞬間からずっと、溢れるものを抑えるのに必死だった。
一刻も早く離れに戻りたい。
傘を拾い慌てて後退る侍従を横目に歩き出す。
「ご機嫌斜めだね、オーレン」
振り返ると、柔らかい金髪に水色の瞳の皇太子────従兄弟のルイスが微笑みながら立っていた。
「二人で少し話さない?」
そう言いながら、彼は悪戯っぽく東屋を指差した。
人払いをしたルイスが先にベンチに座り、オーレンに向かいを促す。こんな所にも表れる、皇太子と一介の皇子との差に、オーレンは辟易としていた。
本当は早く一人になりたかったが、皇太子の誘いを断る訳にはいかない。
「オーレンもついに見合いを勧められたか」
軽い調子で言うルイスに、抑えていた怒りが込み上げる。
「まあ……母上の親戚筋なら美人揃いだろうし、魔術の才もあるし。とりあえず会うだけ会ってみたら?」
……お前が慕うその美しい母親が、その恐ろしい魔術で何をしたか、どんな風に自分と母を苦しめたか。無邪気なその顔を燃やしながらぶちまけてやったら、どんなにスッキリするだろう。
……だが、今はその時ではない。
黒い炎が溢れかけた拳を、オーレンはそっと後ろに隠した。
「僕も再来月には18だから。そろそろ結婚しなきゃな」
ここサレジア国の国民は18歳で成人を迎え、皇族は19歳の誕生日を迎える迄に婚姻を結ぶことが義務付けられている。
「……皇太子殿下も皇妃陛下のご親戚の令嬢と?」
「それが違うんだよ、僕には許嫁がいるんだって。先帝の遺言らしい」
「……お祖父様の?」
「うん、皇位継承者の許嫁が記されているらしい」
「皇妃陛下は反対なさらなかったのですか?」
皇室を牛耳る為、自分の親戚を妃に迎えたい筈ではと、オーレンは疑問に思う。
「いや、先帝の遺言は絶対だからね」
確かにこの国の法律において、先帝の遺言は現皇帝が亡くなる迄絶対的な効力を持つ。
ただあの腹黒い皇妃のこと。遺言の一つぐらいどうにか揉み消しそうなものを、すんなり受け入れたのがオーレンは腑に落ちない。
「どこかの皇族か有力貴族でしょうか」
「詳しくは分からないんだ。ま、優しい子なら僕はそれでいいかな。何しろお祖父様が決めて下さった子だし」
そう、先帝の御代。まだオーレンが皇太子だった幼いあの頃。一介の皇子として遠慮がちだったルイスを、祖父である先帝は、オーレンと分け隔てなく接し可愛がっていた。ルイスにとっても、亡き先帝は大切な祖父なのだ。
……そのお祖父様の死に母親が関わっていると知ったら、お前はどうなるんだろうな。
藍色の奥に、暗い火が跳ねる。
「君が良い伴侶に巡り会えるよう祈っているよ」
「皇太子殿下も……その方と良いご縁で結ばれるといいですね」
「ありがとう。じゃあ、この後魔術の訓練があるからもう行くよ。オーレンも自分を信じれば、きっとその内魔力が開花する。同じお祖父様の孫で、僕の従兄弟なんだからさ」
「……ありがとうございます」
にこにこと手を振り宮殿へ帰るルイスの背中を、オーレンは苛立ちと共に見送った。
離れの屋敷に戻ると、雨に濡れた肩を払いながら様々な考えを巡らせる。
……無駄に思われた時間だが、意外にも重要な情報を得たようだ。
先帝が遺言書に記した、皇位継承者の許嫁。
権力欲にまみれたあの皇妃が認めた許嫁。
後ろ楯となる皇族か貴族……あるいは……
「魔力か?」
国を揺るがす程の強大な魔力を持つ女。
……あり得るな。
そもそも先帝の遺言書は本物なのだろうか。……いずれにせよ、自分の計画を邪魔するものは排除するだけだ。
ユラユラ燃える掌の黒い炎を握り潰す。
先帝である祖父を暗殺した罪で、母が激しい拷問の末処刑されると、オーレンは罪人の息子として皇位継承権を剥奪され、宮殿の外れのこの屋敷に幽閉された。
ここには皇妃の手で、密かに強い結界が張られており、新たな魔術を生み出せないどころか、生まれ持った魔力すらも吸いとられてしまう。
そのせいでオーレンは、神の怒りにより魔力を失った『呪われた皇子』と呼ばれるようになった。
だがそれは、逆にオーレンにとって敵の目を欺くのに好都合だった。
母を目の前で失ったあの日から、オーレンの魔力はそれまでとは比較出来ぬ程威力を増している。実際は、皇妃の結界など物ともしない程に。
今日のように結界の外へ出た時は、些細な感情の高ぶりだけで発動し、コントロールすら難しい。
いつか皇妃らを母と同じ目……いや、それ以上の残酷な方法で復讐する為に、無力な皇子を演じ続けている。
ルイスの許嫁も気にはなるが、まずは自分の婚姻問題だと、オーレンは乱暴に腰を下ろす。
皇妃の親族の女など考えただけで反吐が出る。どう回避すべきか……
そうだ、ルイスがいるじゃないか。
大切な息子を使って、奴の足元を掬ってやろう。
静かな笑みに揺れる身体は、黒いもやに包まれていた。