18 身を切る想い
オーレンに軟禁の裁きを下して以来だろうか。
数日ぶりに会う息子の顔はやつれ、表情もなく母を見下ろしていた。
「……母上、シェリナは本当に僕の許嫁ですか?」
唐突な問いに、皇妃は内心動揺しながらも、平静を装いふっと笑う。
「こんな夜更けに来たかと思えば……一体何を」
「オーレンはシェリナと幼なじみでした。先帝陛下は二人を許嫁にするつもりで引き合わせたのではないですか?」
「……先帝の正式な遺言書があるであろう。記されていたのは、次期皇位継承者と。それだけだ」
「……遥か昔、権力争いの為、黒魔術で遺言を書き換えた国があると聞きました。結果、その国は滅びたとも」
皇妃のこめかみがピクリと動く。
「……何が言いたい」
「何者かが黒魔術を使い、皇室の安全を脅かそうとしているのではないかと考えています。オーレンがかけられていた黒魔術についても、皇太子として詳しく調べる必要があります。……先帝陛下殺害、及びカレン妃の処刑についても」
「何を……! そなたは皇帝陛下の裁きが誤りであったと非難するのですか!?」
「非難ではありません。ただ真実を知りたいだけです。この皇室を……シェリナを守る為に」
“シェリナを守る為”
皇妃は総毛立つ。
愛する女の為、自分を射貫く水色の瞳。
まさかこの瞳を再び向けられるとは……!
バン!!!
皇妃は高ぶる感情の全てを両手に込め、机にぶつけた。
はあと深く息を吐くと、ゆっくり立ち上がりながら問い掛ける。
「……で? 真実を知ってどうする? 黒魔術をかけた犯人が見つかったとして……その犯人を、そなたの手で裁けるのか」
白い顔に黒い笑みを浮かべ、ルイスへ近付いていく。動けず固まる長い足の前でピタリと止まると、爪先で立ち、その耳元に囁いた。
「あの娘がもしオーレンの許嫁だとして……今更そなたは手放せるのか」
視界の隅に捉えた赤い唇。それはぐにゃりと歪み、渦になってルイスを呑み込んでいった。
────あれはいつだろうか。
子供の頃、宮殿で開かれた舞踏会。繋いでいた母の手が、突然ほどかれた。
『お母様……?』
見上げた母の顔は震え上がる程恐ろしく……
その視線の先には、笑い合うエドワード殿下とカレン妃がいた。
何故急にこんな記憶が甦ったのだろう。心の何処かでは分かっているのに、分かりたくないと目を背けている自分が居る。
……シェリナを手放す?
今更そんなこと出来る訳がない。
たとえ、この国が滅びても。
◇
皇妃は一人になると、すぐさま宮殿を出る。
早く……早くしないと。
ルイスが動き出す前に、早く封印を解く方法を見つけなければ。
辺りを窺いながら、暗い夜の神殿へ吸い込まれて行った。
◇◇◇
「皇太子殿下はご多忙の為、今朝もいらっしゃいません」
「……そう」
あの夜から、シェリナはルイスに会っていない。
神殿へも護衛兵のみで、以前のように彼が付き添うことはなくなった。食事も一人で採るようになり、書斎に籠もっては一日の大半を政務に費やしている。
宮殿に入ってから今まで、自分のことをどんなに大切にしてくださっていたか……その優しさに甘えきっていた。
きちんとお話ししなければ。
シェリナはほとんど空になった氷の小瓶を抱えると、皇太子の部屋へ向かった。
「皇太子殿下は只今ご不在です。殿下よりシェリナ様のご入室許可は頂いておりますので、お部屋でお待ち下さい」
兵がドアを開けようとするも、シェリナは首を振る。
「いえ……あの、此処で待たせていただいてもよろしいでしょうか? ご迷惑にならないようにしますので」
ドアの両側に立つ二人の兵は、どうすべきかと視線を交わすが、未来の皇太子妃の言う通りにするしかなかった。
◇
「ついにランネ村の隣町でも感染者が現れた模様です」
ルイスの報告に、皇帝は頭を抱える。
「……十三年前の二の舞にならぬと良いが」
「早い段階から対策は講じてきましたが……私の力が及ばず申し訳ありません」
「いや、起きてしまっていることは仕方がない。視察団の報告ではなんと?」
「幸い死者数はまだ少ないのですが、村の治安が悪化しているそうです。混乱に乗じて、強盗や婦女暴行なども頻発していると」
「……これ以上被害が拡大すれば、またムジリカ国に攻めこまれるやも知れんな」
サレジア国南方のランネ村には、隣国ムジリカ国との国境がある。
伝染病で治安が乱れた十三年前も、危うく攻めこまれそうになった経緯があった。
「……陛下、私にランネ村を視察する命を頂けませんでしょうか? 皇太子として、直接この目で現状を確認したいのです」
「馬鹿な……! 皇位継承者がそんな危うい地へ行くことなど許されぬ! 兄上のように、万一感染したらどうするのだ!」
「十三年前も、エドワード殿下がお命と引き換えに、混乱を鎮めようとご尽力されました。私も皇太子として、その責務があると考えています」
「黙れ! お前が赴くことは絶対に許さぬ」
◇
深いため息を漏らしながら、ルイスは自室への廊下を歩いていた。
扉の数歩手前で顔を上げると、何やら小さな黒いものが見える。それは屈強な兵の隣にちょこんと座り、手の中の物をじいっと見つめていた。そのあどけなさに、胸がふんわり温かくなる。
「シェリナ」
ルイスの言葉に、シェリナは慌てて立ち上がる。
「……お腹空いたの?」
小さな手から覗く小瓶を指差した。
中庭へ出ると、ルイスは以前のように花へ手をかざす。空の瓶は忽ち色とりどりのキャンディーで溢れ、シェリナはそれをしっかりと胸に抱き礼を言う。
「ありがとうございます」
「中で待っていれば良かったのに。兵達が困っていたよ?」
「……私がお部屋に居ると知ったら、ルイス様が引き返してしまわれる気がして」
「それで待ち伏せしてたの?」
「はい」
「……兵と仲良く並んで?」
「……はい」
ルイスは一瞬眉毛を下げた後、ぷっと吹き出した。
「……ルイス様?」
「面白いなあ、シェリナは。……なんだか久々に笑った気がするよ」
「ルイス様、あの、この間は」
「この間は本当にごめん」
頭を下げると、シェリナの首に優しく触れる。
「痛かったよね……本当にどうかしていた」
「いえ……私の方こそ、ルイス様にきちんとお話ししなければいけなかったのです。……あの指輪は」
「お父様のお守りなんだろ?」
「……え?」
「それでいい。それでいいから……」
ルイスは微笑んだ。その水色の瞳は、陽の光に溶けて消えてしまいそうな程悲しい。
シェリナは小瓶に指を入れて一粒取り出すと、ルイスの掌に置いた。美しい水色が、陽の光にキラキラと輝いている。
「ブルースターか……」
「ルイス様の瞳のお色と同じです。とても優しい味がします」
「やさしい……?」
ルイスはそれを握り締めると、シェリナを抱き寄せ、華奢な肩に頭をうずめた。
「しばらく……こうしていてもいい?」
微かに震えるその声は、まるで何かに怯えているようで。シェリナは小さな子供をあやすように、ルイスの広い背中を、トントンと叩き続けた。
────その頃、玉座の間には、皇帝に謁見するオーレンの姿があった。
「陛下、どうか私を、ランネ村へ視察に行かせてください」




