16 この世で一番愛しい日
久しぶりに幸せな夢を見た。美しい花の中で、オーレンが優しく笑う夢。寄り添い、手を繋ぎ、抱き締める。
……黒い炎はもう現れない。
『レン、もう大丈夫? 苦しくない?』
『大丈夫だよ、シェリナ。ずっと一緒だよ……』
────視界に、ぼんやりと誰かが見えた。その水色の瞳は、苦し気に自分を見下ろしている。
大丈夫? ……まだ苦しいの?
「ルイス……様」
「シェリナ」
「私……」
「丸二日も意識がなかったんだ。……今、医師を呼ぶから」
二日……意識…………
シェリナの意識が、徐々に開いていく。
「……レン! レンはどこですか!?」
がばっと身体を起こすと、頭がくらくらと揺れる。不安定なシェリナを、慌ててルイスが支えた。
「危ない! 急に動くな」
水の入ったスプーンを口に当てられ、再び横に寝かせられる。
「レンは……オーレン殿下はどこですか?」
「オーレンは僕が拘束している」
「拘束?」
「未来の皇太子妃を傷付けたんだ。当然だろ」
ルイスはシェリナの腕をそっと持ち上げ、手首の包帯を見せる。
「それはっ」
「それだけじゃない。君はオーレンに黒魔術をかけられて、危うく命を落とす所だったんだよ」
シェリナは、オーレンを包んでいた黒い炎を思い出す。苦しむ彼を思わず抱き締め、それから……
「違う……違います! 私を傷付けたのは、きっとレンの意思ではありません! レンは……苦しんでいたんです」
興奮し、今にも起き上がりそうなシェリナの肩を押さえながら、ルイスは低い声で問う。
「シェリナはオーレンの幼なじみなの?」
……知られてしまった。
ごくりと唾を飲むと、シェリナは覚悟を決めて話し出した。
「……はい。先帝陛下がご存命の頃、宮殿でよくお会いしました。先帝陛下と私の祖母が、皇法学園の同級生でしたので」
「何で教えてくれなかったの?」
「先帝陛下が崩御された際、混乱の中別れてしまいそれきりでしたから。……オーレン殿下も私のことは覚えていらっしゃらないご様子だったので、何となく憚られてしまいました。申し訳ありません」
嘘は……吐いていない。
許嫁であったことだけは心に留めた。
「……そうなんだ」
「お身体の黒い炎が消えた後は、私のことを思い出されたご様子で。きっとオーレン殿下ご自身が、強い魔術をかけられていたのではないでしょうか」
意識が戻って間もないのに、必死に動き続ける口。時折苦しそうに呼吸しながらも……オーレンを庇おうと必死で。
ルイスは見えない膝の上で拳を握る。
……嘘を吐いているようには見えない。オーレンの話と照らし合わせても事実なのだろう。だが……
「オーレン殿下のご意思ではありません。どうか……どうかお助け下さい」
すがるような瞳で見上げられ、ルイスは一層強く爪を食い込ませる。
「……そんなにオーレンが大切?」
「はい。大切な……友達です」
ルイスはすっと立ち上がり、シェリナを見下ろした。その表情は硬く険しい。
「どんな事情があっても、オーレンが君を傷付けたことには変わりない。両陛下も、目を瞑る訳にはいかないだろう」
「ルイス様!」
「但し……二度と彼と会わないと誓うなら、オーレンを解放してもいい」
「そんな……」
まだ……何も話していない。あの日のことも、謝っていない。……想いも伝えていないのに。
シェリナは込み上げるものを飲み込んだ。
「一度……もう一度だけ、オーレン殿下とお話しさせていただけませんか? そうしたら、もう二度とお会いしませんので。お願い致します」
誰かの為に黒い瞳を潤ませ、掠れた声で懇願する。
そんな婚約者に、握り続けていた彼の拳はとうとう冷気を纏い始めた。
「いいよ。僕も同席の下でよければ」
「はい……ありがとうございます」
「じゃあ、医師を呼んで来るから」
ルイスが部屋を出ていくと、黒い瞳から抑えていた涙が零れた。
◇
自室に戻ると、ルイスは書斎の椅子に座り頭を抱えた。
先帝、シェリナの祖母、幼なじみ、そして恐ろしい呪われた黒魔術。誰が、何の目的で。
……オーレンを陥れようとしたのか、それとも、もっと大きな何かが目的なのか。
ルイスは淀んだ心と共に、深い迷宮に入り込んだ。
◇◇◇
オーレンを待つ間、シェリナは激しい胸の鼓動と戦っていた。話したいことは沢山あるのに、この期に及んで上手く纏まらない。時間だけが虚しく過ぎていき、とうとうドアが開いてしまった。
「……じゃあ、僕はこっちで控えているから」
オーレンをシェリナの前に座らせると、ルイスは部屋の隅の椅子に腰掛ける。
自分達へ向けられる鋭い視線にシェリナは萎縮するも、懐かしい声が胸に滑り込んだ。
「……シェリナ様、お身体は大丈夫ですか?」
声変わりして低くなったのに、柔らかな響きは変わらないままで。その心地好さに、シェリナの呼吸は穏やかになっていった。
「はい、すっかり……オーレン殿下は?」
「大丈夫です。貴女のことも、全て思い出しました」
テーブル一枚隔てて見る互いの顔は、子供の頃の面影そのままに大人になっている。しばらく見つめ合い、オーレンはふっと笑う。
「大きくなりましたね」
「もう18歳なので……」
「と言ってもまだまだ小さいですね。僕の分のおやつまで食べていたくらい、食いしん坊だったのに」
「そんなことまで思い出されたのですね」
シェリナは頬を膨らませながら笑う。
「でも……お綺麗になられました」
「……オーレン殿下は、あまり変わっていらっしゃいませんね。お優しい瞳が……昔のままです」
その言葉にオーレンは何かを考え、一旦目を伏せた後、再度シェリナを見つめて言った。
「母が亡くなってから、私はずっと独りでした。上手く言えませんが……貴女のことを覚えていたら、きっともっと違ったのに」
彼の瞳に宿る深い悲しみに、シェリナの胸が激しく痛む。宮殿で独りきり、幼い身で罪人の子と蔑まれ一体どんな暮らしをしていたのだろう。
「私……ずっと謝りたかったんです。先帝陛下がお亡くなりになった日のことを。あの日、私が貴方を家にお招きしなければ、何かが変わっていたのかもしれないと」
「いいえ、私があの場に居たとしても何も変わらなかったでしょう。……昔は祖父や母と共に死んでしまいたかったと何度も思いましたが、今は生きていて良かったと思います。こうして成長された貴女に再会出来たのだから」
「……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」
「いいえ……貴女の8歳のお誕生日会は、私の記憶の中で、一番最後に残る楽しい思い出でした」
あの日────
十年前の9月6日は、隣国ヘイル国との平和条約記念日の祝賀行事が催される予定だった。
例年サレジア国の宮殿にて、両国の皇帝と皇位継承者が揃い晩餐会を行うことになっており、皇太子に即位したオーレンも前年に続き出席するものと思われていた。
だが、何故かあの年は先帝……当時の皇帝から外出許可が下り、お忍びでシェリナの自宅へ行くことになっていたのだ。重要な行事を差し置いて、シェリナの誕生日を祝う、ただそれだけの為に。
7歳の誕生日は、当日に祝ってやることが出来なかった為、オーレンはこの誕生日会を心待ちにしていた。彼が自宅へ来ると聞いた時のシェリナの弾ける笑顔は、今もオーレンの胸に鮮明に残っている。
シェリナの父が作る、温かい食事や家庭の雰囲気は楽しく。嬉しそうにケーキを頬張るシェリナと共に、幸せな時間はあっという間に過ぎて行った。
夜になり宮殿に戻ると、忽ち兵に拘束され────
何が起きたかを知った。
呪いの黒魔術により、晩餐会の出席者全員が倒れたことを。
幸いヘイル国の出席者は軽症で済んだが、危うく国際問題に発展しそうな所を、ヘイル国出身の現皇妃が収め事なきを得た。
しかし先帝の症状は最も重く、治療も出来ぬまま数日後に亡くなったのだった。
黒魔術の種類が、オーレンの母カレン妃が操る炎だったこと。カレン妃の部屋から、先帝を呪う呪符が見つかったこと。……そして、自分の息子が晩餐会に出席せず無事だったことで、疑う余地もなく有罪となってしまったのだ。
「私……誕生日が来る度にレンのことを思い出して……私のせいで……9月6日は、この世で一番悲しい日だった」
溢れる涙を拭ってやることも出来ない。抱き締めてやることも出来ない。オーレンは膝の上で血が滲む程拳を握り締めた。
「私にとって9月6日は、この世で一番愛しい日です。……シェリナが生まれてきてくれた、大切な日だから」
オーレンの頬にも、いつの間にか涙が伝っていた。
「レン、幸せになって。小さい頃からずっと……いつでもレンの幸せを祈っているから」
「……シェリナも。幸せに」
伝えられない想いを確かめ、それを互いに重ねるように、ゆっくり言葉を紡いだ。
席を立つシェリナに次いで、オーレンも立ちあがる。
ふと視界に入ったその手首に、オーレンの顔色が変わった。
「その手……!」
オーレンの視線に気付き、シェリナは手首にそっと掌を添える。
「……治療を受けたのだけど、魔力で付いた痕だから完全には消えないみたい。でも……このままで、このままがいいの」
微笑みながら、シェリナは愛おしげに傷痕を撫でる。
「シェリナ……」
オーレンは思わず手を伸ばそうとするも、ルイスがシェリナを後ろから抱き寄せ睨みつけた。
「もう話は済んだだろ」
「……失礼致しました。皇太子殿下、シェリナ様をどうかお幸せにして差し上げて下さい」
深く頭を下げると、オーレンは兵と共に部屋を後にした。




