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この世で一番悲しい日 ~二人の皇子と許嫁~  作者: 木山花名美
水色の瞳

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16/69

15 刃

 

「……シェリナに何をした?」


 白い煙を立ち昇らせながら、ルイスがじりじりと近付いて来る。


「今すぐシェリナから離れろ」


 オーレンに向けられた掌には、新たな氷の刃がピシピシと生まれ、放たれる時を待っている。


「ルイス様……駄目……」


 シェリナはふらふらと身体を起こし、膝を突くとオーレンの前に立ち塞がり両手を広げた。


「レンは……何も……悪くない」


「……“レン”?」

 ルイスが眉根を寄せる。


「何も……しないで……お願い、お願いします……うっ」


 ゴホッ────

 咳と共に赤黒い血を吐き、そのまま前のめりに倒れ込む。


「シェリナ!!」


 オーレンが手を伸ばすより、僅かに速くルイスが駆け寄り受け止める。

 シェリナの身体に触れようとするオーレンの手は、ルイスの魔力により瞬時に凍りついた。


「くっ……」


「地下に拘束しろ」

「はっ」


 兵士らが両側からオーレンを掴む。


「シェリナ! シェリナ!!」


 オーレンは後ろを振り向き何度も叫ぶが、数人がかりで押さえつけられ、連行されて行った。


 ルイスの腕の中のシェリナは、生気を失いぐったりと身を預けている。元々白い顔が透き通るように白くなっていく様に、ルイスは言いようのない恐怖を覚える。


「医師を……医師を呼べ!! 早く!」


 呆然と立ち尽くしていたユニが、はっと駆け出した。




 ◇


「これは……!!」

 シェリナを診た医師が震えながら叫ぶ。


「シェリナ様のお身体は、呪いの魔術に冒されています」

「何だと?」

「失礼致します」


 脈をとり、心臓の音を聴く。


「……本来であれば即死されてもおかしくない程の強力な魔術ですが、シェリナ様は何とか持ちこたえていらっしゃいます。恐らく元々お持ちの魔力が戦っていらっしゃるのかと。恐れながら何も治療法はありません。あとはシェリナ様の生命力に委ねるしか……」


 ルイスは何も言わず、シェリナの冷たい手を握りしめる。その細い手首には包帯が巻かれ、何とも痛々しい。

 ルイスの胸が、怒りに溢れた。




 ◇


  ……何故シェリナのことを忘れていたのだろう。あんなにも大切な存在だったのに。

 そのシェリナに、俺は何をした?


 くそっ!

 思いきり自分を殴ってやりたいのに、自由にならない両手がもどかしい。魔力を使えば簡単に外せるが……


 オーレンは天井を仰ぎ息を吐くと、拘束椅子に背中を預ける。目を閉じて、ひたすらシェリナの無事を祈り続けた。




 ────どのくらい経った頃だろうか。


 コツコツと響く足音に目を開けると、牢の向こうにルイスが立っていた。格子越しに、オーレンを無表情で見下ろしている。


「シェリナは……シェリナは無事なのか!?」


 その問いには答えず牢へ入ると、ルイスはオーレンの手を見つめる。


「……魔力で溶かしたのか」


 魔力で凍らせたものは、魔力でしか溶けない。さっきルイスが凍らせた手は、すっかり元に戻っていた。


「中庭の鍵も魔力で開けたんだろ? 結界も……。いつからなんだ? 本当は、そんな拘束も解けるんだろう」

「……さあ。いつからでしょう。以前皇太子殿下より、信じれば開花すると励ましていただいたお陰です。お喜びいただけますか?」

「ふざけるな!!」


 ルイスはオーレンの胸ぐらを掴む。


「シェリナに呪いの魔術をかけたのか」

「呪いの……魔術?」


 思わぬ言葉に、オーレンの目が見開いた。


「お前のせいで……! さっきまで生死を彷徨っていたんだぞ!!」

「……それで! シェリナはどうしている!?」

「“シェリナ”? お前はシェリナの何なんだ? 何故彼女を傷付けた!!」


 激しく揺さぶられるも、オーレンは冷静に答える。


「……幼なじみです」


「は?」

「私達は先帝がご存命の頃……まだ私が皇太子だった頃、宮殿でよく一緒に遊んでいました」


 倒れる前、”レン”と親しげに呼んでいたシェリナを、ルイスは思い出す。


「何故言わなかった」

「忘れていたのです。……先程、シェリナに抱き締められるまで」


 その言葉が、ルイスの怒りに火をつける。


「忘れていただと? そんな噓が通用すると思っているのか!」


 オーレンは少し考え、口を開いた。


「本当のことです。恐らく、誰かに呪いの魔術をかけられ、そのせいで記憶を失くしていたのかもしれません。それをシェリナが、全て引き受けてくれたのでしょう」

「”かけられていた”だと?」

「はい、“誰か”に。皇太子殿下にお心当たりはございませんか?」

「……お前の言うことは信用出来ない。暫く此処に入ってろ。不審な動きをしたら、容赦はしない」


 ルイスはそう言うと、牢から出て格子扉を閉める。少し歩き、立ち止まると背を向けたまま言い捨てた。


「二度とシェリナと呼ぶな」

「……申し訳ありません。シェリナ様とは、皇太子殿下よりも、ずっと前に出会っておりましたので」




 ◇


 アーシャは用意された部屋で、微動だにせず座っている。ドアの開く音にすっと立ち上がると、背筋を伸ばしてルイスを迎えた。


「……アーシャ、今日僕を呼び出したのは、シェリナを一人にさせる為? 屋敷の兵を催眠術で眠らせたのも」

「…………」

「オーレンに命じられた?」

「申し訳ありません。ご質問の意図が分かりかねます」

「何故僕が、こうして君を部屋に拘束しているのか。賢い君に分からない訳はないと思うけど」

「申し訳ありません」


 頭を下げたまま動かないアーシャに、ルイスはため息を吐く。


「君をオーレンの妃に推薦したのは、君の魔力が高いからだけじゃない。思慮深く、冷静で、聡明で……皇子の妃という地位を手にしても、決して過ちを犯さないと思ったからだよ」

「…………」

「まさかその聡明さが、僕の一番大切なものを脅かすとはね」


 ルイスは彼女の顔に浮かぶ微かな動揺を感じ取り、その罪を確信する。


「オーレンの処分が決まるまで、しばらくこの部屋で見張りを付けさせてもらうよ」


 ドアへと遠ざかる足音に、アーシャはただ耳をそばだてる。すると、この世で一番優しく、残酷な声が、心を突き刺した。


「……ずっと、大切な友人であって欲しい」


 そう言い残すと、ルイスは部屋を後にする。残されたアーシャは胸を押さえながら、もっと強い痛みを求めて唇を噛み続けた。




 ◇


「オーレン殿下の魔力が戻られたご様子です」

「……強さは」

「皇太子殿下の張られた結界を破られる程です」


 ユニの報告に、皇妃は額を押さえる。


「オーレン殿下は地下牢に、アーシャ様はお部屋にて、ルイス様が拘束されています」

「……シェリナは」

「オーレン殿下と接触されたことで、黒魔術によりお命を落とされかけました」

「黒魔術……」

「はい。医師の見立てでは、即死される程の強力な魔術を、シェリナ様ご自身の魔力にて弾かれたようです」


「ふふっ……ははは!」

 突如声を上げて笑い出す皇妃。


 やはりあの娘は……



 ユニは皇妃の部屋を出ると、その場にへたへたと座り込む。今日初めて目の当たりにした黒魔術。あの日のように、恐ろしいことに巻き込まれそうな予感がしていた。




 ◇


 冷たかった手に温もりが戻る。もう二度とその温もりが逃げないように、ルイスは握り続けていた。


「ん……」

 静かに眠っていた顔がピクリと動き、目を閉じたまま何ともいえない幸せそうな顔を浮かべる。


 ……良い夢でも見ているのか?


 それはまるで春の陽だまりのように、ルイスの心を温かく染めていく。

 ピンク色の艶やかな唇に、指をそっと近付ける。触れようとしたその時、それはゆっくりと開き、奥から甘い声が零れた。


「…………レン…………」



 ルイスの胸に、黒い何かが広がった。


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