15 刃
「……シェリナに何をした?」
白い煙を立ち昇らせながら、ルイスがじりじりと近付いて来る。
「今すぐシェリナから離れろ」
オーレンに向けられた掌には、新たな氷の刃がピシピシと生まれ、放たれる時を待っている。
「ルイス様……駄目……」
シェリナはふらふらと身体を起こし、膝を突くとオーレンの前に立ち塞がり両手を広げた。
「レンは……何も……悪くない」
「……“レン”?」
ルイスが眉根を寄せる。
「何も……しないで……お願い、お願いします……うっ」
ゴホッ────
咳と共に赤黒い血を吐き、そのまま前のめりに倒れ込む。
「シェリナ!!」
オーレンが手を伸ばすより、僅かに速くルイスが駆け寄り受け止める。
シェリナの身体に触れようとするオーレンの手は、ルイスの魔力により瞬時に凍りついた。
「くっ……」
「地下に拘束しろ」
「はっ」
兵士らが両側からオーレンを掴む。
「シェリナ! シェリナ!!」
オーレンは後ろを振り向き何度も叫ぶが、数人がかりで押さえつけられ、連行されて行った。
ルイスの腕の中のシェリナは、生気を失いぐったりと身を預けている。元々白い顔が透き通るように白くなっていく様に、ルイスは言いようのない恐怖を覚える。
「医師を……医師を呼べ!! 早く!」
呆然と立ち尽くしていたユニが、はっと駆け出した。
◇
「これは……!!」
シェリナを診た医師が震えながら叫ぶ。
「シェリナ様のお身体は、呪いの魔術に冒されています」
「何だと?」
「失礼致します」
脈をとり、心臓の音を聴く。
「……本来であれば即死されてもおかしくない程の強力な魔術ですが、シェリナ様は何とか持ちこたえていらっしゃいます。恐らく元々お持ちの魔力が戦っていらっしゃるのかと。恐れながら何も治療法はありません。あとはシェリナ様の生命力に委ねるしか……」
ルイスは何も言わず、シェリナの冷たい手を握りしめる。その細い手首には包帯が巻かれ、何とも痛々しい。
ルイスの胸が、怒りに溢れた。
◇
……何故シェリナのことを忘れていたのだろう。あんなにも大切な存在だったのに。
そのシェリナに、俺は何をした?
くそっ!
思いきり自分を殴ってやりたいのに、自由にならない両手がもどかしい。魔力を使えば簡単に外せるが……
オーレンは天井を仰ぎ息を吐くと、拘束椅子に背中を預ける。目を閉じて、ひたすらシェリナの無事を祈り続けた。
────どのくらい経った頃だろうか。
コツコツと響く足音に目を開けると、牢の向こうにルイスが立っていた。格子越しに、オーレンを無表情で見下ろしている。
「シェリナは……シェリナは無事なのか!?」
その問いには答えず牢へ入ると、ルイスはオーレンの手を見つめる。
「……魔力で溶かしたのか」
魔力で凍らせたものは、魔力でしか溶けない。さっきルイスが凍らせた手は、すっかり元に戻っていた。
「中庭の鍵も魔力で開けたんだろ? 結界も……。いつからなんだ? 本当は、そんな拘束も解けるんだろう」
「……さあ。いつからでしょう。以前皇太子殿下より、信じれば開花すると励ましていただいたお陰です。お喜びいただけますか?」
「ふざけるな!!」
ルイスはオーレンの胸ぐらを掴む。
「シェリナに呪いの魔術をかけたのか」
「呪いの……魔術?」
思わぬ言葉に、オーレンの目が見開いた。
「お前のせいで……! さっきまで生死を彷徨っていたんだぞ!!」
「……それで! シェリナはどうしている!?」
「“シェリナ”? お前はシェリナの何なんだ? 何故彼女を傷付けた!!」
激しく揺さぶられるも、オーレンは冷静に答える。
「……幼なじみです」
「は?」
「私達は先帝がご存命の頃……まだ私が皇太子だった頃、宮殿でよく一緒に遊んでいました」
倒れる前、”レン”と親しげに呼んでいたシェリナを、ルイスは思い出す。
「何故言わなかった」
「忘れていたのです。……先程、シェリナに抱き締められるまで」
その言葉が、ルイスの怒りに火をつける。
「忘れていただと? そんな噓が通用すると思っているのか!」
オーレンは少し考え、口を開いた。
「本当のことです。恐らく、誰かに呪いの魔術をかけられ、そのせいで記憶を失くしていたのかもしれません。それをシェリナが、全て引き受けてくれたのでしょう」
「”かけられていた”だと?」
「はい、“誰か”に。皇太子殿下にお心当たりはございませんか?」
「……お前の言うことは信用出来ない。暫く此処に入ってろ。不審な動きをしたら、容赦はしない」
ルイスはそう言うと、牢から出て格子扉を閉める。少し歩き、立ち止まると背を向けたまま言い捨てた。
「二度とシェリナと呼ぶな」
「……申し訳ありません。シェリナ様とは、皇太子殿下よりも、ずっと前に出会っておりましたので」
◇
アーシャは用意された部屋で、微動だにせず座っている。ドアの開く音にすっと立ち上がると、背筋を伸ばしてルイスを迎えた。
「……アーシャ、今日僕を呼び出したのは、シェリナを一人にさせる為? 屋敷の兵を催眠術で眠らせたのも」
「…………」
「オーレンに命じられた?」
「申し訳ありません。ご質問の意図が分かりかねます」
「何故僕が、こうして君を部屋に拘束しているのか。賢い君に分からない訳はないと思うけど」
「申し訳ありません」
頭を下げたまま動かないアーシャに、ルイスはため息を吐く。
「君をオーレンの妃に推薦したのは、君の魔力が高いからだけじゃない。思慮深く、冷静で、聡明で……皇子の妃という地位を手にしても、決して過ちを犯さないと思ったからだよ」
「…………」
「まさかその聡明さが、僕の一番大切なものを脅かすとはね」
ルイスは彼女の顔に浮かぶ微かな動揺を感じ取り、その罪を確信する。
「オーレンの処分が決まるまで、しばらくこの部屋で見張りを付けさせてもらうよ」
ドアへと遠ざかる足音に、アーシャはただ耳をそばだてる。すると、この世で一番優しく、残酷な声が、心を突き刺した。
「……ずっと、大切な友人であって欲しい」
そう言い残すと、ルイスは部屋を後にする。残されたアーシャは胸を押さえながら、もっと強い痛みを求めて唇を噛み続けた。
◇
「オーレン殿下の魔力が戻られたご様子です」
「……強さは」
「皇太子殿下の張られた結界を破られる程です」
ユニの報告に、皇妃は額を押さえる。
「オーレン殿下は地下牢に、アーシャ様はお部屋にて、ルイス様が拘束されています」
「……シェリナは」
「オーレン殿下と接触されたことで、黒魔術によりお命を落とされかけました」
「黒魔術……」
「はい。医師の見立てでは、即死される程の強力な魔術を、シェリナ様ご自身の魔力にて弾かれたようです」
「ふふっ……ははは!」
突如声を上げて笑い出す皇妃。
やはりあの娘は……
ユニは皇妃の部屋を出ると、その場にへたへたと座り込む。今日初めて目の当たりにした黒魔術。あの日のように、恐ろしいことに巻き込まれそうな予感がしていた。
◇
冷たかった手に温もりが戻る。もう二度とその温もりが逃げないように、ルイスは握り続けていた。
「ん……」
静かに眠っていた顔がピクリと動き、目を閉じたまま何ともいえない幸せそうな顔を浮かべる。
……良い夢でも見ているのか?
それはまるで春の陽だまりのように、ルイスの心を温かく染めていく。
ピンク色の艶やかな唇に、指をそっと近付ける。触れようとしたその時、それはゆっくりと開き、奥から甘い声が零れた。
「…………レン…………」
ルイスの胸に、黒い何かが広がった。




