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この世で一番悲しい日 ~二人の皇子と許嫁~  作者: 木山花名美
水色の瞳

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13 手

 

『カレン妃を殺せ!』

『首を落として曝してやれ!』

『皇太子も処刑しろ!』


 街中に、民衆の恐ろしい怒号が響き渡る。


 ……レン!!


 止める父を振り切り、宮殿へと駆け出した。

 熱気と混乱が渦巻く中、皇帝陛下に教わった秘密の通り道から中庭へ滑り込む。


 美しかった花々は、黒い炎に燻り……全ての色を失っていた。異様な光景の中で、唯一美しい銀色を見つけ駆け寄る。


『レン!!』


 藍色の瞳はこちらを向いているのに焦点が合わず、何度呼び掛けても反応がない。

 突如目が合いほっとしたのも束の間、彼は怯えたように後退り出した。


『……レン?』

『……来るな! こっちに来るな! やめろ!』

『レン……どうしたの? シェリナだよ。私シェリナだよ?』


 大きく見開いた瞳は次第に細くなり、自分を鋭く睨みつける。


『お前……お前のせいだ。お前さえいなければ、僕もお祖父様と一緒に死ねたのに! お母様も死ななかったのに!』

『ごめんなさい……ごめんなさいレン』

『……ここから出ていけ。二度と……二度と僕の前に現れるな!』




『……大きくなられましたら、またきっと仲良くなられますよ』




 遠くて、優しいユリの声。瞳を開くと、涙がどっと溢れた。


「シェリナ様!」


 額がひんやりと心地好い。


「……ご気分が優れませんか?」

「ユニ……」


 ラベンダー色の瞳が、心配そうに自分を見下ろしている。


「まだ少しお熱がありますので、安静になさっていてください」


 窓の外はすっかり暗く、あれから長い時間眠っていたのだと理解した。

 ふと額から離れた冷たいものを目で追うと、それは柔らかいタオルを掴み、シェリナの目尻を優しく拭う。

 そうか……今まで額にあったものは、ユニの……


「手?」


 額を触るシェリナに、ユニは意味を理解し答える。


「はい。苦しそうなご様子でしたので……直接私の手から魔力で冷気を送らせていただきました。どうかご無礼をお許し下さい」

「そんな……とても気持ち良くて……どうもありがとう」

「いいえ! 今までずっと皇太子殿下がお傍に付いていらっしゃったので、私なんかやることがなかったくらいなんですよ」

「ルイス様が……」

「ええ、それはもう……お水にタオルに室温に……あれこれ細かく指示を出されまして」


 ユニの困り顔に、シェリナはくすっと笑う。


「今は皇帝陛下に呼ばれて渋々お部屋を出ていかれましたけれど、きっとすぐに戻られますのでご安心下さい」

 喋りながらも、てきぱきと動くユニ。


「お水はいかがですか?」

「ええ、少し飲みたいわ」


 ユニはシェリナの背中にクッションをあて、身体を優しく起こすと、水の入ったコップを手渡す。その指先に、赤い切り傷があるのにシェリナは気付いた。


「……ユニ、手が」

「あら……いつ切れてしまったのでしょう」

「さっき冷やしてくれていたせいで……?」


 悲しげに眉毛を下げるシェリナに、ユニは慌てる。


「違いますよ! こんな怪我、日常茶飯事ですから」

「見せて」


 シェリナはコップを置き、ユニの手を両手でそっと握る。淡いエメラルド色の光にふわっと包まれ、手を開くと指先の傷が消えていた。


「シェリナ様……ありがとうございます」

「いいえ……こんなことぐらいしか出来なくて」

「何を仰るんですか! 将来お子様が転んでお怪我をされても、シェリナ様の御手で、すぐに治して差し上げられるではないですか」

「子供……」


 そうだ……ルイス様と結婚したら、当然夫婦となる。夫婦となれば寝室を共にしなければならない。世継ぎを遺す責については、妃教育で充分学んできた筈なのに。結婚の先の、具体的な夫婦生活を全く想像していなかった。

 いえ……想像していなかったのではなく、想像出来なかったのだ。受け入れるしかないのに……覚悟して宮殿ここへ来たのに。心がそれを拒んでいたのかもしれない。……本当に愚かね。


 表情を失うシェリナを、ユニは何も言わず見下ろしていた。



「シェリナ」

 息を切らせて部屋に入って来たルイスは、シェリナの額に優しく手を当てた。


「熱は下がった? 顔色がまだ良くないな」

「大丈夫です……その、ずっと傍に付いていてくださって、ありがとうございました」

「……すごく心配したんだ」


 壊れ物を扱うように抱き締められる。ルイスのその腕には、朝の強引さや男女の熱は一切感じられない。ただ伝わる優しい温もりに、シェリナの胸は苦しくなった。


「では、殿下に交代して……私は一旦失礼致します。まだお熱がありますので、安静にして差し上げて下さいね」

 クスクスと笑いながら、タオルを片付けるユニ。


「ユニ、本当にありがとう」

 シェリナの言葉に、ユニはにこりと微笑み頭を下げた。



「……りんごでシャーベットでも作ろうか」

「はい、頂きたいです」


 そんな会話を聞きながら、ユニは静かにドアを閉める。その足で、皇妃の部屋へと続く、薄暗い廊下を辿った。




 緊張をはらんだノックの音が、廊下に響く。


「ユニでございます」

「入れ」


 ソファーで寛ぐ皇妃の元へ近付き、堅い礼をする。


「……体調を崩したと聞いたが」

「ストレスから来す熱だそうです」

「オーレンは今日もシェリナに接触したのか」


「はい。ですが今朝の祈祷には皇太子殿下が付き添われた為、直接会話はされておりませんでした。初めて接触された時には、シェリナ様の出自や魔力についてお尋ねに。昨日はケーキの味がどうこうというお話のみで……それ以上の会話はなさっていないと思われます。全て聴き取れた訳ではございませんが」


 オーレンめ……何を探っているのか。

 皇妃は手触りの良いガウンを手繰り寄せ、ギリギリと爪を立てる。


「……ルイスはどうしている」

「シェリナ様がご体調を崩されたことで、オーレン殿下に強い警戒心を抱かれたご様子です」

「ふっ……やっと己の甘さに気付いたか。……シェリナの魔力は?」

「変わりはございません。先程私の手の切り傷を治療してくださいましたが……やはり微弱な回復魔力しかお持ちではないようです」

「……ネックレスは?」

「宮殿に入られてから今まで、一度もお外しにはなりません。ご婚約前のご実家でのご様子と同じく」

「やはりな」


 皇妃はニヤリと笑う。

 外さないのではなく、外“れない”────


「ご苦労、もう下がって良い。引き続き監視を続けよ」


 ユニはドアへと足を踏み出しかけるも、その場に留まり、震える口を開いた。


「……皇妃様、皇太子殿下はシェリナ様のことを」

「下がれと言ったが」


 有無を言わせぬ声に、再び堅い礼をするしかなかった。


「……失礼致します」




 ドアを閉め、廊下を数歩進んだ所で立ち止まり、ユニは目を閉じる。



『ユニ、大丈夫? すぐに良くなるからね』


 瞼に浮かぶのは、幼い日、熱を出した額に当ててくれた優しい手。


『……妹達を……守ってね……』



 母の最期の言葉を反芻し、緩んだ心を引き締めると、覚悟を決め歩き出す。

 この先どんな方向へ転んでも、皇妃と運命を共にしなければならないのだと────




 ◇


『アーシャと婚約した後は、オーレンを今の屋敷から出し、別の住まいへ移してください』


『……何?』


『もし母上の推薦されたご令嬢がオーレンの婚約者になっていたとしても、同じようにあの屋敷で幽閉し続けたのですか?』


『それは……!』


『アーシャは身分に関係なく、私の大切な友人です。粗末に扱うことは赦しません。そしてオーレンは、兄弟同然の大切な従兄弟です』


『何を……罪人の息子ではないか!』


『先帝を殺めたのはカレン妃であって、オーレンに罪はありません。結婚後は徐々に私の補佐も務めてもらう予定です』


『……謀反を起こしたらどう責任を取るつもりだ?』


『住まいを私の目の届くところに用意し、しっかりと監視致します。それに……オーレンにはほとんど魔力がないのですから。そんなにご心配なさらなくても大丈夫でしょう』


『……そなたの責任は重い』


『承知しております。より鍛錬し、私の魔力で皇室を守っていきます』



 数ヶ月前の息子とのやり取りを思い出し、皇妃はため息を吐く。


 アーシャがいる為結界は張れないが……今のところ屋敷外の兵からも、中の侍女からも変わった報告は受けていない。

 自分の息のかかった令嬢と婚約していれば、もっと厳重に監視出来ていたものを。


 今やルイスは、国内随一の魔術の使い手。だが、もしもオーレンの魔力が蘇ったら?

 息子の魔力とは桁違いだった、あの忌々しい力を思い出す。


 ユニの報告通り、ルイスの警戒心が強まったならより安心だが……懸念は、ルイスがあの娘に溺れ過ぎることだ。娘が何に利用されるかも知らずに。


 ……慎重に事を進まねば。




 ◇


 小鳥のさえずりに、シェリナは薄く目を開ける。

 熱が下がったのか、昨日まで重かった頭はスッキリと軽い。


 ふと横を見れば、ベッドサイドに座ったままのルイスが、肩の辺りに顔を伏せ寝息を立てている。


 ……一晩中、傍に居てくださったの?


 窓から差し込む朝日が、金色の髪を眩しく染める。その繊細な一本に流れる何かを確かめたくて、気付けば指を伸ばし、掠めるように触れていた。


 ルイス様もユニも、出会ってまだ数週間なのに、まるで本当の家族みたいに温かい。



 ……ずっと恐いと思っていた。自分を憎み拒絶する彼は、恐くて、悲しくて。

 だけどあの夢の中で、レンは自分を見て怯えていた。本当に恐かったのは、もしかしたら私ではなく、レンの方だったのかもしれない。あの時逃げ出さないで、彼を抱き締めてあげていたなら……


 ユリ先生はどこへ消えたのか、何故遺言が変わってしまったのか。……レンのくらい瞳の向こうには何があるのか。私は今度こそ、きちんと向き合わなければならない。

 自分を大切にしてくれる人達の為にも。



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