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月下美人  作者: かしわ
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6、蒼天が射す光

こぼしたため息は、憎らしいほど澄んだ空に吸い込まれ、溶けていく。日差しは容赦なく降り注ぎ、肌を突き刺す。

色の白いシエナの肌は、日に耐えきれず、夏の日差しを浴びた後は、決まって火傷を負ったように、赤く腫れてしまう。野外で駆けることが好きだった少女の頃は、何度も夏の光にやられて、侍女の言いつけを守らなかったことを少し後悔したものだ。

少女だった自分の姿を、そんな木々の間に見た気がして、思わず微笑みが浮かんだ。母の手を焼いたあの女の子は、今もここにいるのだろうか?

屋敷の庭の片隅に供えられた日陰のテラスは、緩やかに時を刻む。

「はぁ」

気を抜けば、ため息ばかりをこぼしてしまう。

わざわざ自室から離れ、夏の日差しにさらされたテラスにいるのには、理由があった。

溢れかえる、花々の色彩。むせかえるほどの甘い香り。身を置いていると、体の隅々にまで浸食されてしまうようだった。そうして、贈り主の顔がどうしても浮かんでしまう。

冷やされたグラスに触れているはずの手が熱い。

夜会で一度あっただけだ。しかも、迷惑を掛けたのはこちらなのに……。

後日、領地で作られた地酒に簡素な礼状をつけて、リヴィウス家の都にある屋敷に届けた。夜会での振る舞いを考えれば、簡単すぎる気もしたが、あまり大仰なことはできないので、せめてものお詫びに、という思いで贈らせた。

次の日、シエナは屋敷に贈りかえされたものに、愕然とした。

使者数人が抱えた花は、一室を埋め尽くすほど……そして、手渡された小箱を開けば、見事な金細工の首飾りがあった。共に添えられた書状には、先日の無礼を詫びる言葉と、前日にシエナが届けたものへの感謝の言葉が紡がれていた。

ささやかな贈り物――お気に召せばよろしいのですが……と加えられた言葉に、似つかわしくないほど、首飾りはあまりにも、豪華過ぎた。

細い金糸を何重にも重ねてつくられた細工は、繊細だが、質量感が大きく豪華だ。中央には大きな石が埋め込まれ、首飾りの存在感を増している。

リヴィウス家が金細工で栄えていることは、有名だが、それでもここまで手の込んだ品は、珍しいのではないか。

手にとることを躊躇われ、そのまま静かに小箱のふたを閉じてしまう。

そのようなものをもらえる道理が立たない……。

喜び、など全くなく奇妙な感覚がシエナを襲った。そのまま、黙って収めることもできず、失礼がないように細心の注意を払い、新たな手紙をしたためた。


貴殿のお心遣い、身に余る光栄でございます。しかし、わたくしには勿体なさすぎる御品――


それを、引き返す使者に、贈られた首飾りとともに託し帰らせた。花々は仕方がない、とそのまま受け取ることにし、これで事態を収めることができた……そう思っていた。

翌日、同じ光景が繰り返されるまでは――


何度送りかえしても、再び贈られる品々。首飾りは、ティアラに変わり、ブローチに変わり、耳飾りに変わった。

品は変われど、しかし、それぞれがもつ、豪華さはどれをとっても見劣りするものではなかった。

繰り返し続ける不毛な争いに、シエナはほとほと嫌気がさしつつある。

飾りに合わせて贈られる花々を避けるのも、そのためだった。

「はぁ」

また、ため息。ため息をつくことに、ため息が漏れてしまいそうだ……。

そもそも、フェリオはどうしてあのような振る舞いに出たのであろうか?彼の振る舞いがなければ、シエナが卒倒することもなかったし、ロジェに手を借りることもなかった。あの場の出会いで終わったはずなのに……――

フェリオが、シエナに対し執着を見せることを、シエナは子どもが見せる独占欲だ、と思っていた。

だから、我を忘れたように敵意を剥き出しにするフェリオを、理性をもっておさめようとした。大人になってもらわねば……正直な思いだった。

しかし、ロジェはそれを正面から否定して見せたのだ。むしろ、成長したからこそ、あのような態度に出た、と――

では、どうしてシエナを縛るのだろうか?なぜ?

理解できないことばかりだ……。フェリオの気持など、当然分かっていると思っていた。7つの頃からずっとその成長を見守って来て、彼の一番の理解者は自分だと思っていた。

でも、今は?彼の気持ちを理解できていると言えるだろうか……?

わからない……。

ぐるぐる、と様々なことが頭をまわり、ため息ばかりを付いてしまう。


「はぁぁ……」

ひときわ大きなため息をつく。様々な煩い事はあるけれど、間近に迫ることが、一番シエナの気持に影を落としている。

昨日、王宮から一つの使いがあり、王宮への参内を申しつけて来たのだ。

あの夜会の日以来、フェリオに会っていない。王宮への訪問を避け続けているが、未だ、シエナはフェリオの婚約者である。いくら、もうしばらくの立場であるとはいえ、その責務を果たさなくてはならない。

明日、昼過ぎに参ります、と告げたからには、そろそろ支度を始めなくてはならないはずだ。

汗をかいたグラスをデーブルに置き、静かに席を立った。太陽が南中に辿り着き、一層、日差しが強まる。日よけに用意された傘を開くと、シエナは遮るもののない、日差しの中へ一歩足を進めた。




「あら、ゲイルが出迎えなんて珍しいわね?アリーはどうしたの?」

馬車から降り立てば、いつも迎えてくれるアリーの姿がなかった。代わりに、厳めしいゲイルが数人の部下を従えて、待ち構えていた。

常ならぬ様子に、首をひねっていると、ゲイルが逡巡しつつ、口を開いた。

「シエナ様、ただいま殿下は客人に手をとられておりまして……アリーもその場に備えているのです……。ご予定にはないことでしたが、なにぶん相手方が……その、難しい方でして……」

ゲイルの言いように、微かな疑問を感じつつも、その問には答えてもらえないことを悟って、表情には出さないでおく。小さく頷いて、了解を示して見せた。

「そうなの。なら、しかたがないわ……。その様子では、今日の面会も難しいようね。けれど、このままお暇しては、角が立つでしょう……。久しぶりに書庫へ行こうかしら?……いい?」

「書庫ですか!?」

ゲイルの過剰な反応に、ぴくり、とシエナの美しい眉が動く。それを無視して、一人、思案顔に暮れる。しばし、逡巡していたゲイルが、重い口を開いた。

「……よろしいでしょう。ただし、共をお付けいたして宜しいでしょうか?」

シエナの美しい眉が今度は、はっきりと顰められた。王宮内で、シエナに近衛兵が付くことは、余程の事情がない限り、なかった。それ故に、感じた違和感だが、やはりゲイルに答える気はなさそうだ。

「……いいわ。お願いします」

「かしこまりました」

ゲイルは左手を胸に当て、丁寧にお辞儀を返す。そして、控える後ろの二人に、耳打ちを告げた。

何が、彼らに囁かれたのか……シエナには知る由もなかった。




「では、わたくし共はこちらで控えておりますので」

「ええ。ありがとう」

共だつふたりに、頬笑みを残し、扉の奥に進んでいく。年若い二人の近衛兵が、心を蕩かすシエナの笑みに魅入られ、頬を赤く染めたことに、気付きもせずに。

ぱたり、と扉を閉ざせば、広がるのは、澄んだ静けさだ。フェリオに会えない、ということは、シエナに安堵をもたらした。

ほっと、小さく息をつき、高く並んだ、書棚へ近づく。埃を纏った書物が放つ独特の香りが身を包む。決して、嫌なものでなく、慣れたシエナにとっては、心を落ち着ける香りだ。久しぶりに、心を落ちつけられた気がする。自然、口元に柔らかな微笑みを浮かんでいた。

教師が、シエナの知らぬうちに王宮に申しつけをしてくれたと知ったとき、震えるほどの喜びを感じた。

普通では手にすることのできない書物の数々を、閲覧できるなど、夢のようだった。そして、教師が自分をそれほどまで高く評価してくれていたことが、純粋に嬉しかった。

並ぶ書物の中に、興味を引く一冊を見つけ、指でそれを引き抜く。表紙を愛おしげに撫で、緩やかにページを繰る。

しばらく、その場で本を読みふけっていたが、本に目を落としたまま、そっと歩みを進め始めた。いつも、シエナが席をとる、書庫の奥、天窓からの光が一筋差し込む、その場所へと向かった。

器用に書棚を避け、意識は書物に集中したまま書庫内を進んでいく。

「ひゃっ」

と、突然、行く手が遮られた。何かに当たったはずみで、その場に倒れそうになる。床の衝撃を覚悟して、きつく目を閉じる。しかし、その衝撃はなく、かわりに、腕を強い力で引きつけられた。恐る恐る瞳を開いてみれば、正面に立つ一人の男性の姿を見止めた。驚きで、声を出すことが出来ない。

そんなシエナの代わりに相手が、青い瞳を細め、笑みを返す。

「ようやくお会いできましたね、シエナ様」

掛けられた言葉に、はっと意識を引きもどされる。恐ろしいものを見たように、思わず後ずさるが、手首を握られたままで、距離を取ることは叶わなかった。

「……ロ、ロジェ殿。ど、どうしてこちらに!?」

いるはずもない相手が急に目の前に現れたことに、瞠目し、上手く言葉を紡げないでいるシエナに、ロジェは余裕の笑みを浮かべた。

「それは、わたくしのお言葉です。まさか、あなたとこのような場所で、お会いできるとは思ってもみませんでした」

「わ、わたくしは、殿下との面会に来て……!」

とっさの状況に対応できずにいるシエナを、ロジェは艶やかな笑み一つでいなしてしまう。

「集中し、本を読みふけっているあなたも、夜会の時とは異なり、また別の美しさがありますね。けれど、まさか避けることが出来ぬほど集中なさっているとは……。そのような、あなたもお可愛らしくていらっしゃる」

かっと、顔面に血が集まる。顔が熱い。

書庫内に人がいるとは想像していなかった。昼を少し回ったこの時間帯、学者たちは研究塔に戻る。その数時間はいつもシエナが書庫を独占できたのに……。

シエナ以外に、書庫の出入りを許可されているものは限られる、王族と学者、あとはほんの一握りの貴族だ。いくら、ロジェが力を持ち始めたリヴィウス卿の子息だからと言って、勝手に入室できる場所ではない。

なぜ、ここに?

整理のつかない考えが、頭を巡る。

一方、ロジェは自らのペースにシエナを巻き込んでいく。

「贈りものは、お気に召しませんでしたか?」

「え……?」

「いえ、どのようなものをお贈りしても、そっけなく突き返されてしまうので……わたくしもそろそろ手が尽きて参りました。よろしければ、シエナ様のお好みを窺いたく存じます」

残念そうにも見えるロジェの表情に、焦りを感じ、否定の言葉を並べたてる。

「そのようなお気遣いは……。お返しいたしましたのは、あのような品をいただく道理が立たなかったからでございます」

「道理など……。わたくしがあなたの美しさに魅入られたから、とでもいたしましょう」

今朝見た空の青さによく似た瞳が、真っ直ぐにシエナを射抜く。耐えきれず、視線をそらし、シエナは俯いてしまう。頬をさらりと琥珀の髪が流れていった。

何とか、染まり切っているであろう頬を隠そうとするが、この至近距離では、難しい。

かさり、と革靴が床をこする音が耳に届く。ロジェが近づくのを肌で感じた。

「もう一度、お会いしたかった……」

手首を捕えていた、大きな掌が、下り、シエナの白い手を包む。抵抗する間もなく、ロジェの口元まで引き上げられ、小さく口づけを落とされた。

愛しむように、柔らかく口づけを落したロジェは、前回とは比べものにならないほど、妖艶さを醸し出していた。

その雰囲気にあてられ、シエナの体温が再び上昇する。

刹那、思考が真っ白になるが、すぐに理性が働き始める。

逃げなくてはいけない。

この場を誰かに見られでもしたら大変なことになる。

どう、大変なことに?

リヴィウス家の子息が殿下の婚約者に手を出したと?

いや……まだ、ロジェがシエナに気があるなど、決まってはいない。シエナの早とちりかもしれない……

では、抵抗して見せれば、変に思われるのでは……?

ああ!無駄なことばかりが頭に浮かぶ!

まずは、この状況を脱しなくてはならない!

「ロ、ロジェ殿!!」

意を決して、名を大声で叫ぶ。急の反応に、一瞬緩んだ掌の力の隙を捕えて、さっと自らの手を引き抜いてみせる。そのまま、数歩後ずさった。

「ロジェ殿は、なぜこの書庫に立ち入りを許されたのでしょうかっ?」

シエナが見せた決死の抵抗に、ロジェは最上の笑みを湛えた。大きく一つ頷いて見せる。

「少々、急ぎすぎました。あなたは、聡明ですが……可愛らしい面を、お持ちなのですね。面白い……。さて、あなたの問に答えなくては。……わたくしが、入室を許可されているわけではありません。わたくしの妹が許可を頂いたのです」

ロジェが告げた答えは、シエナの予想を超えていた。

「妹君、が……?あの……妹君は学者なのですか?」

「いえ、ただの、娘でございます」

疑問が、新たな疑問を繋ぐ。

「なれば……なぜ?」

自然に問いを投げかけていた。

「夜会で――」

「夜会?」

意外な言葉が出てきたことに、眉をひそめる。一瞬、ロジェの面に奇妙な笑みが浮かんだように見えた。それは、あまりにも刹那のことで、シエナの記憶の端にも残らない。

「ええ、夜会で、殿下から直接許可を頂いた、と申しておりました」

「殿下、が……」

言葉が上手く頭に浸透しない。理解することを拒むかのように、ロジェの告げたままの言葉が繰り返されるだけ。


なぜ?

ようやく馴染んだ言葉に、問いかけは続く。

どうして殿下が直接、許可を下したのだろうか?

それほどまでに、優秀な女性だと?


一人思案にふけり、周囲から隔たってしまったシエナを、ロジェは静かな光を瞳に湛えて見つめていた。

常に宿すような暖かな色でなく、冴え冴えとした冷気を伴う青い色。その色にシエナは決して気付くことはない。

シエナを引きもどしたのは、室外のざわめきだった。乾いた空気が満ちた書庫に、廊下の声が漏れ入る。待機していた近衛兵が、言い争いをしている様子が微かに聞き取れる。


入口を見つめていれば、ゆっくりと扉が軋みをあげた。


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