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月下美人  作者: かしわ
20/22

*番外編*朧月夜 4

ずげー!

うわぁ、剣を食べたぞ!!


悲鳴交じりの賞賛の声が、そこここで聞こえるなか、フェリオもまた旅芸人たちの動きに目を奪われていた。


「これから、城に行くんだってさ」

「え?」

押し合うようにして見ていた隣の少年が話しかけてきた。フェリオよりも高い背に、日に焼けた肌が快活そうだ。

そして、彼もフェリオと同じく身の丈に合わないシャツを着ていた。

「街で芸をするのは、その売込みだって親父が言ってた」

視線は彼らから逸らすことなく、興奮して熱を含んだ口調で話す。


剣が、長身の男の口元から出てくると、おぉっと周囲の歓声が一層大きくなった。


なんだ、見れるのか、とそう思った直後、その余裕が自分には無いだろうことを思い出した。

恐らく彼らが舞うのは、貴族たちが集まる宴の席であり、フェリオは、それを楽しむ余裕などないのだから――

周囲をうっとうしい貴族たちに取り囲まれて、上辺だけの会話の中から、なんとか真実を読み取らねばならないのだから気を緩める暇などどこにもないのだ。

つまり、純粋に芸を楽しむにはこの機会を逃せない。決意も新たに、視線を彼らに戻そうとしたときだった

「いいよなぁ~王子なんて、きっと毎日あんなの見れるんだぜ。おいしいもの好きなだけ食って、いつでも舞を見ることができて……ほんと、いいよなぁ」

なにげなく、ぽつり、と少年が零した呟きが、胸に刺さった。

「っ!!そんなことない!!」

考えることなく、反論していた。

「なんだ?」

突然、刃向ってきた隣人に、とうの少年は眉をひそめた。

「いくら、間近で見れたって、楽しむ余裕なんてないんだ!王子には、そんな余裕なんて許されてないんだよ!必死で知識を詰め込んで、遊びだって、狩りだって、体を鍛えるっていう義務の一つさ!それなら、少しでもいいから、他に気を取られずに夢中になれる一瞬のほうが、僕ならうらやましいよ!!」

少年にとってフェリオは、ただ訳のわからぬ反論を口にする子どもだ。面倒そうに、視線はそのままに声だけで応える。

「はぁ?義務ってなんだよ?見れるもんは見れるんだろ?一緒じゃねぇか。お前、貴族のやつらを見たことないのか?あんなでっぷりと太った体、きっとたらふく食ってんだぜ?その親玉の王子が遊んでねぇわけないだろが、望みなんて思いのままさ」

「でも彼らには、彼らの役目があって!」

「役目?お前も商人の子だろ?やめとけよ、あいつらの味方しても得はねぇって……あ!ほら火だ!!」

ぽん、と少年の掌が、フェリオの腕に触れた。

年の割に大きなその手は、爪の先が黒く色付き、皮膚は固い。

「っ容易く僕に触れるな!!」

自分のそれとは、まったく異なる感触に、悪寒が走り、思わず腕を強くひき振り払ってしまうと、奇妙なものを見たかのような瞳がこちらを向いていた。

「はぁ?なんだお前、貴族にでもなったつもりかよ」

眉間にしわを寄せ、言葉を吐き捨てた彼は、呆れたような溜息を一つついて、また群衆の中へと身を紛れ込ませた。

そして、あっさりと、周囲に溶け込んでしまう。


――落ちた視線の先にある掌は、白く柔らかそうだった。



歓声の只中にいるはずなのに、音はフェリオの耳には届かない。シンと冷えた心地と同じく、無音の世界に包まれていた。ただ、景色だけが目に映り、城のバルコニーから憧れ眺めていた時と同じような疎外感をもたらしていた。



心を冷えた風が通り過ぎた。違うのだ、自分の生まれた場は、こことは大きく異なる。

シエナの言葉が心に浮かんだ

あなたは、恵まれている――それに気付かなくてはならない……


彼女の笑顔が見たかった。自分の存在を肯定してほしくて、彼女が立っている、店先を振り返った。


心が、ひやりとまた温度を下げる。

「シエナ?」

あるはずの彼女の姿はそこにはなかった。

たたっと小走りに、駆けだし、道行く人々の合間を縫い進み、その顔を見上げるが、求める人の影はどこにもなかった。

名前を呼んではいけない。

こんな雑踏の中で、不用意に彼女の名前を呼んではいけないと理性では分かっていたが、それでも耐えきれぬ恐怖が心に黒く浮かびあがり、零れ落ちそうになる。

「シエナ……」

景色が揺らいだ。

ぐいっと拳で目をこすり、視界を明らかにするが、あとからあとから揺らぎは生まれてきて止めどない。

くるくると天と地が反転するかのように思えた。


シンとした雑踏。

無音の世界。


ここは、僕を拒絶する。


生温かい雫だけが、慰めるように頬を伝った。


立ち止り、その場にうずくまりかけたとき

「帰りましょう」

そっと、背に置かれた温かさの主は、大きな壁の様にフェリオの背後に立ちふさがっていた。




ずっと願っていた城都は、フェリオの期待を満たしもし、裏切りもした。

ボクとカレラはこんなにも違う――

ボクは……カレラよりも、幸せ?




「シエナはっ!!シエナをここに呼べ!!」

期待して戻った城にも、シエナの姿はなかった。それが一層フェリオの気持ちを荒だてた。

荒れた感情をそのまま言葉に乗せて吐きだす。

ここ数年、少なくともシエナがフェリオのそばについて以来見せたことのなかった癇癪に、どうしてよいか分からず、おろおろと戸惑う侍女たちの中で、ゲイルだけが厳しい表情をむけたまま、直立していた。

「なりません」

「なぜだ?僕が望めば何だって叶うんだ!シエナに会いたい、ここに連れてこい」

「いたしかねます」

当然というように、言い放つフェリオに、ゲイルは眉ひとつ歪めず完璧な無表情で断りばかりを口にする。

城の裏門からフェリオを出迎えたゲイルに、シエナはどうした?と問えば、しばらくは城への出入りを禁じている、とあっさりとした答えだけが返ってきた。それで納得するわけもなく、つめよれば、シエナがフェリオを危険にさらしたためだ、と告げられた。


「僕が、手を離したんだ。離してはならないと、約束したのに……だから、シエナは悪くない」

「存じております。報告であがっておりますから」

「なら!」

「それでも、シエナ様には、あの方の立場というものがありますゆえ」

「そんなの関係ない!僕が命じればいいんだろ!!ゲイル!シエナを連れて来るんだ!」

「いたしかねます」

同じ受け答えしか返さないゲイルに、フェリオの苛立ちは募っていくばかりだ。


カレラは言ったのに

望みなんて、思いのままさ


「……僕は王太子だ!!」


その言葉に、初めてゲイルの表情が動いた。片眉を微かに歪め、口を開きかけて、止まる。

奇妙な緊張と静けさが室内を覆っていた。


「慎みなさい、フェリオ」

静寂を破ったのは、前触れもなく響いた一つの澄んだ声だった。

「母上……」

ゲイルの背後から現れた姿を見て、フェリオの体に緊張が走った。少女のように高く甘い声の主は、それに似つかわしい、可憐な姿をしているが、彼女が容姿から想像できないほど怜悧なことも身をもってしっていた。

ふわりと甘く微笑むが、その笑みを浮かべたままに、貴族たちへ鋭い通告を渡すのも同じ彼女なのだ。

「10も過ぎて……いつまでも子どものままではいられませんよ」

微笑む表情は、優しさにあふれているはずなのに、なぜか威圧感をあたえる。

「ゲイル、ありがとう、下がっていいわ」

そう言って、傍らに、膝をつき控えたゲイルに片手で小さく示す。

「あとは、まかせて、ね」

無邪気に小首をかしげてみせれば、それに反論できる者がいるはずもなく、扉で封じられた部屋には、フェリオと王妃の二人だけが残された。


「あなたが癇癪を起すのは、本当に久しぶりだわ」

そっと、王妃はその小柄な身をさらに屈めてフェリオの側で見上げるような姿勢を取った。

「……僕が、手を離したんだ。離してはならないと、約束したのに……だから、シエナは悪くない」

悪戯のいいわけをするように、唇を少しとがらせて、そうこぼす。癇癪はおさまったが、不機嫌は隠しようがなかった。

「シエナは、自分から城への出入りを禁じるように申し出ましたよ」

「え……?」

フェリオは、シエナが一方的に罰を与えられたとばかり思っていた。

驚き、挙げた視線がなぜか労わるような王妃のそれとぶつかった。

「隣には、カロン家のご次男がいらっしゃいました。街で偶然見かけたそうよ?それで、気をとられた、と……」

「カロン家?」

「ええ、お若いのでしょうけれど、しっかりした方の様にお見受けしたわ。シエナを気遣っているのも好ましく見えましたし……ちらりと耳にした噂は本当のようね」

そこで、王妃はいったん言葉を切り、フェリオの瞳をじっと見つめた。

「……シエナに18なりました。フェリオ、わたくしは16の時に王室に嫁ぎ、18であなたを生みましたよ」

「……母上、思い出話なら、後でいいでしょう!」

王妃の美しい眉が小さく潜められた。

「……そう、あなたはまだ、わたくしが今述べた意味もわからぬほど、幼いのですよ。……彼女の手を離してあげることも、考えなさい」

宥めるように、その濃紺の瞳に語りかける。

「シエナは、聡い少女です。恐らく、自らの道行も読んでいることでしょう……わたくしも既に彼女には十分の役割を果たしてもらったと思っています。彼女が望むのであれば、新たな道へ解放するべきだとも思うのです……そして、それができるのは今が最後ではないか、とも……わかりますか、フェリオ?」

王妃の言葉にフェリオはかおを俯ける。

「……わからない……シエナは僕のものだろう……」

ぐうっと眉根をよせて、首を振る姿は頑なで……王妃の手がそっとフェリオの頬に伸びる。

「フェリオ?」

けれど、フェリオはただ首を振り続け、その頑なさが緩む気配はなかった。

「そう……なら」

王妃は、華奢な掌をその小さな頬から離した。

すっと、姿勢を正し、今度は突き放すように幼い王子を見下ろす。

「あなたが、彼女を守りなさい。繋いだ手が離れることのないように、見張り、守り続けなさい。街に降りて、思い知ったでしょう?皆が望むものを、あなたは容易く手にできますが、それを享受するには、それなりの見合った対価が必要なのです……けれど、なかなか人はそれには気付いてくれないでしょう……。あなたの幸福にシエナが必要だというのならば、望みなさい。そして、そのために必要な対価をしっかりと果たしなさい」

「母上……?」

見上げた母は既に王妃の顔に戻り、フェリオを強い光を持って見つめていた。

涙で濡れた瞳は、希望を求めて彷徨う。

「シエナは……戻ってくる?」


子どもじみた問い掛けに、温かな掌を伸ばすこともできた。


「あなたは、王太子なのでしょう?」


けれど、一言だけを残し、そのまま背を向けてしまう。


残された言葉の意味はわからなかった。

王妃の言うとおり、駄々を捏ね、求めるばかりのフェリオは幼いのだろう。考えても、きっと王妃の言葉の真意を導き出せはしない。

濡れた瞳を、ぐいっと乱暴に拳で拭った。


唯一今、分かること……彼女が隣に立っていること、それが当たり前でないと、初めて知った。




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