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月下美人  作者: かしわ
19/22

*番外編*朧月夜 3

はじめてのことだった――


あふれかえる人波の中に、見知った人の姿を見つけた。一瞬垣間見えた姿は、願望がみせた幻か……。

ただ、彼に会いたい、と心の奥底で、ひそかに願っていたのは本当だった。


会いたい――


会えるのであれば、幻であってもいい……その気持ちが自然と足を動かしていた。

自分のしでかしたことに気付いたのは、ゲイルの冷えた声が耳に届いてからだった。

王太子に背を向けるなど、日ごろのシエナでは、考えられないことだった。ゲイルの叱責は、シエナが一貴族の娘に過ぎない、ということを思い出させると同時に、今までにはなかった心の声を気付かせた。


はじめてだった……状況も、自分の立場も……フェリオの存在をも忘れ去ったのは――

そして、心に決めていた決意が揺らいだのも……


わたしの道は、まだ決まっていないのかもしれない――




実現するとは半ば信じていなかったことが、今実現へと向かっている。そのことに、シエナは少しの戸惑いと、大きな責任を感じていた。

けれど、その思いを面に出すことなく、鏡の中に映る、着古され擦れたシャツに袖を通すフェリオの姿に、柔らかな微笑みを向けていた。

「よかった。おかしくわないわね」

ふわりと、微笑むシエナに対して、フェリオは戸惑いを露わに、後ろを振り返る。

「シエナ、これは何だ?今日は、イベルス家での茶会、と聞いてだぞ……」

「ええ、その予定よ……表向きはね」

「表向き?」

前日から、フェリオは城都にあるイベルスの屋敷に身を寄せていた。それは、イベルス家が内々に催す茶会に出席するためだった。

そう信じていたフェリオは、シエナが告げた言葉に首をかしげた。一方のシエナは、いぶかるフェリオを後にして、その装いを確かめていく。

「うん、少し大きいけれど、その方がより現実味があるから、ちょうどいいかしら?……でも、やっぱり靴が新しいわ。ね?他にはないのかしら?」

控える侍女に、問いかける。その言葉を聞いた侍女が室外へと駆けていき、次に現れた彼女の両腕には、使い込まれた子ども用の皮靴がいくつも抱えられていた。

「ありがとう。……そうね、これ、と……これかしら?フェリオ、こちらを試してみて」

説明する気配のないまま、にっこりと笑みを浮かべているシエナに、フェリオは思わず声を荒げる。

「シエナ!いい加減教えてくれっ!!」

その声に、きょとん、と刹那目を丸くし、あぁ、と何かを納得したように一つ大きく頷いた。胸に生まれる不安を覆い隠して、シエナは完璧な笑顔を見せてみせる。


「街へ、行くのよ」




『城都を歩いてみたい』

何度フェリオは駄々をこねただろうか。その度にシエナは「いつかね」と言葉を濁して、やり過ごしていた。言葉通り、その時期はまだ来ていないと思っていたから。

フェリオは人々の暮らしに興味をひかれているのだとは、分かっていたが、実際に城都に下って、それ以外の影響を受けることをシエナは恐れていた。

それを、王夫妻も気付いていたに違いない、シエナが側についてから少し緩められたフェリオの行動への制限も、城都へまで広がることはなかった。

しかし、フェリオが夜会へ出席したことを機に、流れが変化した。


貴族たちを相手に、怯えることなく、会話を紡いでいく彼の姿は、少年がみせるには十分すぎるように思えるほどだった。

その姿を見た、王夫妻はおそらく今が契機だととらえたのだろう、ゲイルを通じて、シエナに声が掛ったのだ。一度フェリオを城都へ下ろしてはみないか、と。

確かに、それまでは躊躇っていた、見知らぬ世界との接触が彼にもたらす影響が、今ならプラスに働くかもしれないと思うことができた。


けれど――形の見えない不安は確かに、シエナの心のすみで疼いていた。




イベルスの屋敷には当然様々な者が出入りする。交流を持つ貴族や、所領の状況を知らせる領民の代表、そして、商人。

「いい?わたしとフェリオは商家の姉弟。父の取引でイベルスを訪れたけれど、商談が長引いたから、先に街へ下って、父を待っている……という設定ね?」

興奮冷めやらぬ様子で荷馬車の幕から顔を覗かせているフェリオの服の裾を、牽制のつもりで引く。先程から、シエナがいくら説明を解こうが、一向に耳を貸す気配がない彼の姿に苦笑が漏れた。

「シエナ!街には往来で舞を舞うものがいるのだろう?それに、楽士や、物語りを紡ぐものも!!」

「……ええ」

何度も何度も説明を繰り返しても、本当に分かっているのか、反応の薄いフェリオに苦笑しつつ、緩みかける気をなんとか引き締めようと強めの声を放った。

「……フェリオ一つだけ約束して」

「いいぞ」

それでも、彼は外に顔を出したまま、振り返らない。その様子に呆れてため息が漏れた。

ぎゅっと不意を突いて馬車の枠に置かれたフェリオの手を取る。そうして、驚き、振り仰いだ濃紺の瞳に、低く抑えた声音で告げる。


「決して、この手を離さないで」


一拍おいて、こくりと小さく頷く姿に、シエナもまた頷きを返した。




「あなた、よほどの田舎から来たと思われているわよ」

べったりと、店先のジョーウィンドウに張り付き、中の品物を眺めるその姿に、からかいを含めた言葉を投げかけた。

品々がこの様に売られる様を見たのが初めてなのだろう。フェリオにとって衣服は与えられるもので、目前に並べられたものをただ指し示すだけなのだから。

「知ってはいたが、本当にこの様にして売られているのだな……」

「不思議?」

「うーん……品がいつもよりも豪奢に見える……」

「ふふふ、確かにそう見えるかも……」

視線を彼の高さに合わせて、二人でショーウィンドウを覗きこむ。その姿は、傍から見れば仲の良い姉弟が肩を寄せ合い、物見見物を楽しんでいるように見えた。


興味の赴くままに駆けだそうとするフェリオを、シエナは繋いだその手で懸命にとどめようとするが、フェリオの力は予想以上に強く、半ば引きずられるようにして、付いて行くしかなかった。

「シエナ!道に馬が並んでいるぞ?なんだ?祭りか?」

「え……ああ、あれは……」

説明しようと口を開きかけたときだった。

わぁっ、と背後で賑やいだ歓声が上がる。振り返ると、雑踏の先に群がる子ども達の姿が見えた。

「何だあれは?」

「さぁ……あら?もしかして楽士達かしら?えっ?……あ!」


つないでいた手が、不意に離される。

慌てて伸ばした手は何もつかむことができなかった。

駆けだしていく小さな背中。

追いかけなくては――

「フェリ――!」

掛けようとした声を、シエナは途中で止める。

まあ、いい。目の届く範囲にいれば――

実は密かにゲイルから数人の護衛を借り受けていた。ちらりと、人の溢れる往来を眺める。それと知れる者の姿は見えないが、おそらく目の届く範囲には控えているのであろう。ゲイルのことだ、そのあたりは抜かりなく人選を行っているに違いない。

ほっと短い息をつき、フェリオを見失うまいと、また視線を前に向けようとしたときだった。


ブラウンの影が瞳の中を通り過ぎた。


人があふれる中央通りから一筋わきの小道にたたずむシエナには、人波の中に見つけたそれは、刹那流れゆく清流にのった木の葉に似て、一瞬ののちには、先へと流れ去り、その姿が何であったのか、確かめることさえ難しい。

確かめる方法は、ただ一つだけ……


無意識のうちに、中央通りの中へ走り出していた。


ひょこっりと、頭一つ抜け出した後ろ姿に、風に揺れる、柔らかく波打つブラウンの髪。

確信と共に、鼓動が高鳴る。


「ベルナール様っ!!」


振り返り見えた、その顔に、顔が思わずほころんだ。

きょとん、と丸くして声の主を探す、彼の穏やかな色の髪よりもさらに淡いブラウンの瞳が、シエナを捕えて、ぴたりと止まった。

「……シエナ嬢?」

瞳が徐々に大きく見開かれていく。

ぱぁっと花開くように、シエナの面に笑顔が広がる。彼が呼ぶ自分の名前に、胸が跳ねた。

「ああ、やはり。なぜこのような所にいらっしゃるのですか?」

抑える余裕もなく、上がる呼吸と高鳴る鼓動を、そのままに言葉を紡いでしまう。

ブラウンの柔らかくウェーブした髪は、いつものようにくしゃりと寝癖がついている。言葉とともに、ふわりと緩められた頬、淡いブラウンの瞳は柔らかな弧を描いて細められる。彼の穏やかな人柄が滲み出た笑顔は、なぜかシエナの心を締め付けてしまう。苦しさと、切なさ……そして、同じくらい大きな喜びが心を染めるのだ。


「……シエナ嬢?……そのような格好でなにを?」

「え……あっ!!こ、これは!!」

自分の身なりを見下ろして、言葉に詰まった。

商家の娘らしく、と努めた装いは、日常ベルナールに見せるものとは似ても似つかないほど簡素なものだった。

ただ、一つにまとめられただけの髪は、余りにも雑に思えてしまう。思わず手で髪を撫でつけて、少しでも身なりを整えようと試みるが、そんな風に明らかな動揺を見せるシエナを見て、くすくす、と小さな笑い声が漏れ聞こえた。

見る間に、顔面の温度が上昇していく。

「また、屋敷から逃げ出されたのですか?お父上が心配していらしていますよ?」

「べ、ベルナール様もなぜ街に?」

「え?ああ、先生からの頼まれごとです。研究に欲しい書物を求めてきてほしいと頼まれまして」

「まぁ?今回は何を?」

そう促せば、彼の瞳がきらきらと輝きを帯びる。

夢中で話す彼の様子に、視線を逸らすことができなかった。もっと見ていたい。その思いに駆られて、自分に課せられた役割もすっかり忘れてしまっていた――


「ところで、シエナ嬢?こちらへは、ひとりで?」

一通り話し終えたベルナールがふと、言葉をもらした。

「……え……」

ベルナールの放った一言が、現実へ引き戻す鍵となった。

振り返った先には、人々があふれかえる雑踏。

そして、その中に見えるはずの、宵闇の少年の姿は、消えていた。


「シエナ嬢っ!」

ベルナールの声も耳に届くことはなかった。


シエナの心を占めていた不安の正体――


必死で足を動かし、大通りへと急ぐ最中、シエナはその姿を悟ることができた。


――あれは、揺らぐ決意への不安だったのだ――




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