12、木々の間に揺れる姿
ロジェと連れだって、馬を進めていると、一際騒がしい、大きな集団が目に入った。気を取られ、目をやれば、漆黒の髪が人々の合間から見え隠れする。
どきり、と胸が震える。
対峙しているわけでもないのに、シエナの心臓は、早鐘のようにそのスピードを上げていってしまう。
逃げるようにして、視線を集団から逸らせば、はっと、とするほど深い青の瞳に捕らわれた。
「フェリオ殿下ですね?お声をお掛けしないのですか?」
平然という、ロジェの瞳からは、感情を読み取りにくい。
「いいえ、わたくしと、殿下はもはや無関係ですから……あなた方が一番ご存じでしょう?」
シエナとの婚約は未だに、締結されたままだったが、傍から見れば、それはもう既に意味をなしていなかった。王宮に、足を踏み入れようとしないシエナに対して、次期王妃候補のイレーネは、足繁くフェリオの元へ通っていると聞く。
周囲の貴族は、もはや、シエナ・イベルスを王太子の婚約者とは、みなしていなかった。
その証拠に、有力者が集うはずのこの『秋猟会』にあって、シエナに声を掛けてくるものは皆無だった。これが以前ならば、今フェリオが置かれている状況、よろしく、周囲を人々に取り囲まれてしまっていただろう。
「さぁ……どうでしょうね。わたくし個人と致しましたら、噂が本当であれば、この上ない喜びなのですが……」
自重することなく、言ってのけるロジェの態度が、今はむしろ好ましく思うほどだった。
「そうですね……。お父上様も、さぞお喜びのことでしょう……」
「いいえ、リヴィウスは関係ありません。わたくし個人、と申し上げましたでしょう?……わたくしが望むのは、王家ではないのですから……」
騎乗すれば、ロジェとの視線の高さは、そう変わらない。いつもよりも、よく見える、晴天の瞳が、妖しく光ったように思えた。その視線に答える代りに、握った手綱を引く。
「参りましょう。始まってしまいます」
狩りの組を決める、くじを引く集団がそこには群れをなしていた。一直線に、風を切って、シエナはその場から離れた。
後ろ髪を引く、フェリオの影を、振り切るために。
集団は、一組5〜6人のグループにまとめられる。
ついていない。
メンバーを見た時の、シエナの正直な感想。
華奢な掌の中におさまった、小石の模様を憎々しく睨みつけてみる。
自分は、天の神々から、見放されてしまったのだろうか……
「いやぁ。まさか、シエナ様だとは、思いませんでしたよ。真の美しさというものは、そのような姿であっても、引き立つのですね」
「……足手纏いにならないように、精一杯がんばりますわ」
「ははは。先ほど、野駆けの姿を見れば、余程、手慣れてらっしゃるようだ。気を抜けば、こちらの獲物まで、獲られてしまうかもしれない」
笑顔を浮かべて、話しかけてくる二人には、見覚えがあった。大きい、とは言えないが、豊かな土地を治める領主の一人だ。もう片方は、どこかの貴族の子息のはず……。にこやかに、二人と言葉を交わしながらも、心には、重い枷が圧し掛かって来ていた。
シエナの隣に立つのは、先程からぴたりと傍を離れない、ロジェだ。組み分けまで、まさか同じになるとは思いもよらなかった。気付かれぬように、会話の合間に、密やかな溜息をつく。
そして、もう一人――
少し離れたところに佇み、今は、先ほどまでシエナと言葉を交わしていた、所領の長と会話をしている、栗毛色の馬に跨った一人の男。
貴族の集まりの中であって、一際、豪奢ないでたちの男は、自らの容姿に合わせて、落ち着いた色調でまとめているにもかかわらず、自然に、周囲の視線を引きつけてしまう。
背まで届く髪をひとまとめにし、緩やかに風に揺らす。宵闇に喩えられる姿は、日中にあっても、疎外されることなく、むしろ、際立った存在感を醸し出す。
本当に、来なければ良かった――
シエナの存在に気付いているはずなのに、一向に声をかけて来ようともしない。
その姿に、フェリオが真実シエナを見限ったであろうことを悟らされる。
ぎゅうっと、心臓を鷲掴みにされているかのような、息苦しさが、シエナを苦しめていた。
ヒュン
風を切り裂き、一筋に弓矢が軌跡を描き、獲物へと飛んでゆく。一瞬の隙もなく、繰り出される、二陣目の矢は、獲物の息を確実に止めた。
「おお、流石は殿下。お噂通り、弓術の腕も一級なのですね」
フェリオが仕留めた獣に、惜しむことない賞賛を浴びせる。貴族たちにとっては、王太子に近づけるまたとない機会。逃すまいと、これでもかとこちらが引くほどに媚を売る者もいるが、この二人は少し趣が異なった。
素直に、感じたままの賞賛を、フェリオに告げ、厭味など、まったく感じない。
フェリオの狩りの腕がよほど優れていることも影響するが、彼らの本来の性質が政治的な面に疎いことが主だろう。
フェリオにとってはよい組み合わせであったのかもしれない。
毎年のように、この行事が来ることに辟易していた姿を思い出す。あまりに嫌がるのを叱って、仕方なしに男装をして、付き従ったこともあった……。
周囲を取り囲まれても、以前のように露骨な嫌悪を露わにすることは、もう無い。
懐かしさとともに、息苦しさに襲われてしまう。
と、いつのまにか、隣へ馬を寄せていたロジェが気遣わしげな視線を寄せていた。
「シエナ様?大丈夫ですか?」
「え、えぇ……」
我知らず、眉間に深く皺を刻んでいたらしい。取り繕って、無理に笑みを浮かべてみても、胸に感じる苦しさは、消えはしない。そんなシエナに、ロジェは小さく苦笑する。
「そうですか……?あ!」
シエナを気遣わしげに見ていたロジェが、突然、シエナの背の方向に、目を向けた。
「ロジェ殿?」
「今あちらの方向に、大きな牡鹿が駆けて行くのが、ちらりと!」
言って、すぐ、握る手綱を強く引き寄せる。
「え、あ!お待ちください!ロジェ殿っ!」
引きとめる声も聞かずに、ロジェは颯爽と、見えたのであろう、牡鹿を追って、駆けだしてしまう。
咄嗟のことに慌てて、思わず、シエナも手綱を強く引きつけていた。
いくら王域の森で、あるからと言って、完全に安全なわけではない。ロジェ一人を、森の中へ遣るわけにはいかなかった。あの瞬間咄嗟に働いた、判断は、シエナに馬を駆けさせていた。
「ロ、ロジェ、殿……。無暗に、走り、だすのは、お止めください……。あぁ……やはり、逸れてしまった」
はぁ、はぁ、と上がる息を、必死でおさえて、切れ切れになりながらも、言葉を紡ぐ。立ち止まり、やってきた方向を振り返れども、見えるのは、木漏れ日が揺れる木立ばかり。そこには、仲間の影さえ見えなかった。
咄嗟の判断は、余計な危険を生んでしまったかもしれない。周りを見渡せど、今どこにいるのか皆目見当がつかない。完全に迷ってしまっている。
「……申し訳ありません……。あれほど大きな牡鹿を見たのは初めてで。一瞬我を忘れてしまいました……。しかし、その牡鹿にも逃げられては、元も子もありませんね」
ロジェは、眉尻を下げ、如何にも申し訳なさそうに、頬を指で掻く。
無謀な行動をとったロジェを責めても、意味はない。それでも、わざとらしく、はぁ、と一つ大きな息をついてみせた。
「なってしまったものは、仕方がありません。今は、皆の所へ戻る方法を何とか、考えましょう」
とはいえ、どうしたものか、と落胆する。
ふと、足元に横たわる地面に、目が引きつけられた。映るものに、シエナは眉を潜める。
ロジェに、問いかけようとした、その時だった、背後から、馬の蹄が土を蹴る音が響いてきた。
驚きと希望を覚えて、振り返る。
見止めた者の姿に、目を見張った。
「勝手な行動をとるな。いくら、武術の心得があるといっても、お前は女なのだからな」
かなりのスピードで馬をかけてきたであろうフェリオは、それなのに、微塵の息の乱れも感じさせなかった。瞳が、強い光を放ち、シエナを射抜く。
また、あの胸の痛みがシエナを襲う。申し開きをしようにも、言葉が彷徨い、音を発することが出来ない。
シエナの代わりに答えたのはロジェだった。
「殿下、申し訳ございません……。これは、わたくしの失態でございます。牡鹿に気を取られ、状況を考えずに走りだしてしまいました……」
見るからに萎れた様子で、呟けば、フェリオの責める気持ちも、失われてしまうらしい。
すっと、視線を逸らし、周囲の様子を観察して、馬首を巡らせた。
「もう、よい。……しかし、どうして、元の場所まで、辿り着けばよいか……」
フェリオは、探るように、顔を上げて周囲をくるりと、窺う。ロジェもそれに従ってか、フェリオとは逆の方向へ馬を進め、木々の間を確認するように、目を細めて、探っていた。
ただ、シエナだけが、自分の胸の震えを止めようもなく、馬上でぽつり、と佇んでいた。
手の届く位置に、フェリオがいることが、信じられなかった。
逸れてしまった自分を追って、今ここにいることが、信じられない。
また、胸がきしんだ。
フェリオがシエナを見捨てられるように仕組んだのは、他の誰でもなく、自分自身なのに……
一度放してしまった彼の手を、取ることは二度とできないと、決めた覚悟。
心の熱を、閉じ込めて、『秋猟会』へロジェと来ることを選んだ。
あの決断は間違いではなかったと断言できる。
なのに、心が激しく揺れ動いてしまう。
理性と、感情
ままならない思いは、胸の痛みとなって、シエナを苦しめるのだ。
だからと言って、どうすればいいというの?
もう――
戻ることは
できない――
ぴりりと背筋を緊張が走り抜ける
霞がかった思考に、突如、警告が、鳴り響く
そして――
鋭い、音が耳をついた




