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月下美人  作者: かしわ
12/22

11、過ぎゆく季節の影

夏が過ぎて、木々たちは、さっとその色を変える。その移り変わりは、本当に一瞬のことで、気付けば季節は、掌の内から過ぎ去り、微かな残り香だけが辺りに漂う。

毎年のことなのに、去りゆく季節は、いつも心に一抹の寂しさをもたらしてゆく。

新しく迎える季節を、歓迎する宴の中、一人、見上げた空に、微かに浮かぶ季節の名残を見つけ、流れ去った季節を懐かしむ。


見上げた空から視線を逸らし、平原に集う人々の集まりを見つけた。実用的とは言えない華美な衣装に身を包み、騎乗する人々の集団。色とりどりの彼らの衣装は、どこかしら、紅葉の揺らめきにも見える。毎年繰り返されるその光景は、季節の移り変わりと同じく、シエナの心に小さな揺らぎを生んだ。


ここへ、来るつもりは、なかった。できることならば、避けてしまいたかった――


馬上から見る景色は、よく見る景色を、いつもとは違うものに変えてしまう。

それは、常の感想だったが、今このとき見る風景が、歪んで見えるのは、また別の要因だ。


王家の敷地、北に広がる森で開催される、狩りの集い。その中でも、年に一度、国内の領主達が集い立つものが、『秋猟会』だった。秋の始まりに行われるそれは、ただの狩りではなく、収穫祭のような、祭事的側面を持つ。

もちろん、シエナの元にも、毎年、招待状が届けられていた。しかし、今年に限って、それが届けられることはなかった。

思い当たるのは、ただ一つだけ。夏の終わり、フェリオと最後に顔を合わせたときの出来事。

記憶がぶり返し、それを振り払うように、軽く首を左右に振る。

それでも、手綱を握った掌に、熱を感じてしまう。忘れようとしても、あの出来事は、この身に、深く刻み込まれ、一向に、薄れることがなかった。


フェリオの考えが、分からないことなど、これまでなかった……はずだった。彼の成長を、すぐ隣で見届けてきたからこそ、フェリオを理解できている、そう思っていたのは間違いだったのか……?

あの時、フェリオのみせた態度がシエナの心をかき乱していた。

見たことのない、表情が、シエナの気持ちを泡立てた。伸ばされた腕から伝わる体温。自分のものとは明らかに異なる、固く、厚い体。

まったく知らぬ人物と対峙したかのような……それでいて心を占めるのは、言いようのない高揚感……。


王宮から逃げるようにして、屋敷に辿り着いたきり、シエナは深海に沈む貝のごとく、そのまま、取り巻くもの、全てを避け、固く心の扉を閉ざしたように、自室に閉じこもった。侍女たちの呼びかけにも答えず、気を紛らわせるために手に取った、厚い書物を読みふける。

それでも、ふっとページを繰る手が止まり、思い浮かぶのは彼のこと。

差し出された手を取ることなど出来ない。

シエナには、許されない。

解り切っている答えなのに、フェリオの大きな掌の影が、頭にこびりついて離れない。

フェリオは間違っているのだ。

生まれたての雛がそうであるように、勝手に、刷り込まれてしまっただけ。

フェリオは幼い。7つも離れた、シエナなど、彼の隣に建てるわけがない。

フェリオは……――

否定の言葉をどれだけ並べても、熱い思いが、心を焦がす。

違う、知らない、許されるはずもない――


ロジェが訪ねてきた、と告げられたとき、面会を許可したのは、少しでも、そんなフェリオの面影を消してしまいたかったからかもしれない……。

「招待状が、届いていない?」

「ええ……。届いておりませんわ」

初めてシエナの自室を訪れたロジェは、様子のおかしいシエナに当然気付いているはずなのに、一向に触れようとはしなかった。いつものように、日常の他愛もない出来事について話を巡らす。

その途中、毎年開催される、『秋猟会』の話が持ち上がった。何気なく、といった様子で、尋ねたロジェは、シエナの返答に、首を傾けた。

「まさか?」

からかっているのでしょう?と軽く笑うロジェの姿に、苦笑で応える。

「……当然ですわ。わたしなどが、公の祭事に出てしまっては、これからに差し障りがあるでしょう?」

言外に含ませた、既に婚約者としての地位は消えた、という言葉に、ロジェは、複雑な表情を浮かべた。

いつも、柔らかく笑みをたたえる薄い唇は、思い悩むようにして、引き締められる。

恐らく、シエナが立場を追われた要因がイレーネにある、と考え、自らの思いと共に、葛藤しているのだろう。

シエナにとっては、リヴィウス家を責める気持ちは微塵も無かった。

これは、イベルスが導いたこと。そして、シエナ自身の手で終わらせたことだ。

――あなたのせいではない――

そう言おうとしたとき、微かに俯いていたロジェの面が上がった。青い瞳がシエナを捕えて、何かを告げようとする。

けれど、その瞳は躊躇いを露わにして、刹那揺れ動く。一度、小さく唇を引き締めて、覚悟を決めたかのように、静かに口を開いた。

「よろしければ……わたくしと共に、参加なさいませんか?」

「ロジェ殿、と……?」

突然の申し出に、翡翠色の瞳を見開く。

「はい。わたくしの元には例年通り、招待状が届いております。付き添い、として、お連れしても、何の問題もないでしょう」

驚きを隠せないシエナに、ロジェは優しげな笑みを見せる。

『付き添い』の言葉に、鈍ったはずの思考が反応した。ロジェの微笑みに確信を得る。

公の場に、連れだって現れるということが、何を示すのか。

それは暗に、二人が親密であることを皆に示すようなものだ。

瞠目して、言葉をなくすシエナに、ロジェは甘い、といえるような苦笑を浮かべた。

「無理に、とは申しません。……ただ、このまま塞ぎこまれていては……。それに、以前あなたの、お転婆具合を拝見したいと、申しましたでしょう?この機会に是非」

「……つまり……打ち手、として参加する……ということですか?」

「ええ、是非」

言って、ロジェはにこりと微笑む。

彼の申し出に答える、ということが、どういう結果を生むかなど想像に容易い。それゆえに、シエナが躊躇いを見せるのは当然だった。

宵闇の空を思い出す。

漆黒とは言えない、密やかな明かりをその内に隠す、深い紺色の瞳。

差し出された掌は、もうあの幼い頃の面影など無い。

そして、シエナはその手を取ることが出来ない。取ることを、シエナ自身が許さない……。

今、彼の申し出に頷けば、フェリオの手を取ることは、二度と出来ないだろう。


膝の上で合わせた両の手に、力がこもる。

瞳を閉じれば、消しても、消しても、浮かぶフェリオの姿。

痛いほど抱きしめられ、感じた熱は、どれだけ願っても、シエナの記憶から薄れてくれはしない。そうして、心に燈るのは、激しく熱い思い。

両手で、湧き上がる感情全てを押し込める。


――わたしは、わたしの『責任』を全うしなければならないのだから――


息苦しさに、了解の言葉を告げることはできなかった。

ただ……こくり、と首を縦に振っていた。




「無理にお連れして、申し訳ありません……」

頬にそよぐ風を感じ、一人佇むシエナの背に、微かな声がかかる。振り返れば、半歩後ろに並ぶロジェが、眉尻を下げ、苦い面持ちをしていた。

二人の姿に、向けられる視線は、やはり鋭く、容赦がない。

イベルスの姫は、やはり、リヴィウスの子息に乗り換えたのだ――

囁かれる噂は、視線に込められ、シエナの元へと届く。

辛くない、と言えば嘘になる。けれど、今の辛さは比べるに足らないのだ……フェリオの手を振り払ってしまった、あの瞬間を思えば……。

「いいえ、ロジェ殿がお誘いくだされなければ、ずっと自室に引き籠っていましたでしょうから」

悪戯めいた微笑みを浮かべて、返せば、ロジェは、わざとらしくシエナの様子に少しを目を見開いて見せた。

「もう、以前のままのシエナさまですね。……にしても、本当に、このような場所にお連れいたしてもよろしかったのでしょうか?」

「わたくしのお転婆具合を見たいとおっしゃっていたのですから、本望でしょう?」

言ってみせる、シエナの装いは、狩りに向かう貴族の男性が身につけるそれだった。白いブラウスに、ベスト、体の線を露わにする、パンツと編上げのブーツ。琥珀色の髪を後ろで一束ねにした、その姿は、男性の装いなのに、それに反して、女性らしい艶めかしさを、強調するようだった。華奢な腰に、剣をさし、背には弓筒を背負う。馬にまたがり、さっそうと駆け抜けて見せれば、周囲から感嘆の声が上がった。

「幼い頃は、身分を隠して、よく、この催しに参加していました」

くすくす、と笑声をもらす。視線の先には、集まり始めた人々が各々、各自の馬具や、その装備を褒め合う姿があった。

「おっしゃっていたことが、真だと、実感いたしましたよ。早駆けならば、負けてしまうかもしれない」

「まさか、そこまでの腕は持っていませんわ」

軽口をたたき合っていると、集いの中心部から、甲高い笛の音が響いた。

「あぁ、集合の合図ですね。参りましょうか?」

「ええ」

二人、頷き合い、同時に馬の腹を蹴って、風となり、集団へと駆けだした。


集いに参加するのは、基本男性であるが、勇ましい女性も、ごくごく稀に参加することもあった。それは、本当に例外で、たいていの女性たちは、狩り場の一角に作られた、テントのうちで、おしゃべりと噂話に花を咲かせている。

ちらりと、向けた視線の先には、美しく着飾った令嬢達が、集いあって、何事か、楽しそうに言葉を交わしている。そのなかに、金茶の色を見止めた。

自分とは似て非なる、少女を好ましくは思えど、彼女を疎む気持ちは、不思議と全く生じなかった。

きっと、あの少女がフェリオを支えていくのであろうという、安心感に包まれていた……

はずだったのに――


胸を刺すほどの痛みは……湧き上がる、熱いこの思いは、何なのか……。


耐えがたい痛みから逃げるように、流れる景色に、彼女の輝きを、ひっそりと紛れ込ませた。


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