第三十三話 解放せよ欲望
な、なんだこの桃色の空間は?
比喩ではない。
本当に部屋中が桃色に染まっていっている。さっきまでの楽しい雰囲気が一変し、皆警戒心が高くなり、辺りを見渡している。
「は? な、なんだこれ」
「なんで辺りがピンクに?」
やばい。
康太も白峰先輩もなんだかんだでここが二次元世界だということを知らずに過ごしてきた。
これは……さすがにバレる。
(いや、まあ二人ならなんだかんだで受け入れてくれる、か?)
あれ? そう考えると俺の周りに居る人達ってそういう人ばかりな気がする。
「な、なにをしたのですか!?」
今にも攻撃をしようと構えるセリルさん。
「言ったであろう? サキュバスらしいものだと!! さあ、解放するがいい! その欲望を!!」
刹那。
テレジアの体から蝙蝠のような翼と悪魔のような細い尻尾が生える。
ふわっと浮遊し、俺達を見下ろす。
「ぐっ!」
「康太!?」
テレジアの言葉と共に、まず最初に康太に変化が現れる。
急に苦しみだし、膝をつく。
「だ、大丈夫ですか? 康太さん」
一番近くにいた実畑さんはすぐに駆け寄り声をかける。
しかし。
「あ、え……これって」
実畑さんにも変化が起こる。
呼吸が荒くなり、段々と艶が出てきたのだ。
欲望の解放……サキュバス……まさか!?
「ちょ、やめっ! 急になにを!?」
嫌な予感がした時だった。
近くに居たメイド達にも変化が起こる。黒髪ボブヘアーのメイドが、茶髪ツインテールのメイドに抱き着き、衣服を無理矢理脱がせようとしていた。
その目は……理性を失っているかのようにとろんとしている。
「こ、康太さん」
「咲ちゃん、俺……!」
ちょっと目を放している隙に、康太と実畑さんが互いに服を乱し、今にも始めてしまいそうな感じだ。
その近くでは、白峰先輩がやたら色気のある表情で自分を抱いている。
どうやら楓は大丈夫……ではなさそうだ。内股になって何かを堪えているように見える。
「やっぱり、そういう感じの空間なのか!」
この空間の中では、普段解放しない欲望を解放してしまうのだろう。
しかも、全員が全員というわけではない。
現に、おかしくなっている者やそうじゃない者で分かれている。
俺に何も変化がないのは、主人公だから、だろう。
「今すぐこの空間を……ぐっ!」
結界を張り、この空間をどうにかしようとするセリルさんだったが、彼女にも空間の影響が出始める。
必死に抵抗していたが。
「ふふ」
「せ、セリルさん?」
ゆら、と魂が抜けたような動きで、俺の方を向き、そして。
「零様ぁ!! 今日こそは合体しましょう!!」
「なんか久しぶりですねぇ、セリルさん!!」
なんだかんだで、己の欲望を抑えていたであろうセリルさん。
だが、この桃色空間によりそれは弾けた。
獣のように俺へと飛び掛かってくるセリルさんから逃げるべく俺は飛ぶ。
「逃がしませんよぉ!!」
「ちょっ!?」
しかしながら俺を全力で食らおうとするセリルさんの動きは尋常ではない。こ、これはプールで襲われた時よりも機敏で、圧巻っ。
「そうはさせませんよぉ!!」
「あおね!」
捕まりそうになるも、あおねがロープでセリルさんをあっという間に縛る。
「お前は無事なのか?」
「普段から【欲魔】と戦ってますからね! 欲望を抑えるのは得意です! そもそも我ら忍者はそういう耐性がありますからね!」
余裕ができ、再び周囲を見渡すと、確かに忍者の皆さんはそれほど影響がないようだ。
とはいえないわけではないようで、縛られている忍者さん達も居る。
「ふむ。これはなかなか厄介な空間だね。我々の結界の力でこの屋敷から漏れ出すことはないだろうが」
部下を容赦なくロープで縛りながらテレジアを睨む霧一さん。
「兄上。早急にあのサキュバスを片付けましょう」
「気持ちはわかるけど、油断はしないように。相手は最古のサキュバスだ。それに単身でここへ飛び込んできたんだ。それだけ自信があるということだ」
霧一さんの言う通りだ。
これだけの猛者が居るところへ堂々と現れるなんて、それだけ己に自信があるということ。
「やはり、忍者達にはこの程度の力はあまり効果はないか……ん?」
空中から見渡していたテレジアが何を見つけたようだ。
なにを? 視線の先を追うと……そこには黒いオーラを放出していたみやの姿があった。
ま、まさかこの空間の力でみやの欲望が?
「ほう? これはなかなか濃い……普通の人間にこれほどの欲望があるとは」
「はあ……はあ……!」
堪えている。
今にも暴走しそうな欲望を必死に抑えているんだ。
「とりあえず、確保です!!」
この事態を解決するためにはテレジアをどうにかする必要がある。あおねは、我先にとテレジアへと突撃する。
正面から蒼き短刀で攻撃を仕掛ける。
それをテレジアは桃色の障壁で防ごうと右手を構える。
でも、それはおとりだ。
背後へと回り込んだここねが音もなく翡翠色の刀で切りかかろうとする。
「気づいているぞ」
「あぐっ!?」
「いたっ!?」
素人目から見ても完璧にとったと思う攻撃だったが、テレジアはそれに気づいており桃色のオーラを竜巻と化し、弾く。
「舐めるなよ、小娘ども。サキュバスの中でも、私は戦闘もできるサキュバスだ。魅了だけがサキュバスではないぞ!」
「テレジア!!」
俺は叫ぶ。
「どうしてこんなことを!」
俺の問いかけにテレジアは、ふっと笑みを浮かべ高らかにこう言った。
「面白いからだ!!」
『わー、凄い単純』
確かに、単純。
だけど、本当にそれだけなのか?
「……ところで、エミーナよ」
「は、はい!」
完全にカオスと化した空間の中で、どうすればいいのかわからなくなり、動けずにいたエミーナさんへテレジアは声をかける。
「お前ならこの状況をどうにかできると言ったら、どうする?」
「え? え? わ、私が、ですか?」
突然真面目な声音で、エミーナへと言葉を投げる。
この状況をエミーナさんが?
それはサキュバスとしての力でということだろうが……。
「……」
「ふん。まだ無理なようだな。ならば、ここに居る者達の欲望をもっと解放させるまでのこと!! さあ、お主ら!! 思う存分を曝け出せ!!」
パチン! と指を擦ると、空間がさらにおかしくなる。
桃色の靄、のようなものが漂い始める。
「くっ! こ、これは」
「うぅ……やばい、かも」
先ほどまで普通に行動していたあおねとここねが苦しみ、膝をつく。
呼吸は荒くなり、どんどん艶が出てくる。
『ぬぬ! これはかなりやばい状況!!』
「そんなこと見ればわかる! キュアレ! どうにかできないのか!?」
『むー、私もどうにかしたいけど、制約的なあれでちょっと』
誓約? なんだそのここにきて、新しい設定は。
まさか、部屋から出なかったのは、単純に出たくない、ではなくその制約が関係していたのか?
「はっはっはっはっ!! さあ! さあ!! 年末は、性なる日としようではないか!!」
くそ! 今回ばかりは本当にやばい。
俺以外はテレジアの力でまともに動けない。俺は、普通に無事だけど……こうなったら、セリルさんの時みたいに内にある神の力をどうにか使って。
「待った」
「え? か、かなみさん?」
行動に出ようとしたところ、なぜか俺のように平然としているかなみさんが肩を掴む。
「もうちょっと待ってみようじゃないか。ほら、彼女を見て」
彼女って……エミーナ、さん?
指さす方向には、エミーナさんが両手をぎゅっと握り締めながら必死になにかを思考している姿があった。