第九話 乱れる感情
「……」
エミーナはいつもの薄暗い部屋でゲームをしていた。
しかし、どこか落ち着きがない。
左右の足をすり合わせるように動かし、時折考えるそぶりを見せる。
(ちゃ、ちゃんと読んでくれた、かな)
とりあえず良いところで、一度ゲームを中断し、コントローラーを置く。
そして、テーブルに置いてある湯気立つカップを手に取る。
(手紙なんて古いって思われないかな? でも、連絡先なんてわからないし。いきなり面と向かって喋るのなんて無理だし……)
先日の一件から、勇気を振り絞って一歩を踏み出し、アパートの同じ住人からでも交流してみようと考えたエミーナ。
その第一歩は、手紙による交流。
何時間も考えようやく書き終えた手紙を自分で……ではなく、アパートの管理人であるかなみに渡してほしいと頼んだ。
「返事、くれるかな」
ちらっと、玄関の方へと視線をやる。
手紙はすでに渡っているはず。
もし、返事を書いてくれたら……。
「……あれ、そういえば」
そこでふと、エミーナはあることを思い出す。
それは自分が書いた手紙の内容だ。
誰かと交流するなど本当に久しぶりなために、一通の手紙を出すだけで一気に疲労によりダウンしてしまうほど。
ペンを走らせている間の記憶は曖昧だった。
しかし、大分回復してきたところで、徐々に記憶が蘇ってきたのだ。
「……あわわわ!?」
エミーナは自分が書いた手紙の内容を思い出し、さーっと血の気が引く。
あまりにも薄い。
あまりにも下手。
あまりにも……手紙として出すのもおこがましい。それほどダメなものだったと、エミーナは恥ずかしくなり大きめの服に顔と足を突っ込み、まるで亀のような状態でその場に転がる。
(ひゃー!? 私ってばなんてものをー!! 初めましてって……初めましてって……ただの挨拶じゃん! それに、初めましてじゃないし! うわあーっ!? 絶対引かれちゃった……これはないだろって思われたに違いないよぉ!! お、終わった……)
第一歩から崖を転がり落ちたかのような感覚に陥った。
大怪我も大怪我。
これでは、返事など到底返ってくるはずがないと、エミーナは沈黙した。
「……自棄食い、しようかな」
まるでゾンビかのようにゆらゆらと立ち上がり、冷蔵庫へと移動していく。
「あ、大事に食べようと思ってた限定チョコ……まあいいよね。全部食べちゃおう」
数量限定の少しビターな一口チョコ。
大事に大事に食べようと決めていたが、今のエミーナは止まらない。
今日で一気に食べてしまおうと手を伸ばす。
刹那。
ピンポーン、とインターホンが鳴り響く。
その音に、虚ろだった目に光が宿り、手が止まる。
「えっと、届け物です。後で、確認してください」
零の声だ。
一瞬、なんのことだか理解できず硬直するエミーナだったが、すぐ手紙の返事ではないかと気づき、遠ざかっていく足音を聞きながら思考する。
「そーっと……」
完全に足音が聞こえなくなったところで、恐る恐るドアを開き、ポストを確認する。
そこには、一通の手紙が入っていた。
「お、おおぉ……」
まさか返事が来るとは思っていなかったエミーナは、どうしていいかわからず声を漏らす。
すぐさま手紙を手に取り、部屋へと引き返した。
「……」
手紙を読むために電気を点け、テーブルの前で正座をする。
まるで機密文書でも読むのかという重い空気。
ごくりと喉を鳴らし、エミーナはゆっくりと手紙を開く。
「……初めまして、明日部零です」
出だしの文を見た瞬間。
(ふわあああっ!? 挨拶返してくれたあああっ!?)
恥ずかしいような、嬉しいような。
とにかく顔が熱くなってきてしまった。
「手紙をくれたということは、文通で交流するということで良いんでしょうか? ぶ、文通……」
改めて意識すると、更に恥ずかしさが増してしまう。
「同じアパートに住む者同士仲良くできたらと思っています。手紙、待っています……焦らず、エミーナさんのペースで良いですから」
力強い、だが丁寧な文字で書かれた文章を読み終わったエミーナは、静かに手紙をテーブルに置き、しばらく虚空を見詰める。
「……」
数秒後、すくっと立ち上がり。
「……」
またしばらく虚空を見詰め、座り込む。
「……すう」
大きく息を吸い込み、近くにあった枕を顔に押し付け。
「ふわあああああっ!!!」
心の底から叫んだ。
(優しさが……優しさが眩し過ぎるよおおおっ!!! あんな……あんな態度をとったのに……あんな手紙を送ったのに……! 絶対変な奴って引かれてると思ったのに……いや、実際引かれたかもだけど。それでも……ううぅ……!!)
しかも、手紙を送ったその日に返事を書いてくれた。
文章からも、純粋に仲良くなりたい気持ちと、エミーナを気遣ってくれているのが感じられる。
その眩しいほどの優しさに、エミーナは身悶えする。
「はあ……はあ……あ、危うく浄化されちゃうかと思った……き、気のせいだよね? なんか聖なる力を感じるような気がするけど……」
息も絶え絶えなエミーナ。
仰向けに倒れながら呼吸を整える。
「……ど、どうしよう。返事、何を書いたら……!!」
悩む二十八歳独身のサキュバス。
まるで恋する乙女のように手紙の返事のことで頭を抱える。