第六話 不思議な対話
「……」
インターホンを鳴らして二十秒ほどが経ったが、特に反応がない。
やはり前回のことから警戒しているのだろうか。
とはいえ、いつまでも鍋を持ってここで立ち往生をしているわけにもいかない。こちらの体も、鍋も冷えてしまう。
どちらも温めればいいだけの話なのだが……もう一度押してみるか?
「もしかして」
すでに玄関に居るんじゃないのか? と思った俺は覗き穴に目をやる。
すると。
「ぴゃああっ!?」
中から悲鳴が聞こえた。
あぁ、やっぱりいたのか。
これまでの経験から視線や気配なんかに敏感になってきていると思っていたが、まったく何も感じなかった。
ま、そこはまだ俺も人間だったってことか。
それにしても、申し訳ないことをしてしまった。さっきの驚きよう、それに倒れた時の音。怪我とかしていないだろうか?
「あ、あの大丈夫ですか? すみません、驚かせてしまって」
ドア越しに謝罪をすると。
「ん?」
ドアが少し開く。
お? まさか……と思いきや、隙間から一枚の紙が出てきただけですぐ閉じてしまう。
なんだろうと、一旦鍋を置き、紙を拾い上げる。
「……そこに置いておいてください?」
一言だけ、可愛らしい文字で書かれていた。
こ、ここまでとは。
なんだかより心配になってきたんだが。かなみさんには、何とかなるとは言われたけど、これまで出会ったことがないタイプだ。
なんだかんだで、常識離れした者達ばかりだったけど、会話ができたからな。
けど、今回は対面もできないし、会話すらできない。
(とりあえず……よし)
俺は、胸ポケットからボールペンを取り出し、壁に紙を押し当ててメッセージを書く。
そして、鍋の下に紙を挟み、静かにその場から去った。
ファーストコンタクトがあれだったからからな……打ち解けるには時間がかかりそうだ。
「あ、おかえりー」
「やあ、少年。おかえり」
部屋に戻ると、なぜかかなみさんがこたつに入ってくつろいでいた。
いや、以前普通に酒を飲んで騒いでいたから驚くようなことではないか。とはいえ、それでいいんですか? 管理人として。
「どうだった?」
と、急須からお茶を湯呑に注ぎ込みながら問いかけてくるかなみさん。
「どうもこうも、まともに会話すらできませんでした。よほど警戒されているようで、とんでもない潜伏能力で俺のことをドア越しから見ていました」
「まあ、エミーナちゃんは色々と高スペックだからね。対人耐性が壊滅的なだけで」
俺に湯呑を渡しながらかなみさんは俺達が知らないエミーナさんのことを話し出す。
彼女は、学校に通わなくてもいいほど天才的な頭脳を持っており、家事全般もこなせる。運動は普通より少し悪い方らしいが、隠れたり、気配を絶つことに関しては忍者かというほど凄いらしい。
……まさか本物の忍者じゃないだろうな。
いや、もしそうならあおね達が何かしら知っていてもおかしくはないはず。けど、エミーナさんの名前を出しても、初めて聞いたかのような反応だった。
「よく知ってますねそんなこと」
「エミーナちゃんがここに住むことになった時、親御さんに聞いたんだ。自慢の娘だってね」
自慢の娘、か。
親も、当然と言えば当然なのだろうが彼女が対人耐性が壊滅的なのは承知しているんだろう。けど、それでも自慢の娘と言い切るとは。
まあ、天才的な頭脳と家事全般をこなせるほどのスペックなんだ。
親としては誇りなんだろうな。
「それにしても、少年でもその距離か……あ、そういえばファーストコンタクトの時はどんな感じだったの?」
「……いや、えっと」
言い渋ったが、俺は観念してその時のことを話した。
そして、予想通りかなみさんは。
「あー」
それだ! と言わんばかりに生暖かい目を俺に向けたのだった。
・・・・
「い、行ったかな?」
エミーナはドアに耳を当て、その後覗き穴をそっと覗く。
「よ、よし。いない」
外に誰も居ないことを確認し、エミーナはこれまたそっとドアを開ける。
外に誰も居ないことはわかっていても警戒は怠らない。
少しずつドアを開いていき、傍に置いてあった鍋を掴む。
「あれ? この紙って」
鍋の下に自分が零に向けてメッセージを送った紙があった。
てっきりそのまま持っていかれたとばかり思っていたエミーナは、その場で紙を開く。
「……」
そこには力強い文字でこう書かれていた。
「あの時は、すみませんでした……」
謝罪の文だった。
エミーナはすぐに思い浮かべる。
かなみだと思い込み、警戒心皆無でドアを開けた時。
そのことを謝っているのだろうと。
「……」
エミーナはどう反応すればいいのかわからず固まってしまう。
あの時のことは、自分が悪かったのだとエミーナ自身もわかっている。相手が女性とはいえ、スカートやズボンを穿かずに出ていくのは常識的におかしいと。
だから謝罪をするのならこちらのほうだ。
「やっぱりさっきのは失礼、だったよね……」
ぎゅっと紙を握り締め、零に対する先ほどの対応を深く反省するエミーナ。
ここまでの行動から零が悪い人間じゃないことは伝わってきている。
伝わってきているが、長年にわたって人との交流を避けてきたエミーナにとっては、どうすればいいのかわからず頭を悩ませてしまう。
「うぅ……」
とりあえず鍋を中に入れ、玄関のドアをしっかり閉める。
その後、部屋に戻ったエミーナはいつものように薄暗い部屋で思考する。
このままではだめだ。
自分でもそんなことは重々承知している。このままでは親のことも困らせてしまうし、人生がどんどん泥沼にはまっていき、落ちるところまで落ちていくに違いない。
「……す、少しだけ」
そっと零が書いた文字を指で撫でながら。
「頑張って、みよう、かな……」
小さな決心をした。