4.決意と決別
映像を見せられていた。
それは秘境の谷底に突如出現した無数の鳥居を調査する地方支部の巫術師たちから送られてきたものだ。
映像では谷底に道を作るように並べられた石造りの無機質な鳥居が、陽の光の当たらない影になる場所まで続いているのが見えた。
「すいませぇん、これどこに繋がってるんですかぁ?」
「わからん。それと、カメラを向けた途端に急に態度を変えるな」
「えー」
二人の女性の声が聞こえる。一人は映像に映る女の声で、もう一人は撮影者の声だ。
補足として映像に映る女はエリカ、撮影者はボタンという名前であるとの説明を受ける。
エリカは黒髪ボブの髪型で目元にはっきりと塗られた赤のアイシャドウが印象的だ。緑のインナーカラーを入れているようで、巫術に身を置く人間にしては美意識の高さが窺える。
カメラを向けられ、写りを気にして口をすぼめる姿は緊張感のなさを感じさせた。
ボタンはその様子に呆れた様子で、カメラを自分の方へ向けた。
「関西支部、調査班のボタンです。未知の妖怪が出現する可能性を考慮し、撮影用ドローンを同行させることにしました」
淡々と報告するボタンはエリカの上司に当たる。括っていても地面につきそうなほど長いポニーテールとキリッとした目元が特徴で、真面目そうな印象を受けた。
撮影用ドローンとボタンが言った通り、彼女が手に持つカメラはドローンだ。捕捉した対象を離れた場所から追尾し、自動で撮影を行う。
さらに、撮影された映像は電波が繋がる限り毎秒中央支部のデータ管理部に送信されるようになっている優れ物だった。
「鳥居は見える範囲でずっと続いているようです。上空からの撮影も試みましたが、この先に瘴気のようなものが漂っているのか、一定の距離から先は撮影ができません」
「なのでぇ、ボタン先輩の判断で潜入することになりましたぁ。はぁぁ」
「こらエリカ、上層部に見られるんだぞ」
平気でため息をつくエリカ。ボタンはそんな部下にチョップを食らわせることで嗜める。
だがエリカは殴られた頭を撫でながら少しだけ睨むようにして言った。
「わかってますよぅ。でもこれ、遺書みたいなものじゃないですかぁ」
「――――」
「どうせ死ぬなら関係ないですしぃ」
それは、確かにそうだった。
鳥居の先には瘴気がある。上空からの撮影で撮れなかった部分はこうして追尾したところでおそらく撮影できない。
だからこそ映像が途切れるまで付き添わせ、そこに何があるのかを限界まで調査し、情報を送れるだけ送るのだ。
つまりは、極めて危険な任務である。
「わたしはぁ、まぁ別に死んだって構わないですけど――」
「――まだ何があるかは、何もわかっていない」
「……はぁい、調査しますよぉ。はぁぁ」
エリカは面倒くさそうに、ボタンは身を引き締めるようにして鳥居に向き直り、ドローンを背後に飛ばして進み始めた。
二人は正式な鳥居のくぐり方を無視してど真ん中から慎重に進む。鳥居の側に近づく方が危険に思われた。
しばらくボタンの淡々とした状況説明をBGMに歩いていた二人だったが、映像は徐々に乱れ始める。ノイズが入り始め、聞こえる声も高くなったり低くなったりしていた。
それと共に二人の様子もおかしくなり始める。ノイズの中を目を凝らしてみれば、言い合いになっているように見えた。
だが段々と言い合いは巫術のぶつけ合いになり、恐怖と怒りはお互いへの敵意に変わる。
そうしている間にも映像は瘴気で満ち始め、ノイズや声の変化は酷くなり――。
「――殺される」
低い声でそう聞こえたところで、映像は終了していた。
部屋の電気が点き、スクリーンが天井にしまわれる。プロジェクターの電源も落とし、机に寄りかかっていた司令官のカムヅミはため息をついた。
「以上が、現場からの映像よ」
年齢は五十を超えているだろうが、三十代半ばほどの美貌を維持している女だ。髪を肩につかないように括り、黒の着物を着ている。
バンカも組んでいた腕を解き、右手を顎に当てた。
「――異界、ですか」
「まず間違いなく、そうでしょう」
異界。突如何の変哲もなかった場所に出現し、入り込んだ者に神隠しをもたらす禁足地。
幸いにもというべきか、今回のように人が踏み入れない場所に出現することが多く、出現頻度も加味すれば被害者はそう多くはない。
だがその対処が面倒であることは、映像を見ただけでも明白だった。
「異界に関してはまだ未知の部分が多い。けど今回は部隊を編成して対処に当たる……というわけでも、なさそうですね」
わざわざカムヅミはバンカだけを司令室に呼んでいる。そして映像を見せたのも、この情報を共有したのもバンカただひとり。
おそらく彼女はまだ、この報告を公にする気がないのだろう。
「察しが良くて助かるわ」
案の定、彼女もすぐにそれを認めた。
「異界にはかなりの確率で強力な妖怪が潜んでいる」
「ええ。それだけ力のある妖怪でないと異界を構築するだけの術は使えない、と考えられているわね」
「今回出現した異界は、間違いなく歴代に類を見ない……強力な妖怪でしょう」
映像を見ただけでバンカは直感している。
まだ異界に踏み入れてもいないというのに映像は乱れ、エリカとボタンは精神干渉を受けていた。
それは異界と現世とを繋ぐ門にあたる鳥居から瘴気が漏れ出ているせいだと予想される。
バンカはそれだけ強大な力のある異界の報告を、文献ですら見たことがない。通常なら大規模な巫術師部隊を派遣して戦争をするような対処を行うはずだが。
「……身内に、不穏な動きがあるわ」
「不穏な動き、ですか?」
カムヅミは顎に手を当てて、どこまで伝えるかを思案した。おそらくは掴んでいる情報に確証を持っているわけではないのだろう。
やがて目を閉じ、ため息をついた。
「どうやら、巫術師たちの一部に独特の『妖怪信仰』が根付き始めているみたいなの」
「……妖怪を、信仰ですか?」
余りにも予想外の内容にバンカは目を見張る。
妖怪を信仰する。他でもない、巫術師が。
ありえない話だった。
巫術師とは妖怪と戦う存在だ。世のため人のために、妖怪による被害者が出るよりも早く、敵を人知れず撃滅するのだ。
その過程で巫術師は思い知るはずだった。妖怪という存在の脅威を、そして悪辣さを。
それはとても信ずるには値しない、人類の脅威だ。そうカムヅミに伝えると、彼女は片目だけを瞑ってこう答える。
「けれど彼らには、精霊を超える力がある」
「――――」
巫術師は精霊に力を『貸してもらう』。対話の深さによって借りることのできる力も上下するが、基本的には些細な力だ。
対して妖怪は私欲のために力を振るう。力を扱うことに対話の必要がなく、憑依された物体や生き物はその力のすべてを授かることになるのだ。
ある意味では確かに、妖怪の方が格上であるとの捉え方はできた。
「しかし、なぜ。それほどまでに力に固執する理由とは――」
「貴方だけはそれを言えないはずよ、バンカ」
「――っ!」
カムヅミの視線に息が詰まった。
バンカは視線を逸らす。それは後ろめたいことがあったからだった。
わかっている。その原因とは、バンカが自分の娘を巫術から遠ざけるからだ。
「――ハマサジほどの才覚に恵まれた子を、貴方は巫術師にしないと公言した」
「それは……」
「深刻な巫術師不足の時代で力に固執することを、貴方だけは責められないはずだわ」
言い返す言葉はない。巫術師の世界はまだ昔のような頑固な考え方を引きずっている節がある。
だから子のための判断だと言い張ったところで、彼らは才能を伸ばす方が子のためになるなどとのたまうだろう。
「今、巫術師たちには――ひいてはこの国には、力が必要なの」
「力……」
ユリグルマもそんなことを言っていた。
全体的な巫術師の質が低下していると。だから今、ハマサジの才能が求められているのだと。
だがハマサジの人生はハマサジのものだ。巫術師たちの都合で決めるものではない。
そんなバンカの想いをカムヅミは承知なのだろう。ため息をつき、一拍する。
「だからこの話を、貴方だけにしたのよ」
「――――」
ハッと、目が覚めたような気分になった。
カムヅミの視線を見る。同情するような目を向けていた。彼女は立場上、ハマサジを巫術師しろという風潮に表立って反対はしていない。だけど本音では、バンカの味方だったのだ。
「貴方は優秀な巫術師だわ。だからハマサジの代わりは、貴方にしか務まらない」
「覚悟は、しています」
「……頼るようでごめんなさいね」
いつもは機械のように淡々と司令を出すカムヅミの、このように人間らしい一面を見たのはもしかしたら初めてかもしれないと思った。
彼女は小さな声で謝罪を告げると、すぐに凛々しい表情に戻る。そして司令官としての責務を果たした。
「これは特務よ、バンカ。単独で異界に向かい、これを撃滅なさい」
「……了解」
「貴方がその戦果を持ち帰ることで、ひょっとしたら黙らせることのできる輩もいるかもしれないわ」
付け足された言葉はカムヅミなりの激励だろう。頭を下げ、素直に受け取る。
そうして地面を見つめながら、バンカは自分の選んだ道の険しさを噛み締めていた。
単独で異界に乗り込むなど、まずあり得ない。巫術師の中では最強格のバンカとはいえ、必ず生きて帰れるとは断言できなかった。
何より応えたのは、今後このレベルの司令が何度だって降りかかるということだった。その度に命の危険に晒され、家族と別れることになるかもしれない恐怖を味わわされる。
だがバンカは、何度死地に飛ばされようとも生きて帰らねばならない。
バンカが命を落とせば、ハマサジは『善意の大人たち』によって巫術師へと仕立て上げられるだろう。
彼女が普通の女の子になる生き方を求めたとしても、それを捻じ曲げ国力の一部にしてしまうのだ。
そんなことはさせない。
司令室を出たバンカの目は、これから先の運命に反抗するように細められていた。
※※※
巫術師の質が落ちているだとか。
日本の力が世界に劣るだとか。
そんなことはハマサジには関係のないことだ。
巫術師の質が落ちているのならもっと指導や改革に力を注ぎ、なりたがるやつを鍛えれば良い。
日本に国力が足りなくともそれは政治の仕事だ。物理法則とは別の法則形態を持つ巫術は一般の目に触れぬよう隠す決まりとなっているため、自分たち巫術師には何もできない。
そもそもバンカに言わせれば、嘆いている暇があれば自分が強くなれという話だった。
そんな苛立ちを頭の中で繰り返しながらスーツのポケットに手を突っ込む。戦闘服にスーツを選んでいるのも、ハマサジを想ってのことだった。
普通の人は仕事にスーツを着て行く。もちろん全ての職種がそうというわけではないが、社会的にはこれが一般的だ。
だからバンカもスーツを着て家を出るのだ。そうすれば、ハマサジはバンカが普通のサラリーマンだと思い込むはずだから。
「ったく、その動きにくい格好でよく戦おうと思うよな」
階段を降りていると、ちょうどユリグルマが上ってくるところだった。
「それで動きやすい野袴着てる俺より速えんだから全く、才能ってのは怖えよな」
きっとユリグルマは軽い冗談のつもりだった。そしてそれをバンカもわかってはいた。わかってはいたものの、苛立っている今、その冗談は言われたくなかった。
他でもない、ユリグルマには。
「これは才能なんかじゃない、僕の努力の成果だ」
「……あん?」
「強くなりたければ、努力をすれば良いんだ。それを才能、才能と……」
「お、おい。ったく、悪かったって」
流石に付き合いの長い同期だ。ユリグルマはすぐにバンカの変調に気付き、自分の失言を詫びる。だがバンカにとっては、もはやそれだけの問題ではなかった。
「ユリグルマ。君は前に、現代の巫術師たちの弱さを嘆いていたね」
「は? あ、ああ」
前の任務中に、後進の育成が急務であるという話を振られた。その時にユリグルマはバンカからハマサジを巫術師にしないことの確認をとっていたはずだ。
それを聞いて後進の育成に別のアプローチが必要であると考えた彼のとる方法はなんだろうか。
「――妖怪と馴れ合うのは、楽しいかい?」
「…………は?」
何を言われたのか戸惑ったユリグルマは素直に驚いてしまう。そしてこれが、バンカの勘違いを加速させる要因となった。
カムヅミに言われていた妖怪信者の話。バンカはユリグルマをその一味として疑っていたのだ。
「図星か。幻滅したよ、ユリグルマ」
同期を見つめるその瞳からはすでに信頼の色が失われている。ここで否定しようが、無言でいようが、どちらにしてもバンカの判断はもう覆らない。
だがギリギリのところでユリグルマは否定材料があることを思い出す。この場で証明できるわけではないが、疑いを晴らすことのできる材料には心当たりがあった。
「落ち着いて話を聞け、俺は妖怪なんかと戯れちゃいねえ」
「とぼけるなよ。君は今も、自分の弱さを才能のせいにしたじゃないか。君はその差を埋める手段が妖怪を憑依することだと考えた、違うか?」
「ったく違えよ! 良いか? 俺はそのなんちゃってカルト集団には誘われちゃいねえんだよ!」
全く取り合わないバンカのせいで否定材料の提示に会話が繋げられない。そもそも、ユリグルマは妖怪を頼る考え方が身内に広まっていることすら知らなかったのだ。
その理由は明白である。
ずばりユリグルマがこの思想に染まらないことを、『教祖様』が知っているから。だから誘われてすらいない。
「この前本部に上がった報告書を見りゃわかる。妖怪に育てられた娘を発見したってやつだ。それが――」
「確認の必要はない」
階段を上り、ユリグルマの後ろに現れたサカキはバンカに向けて言った。そのふざけた態度にユリグルマは掴みかかりそうになる。
最悪のタイミングで最悪の男が来てしまった。これでは話がややこしくなるだけだ。
「あの報告書は改竄されているからな」
「――何、言って」
「貴様がやったんだろう? わざわざ妖怪に育てられた娘、アザミの行き先を消すなんてな」
サカキの言い分がわからなかった。何せ、前提としてアザミの処遇を報告しなかったのはこの男なのだから。
だが報告書を書いた本人が何者かに消されたと言ってしまえば、この場においてはその言い分の方が通る。ユリグルマの主張は信憑性が剥奪された。
「ふざけてんじゃ――!」
「見苦しいんじゃないのか」
あまりの理不尽にライターを取り出しそうになったユリグルマを見て、バンカは上階から呆れた瞳を向けていた。
「図星を指摘され、言い訳も覆され、最後に頼るのは巫術か」
「……バンカ、頼む聞いてくれ。お前は――」
「そもそも君は、巫術じゃサカキに勝てないだろ?」
――騙されている。
そう言いたかった。だけど信頼し尊敬する同期からの、軽蔑が込められたその言葉をぶつけられてしまえば言葉は出ない。
突きつけられた実力差。
バンカが最強の巫術師で、サカキが次点。ユリグルマは確かにバンカに認められるほど強くはあるが、二人と並べる実力があるわけではなかった。
「もっとも、妖怪を憑依して戦うなら勝敗はわからないけどね」
バンカは嫌味のように言葉を残して、サカキと共に階段を下りていった。
そこに取り残されたユリグルマは、信頼で結ばれていた交友関係においても決定的に分たれてしまったことを理解する。
サカキの目的はわからない。妖怪の力を支配しようとしていることはわかるが、それにバンカが必要だとでもいうのか。
だがもう、どうでも良いかと思い始めている自分がいた。
三人はここで決別したのだから。
バンカはバンカの決意を。
サカキはサカキの決意を胸に、それぞれが目的のため前に進んでいく。
一歩も進んでいないのはユリグルマだけだった。




