3.家族と国
家に帰れば待っている家族がいる。それがバンカにとって、巫術師の仕事を続けることのできるモチベーションだった。
「お父さん!」
ドアノブを捻り帰宅すると、ドタドタと廊下を駆けてくる音がすぐに聞こえた。娘だった。そして娘にバンカの帰宅がわかったように、バンカにも娘が走ってくるのがすぐにわかった。
「お、ハマサジ。良い子にしてたかい?」
「してた! 今日はね、お絵描きしてたの」
「お絵描きか。どれどれ、見せてごらん」
ハマサジは余程見て欲しかったのだろう、後ろ手に画用紙を隠していた。それを微笑ましく思いながら見せてもらう。
そこにはおそらくバンカとハマサジ、そして母親であるサクラが描かれていた。
もちろん子どもの描いた絵だ。人らしいものが描かれているのがわかるだけで、本当にバンカたち家族であるのかは聞いていないからまだわからない。
バンカが家族の絵である確信が持てない理由はひとつ。ここに描かれているのが、家族三人だけではないからだった。
「男の人と女の人、それから二人に挟まれるようにして手を繋いでる子ども……これは、僕たちだね?」
「うん、そうだよ!」
「じゃあ、こっちに描いてある人は誰かな?」
家族の背後には足のない、緑色の巨人が描かれていた。どう考えても人間ではない。これが戯れにアニメのキャラクターを混ぜただけならば、それが一番良かった。
だが、バンカの悪い予感は当たる。
「これはね、風のお友達だよ!」
「風の友達?」
「うん。わたしがお絵描きしてると、褒めてくれるの!」
「――――」
ハマサジにはすでに人間以外の魂が見えている。それは突出した才覚の表れだった。
巨人の姿がハマサジのイメージではなく実際に見たままに描いたものであるなら、それはどの巫術師にもありえない才を示している。
なぜなら、精霊には実体がないからだ。実体を持てるのは器を手にした妖怪か、器を持つ必要のない神だけだ。
そしてハマサジが見たのは間違いなく後者。神を視認する力が、わずか六歳にして備わっていた。
「……えらいぞ、ハマサジ」
「ホント? 明日も、頑張ってお絵描きするね」
「ああ。将来は、立派な画家さんになれるかもしれないね」
「画家さん? なる! わたし、画家さんになる!」
「よしよし。それじゃ、そろそろ子どもは寝なさい。明日も良い絵を描くんだよ」
「うう、はーい」
ハマサジは少しだけ不満そうだが了承し、寝室へとひと足先に向かっていった。描いた絵はバンカが額に入れ、書斎に飾るのが決まりになっている。
だから額を取りに行こうと、物置に向かうところで、妻のサクラに声をかけられた。
「貴方」
「言わなくてもわかるよ。ハマサジの才能は、どんどん磨かれてる」
「……どうしよう」
サクラは駆け寄ってきて、バンカの背に抱きつく。服を掴んで、不安そうにしていた。
そもそも、ハマサジを巫術師にしたくないと最初に言ったのは彼女だった。それは彼女自身が巫術師だったから。
巫術師の女として生きてきた彼女だからこそ、同じ後悔を娘に抱いて欲しくなかったのだ。
「確かに私は、巫術師だったおかげで貴方に出会えた。だからこの人生が悪いことばかりだったとは思ってないわ」
「うん」
サクラの家はユリグルマの家と同じような厳格な巫術師の家系だった。幼い頃から立派な巫術師となるように育てられ、娯楽に触れることや、友達と出かけるようなことはほとんどなかった。
だから彼女の記憶には巫術師の職務を通じて知り合った人たちしかいない。それが、サクラの後悔なのだ。
普通の女の子であることへの憧れ。自分が一番そうなりたかったから、ハマサジには同じ後悔をして欲しくないと願った。
「お義父さんは、許さないだろうね」
「パパだけじゃない……周りの、あらゆる人があの子は立派な巫術師になるって! そう言うのよ!」
「……そう、だね」
バンカの指摘にサクラは声を荒げる。そしてすぐにはっとなった。
「あっ、ごめんなさい。私、大きな声を……」
「いや……」
バンカの家は彼女らの家に比べれば緩い巫術師の家系だ。そもそもの歴史も浅く、才能がない人も多い。そしてそういう人たちには、巫術師にならないという道があった。
だが逆に、バンカのように才能があった者は巫術師になるべきだという決まりもあった。だからバンカは巫術師になったのだ。
そういう意味では、サクラの家族だけではなくバンカの家族も敵になるだろう。
ハマサジ程の才能がある子を巫術師にしないなんてもったいない。巫術に通ずるあらゆる人間がハマサジを見て言うことはそれだ。
だけど、バンカは思うのだ。
「ハマサジは、僕たちの娘だ。決して、彼らの道具じゃない」
「――――」
「周りに言われたからじゃない。自分の意思で巫術師になると、あの子が決めるまでは絶対に巫術師にしない」
それがバンカの方針だった。
できる限り巫術との繋がりを断つ。それでも巫術師という職業を隠し通すことはできないだろう。いつかは自分の力に気付き、簡単な巫術を学ぶ時もくる。
それでもハマサジが学びたいと言わなければ深く教えはしない。
彼女が普通の女の子でありたいと思うならば、その願いは叶うべきなのだ。
「私たちの子どもとして生まれちゃったから巫術師にならなきゃいけないなんて、才能があるから巫術師にならなきゃいけないなんて、そんなレールに乗った人生を……あの子にだけは歩ませたくない」
「そうだね」
バンカは振り返り、サクラの頭を撫でた。
そうやって決めつけられて巫術師にされ、後悔するのは自分たちだけで良いのだ。ハマサジは自分たちのように後悔しなくて良い。
少し他の人には見えないものが見えるだけの、普通の女の子として生きても良いのだ。
その道を選ばせるからこそ。
「――僕にのし掛かる責任は、重いな」
「ごめんなさい。私の我儘で、これ以上貴方を苦しめたくはないのに」
ハマサジを巫術師にしないならば、ハマサジがするはずだった分の仕事もバンカがしなくては釣り合いが取れない。少なくとも、この先永遠にバンカにはその責任が付き纏うことになる。
これからの失敗、無力、後悔のすべてに対して、ハマサジが巫術師になっていればと言われることになる。
子育てのために巫術師を辞めたサクラにはそれが申し訳ないのだ。それは、バンカ一人が背負う責任ではないはずだったから。一人で背負うにはあまりにも重すぎるから。
バンカは彼女を安心させるために強く抱きしめた。そして、優しく唇を重ねる。
「大丈夫だよ」
なぜならこれは、サクラだけの我儘ではない。
「これは僕たち二人の、我儘じゃないか」
それが巫術師になりたくなかった二人の決意なのだった。
※※※
公務員として正式に登録される巫術師はみな日本巫術機関という組織に属する。巫術というものが日本にしかない以上、頭に日本とわざわざ付けている意味はない。
組織は東京に本部と中央支部があり、各地方にそれぞれ地方支部があるという形になっている。支部の二つは明確に序列を表しており、中央支部に所属する巫術師の方が位は高い。
簡単に言ってしまえば、地方支部の巫術師は基本的に地縛霊や弱い妖怪の退治と強力な妖怪の出現に対する調査をし、中央支部の巫術師が強い妖怪に対処するといった形だ。
とはいえ先日バンカが地縛霊を倒したこともあるように、人手不足に対しては中央支部も融通が利く。そのため中央支部に昇進してからの方が忙しいという巫術師もいるのだった。
そんな日本巫術機関の中央支部。荘厳な建物の廊下にて、二人の男がすれ違った。
「なんだ、帰ってたのか。しばらく会わないで済むと思ってたんだけどな、ったく」
ユリグルマはすれ違い、少し歩いてから振り返らずに声をかけた。相手はサカキだ。バンカと同じく同期であるが、ユリグルマはこの男が苦手だった。
「フン。貴様こそ、バンカに獲物を取られたそうだな。精進しろ」
「チッ、やっぱりいけすかねえ」
ユリグルマは舌打ちする。サカキの完全にこちらを見下した目が嫌いだった。それなりに歳をとっても、ここだけは譲れないのだ。
「お前の報告書、少しだけ読んだぜ」
「そうか」
中央支部に所属する巫術師には別の部隊の任務報告書の閲覧権限が持たされている。これは情報共有をしやすくするためだ。
だが、今回のサカキの報告書には不明瞭な点があった。
「ありゃなんだ。妖怪に育てられたガキ? そいつが鵺を憑依していた? 冗談だろ」
「報告書で嘘はつかない。中央の巫術師がそんなことをするわけがないだろう」
「あーはいはい、ったく。んで、お前はそいつをどうすんだよ?」
ユリグルマが聞きたいのはそこだった。
確かにそんな人間がいるのかと疑問に思うところはある。だがサカキがそう報告した以上、それが事実だ。ユリグルマも、そういう意味ではサカキを信用していた。
だが報告では連れ帰ったところまでしか書かれておらず、その後の対応は謎にされていた。
「どうする、とはどういう意味だ」
「そのまんまだよ。お前まさか、巫術師にする気か?」
まさか、とは言ったがユリグルマはほぼ確信を持って訊いた。サカキは後進の育成に頭を悩ませていた。そんな凝り固まった男ならば、無茶を言いかねない。
「当然だ」
案の定、曇りのない顔で言ってのけた。思わず振り返ってしまい、そのふざけた表情にユリグルマは面食らう。
「当然って――妖怪に魅入られてんだろ、そのガキ。精霊は寄り付かないだろうが」
「ならば、寄り付くモノを使えばいいだろう?」
「お前、正気か?」
確かに後進の育成は急務だ。それは、ハマサジを巫術師にすべきだとバンカに言ったユリグルマもわかっていること。
だが、それと手段を選ばないのとは違う。ユリグルマはあくまで、『巫術』を扱う人間を育てるべきだと考えているのだ。
妖怪を憑依して唱える術は巫術とは言わない。呪術か、妖術の類いだ。
「だがアザミは鵺を憑依できる。その時点で既に我々よりも強い」
「強いとかじゃ、ねえだろ!?」
不安定な強さを組織に置いてはたまったものではない。そもそも既に自分たちより強力な存在を、どう教育するというのか。
「危険すぎるだろうが。もしももっと強力な妖怪を憑依したら、手がつけられなくなる」
「――日本には、核が必要なんだよ」
「は?」
核。一瞬何のことかわからなかった。
巫術に触れすぎたせいだろう。幻想に触れすぎ、現実を忘れていた。
核爆弾のことだ。日本は憲法があるから、軍隊も核爆弾も持てない。
「核を持つ国は強い。それだけで、牽制し合うことができるからだ」
「それと今の話とに何の関係が……」
「アザミは、日本の核になれる」
「――――」
予想外の展開すぎて、言葉に詰まった。
ようやく出てきたのは、ただ茶化しただけの言葉。
「……そりゃ、そいつが核と同じくらい扱いが難しいって話か?」
「違うとも。俺はアザミを使って、日本の国力を底上げする」
サカキは愛国者だ。本心から、日本の未来を考えていた。
だが、それが正しいやり方を貫けるかは別の話だ。
「――何をする気だ」
「今は、何も」
サカキが浮かべるのは不敵な笑みだった。計画は始まっているのだとでも言うような、何かを楽しみにする表情。
それは普段の気に食わない顔とは違う。本当に、危険を感じたのだ。
こいつはきっと、前の任務で心を闇に奪われたのだろう。それは深い闇だ。日本の未来を思い、黒い光で照らそうとしている。
「……アスターの死を、無駄にするなよ」
もはやユリグルマには、それしか言えなかった。自分を正しいと思い込んでいる破綻者を説得する術はない。
監視し、間違いを現行犯で止める以外に方法はなかった。
「ああ、彼は良い部下だった。無駄には、しないとも」
その決意はユリグルマが思って欲しいものとは明確に異なる。
「貴様こそ、バンカに会ったら言っておけ」
「……んだよ」
「俺はお前とは違うと。日本の未来よりもちっぽけな家族を選ぶクズとは、とな」
果たして家族を選ぶことは本当にクズなのだろうか。ユリグルマにはわからない。間違っているとは言わないけれど、どうして、と思うこともある。
ハマサジほどの才能が巫術師となれば、多くの人間が救われるのは間違いない。それなのに、救われるはずの大勢を殺してでも願うことなのかと思ってしまう気持ちもある。
だけど目の前の男の主張が、考えが間違っているということだけはわかった。
サカキは話を終えて歩いて行く。廊下にはユリグルマがひとり残された。
「ったく、どいつもこいつも――面倒ばかり持ち込みやがる」
思い返せば、昔はこんなすれ違いもなかったと思う。三人は同期として巫術師になり、別々の地方に飛ばされてもお互いの業績を張り合い続け、中央に昇格しても競走していた。あの頃は楽しかった。
それが今では、こんな風になってしまった。
家庭、国、そんなものに縛られて、思想も主義も何もかもが歪んだ。もうあの頃には戻れないとわかっていても、焦がれるものがある。
「俺に、何ができんだよ」
強くなった気でいた。
巫術師としても、人としても。自分たちはもう、歳を重ねて既に三十歳を超えている。それなのにどうして今更、足踏みしているのだろうか。
ユリグルマにはわからない。
強くなった気で、未だ弱かったことを認められないユリグルマには、何もわからない。




